JF4CADの運用日誌2.5

アマチュア無線局JF4CADの活動内容紹介ブログです。

種子島移動運用報告①

2014-06-24 | 移動運用結果報告

計画編

私は開局以来長らく50MHzにQRVしています。今よりもっと50MHzが賑やかだった1980年代後半~1990年代前半頃には多くの方がQRVされ、JCCやWACAにチャレンジされていた方もたくさんおられました。そのため珍市が出ると大パイルになったものでした。

当時難関とされたのが北海道の三笠市伊達市、沖縄県の石川市平良市、そして鹿児島県の西之表市でした。当時WACAで最後まで残ったのがこのあたりの市だった方も多かったと記憶しています。

その後北海道の珍市はモービル局によるローラー移動やJCCアクティブリストを活用した狙い撃ち移動によって珍市としての価値が下がりました。沖縄の石川市は具志川市などと合併してうるま市に、平良市は周辺にある宮古郡の町村と合併して宮古島市となってからはレア度が下がった気がします。

そんなレア度の変化があまりなかったのが西之表市です。JCCでは4614と比較的古いコードを持っていながら難関なのはこの市が種子島にあるためです。

かつて3エリアで50MHzのロールコールが行われていた頃(現在のAMではなくSSBのロールコール)、西之表市への移動情報が上がったことがあります。幸いEsがオープンし、ものすごいパイルになっていた記憶があります。確かQSOできたと思うんですけどQSLがどこに行ったのか分からなくなりましたHi

トカラ列島みたいに船が何日かに1便という過酷な環境ではなく、高速船も飛行機も毎日出ていますから渡島しやすいため今回は種子島に挑戦することにしました。

#来年が開局30周年なのでその記念に取っておけばよかったかも知れませんが気にしないことにしましょうHi

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種子島は人口が約3.3万人。安納芋やサトウキビが中心の農業や漁業に加え、JAXAのロケット発射場関連の仕事も島の経済を支えています。また種子島は1513年に鉄砲が伝来した地としても知られています。当時種子島の領主は種子島時堯で、子孫には海軍で国産ジェットエンジンの開発にあたった種子島時休大佐がいます。あまり知られていませんが、国産のジェットエンジンを積んだ「橘花」という飛行機が完成したのは終戦間際の1945年夏であり、試験飛行を行った段階で終戦を迎えています。どうやら種子島は最先端技術との縁が深いようです。

平成の市町村合併が行われなかったため種子島には現在も西之表市のほか熊毛郡中種子町・南種子町の1市2町があります。そのため西之表市の人口は1.6万人あまりしかいません。とはいえ西之表にはスーパーやコンビニ、銀行などが揃っており、ビジネスホテルもあって種子島の中心として機能しています。

 
この種子島への渡島手段は鹿児島空港からの飛行機か鹿児島港からのジェット船が一般的です。ところが飛行機は行き・帰りとも伊丹便との乗り継ぎが悪く、ひどいパターンですと到着の5分前に乗り継ぎ先の飛行機が出発する状態でして、鹿児島空港での待ち時間が長くなってしまいます。飛行機を諦めてジェット船にするにしても空港から鹿児島港までは1時間以上見ないとダメなのでこれも時間がかかります。

どうしようか考えて今回は金曜午後に鹿児島市内に入って前泊し、翌朝のジェット船で西之表に入ることにしました。帰りは種子島空港から鹿児島空港経由で伊丹に引き上げるつもりです。

 

バンドは夏場のデフォルト18/21/50MHzです。ここのところBFなCondxに泣かされ続きですが、今回こそは何とかなればいいですね。

コメント
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