あまりにも暑いので移動運用はお休みし竹生島の宝厳寺への参拝と風景印・小型印巡りをしてきました。

竹生島は琵琶湖に浮かぶ4つの島の1つで、現在は長浜市に属します。西国三十三所の三十番宝厳寺があり、長浜・今津から琵琶湖汽船の、彦根からはオーミマリンの観光船が出ています。
琵琶湖汽船は京阪グループの船会社です。琵琶湖での近代的な航路は鉄道建設が後回しにされた大津-長浜間で1882年に鉄道連絡船が運航されたことが始まりで、数多くできた運航業者は大正初期には太湖汽船と湖南汽船にほぼ集約されます。このうち湖南汽船は京阪の滋賀県への拡張策に伴い傘下に入り、一方の太湖汽船は地元資本を中心とした反京阪グループで連合し1927年に琵琶湖鉄道汽船になります(この会社の鉄道部門が現在の京阪石山坂本線)。しかし大阪や京都へのアクセスを握る京阪に対して圧倒的に劣勢でわずか2年で琵琶湖鉄道汽船は京阪の軍門に降ります。

このときに船舶部門は(新)太湖汽船に再編され、1951年に琵琶湖汽船の社名に改められています。かつては生活航路も持っていましたが道路整備により全て廃止され現在は浜大津からの遊覧船と今津-竹生島-長浜航路を運航しています。
琵琶湖汽船の航路は長浜や今津からの単純往復だけでなく今津→竹生島→長浜のスルーでの利用も可能です。これが面白そうなので使ってみることにしました。約60分間島にいられます。
ということで振り出しは近江今津駅です。

駅から湖岸にまっすぐ行くと乗り場があります。途中寄り道すると今津郵便局があり風景印をもらえますが出発時間を考えるとやめておいた方がいいでしょう。

こちらで乗船券を購入。今津からの単純往復か長浜にスルーするかを選べます。

船は「びわ湖光秀号」。明智家の水色桔梗紋を配しています。

元々は「いんたーらーけん」という旅客船で、1981年に堅田の杢兵衛造船所で建造されています。40年近い老朽船・・・と思いきや内装はリフレッシュされており古さを感じません。元々琵琶湖は波浪が少ない上に淡水なので船体へのダメージが外洋に比べると少なく長寿命になるようです。
ミシガンなど他の船も杢兵衛造船所で建造されていますが何せ長命なのでドックでの整備や改装が主な仕事になっており、新造の際は他の造船所で船体ブロックを作ってもらい組み立てだけを行うのだそうです。

12時発の船で竹生島に向かいます。25分で着くそうです。
竹生島に到着。島全体が花崗岩の岩でできており、崖が切り立っています。唯一緩やかになっている島の南側に港があり、すぐに宝厳寺と都久夫須麻神社があります。敷地は僅かで島のほとんどは未利用地です。

お土産物屋さんの周辺のみは無料エリアで、あとは拝観料が必要です。お寺と神社で共通になっています。

それでは宝厳寺から。この石段を上がると本堂です。
724年に行基が開いたとされ、弁財天が本尊です。中世は延暦寺の下にありましたが現在は真言宗のお寺です。1558年に焼失しましたが信長に攻められていた浅井長政が復興のための木材を寄進、信長もそれを妨害しなかったそうです。ところが浅井氏滅亡ののち長浜に入った秀吉はその木材を流用し長浜城を建ててしまいます。さすがにバツが悪かったのか息子の秀頼の寄進という形で大阪城の唐門やなどを移築、これらが現在も残されています。
明治になると神仏分離令が出され、宝厳寺には廃寺と神社への変更が命じられますが宝厳寺や信者の反対に遭い、元の本堂を「都久夫須麻神社」として分離、宝厳寺は存続となります。

