散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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コメント御礼/疲労の質と量

2016-05-10 09:20:41 | 日記

2016年5月10日(火)

【コメント御礼】

 橋口さん、実名登場ですね。嘗て桜美林の教室で伝えたことが役に立っているとすれば、教員冥利に尽きるというものです。教わったことを教え、伝えられたことを伝えていく連鎖の中で、人生の有限を乗り越える方向が示されていくでしょう。健闘を祈ります。

 池田さん、ありがとうございます。私の不思議なクセで、こうして苗字だけを拝見すると、なぜか必ず男性を想定してしまいます。「被爆二世」さんの時も、稲田先生の時も、フルネームを拝見するまでてっきり男性と思い込んでいました。コミュニケーションは一般に女性のほうが得手なのですから、まず女性を想定するというなら分かるのですが、何でしょうねこれは。分析してみたら面白いでしょうか。

 答案を整理して自分の誤りに気づきましたが、残念ながら50名ほどの女性方のどなたであったか見当がつきません。質問者の中には、いらっしゃらなかったようですね。またお目にかかる機会があったら、どうぞ名乗りを挙げてください。

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 このところマメにつけていた日記が、7日から9日まで真っ白に抜けている。(高橋書店の「一日一頁」日記なので、抜けが一目瞭然である。)そのぐらい土日の授業に余念なく集中し、代休の月曜日はスッカラカンの抜け殻で使い物にならなかったのである。午後から碁会所に行き、1局目はそれらしくうち回したが2局目・3局目とあり得ないポカをして、お疲れ加減を思い知らされた。面接授業後は常のこととはいえ、ここまで疲弊するのは珍しい。やっぱり数の効果だろうか、30人と70人では立ち上ってくるオーラの総量が違うから・・・それだけなのかな。

 放送大学の面接授業は一般学生の動機水準もきわめて高い。加えて、受講者中の2~3割は精神疾患の当事者ないし家族であり、さらに多数の医療・福祉関係者が混じっているから、気合いが違う。宮本先生ではないが、真剣勝負の迫力が視線や居ずまいや声の反応から立ち上り、まる二日間、気を抜くという瞬間がない。そこに数の効果が加算されたから・・・かな。

 質問やアンケートには、いつもながら思いもよらない発見や気づきが含まれ、受講者以上にこちらの得るものが大きい。けれど今回は、それらを鑑賞・吟味する余裕をもつまでにもう少し時間が要りそうだ。2週間後には福岡、体調を整えておかなければ。

Ω


土日は楽しい面接授業

2016-05-08 08:06:47 | 日記

2016年5月8日(日)

 放送大学はいい職場だが、個々の教員と学生との直接の接触が一般の大学ほど多くはもてない。この年になって今さら思うのは、自分が人との交流によって支えられているということである。その意味で面接授業は貴重な充電の機会になっている。

 とはいえ、85分 × 4コマを二日連続というのはなかなか力業である。特に僕は座って静かに話すということができず、マイクを握って壇上を右往左往しながらフロアとやりとりするサンデルの流儀なので、相当の消耗戦になる。体力的にこれが続けられなくなったら、その時が引退かな。

 昨日から東京都内の学習センターで『基礎編』の授業、ここはキャパシティが十分で今回の登録者が80名近く、たぶんこれまでの面接授業の中で最大規模だ。本当は20人ぐらいで全員の名前を覚えながら進めるのが性に合っているので、正直なところ往路に少し気が重かった。けれども一日目を終わってみればいつもと変わらない、足が棒で体はくたくただけど、爽快な疲労感である。

 質問がいつもにまして活発で、センスも良い。だいたい皆、よく居眠りもせず集中できるものだ。あっぱれお見事。

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 「著者に聞きたい本のツボ」は井上章一『京都ぎらい』。いちいち思い当たるところあり、朝から大いに笑った。読まない手はなさそうである。アマゾンの書評が☆1から5まで散乱していて、分け入ると案外深いところに至りそうだ。もちろん、問題は「京都」ではないのに違いない。

 さて2日目、そろそろ行ってきます。

Ω


鯉のぼり讃仰

2016-05-06 07:11:58 | 日記

2016年5月5日(木)

 いつか田舎の家に昔ながらの鯉のぼりを上げるのは、ちょっとした夢だったりする。桜美林への通勤路沿い、市が尾あたりで鶴見川を越えた直後の北側に、農家の庭先だろうか見事な鯉のぼりを上げるところがあり、毎年電車の中から声援を送っていた。

 鯉のぼりの歌に有名なものが二つあるが、皆がまず連想するのは「屋根より高い鯉のぼり♪」のほうだろう。あれも和やかでいいのだけれど、もう一つのほうが元気で勢いがあってこの節句にはピッタリである。最近なかなか聞くことのないのを惜しんで、ここに貼りつけておく。

 特に3番が出色、「われは海の子」 ~ 千里寄せ来る海の気を/吸いて童となりにけり ~ なんかを連想させてかっこいい。杉並児童合唱団がとてもきれいに歌っているが、もう少しアップテンポでもいいかな。日本の男の子たち、ガンバレ!

 

1.

