JF4CADの運用日誌2.5

アマチュア無線局JF4CADの活動内容紹介ブログです。

福知山風景印&小型印巡り①

2020-08-16 | シャック便り
大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公・明智光秀ゆかりの福知山で開催されているイベント「福知山光秀ミュージアム」を盛り上げるため市内10の郵便局に8/3から小型印が配備されました(来年1/8まで)。

福知山市内中心部にある7つの郵便局と三和・大江・夜久野の計10の郵便局が対象です。交通の便が悪い三和と大江を除いた8局は回れそうなので回ってみたいと思います。使用開始日の8/3に回ってみます。

小型印は地域のイベント等を記念するため定められた郵便局のみで使用される特別な消印で、風景印と同じく葉書または葉書料金以上の切手を貼った台紙に押してもらえます。福知山市では簡易郵便局と河守上郵便局を除く全ての郵便局に風景印も配備されていますから一緒にもらいながら市内を回ってみましょう。


振り出しは福知山駅から。

8時54分発の豊岡行きに乗り、下夜久野駅近くにある夜久野郵便局を目指します。下夜久野には9時8分に到着します。この電車は上夜久野に移動運用に行く際に使っており、次の上夜久野で反対方向の電車と行き違いを行います。行き違いの電車は下夜久野9時26分発ですので18分間あり、小型印と風景印をもらうことができそうです。

下夜久野駅に到着。元々この駅はスーパーとの併設でしたがスーパーは閉店し、今は中古車屋が入居しています。付近は旧天田郡夜久野町の中心で元の町役場などがあります。

歩いて4分で夜久野郵便局です。お願いすると「小型印の依頼で直接窓口に来た最初のお客さん」だそうです。風景印や小型印は郵便で依頼することもでき「たくさん来ましたよ」とのこと。ただ郵便でお願いすると葉書の売り上げにはならないので現地で直接葉書を買って押してもらうことにしています。

夜久野郵便局の小型印です。名産のブドウがあしらわれています。

同じく風景印です。左の塔は東経135度の塔です。東経135度線は明石市内を通っていることが知られていますが、北に行くとちょうど夜久野の中心街付近を通過しています。


福知山駅に戻りました。福知山の市街地はそれほど大きくはないので歩いても回れそうですが、さすがに真夏なのでレンタサイクルをお願いしてみます。

市街への出口を出て右手に観光案内所があり、ここで借りることができます。電動と普通の2タイプあり、聞いてみたら「由良川を渡る橋が結構急な坂なので電動自転車の方がいいと思います」とのことで電動を借りることにしました。2時間までは500円だそうです。

福知山駅の西にある福知山篠尾郵便局からスタートです。税務署を目指すと分かりやすいです。局の写真撮り忘れました。

福知山篠尾郵便局の小型印です。

同じく風景印です。ここの小型印は風景印の題材に明智の桔梗紋を加えたものですね。


次は駅前に戻り北に行って福知山郵便局です。

今回の小型印の展開に合わせ集印巡りを企画しており、専用台紙に切手を貼って全局回るとプレゼントがあるそうです。用紙は小型印が置かれた各郵便局に置いているとのこと。

福知山郵便局の小型印です。「明智光秀が築いた城下町福知山」の文字が入っているのが今回の小型印の特徴です。光秀は福知山に善政を敷き町の発展に寄与したとされ、現在も福知山では慕われる存在だそうです。とはいえ実際に光秀が福知山を領したのは僅か3年だけ、城にいたのは城代の明智秀満(「麒麟がくる」では左馬助として登場)だったそうです。その後1669年に朽木稙昌が領主となるまでの約90年間は福知山の領主はコロコロ変わっていたようです。

同じく風景印です。福知山踊りが描かれています。この歌には「明智光秀丹波をひろめ ひろめ 丹波の福知山」とあるそうです。


福知山郵便局から東に行くと福知山中ノ郵便局です。福知山の旧城下町には「中ノ」「裏ノ」など独特の地名が残っています。

古い町並みの中にある郵便局です。こちらの局は数年前に明智家の家紋の桔梗をかたどった変形の風景印を配備しており、その時は初日の日付の風景印を求めて全国から郵便が殺到、対応の追われた局員さんは腱鞘炎になったそうです。「今回はそれほどじゃないですよ」と笑っていました。

