散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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記録の価値

2019-08-18 16:14:37 | 日記

2019年8月15日(木)

 台風10号の中心が頭上を通るというので諸方面から心配してもらったが、当方に関しては久々にまとまった雨が降るぐらいのことですんだ。S先生と電話でしんみり話す間は雨が中断し、屋外ではアブラゼミが合唱キジバトが鳴くという暢気さである。東に発達した暴風域に呑み込まれて高知は大変、徳島も阿波踊り四日日程の後半二日が中止になった。台風報道で終戦記念日のがすっかり食われたのも落ち着かないことで、夜になってNHKスペシャルが二・二六事件の新資料をとりあげているのを見て、ややそれらしい気分を味わった。

 新資料というのは、海軍軍令部が事件の進行を逐時克明に記録した膨大なもので、歴史専門家にとってどれだけ新規かわからないが、僕などにはかなり認識を改めさせられるところがある。とりわけ驚いたのは、事件の数日前に東京憲兵隊から海軍軍令部に情報提供があり、その中で首謀者も殺害の標的も全て正確に把握されていたことである。海軍はその情報を、何ら活用しないというやり方で最大限に利用した。この事実ーつとっても学ぶべきこと考えるべきことが山ほどある。

 本筋と別に気にかかったのは、この資料 ~ 極秘ながら海軍という組織にとっては、超・公的な性質をもつ浩瀚な書類が、海軍軍令部の一要職によって個人的に保管され、70年余も秘匿された末、今この時に世に出てきたという事実である。この項を書いているのは18日(日)、その時点から見る昨17日(土)のNHKスペシャルが、今度は初代宮内庁長官・田島道治の遺した『拝謁記』をとりあげた。これまた新知識満載だが、こちらは基本的に田島氏一個の備忘であり、氏が晩年に焼き棄てようとしたものを、子息が「決して悪いようにはしないから」と説得して焼却を免れたという。

 このように記録やメモを保存する心理と廃棄する心理について、これはずいぶん前から考えさせられている。かなり深い意味をもつ自問だが、現実的な意味もあるというのは、「焼いてしまおうと思う」「頼むから焼かずにおいて」というやりとりを、父との間に何度となく繰り返してきたからである。

 田舎のありがたさで空襲にあうことなく、戦前からの物品・書籍や文書類が、築80年を越えてびくともしない日本家屋のそこここに大量に埃をかぶっている。大正年間の美装本は現在でも古びていないのに、昭和も10年代後半には急速に紙質が落ち、戦後のどん底レベルから回復するのに多年を要した推移が、目で見てわかる。地主だった曾祖父が手ずから記した年貢米の台帳、南支派遣軍に配属された祖父の広東周辺での軍務の記録、祖母が購読していた婦人雑誌、幼年学校時代の父の検閲つきの日記など、いずれもとりたてて価値のあるものではないが、特別ではない生活の、特別ではない記録であることが貴重に思われる。どこの家にでもあったものが、国中の大半の家庭で戦災のために焼亡した、その無念が思われもする。

 「そんなもの、誰が見るんじゃ」

 「孫や曾孫がさ、歴史ってそういうものの積み重ねだし。そうだ、いつかどこかの歴史家の目に留まるかもしれない」

 この理屈にどの程度納得したかは疑問だが、父もけっして生来の「焼却派」ではない。むやみに焼いてしまう癖のあった祖父のおかげで、父の幼児期の描画や作文・作品など何も遺っていないのを嘆いたことがある。また読書家でもあるだけに、書かれた記録の重要性はよくわかっているはずなのだ。

 「確かに、とっておく意味があるかもしれん。大した内容ではないとしても...」

 と父、

 「ウソや改竄はありゃせんからな。」

 そのことである。後世というものが仮にあるとして、平成の政治史を研究する人々は、公的機関の残した資料の価値の低さ・疑わしさにどれほど悩むことになるのだろうか。記録に虚偽や改竄を加える行為は、現在の同胞ばかりでなく未来の知性までも裏切る悪辣な犯罪である。この夏公開された二つの文書が、少なくともこうした悪事に毒されることなく今の我々に伝わったのだとすれば、それ自体を小さからぬ幸いとすべきであろう。

Ω


花時計

2019-08-15 15:30:36 | 日記
2019年8月12日(月)