甍の波と雲の波/重なる波の中空(なかぞら)を

橘薫る朝風に/高く泳ぐや鯉のぼり

2.

開ける広きその口に/舟をも呑まん様見えて

ゆたかに振るう尾鰭には/物に動ぜぬ姿あり

3.

百瀬の滝を登りなば/たちまち龍になりぬべき

我が身に似よや男子(おのこご)と/空に躍るや鯉のぼり

https://www.youtube.com/watch?v=ORO9_KMVy44&feature=player_embedded

 

Ω

 

 

 


岩倉の狂女恋せよ

2016-05-05 20:04:02 | 日記

2016年5月5日(木)

 何となしに蕪村の句集をとりあげ、何しろこの季節なので夏のところを追ってみたら、次の句が目に留まった。

  岩倉の狂女恋せよ子規(ほととぎす) (241 安永2年4月4日)

 「狂女」という言葉は既にATOKも変換しない。「岩倉の」が分かる人は、僕らの業界の人間でなければ、かなりの物知りである。恥ずかしながら、自著から引用する。

 「京都岩倉村の歴史は古い。11世紀に後三条天皇の皇女である佳子内親王が興奮状態に陥った際、岩倉大雲寺に篭って霊泉を用いたところ快癒したという。これを聞いた人々が同地に集まってくるようになった。やがて長期滞在者の便のために茶屋や宿屋ができるようになり、次第に一種のコロニーへと成長して明治維新後も存続した。ベルギーのゲールと対比できる内容と歴史をもつ営みだったが、第二次世界大戦の戦禍によってついに維持できなくなり消滅した。このほか、江戸時代には全国各地の寺院境内などに精神障害者の収容施設があり、その一部は明治時代に精神病院へ移行したとも言われる。長い歴史の中で日本人が精神疾患や精神障害者をどのように理解し受け止めてきたのか、今後の資料発掘が待たれている。」

(『精神医学特論』 P.284)

 甚だ簡単ながら要するにそういうことで、戦禍で葬られることがなかったらゲールとセットで世界遺産登録が期待できる文化的な営みではなかったかというのである。何より、僕らの文化の中にもこういう伝統があったと知ることが、今の日本人をどれほどか鼓舞するものではないかと期待する。

 現実は「狂」などといった言葉の上面だけを神経質に刈って歩き、その下に胚胎する大きな毒の源はお構いなしである。蕪村の句の正確な意味が僕には取れない。それ自体、蕪村らの「岩倉」から遠く離れた証拠であろう。

 ・・・などといった言説がすべて不勉強と安直な通説依存の産物である可能性を、橋本明氏が鋭く指摘しているのを初めて知った。

 『虚構としての岩倉村 ~ 日本精神医療史の読み直し』 (http://www.lit.aichi-pu.ac.jp/~aha/doc/RITSUMEIKAN1.HTM)

***

 もうひとつ蕪村から、こちらはさほど難しくない。漢字は鳥の足跡を見て作られてたという伝説を知ってさえいれば。

  足跡を字にもよまれず閑古鳥 (258 明和6年4月10日)

Ω


lost mind

2016-05-05 07:47:08 | 日記

2016年5月4日(水)

 5月4日はセントルイスのサラの誕生日で、毎年電話をかける習慣になっている。日米戦争のさなかにヴァージニアで生まれた女の子が、長じて大の親日家になった。70年余の歴史をこの人もまた凝縮体現している。

 4人で代わる代わる英会話の練習をした後、頃合いを見計らって用意の質問。

 「誕生日のお祝い電話でこんなこと訊いていいかどうか分からないけど」

 「?」

 「共和党、どうなっちゃったの?」

 トランプの大統領候補指名がほぼ確実になったと、数時間前に報じられたところだ。サラは政党で色分けできる人ではない、リベラルで良心的な一米国市民と評すべきだが、若い頃には共和党の選挙応援に加わったりしたと聞いた気がする。もっとも選挙応援の意味合いが日本とはだいぶ違うし、南部ヴァージニア出身の彼女は人種問題ひとつとっても、民主党より共和党がステレオタイプとしては似合っている。そんな伏線があっての質問ながら、返事は明快至極で・・・

 「アタマ、変になっちゃったのよ!(They lost mind.)」

 ドナルド・トランプが大統領だなんて、何が起きるか想像もつかない。現状に不満な人々のフラストレーションの強さを反映しているのは間違いないが、反応の方向が明らかにおかしいし危険きわまりない。とはいえ対立候補にはそれぞれ不足や問題があり、民主党との対決に進んでもヒラリーはいまひとつ人気がない。なので自分の周りには「今回は投票しない」と言う人間がいつになく多いが、「それって最悪でしょ(That's a terrible choice.)」とサラ。この人と話していると、こちらの背筋もすっきり伸びる。

 「less bad が大事ってこともあるよね」「それ、それよ、いいこと言うじゃない。」

 ともかくトランプを大統領にするわけにはいかない、全世界に多大な累を及ぼすことであると彼女は言いきった。ちなみに現時点で共和党への党派的関心は何もないのだという。ブッシュ親子を経て、共和党がこの人々に意味するところも大きく変わったに違いない。

 さて、どうなる?そしてどうする?

Ω