福知山中ノ郵便局の小型印です。光秀のイラストは諏訪原寛幸さんが市の依頼で描いたものだそうです。

同じく風景印です。こちらが腱鞘炎を起こした風景印です。


前半4つをご紹介しました。残りは後半でご紹介します。
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滋賀県大津市(JCC 2301)移動運用報告

2020-08-15 | 移動運用結果報告
8/15(土)に滋賀県大津市(JCC 2301)もたて山に移動運用に行ってきましたのでご報告します。

今年は梅雨明けが遅かったのものの以降は気温がうなぎ登りに上昇、連日猛暑日や熱帯夜が続いています。炎天下どころか外出自体が危険で移動運用すら困難になっています。でも休みなのでどこか行きたいのが人情。以前この時期に御朱印巡りで比叡山に上がっていますが、麓よりも6~7度低く快適だったのを思いだし比叡山に行ってみます。

比叡山に行く方法はいくつかありますが、大津側の坂本ケーブルを利用してみます。この理由は後ほど。バンドは50/144/430MHにしてみます。


ということで振り出しは湖西線の比叡山坂本駅です。坂本ケーブルの駅まではケーブルに接続してバスがありますが、早朝の数本は接続がなく歩く必要があります。

それも結構な坂。早くもジリジリと温度が上がってきている中の上り坂は苦しいです。

20分少々かかってケーブル坂本駅に到着。70mほど標高が上がっているもののこんなものでは暑いことに変わりはありません。

こちらが坂本ケーブルの運賃表。乗った方はご存知でしょうが、坂本を発車したら次は比叡山上のはずです。でも途中に駅が2つあることになっています。「ほうらい丘」と「もたて山」です。この2駅は右下の注意書きにあるように通常は通過しており、改札で申し出ると停車してくれるという変わった駅なのです。

比叡山駅は屋上が展望台になっており、ここにアンテナを立てることができれば相当に飛ぶのですがそれは無理。いろいろ探してみると「もたて山駅」の近くに人通りがほとんどない展望台があるようです。ということで乗車券を買い、改札で「もたて山で下ろして下さい」とお願いしました。「出口が一番山側なので近い席に座って下さい」とのこと。


8時30分発のケーブルカーが出発。ほうらい丘駅は今日も通過します。途中で下りのケーブルカーと行き違いをすると勾配がぐっと急になります。18度あるそうです。

あと少しで比叡山上という位置で停止。ここがもたて山駅です。急な板張りホームとベンチがあります。

あ、暑くないです。これは嬉しいです。行き交う人はおらず目障りな虫もいないので嬉しいかも知れません。

5分ほど歩くと僅かに開けた土地があり、こんな展望台があります。ここは坂本ケーブルがかつて「もたて山遊園」として整備した場所で、キャンプ場があったそうです。小屋が朽ちそうになりながらも残っており奥の方に七輪がありました。キャンプ場の閉園後に展望台を整備したようですが、その後手を入れてなく木が伸びて何も見えなくなっています。なので誰も来ないという次第。展望台の半分程度は楓の木で覆われ日よけになっています。ここに設営すれば快適に過ごせそうです。

50MHzの3エレも何とか張れたのでこれで9時15分にスタートです。アンテナは枝が邪魔で東ビーム固定で動かせませんが狙い通り2エリアの局とQSOできます。特に強いのが愛知県のようで、鈴鹿山脈の低いところを通っていると思われます。これは面白いです。

1時間ほど頑張ったので144MHzに行ってみましょう。日は高くなってきたものの暑くて苦しいといったことはなく結構快適です。144MHzは無指向性の24KGを使っているため2エリアだけでなく奈良や堺などからも声がかかります。なかなか面白いです。