本堂を神社に譲ったため1942年に建てられたのが現在の本堂です。こちらに弁財天が安置されています。

本堂のそばに納経所があります。次の船に遅れないよう早めに頂きましょう。

本尊である弁財天の御朱印です。

こちらが西国三十番の御朱印と御詠歌です。西国霊場1300年記念の印は竹生島をかたどったものです。記念印の押印は今年までとされていましたが2022年3月末までに延長されています。今からでも間に合いますので集めてみてください。
それでは観音堂へ。

この唐門が大阪城から豊国廟を経て宝厳寺に寄進されたもので、秀吉の大阪城に由来する現存唯一の建物とされます。国宝に指定されています。

3月に修復されたばかりで極彩色が鮮やかです。まだの方は今こそと言えます。
この唐門を入ると観音堂で、こちらも重要文化財に指定されています。観音霊場である西国の三十番は千手観音で、60年に一度開帳される秘仏です。次回は2037年とのこと。観音堂も修復工事が終わったところで、記念に開帳しても良かったのでしょうね。

この観音堂を抜けると渡り廊下があります。これは秀吉の軍船「日本丸」の部材を使ったとされ「舟廊下」と言われています。
この先が都久夫須麻神社です。宝厳寺で触れた通り明治の神仏分離でできた神社で、宝厳寺の本尊である弁財天に比定される市杵島比売や浅井地方(東浅井郡など)の神である浅井比売などを祭神としています。

こちらの本殿は宝厳寺の旧本堂で秀吉から秀頼の時代に複数の建物の部材を利用して整備されたとされ、中心部と外側で建築様式が異なっています。この本殿も国宝に指定されています。
都久夫須麻神社は御朱印を拝観者が押すスタンプに変更しており、それも現在は新型コロナウイルスの影響で中止しています。
長浜行きの船に乗りましょう。

「べんてん」です。74t・航海速力21ノットで1983年にこちらも杢兵衛造船所で建造されています。この船も改装されて建造から37年の船とはとても思えない状態です。

このプレートは建造当初からのものでしょうか。途中でトン数が変更になっているようです。暑かったので冷房が気持ちいいです。
今回はここまで。長浜以降に続きます。

竹生島は琵琶湖に浮かぶ4つの島の1つで、現在は長浜市に属します。西国三十三所の三十番宝厳寺があり、長浜・今津から琵琶湖汽船の、彦根からはオーミマリンの観光船が出ています。
琵琶湖汽船は京阪グループの船会社です。琵琶湖での近代的な航路は鉄道建設が後回しにされた大津-長浜間で1882年に鉄道連絡船が運航されたことが始まりで、数多くできた運航業者は大正初期には太湖汽船と湖南汽船にほぼ集約されます。このうち湖南汽船は京阪の滋賀県への拡張策に伴い傘下に入り、一方の太湖汽船は地元資本を中心とした反京阪グループで連合し1927年に琵琶湖鉄道汽船になります(この会社の鉄道部門が現在の京阪石山坂本線)。しかし大阪や京都へのアクセスを握る京阪に対して圧倒的に劣勢でわずか2年で琵琶湖鉄道汽船は京阪の軍門に降ります。

このときに船舶部門は(新)太湖汽船に再編され、1951年に琵琶湖汽船の社名に改められています。かつては生活航路も持っていましたが道路整備により全て廃止され現在は浜大津からの遊覧船と今津-竹生島-長浜航路を運航しています。
琵琶湖汽船の航路は長浜や今津からの単純往復だけでなく今津→竹生島→長浜のスルーでの利用も可能です。これが面白そうなので使ってみることにしました。約60分間島にいられます。
ということで振り出しは近江今津駅です。