 前庭の秋の主役は、野放図に2mあまりも伸びた酔芙蓉(すいふよう)である。花が咲かないから伐ってしまうの、まだ時期が早いもう少し待つのと押し問答したのも懐かしいが、今年最初の一輪が今朝めでたく開花した。といっても、この写真では判らない。丸印を付けた部分(↓)、ありゃりゃ、これでも見えないのは露光調節がヘタクソな証拠だ。例年西側の開花が多く、かつ早い。東側が高縄山系で日差しを遮られるためか。


 以下、拡大写真を経時的に。

07:50 純白

12:30 ほんのり薄桃がかる

16:30 すっかり桃色

 一日のうちにこうして色の変わる様を、ゆるゆる進む酩酊にたとえて酔芙蓉と命名したものであろう。生物学的にはいわゆる芙蓉の八重バリアントだそうで、フヨウ(芙蓉、Hibiscus mutabilis )に対してスイフヨウ(酔芙蓉、Hibiscus mutabilis cv. Versicolor )とある。中国・台湾、沖縄・九州・四国に自生するとのこと、半島で愛好されるムクゲに対してこちらはいくらか南方系と見える。
 「芙蓉はハスの美称でもあるところから、特に区別する際には水芙蓉(ハス)に対して木芙蓉(フヨウ)と称する。水芙蓉と酔芙蓉を混同すべからず」とWiki に親切な注記あり。
 これから秋口まで、通常のフヨウや意匠とりどりのムクゲ、さらにはオクラなどとあわせ、アオイ科の花々が日々楽しい。とりわけ酔芙蓉は母の好みで数年前に植えたのが、土に合ってこの隆盛、と思っていたら、
 「あなたが好きだというから植えたんじゃないの」
 昨夏、母の託宣あり。自分にはまったく先行記憶がなく、母の洒脱な置き土産とばかり愛でている。
 記憶は常にずれるのが面白い。いっぽう花の変色は至って規則的で、おおよその時刻が推測できるほどである。花時計とは何とおしゃれな。

Ω
 

ハンターの血統

2019-08-15 14:36:17 | 日記
2019年8月11日(日)
 で、結局今年もやられた。
 長崎の日に、珍しく霧がかったしまなみ海道を渡り、翌日から朝夕の1時間余を草刈りにあてる。夕方、クルミの大木の周囲にまとわりつく若竹を引き抜いた瞬間、頭上に怒りの羽音。「あ」と思ったときには右の耳たぶに例の痛み。竹がクルミの枝と絡まるところ、地上2mあたりに確かに巣が鎮座していた。
 首から上を刺されたのは初めてで、ハチアレルギーもあるらしいところから、どんな恐ろしいことになるかと身構えたが、意外にも手指を刺されるのに比べずっと楽に経過した。毒の刺入量が少なかったか、解剖学的な理由もあるかもしれない。
 上肢は手根管に大きな関所があり、それより末梢は骨・皮膚・結合組織に囲まれた閉鎖構造が指関節ごとに細分された作りだから、炎症産物の逃げ場がなく内圧が高まって痛みが強い。対照的に耳たぶは開放的な構造なので、炎症産物が逃げやすく圧もさほど高まらない・・・のではないか。
 24時間後には正面から鏡を見て、右耳だけダンボ状に横に突出して見えたが、さほど痛くもなく予定通り48時間でほぼおさまった。これに懲りて作業時は防虫ネットを頭からかぶることにした。初めからやっとけという話である。
***
 その翌夕、アジサイを剪定していたら、隣の珊瑚樹の幹にカマキリ発見。緑と茶のストライプが、葉と枝の狭間で有効な擬態になっている。そしてもちろんピクリとも動かない。知人の息子さんに「存在感を消すのが特技」という若者があるが、植物的な印象とは裏腹に、実はハンターとして希有の素質をもっているのではあるまいか。