これは面白いということで滅多に出ない430MHzのSSBにも出てみます。あ、飛んでる飛んでる。FMよりも飛ぶので使えますよね。4局できたところで今度はFMにQSY。

こちらは滋賀県内の局が多いのですが中には御嶽山からの局も。展望図には御嶽山の名前も入っており実は見通しみたいです。

12時30分を回りバッテリが心許なくなってきました。ケーブルカーは坂本と比叡山上をそれぞれ毎時0分と30分に出るので13時30分の便に乗るようにしましょう。

最後のスパートをして終了。片付けましょう。この時間でも暑さを感じずちょうどいいくらい。ヤブ蚊やメマトイなど不快な虫もおらず有り難いです。ただまわりの木が伸びすぎており、4.5mの伸縮ポールでは高さが不十分だと分かりました。次回は50MHzを2エレに軽くして6mの伸縮ポールで試してみたいと思います。


もたて山駅に戻ってきました。

通常は通過する駅でこちらのインターホンで連絡を入れると停車してくれます。坂本駅に行きたい旨伝えると「次の便を止めますのでお待ち下さい」とのこと。

13時30分発のケーブルカーやってきました。

これで坂本駅に下ってゆくのですが、あと少しというところで停車。「反対側の車両でもたて山駅に下車するお客さんがいますので少々停車します」とのこと。あれ、私以外に利用者がいたのですね。

帰りは江若バスで。涼しいのが有り難いです。湖西線で帰りましょう。


本日は50MHzで16局、144MHzで19局、430MHzで16局の51局でした。ありがとうございました。来年の夏に伸縮ポールを変えて再挑戦してみたいと思います。
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8/15 滋賀県大津市移動

2020-08-13 | 移動運用予定
以下の日程で滋賀県大津市(JCC 2301)に移動します。


日時:8/15(土) 9時頃~12時頃まで

場所:大津市内からQRVの予定です。

バンド:50/144/430MHz帯(430はFM、その他はSSB)
 ※50MHzのAM対応可能です。必要な方はオンエアでお気軽にお申し付け下さい。

よろしくお願いします。
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岐阜市内御朱印&風景印巡り③

2020-08-12 | 御朱印めぐり
岐阜市内の御朱印巡り、橿森神社からの続きです。

大通りに戻り神田町3の交差点に出てきます。この一角が岐阜の繁華街「柳ヶ瀬」です。かつては商店街として賑わいましたが駐車場の大きな郊外店に押されて寂れてきています。人の流れを作ってきたドンキすら先日閉店を明らかにするなど厳しい状態です。

これは「やなな」ですね。顔を描いた段ボール箱を被っただけという安上がりなゆるキャラとして注目され、2008年~2013年まで活躍しました。引退から7年、柳ヶ瀬では再開発が進んでおり当時とは違った街になろうとしています。

お昼は柳ヶ瀬の一角にある「一楽」で。岐阜での味噌カツの発祥とされます。こちらのお店も再開発で仮店舗に移転しています。ウナギの寝床みたいな細長いお店です。

もちろん味噌カツライスに赤だしです。くどさのない味噌だれで美味しいですよ。

もちろん柳ヶ瀬は老舗だけではなく新しく出てきたお店もあります。名古屋駅前で行列のできる和菓子屋「ツバメヤ」もそうです。本店は柳ヶ瀬の目立たない場所にあって10年やってきましたが、表通りのバス停前という絶好の場所が空いたためこちらに移転するようです(8/1から営業)。移転作業のため臨時休業でしたが今後ますます期待できそうです。

こちらは老舗のベンテンドー。「栗粉餅」が名物ですので買ってみました。


それでは岐阜の三社で残った金神社に行ってみましょう。伊奈波神社と同じく五十瓊敷入彦を祭神としており、869年には既にその名がある古い神社です。

もちろん鳥居は金色です。

現在の社殿は1988年に完成したものです。

金神社の御朱印です。これで岐阜の三社が揃いました。

金神社をはじめ伊奈波神社など岐阜市内のいくつかの社寺では毎月最終金曜日(プレミアムフライデー)に金色の御朱印を授与しています。今では半ば死語となった「プレミアムフライデー」がこんなところで生きているとは驚きですね。