駅から湖岸にまっすぐ行くと乗り場があります。途中寄り道すると今津郵便局があり風景印をもらえますが出発時間を考えるとやめておいた方がいいでしょう。

こちらで乗船券を購入。今津からの単純往復か長浜にスルーするかを選べます。

船は「びわ湖光秀号」。明智家の水色桔梗紋を配しています。

元々は「いんたーらーけん」という旅客船で、1981年に堅田の杢兵衛造船所で建造されています。40年近い老朽船・・・と思いきや内装はリフレッシュされており古さを感じません。元々琵琶湖は波浪が少ない上に淡水なので船体へのダメージが外洋に比べると少なく長寿命になるようです。
ミシガンなど他の船も杢兵衛造船所で建造されていますが何せ長命なのでドックでの整備や改装が主な仕事になっており、新造の際は他の造船所で船体ブロックを作ってもらい組み立てだけを行うのだそうです。

12時発の船で竹生島に向かいます。25分で着くそうです。
竹生島に到着。島全体が花崗岩の岩でできており、崖が切り立っています。唯一緩やかになっている島の南側に港があり、すぐに宝厳寺と都久夫須麻神社があります。敷地は僅かで島のほとんどは未利用地です。

お土産物屋さんの周辺のみは無料エリアで、あとは拝観料が必要です。お寺と神社で共通になっています。

それでは宝厳寺から。この石段を上がると本堂です。
724年に行基が開いたとされ、弁財天が本尊です。中世は延暦寺の下にありましたが現在は真言宗のお寺です。1558年に焼失しましたが信長に攻められていた浅井長政が復興のための木材を寄進、信長もそれを妨害しなかったそうです。ところが浅井氏滅亡ののち長浜に入った秀吉はその木材を流用し長浜城を建ててしまいます。さすがにバツが悪かったのか息子の秀頼の寄進という形で大阪城の唐門やなどを移築、これらが現在も残されています。
明治になると神仏分離令が出され、宝厳寺には廃寺と神社への変更が命じられますが宝厳寺や信者の反対に遭い、元の本堂を「都久夫須麻神社」として分離、宝厳寺は存続となります。

本堂を神社に譲ったため1942年に建てられたのが現在の本堂です。こちらに弁財天が安置されています。

本堂のそばに納経所があります。次の船に遅れないよう早めに頂きましょう。

本尊である弁財天の御朱印です。

こちらが西国三十番の御朱印と御詠歌です。西国霊場1300年記念の印は竹生島をかたどったものです。記念印の押印は今年までとされていましたが2022年3月末までに延長されています。今からでも間に合いますので集めてみてください。
それでは観音堂へ。

この唐門が大阪城から豊国廟を経て宝厳寺に寄進されたもので、秀吉の大阪城に由来する現存唯一の建物とされます。国宝に指定されています。

3月に修復されたばかりで極彩色が鮮やかです。まだの方は今こそと言えます。
この唐門を入ると観音堂で、こちらも重要文化財に指定されています。観音霊場である西国の三十番は千手観音で、60年に一度開帳される秘仏です。次回は2037年とのこと。観音堂も修復工事が終わったところで、記念に開帳しても良かったのでしょうね。

この観音堂を抜けると渡り廊下があります。これは秀吉の軍船「日本丸」の部材を使ったとされ「舟廊下」と言われています。
この先が都久夫須麻神社です。宝厳寺で触れた通り明治の神仏分離でできた神社で、宝厳寺の本尊である弁財天に比定される市杵島比売や浅井地方(東浅井郡など)の神である浅井比売などを祭神としています。

こちらの本殿は宝厳寺の旧本堂で秀吉から秀頼の時代に複数の建物の部材を利用して整備されたとされ、中心部と外側で建築様式が異なっています。この本殿も国宝に指定されています。
都久夫須麻神社は御朱印を拝観者が押すスタンプに変更しており、それも現在は新型コロナウイルスの影響で中止しています。
長浜行きの船に乗りましょう。

「べんてん」です。74t・航海速力21ノットで1983年にこちらも杢兵衛造船所で建造されています。この船も改装されて建造から37年の船とはとても思えない状態です。

このプレートは建造当初からのものでしょうか。途中でトン数が変更になっているようです。暑かったので冷房が気持ちいいです。
今回はここまで。長浜以降に続きます。