 しばらく見とれた後、アジサイの方を振り向くと、その葉裏に・・・


 小さいながらも、あっぱれ一人前に静止している。カマキリの子はカマキリ、それぞれどんな獲物を得たのだろう?
Ω

ハチの巣処理にあえて殺虫剤を使おうかと思う理由

2019-08-15 07:58:07 | 日記
2019年8月8日(木)
 おさらいしておくと:
 アシナガバチ(以下、単にハチ)は攻撃力の強い昆虫だが、その攻撃パターンは専守防衛のお手本のようなものである。巣から半径1m程度の空間内に侵入してくる物体に対して直ちにスクランブルをかけ、相手の大小強弱にかかわらず躊躇なく攻撃をしかける。一方、巣から約1mも離れたならば、餌となる芋虫などへの狩猟行動を別として、自分から攻撃することはまず絶対にない。庭の真ん中でブンブンうるさく寄ってくるのは、ハチではなくアブの類いである。
 それにも関わらず毎年飽きもせずハチに刺されるのは、巣があるのに気づかず、モクセイの枝だのアジサイの茂みだのに手を突っ込むからである。もう少し早め(=遠め)に威嚇してくれると良いのだが、枝を揺らしたりするとハチは警戒して動きをいったん控え、やおら急攻に転じるので始末が悪い。樹木は剪定を要するのがつらいところで、そうでなければ developer_waiwaiさん のようにそっと見守りたいものである。
 軒下につくられたセグロアシナガバチの巣の消長を、数ヶ月にわたって観察した興味深いブログが下記。
⇒ https://matome.naver.jp/odai/2137990172545376901?page=2 

 よくまとまっていて付け加えることもないが、一点だけ。ハチのすぐれた帰巣能力は周知の通りながら、その裏とも言うべき皮肉な事実がある。たとえば地上3mのハチの巣を直下に落としたらどうなるか?ハチは落ちた巣を探索発見できるだろうか?
 答えは 「否」である。ちりぢりになったハチはすぐまた戻ってくるが、つい先刻まで巣が存在した場所を虚しく飛び回るだけで、直下に落ちた巣には気づく様子がない。たった今彼らの巣を叩き落とした憎むべき加害者(=僕)が目の前に突っ立っているのも、まるで目に入らない様子であり、従ってこちらは無垢の傍観者のように安全である。この点についてはスズメバチ類も同じであること、二度にわたって確認した。(ええ、ものすごく怖かったですよ・・・)
 要するに、ハチの帰巣能力はもっぱら空間座標の正確な記憶に依拠しており、巣という実体を識別探索する能力は極端に乏しい ー 無いに等しいのである。ハチの巣処理に殺虫剤は無用、ただ巣を落とせばそれで足る。

***

 で、帰省の中継地点にあたるT市の住居、ここにいつの間にかアシナガバチの巣が育っていた。洗濯物を干すデッキの裏側で、デッキには風通し良く隙間を設けてあるから、これは放置観察という訳にいかない。もちろん殺虫剤は無用、長い物干し竿で巣の茎をつついてあっけなく落とした。その一連の写真。

 個体の体格がよくて、日頃見慣れたアシナガバチより一回り大きい感じ。

 地上に落ちた巣。60穴ほどもあるだろうか。

 ここがポイント。上の円が巣のあったところで、ハチどもが密集しているのがわかる。落ちた巣は下の円、ほぼ直下3mで遮るものもなくむき出しだが、ハチはこれに全く注意を払わない。たまたま近くを飛び回る個体があっても、巣を認めて接近するということはついぞ起きない。


 その後、日没までの数時間くりかえし覗いてみたが、25匹ほども集まったハチはほとんどその場を動かない。物干し竿で軽く触れても、1~2匹が弱々しく飛び立つぐらいで、つい先刻まで巣を犯すものに示した猛々しい反応はもはや見られない。魂を抜かれてしまったようであり、事実、彼らを駆り立てる唯一の原因 ー いわば彼らの魂が取り去られているのである。闘う理由を奪われた戦士たち、歴史の一日を思い起こしたりもし、いつになく申し訳ない後味の悪さが後を引いた。
 いっそ殺虫剤を使えばよかったかと、初めて感じた次第。

Ω
 



夏雲二景

2019-08-14 07:24:24 | 日記
2019年8月7日(水)
 日頃、夏の暑さが大嫌いと思い込んでいるのが、とんだ錯覚だったと悟るのも毎年のこと。嫌いなのは、コンクリートの鬱熱とアスファルトの照り返しの中をワイシャツ・長ズボンに仕事鞄もって電車に乗り込み、人いきれの中で絞り出される汗に吸い込むエアコンの空気、都会という特定条件下の暑さである。一方、田舎では炎天の日差しを麦わら帽子で避けつつ、虫除けのため古ワイシャツと作業ズボンに長靴まで都会以上の完全装備、それで草なんか刈っていると30分も経たずに全身汗だくで水を浴びたようになるが、これは不思議と苦にもならない。そこへ一陣のそよ風が野を渡って吹き抜ける蘇生の涼味と言ったらなく、「存命の喜び」とはこのことに違いないと思われる。サリバン先生がヘレンに「愛」を教えるのに、雨上がりの陽光を例に示したと言うが、これに近いものが暑中の緑風にある。
 慕わしい田舎へ向け一路西行を開始した、ちょうど一週間前の雲二景。もちろん「ながら撮影」ではない、助手席の協力に依る。



Ω