暑くなってきました。JR岐阜駅に戻りましょう。

帰る途中で1カ所だけ立ち寄れる余裕があります。近江八幡で下車します。

滋賀県では「戦国ワンダーランド」というイベントを開いており、これに協力する形で戦国大名ゆかりの地で小型印をやっています。滋賀県ゆかりの大名は浅井長政・六角義賢といった国人衆だけでなく信長や秀吉も含まれ数多いのが特徴です。

近江八幡郵便局でもやっていますので風景印と一緒にもらってきました。

こちらが風景印。西国の三十一番・長命寺があしらわれています。長命寺は長い階段を登らないといけないので夏の時期は厳しくなかなかお参りできていません。

こちらが小型印です。信長の旗印「永楽通宝」があしらわれています。

近江八幡なのでアンデケンのチーズケーキとカネ吉山本のコロッケをお土産に買って帰りましょう。揚げたてのコロッケが食欲をそそります。


今回の御朱印情報です(御朱印料は特記ない限り300円)。
岐阜護国神社 1種を授与所で授与。500円。現在は書き置きのみ。
正法寺    1種を拝観受付で授与。
常在寺    2種を庫裏で授与。
妙照寺    2種を庫裏で授与。現在は書き置きのみ。
安乗院    2種を納経所で授与。
伊奈波神社  3種を授与所で授与。現在は書き置きのみ。オリジナル御朱印帳あり。
正覚院    2種を納経所で授与。書き置きの場合が多いとのこと。
橿森神社   3種を社務所で授与。
金神社    4種を社務所で授与。一部は書き置きのみ。オリジナル御朱印帳あり。

市内中心部であれば御朱印と風景印をもらって歩けますし、お昼を食べるところもたくさんあります。バスの本数も多いので途中で切り上げることもでき、柔軟なコース設定ができますよ。岐阜県では大垣や高山でも似たような町歩きができると思います。
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岐阜市内御朱印&風景印巡り②

2020-08-11 | 御朱印めぐり
岐阜市の御朱印・風景印巡り、妙照寺からの続きです。

妙照寺から金華山の山裾を10分ほど歩くと伊奈波神社の大きな鳥居が見えてきます。その手前に安乗院があります。通称「伊奈波善光寺」とも呼ばれます。

武田勝頼を滅ぼした織田信長は1582年に信州善光寺の本尊を持ち帰りこの地に安置しました。ところが信長はこの年本能寺の変で討たれ、本尊は尾張の甚目寺・遠江国の鴨長と転々とし、最後は1597年に秀吉により京都の方広寺の本尊となります。

その後秀吉は病の床に伏しますが、これは善光寺の本尊の祟りではないかと噂され信濃に戻されることになります。こういった経緯があり、祟りを避ける目的で善光寺の本尊の分身を祀ることになり、信長の孫である織田秀信が伊奈波善光寺堂を建立、程なくして善光寺安乗院に改称しています。

現在の本堂は1912年に完成しています。

安乗院の御朱印です。


小雨が上がり蒸し暑くなってきました。坂を上って伊奈波神社に向かいましょう。

五十瓊敷入彦を祭神としており、景行天皇の代に創建されたとされています。1539年に斎藤道三が稲葉山城(岐阜城)を築城する際に現在地に遷され、この後出てくる橿森神社・金神社と並んで岐阜市を代表的する神社です。

新型コロナウイルスの影響で手水場はこんな風になっています。

伊奈波神社の御朱印です。現在は書き置き対応のみとなっています。

さらに進みましょう。10分ほど歩いて岐阜今小町郵便局があります。こちらで風景印を押してもらいます。

岐阜市内中心部に点在する郵便局のいくつかで風景印がもらえます。風景印の設置基準は統一されておらず、本局(岐阜市中心部の場合は岐阜中央局)の郵便担当の考え方次第のようです。簡易郵便局以外の全局への配備や本局のみ配備のパターンが割と多いのですが、岐阜の場合は半分程度の局への配備になっており、設置基準が今ひとつ分かりにくいです。

