東海汽船にとって久々の新造船となる「橘丸」が本日デビューしました。幸い今夜は満席とのことで順調な船出を迎えそうです。今後の活躍を期待したいと思います。私も1年以内には乗ってみたいと思っています。
さて、東海汽船という会社は前身の東京湾汽船時代を含めると長い歴史があり、「橘丸」という名前の船は3隻あります(年は東海汽船での在籍期間)。
・初代 1923-1935。392tの小型船で当初は貨客船、のち客船に改造。
・2代目 1935-1973。1,772tの船で「東京湾の女王」。戦争末期の「橘丸事件」でも有名
・3代目 2014-。5,681t。現役。
3代目は現役、2代目は東海汽船のフラグシップでもあったため多くの資料が残されていますが、一方でほとんど知られていないのが初代「橘丸」です。某wikiなどでも初代についてはほとんど記述されていません。今回はこの初代「橘丸」に触れてみたいと思います。
この船の略歴は以下のようになります。
1923年 7月 大阪鉄工所桜島工場(現在の日立造船)で竣工
392t、全長41.2m・全幅7.3mの小型貨客船で速力13ノットでした。
1928年 4月 客船への改造が行われ東京-大島-熱海or下田航路に投入
1等10名、2等73名、3等139名の定員222名
1934年 4月 大島・元町港で座礁 修理され復帰
1934年10月 2代目橘丸就航
1934年11月 鹿児島商船に売却
「橘丸」として鹿児島-種子島or屋久島航路に就航
1953年 主機を換装し404tとなる
1962年 「種子島丸」に改名
1963年 船舶明細書から削除され廃船になったと推測される
なんと遠い種子島で戦火をくぐり抜け昭和30年代後半まで活躍していたそうです。
種子島行きの船は夜の9時頃に鹿児島を出航、大隅半島の先端にある佐多岬を過ぎると大きく揺れ、西之表が近くなり馬毛島の島影に入ると揺れが収まっていたそうです。西之表着は翌朝5時頃で、なにぶん小型船のため台風が近づくと2週間前後欠航になったとのこと。
また百名山で名を残す作家の深田久弥が戦前屋久島に渡った際に「橘丸」という392tの船で屋久島に渡ったとの記述があり、まさにこの初代橘丸であったようです。
昭和30年代まで活躍していましたので、70代や80代の方であれば記憶が残っているはずです。西之表でもう少し「橘丸」のことを聞いてくればよかったですね。
この鹿児島商船ですが、現在書きかけの種子島移動で利用した種子屋久高速船の「トッピー」を所有するなど現在も鹿児島で海運業を行っています。種子屋久高速船への高速船事業統合により鹿児島商船の「トッピー1」が東海汽船に売却され「セブンアイランド友」となっています。意外なところで縁があるものです。