岐阜今小町郵便局の風景印です。

岐阜名物のオレンジの三角柱を発見。県道に設置されているらしいです。

岐阜市役所の前を通過。長良川の水位情報が表示されています。

長良川は清流として知られ、鵜飼いなど観光資源になっている反面長良川河口堰以外に本流にダムや堰がなく、過去何度も洪水被害を引き起こした暴れ川なので水位情報が大切なのでしょうね。


市役所近くに正覚院があります。「朱印」の札が出ていますのでお参りしに行ってみましょう。

天台宗のお寺で美濃新四国八十八ヶ所霊場の第十二番礼所となっています。

北向不動尊が安置されています。

正覚院の御朱印です。


岐阜市役所南庁舎の近くに岐阜神田郵便局があります。こちらで風景印が押してもらえます。

岐阜神田郵便局の風景印です。


今度は東に折れて橿森神社です。

橿森神社は景行天皇の時代に創建されたとされ、市隼雄命を祭神としています。

織田信長が岐阜城下で楽市楽座を開く際に市場の神をこちらの榎に祀ったため信長ともゆかりのある神社です。

このため小さな祠ながら信長神社もあります。京都の建勲神社から分霊したものだそうです。

橿森神社と信長神社の御朱印です。


まだまだ続きます。御朱印情報は最終回でまとめてご紹介します。
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岐阜市内御朱印&風景印巡り①

2020-08-10 | 御朱印めぐり
7月の4連休が全て出勤となり振休を取れとのことで岐阜市内で御朱印巡りと風景印巡りをやってきました。

【注】新型コロナウイルスの影響で本来直書き対応が可能な寺社でも書き置きのみとなっている場合があります。現時点での対応で書かせて頂きますのでご承知おきください。

岐阜市は人口約40万人。大河ドラマ「麒麟がくる」に登場した斎藤道三が城を構え、娘婿の織田信長が斎藤龍興を破り居城とした際に「岐阜」の名が付けられたとされます。長良川の水運に恵まれ物資の集積が可能だったことから商業が盛んで美濃の中心地として栄えます。

JR岐阜駅前に大きな繊維問屋街ができ、東海北陸一円から繊維業の関係者が集まり賑わいましたが、名古屋に近いことから商圏を名古屋に奪われ繁華街の柳ヶ瀬は大打撃を受け百貨店が次々と閉店、現在は高島屋だけが残っています。「ストロー現象」と呼ばれ、大津市や佐賀市なども同様に商業が衰退しています。この20年ほどは過剰になった商業施設の取り壊しと再開発が進められ、市街地の再生が進んでいます。

道三や信長が岐阜城のある金華山一帯に寺社を集めたこともあり、金華山の麓を回ることで御朱印巡りが可能です。今回は長良川の長良橋近辺までバスで行き、JR岐阜駅まで戻ってゆく形で歩いて行きたいと思います。ほぼ平坦なので歩きやすそうです。


大阪発の朝一番の新快速に乗ると米原で大垣行きが待っており、さらに大垣でも岐阜方面行きに接続しています。岐阜駅9時前着と動きやすい時間に着いてくれます。

振り出しはJR岐阜駅です。岐阜県は斎藤道三・織田信長・明智光秀ゆかりの地で駅前には金の信長像があります。

いかにも金ピカ大好きな東海地方らしいかも知れませんね。

長良橋へのバスは岐阜バスが運行しており岐阜駅前のバスターミナルから出ています。系統番号に「N」が付いているものが長良橋経由だそうで、数分毎に頻発しています。岐阜バスは「アユカ」という自社のICバスカードのみ対応しておりSuica等は使用不可、観光客は現金払いとなります。両替機が一癖あり、他社で500円を両替すると「100円4枚+50円1枚+10円5枚」で出てきますが、岐阜バスは「100円5枚」で出てきます。出てきた100円玉をもう一度両替機に入れないと10円玉が出てこないようです。


長良橋バス停に到着。

目の前が長良川で、名物の鵜飼い船の発着場となっています。

「さるびあ丸」だそうです。東海汽船から買った・・・・ってことじゃないですよねhi 川沿いに長良川温泉のホテルを過ぎると右手に岐阜護国神社の鳥居が見えてきます。

岐阜護国神社は1940年に創建され、岐阜市内や東中濃地区の戦死者を祀っています。岐阜県全体ではないのは大垣と飛騨にも護国神社があるためです。

奥に見える拝殿は1995年に建て替えられています。

岐阜護国神社の御朱印です。現在は書き置き対応のみとなっています。


金華山の山裾を歩いてゆくと「岐阜大仏」の正法寺があります。黄檗宗のお寺で、大仏殿も何となく中国風です。

1638年に創建、1692年に黄檗宗に改められています。

岐阜大仏は「日本三大仏」の一つとされており(残りは奈良と鎌倉)、高さは13.7m。1832年に完成しています。奈良と鎌倉は金属製ですが、岐阜は木材を骨格に竹や粘土で形が作られ、美濃和紙の上に金箔を貼って作られています。大仏を取り囲むように五百羅漢像も収められており、静かな環境で拝観できます。

ご住職に話を聞いたところ以前は黄檗宗の普茶料理をやっていたそうですが高齢になり止めてしまったとのこと。

正法寺の御朱印です。


正法寺から歩いてすぐに常在寺があります。

常在寺は1450年に創建された日蓮宗のお寺で斎藤道三・義龍・龍興三代の菩提寺となっています。道三の父・長井新左衛門尉は京都の妙覚寺の僧から還俗しており、常在寺も妙覚寺の末寺となっています。

龍興が信長に敗れて戦国大名としての斎藤氏は滅亡しますが、道三の末子にあたる斎藤利治は義兄の信長に仕えて頭角を現します。利治は本能寺の変に巻き込まれ亡くなるものの、息子の義興の一族は岡山藩士として江戸時代を生き抜き道三の家系は途切れることなく現在に至っているそうです。

こちらには国の重要文化財に指定されている斎藤道三像と義龍像の二幅が残されています。教科書で出てくる道三像はまさに常在寺の所蔵です。この道三像は娘の濃姫(帰蝶)が寄進したものだそうです。「麒麟がくる」では川口春奈さんが信長を操る軍師的存在として帰蝶を演じていますね。今にして思えば帰蝶役は最初から川口さんで良かったのかも知れませんね。

本堂には「麒麟がくる」で斎藤道三役を演じ高い評価を受けた本木雅弘さんのサインが飾られています。特徴的なのが「南無妙法蓮華経」のお題目が入っていること。このサインは日テレ系の番組「東野岡村の旅猿16」でちらっと映っていて気になっていたのですが、見事なお題目です。

この件をお寺の奥様に聞いたところ「本木さんがお題目を入れたサインは常在寺にしかないのでは」とのこと。普通素人さんがきれいには書けないはず、と聞いてみたら「義母の樹木希林さんが法華系の希心会を信仰していたため恐らくそのご縁ではないか」とのことでした(希林さんは元々「悠木千帆」の芸名でしたがオークションで芸名を売るという破天荒なことをやり樹木希林に改名。希心会の「希」を取り入れたと言われています)。驚くべき話でした。

斎藤道三という役を演じるためにここまでするあたり、ストイックな本木さんらしいのかも知れませんね。

「十兵衛、美濃も尾張もない大きな国を作るのじゃ」
「して道三様、次は伊勢でございますか?それとも近江や越前でございますか?」
「いや、飛騨じゃ」
「ひ、飛騨でございますか?」
「そうじゃ。さらに伊賀、若狭に志摩もいいのお」
「(・・・ちっちゃ~)」

こんな感じなら本木さんも真剣にやってくれるかは分かりませんがhi

日蓮宗ですので御首題を頂けます。常在寺の御首題です。


常在寺と道を隔てたお向かいが妙照寺です。

1534年に日舜により創建された日蓮宗のお寺で、1600年に現在地に移転しています。ここは竹中半兵衛の屋敷跡だったとされています。1688年には松尾芭蕉が1ヶ月ほど逗留したことがあるとのこと。

竹中半兵衛は美濃の出身で、黒田官兵衛とともに秀吉に仕えた名軍師とされています。黒田官兵衛の息子・長政は福岡藩52万石の祖となりますが、半兵衛の息子重門は先祖代々の関ヶ原一帯5千石を与えられ旗本として明治を迎えています。100倍も違うんですね。

妙照寺の御首題です。現在は新型コロナウイルスの影響で書き置きのみとなっています。


今回はここまで。続きます。御朱印情報は最終回でまとめてご紹介します。
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8月分QSL発送しました

2020-08-08 | QSL発送情報
8月分のQSLを本日ビューロー宛発送しました。
・7/2の沖縄県浦添市移動の全て
・7/3の沖縄県国頭郡伊江村、名護市移動の全て
・7/4の沖縄県国頭郡大宜味村移動の約半分
を発送しました。


しかしながら
・7/4の沖縄県国頭郡大宜味村移動の約半分
・7/5の沖縄県島尻郡久米島町移動の全て
・7/6の沖縄県中頭郡北中城村移動の全て
・7/18~19の福岡県移動の全て
・8/1~2の香川県移動の全て
は送りきれず未発送となっています。

沖縄移動につきましては来月でほぼ発送が終わる見込みです。

順次発送しておりますのでご理解のほどよろしくお願いします。
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移動耳より情報

2020-08-07 | シャック便り
[むつ湾フェリーが長期運休]
青森県の津軽半島と下北半島を結ぶむつ湾フェリーが船の故障によって長期運休となっています。

使用しているフェリー「かもしか」で7/23にエンジントラブルが発生、排気管に長さ10cmほどの亀裂が入りガスが漏れる状態になっていたということです。今のところ8/22頃まで運休となる見込みとのことです。


[安栄観光「ぱいかじ」が長期運休]
沖縄の石垣島から八重山諸島に就航している安栄観光の貨客船「ぱいかじ」は修理のため8/10から約1ヶ月運休することになりました。その間については代船運航はありません。

こちらは貨客船で観光客が通常利用している高速船ではありません。


[オリエンタルエアブリッジが機材納入遅れに伴い減便]
オリエンタルエアブリッジは新型コロナウイルスの感染拡大により乗客が減っていることにより3月から減便を続けていますが、8月からは購入した中古機納入が新型コロナウイルスの影響で大幅に遅れていることを理由に加えて減便やダイヤ変更を行っています。

中古機として購入したDHC-8-200型機1機は新型コロナウイルスの影響でカナダから回送することができず現時点でもカナダに留め置かれた状態のようです。日本に到着できるメドが全く立たない一方で所有機1機の老朽化が進み設計寿命を迎えるため1機で回さざるを得ない状態になっており、ダイヤを変更してDHC-8-200は1機体制で賄えるダイヤに変更することになりました。
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小笠原にAW609が就航できる・・・とも思えません

2020-08-06 | シャック便り
以前に取り上げた小笠原空港への就航機「小笠原にATR42は就航できる・・・とは思えません」の件、東京都から新しい提案があったようです。垂直離着陸が可能なティルトローター機の採用案を示し、滑走路を500mほどまで短くすることが可能だとしています。

空港整備に伴う自然環境への影響を少なくする目的だそうですが、これ実現するのでしょうか?


[まずは前提から]
・羽田-小笠原父島間は直線距離で約970kmです。
・途中には八丈島空港がありますが小笠原までは約700kmあります。
・八丈島空港は気流の変化が激しく霧も出やすい国内では名うての離着陸が難しい空港です。就航率も高くありません。
・悪天候や機材故障のため途中で引き返す可能性があり、十分な航続距離がないと燃料切れで墜落してしまいます。


[ティルトローター機とは?]
回転翼を傾けて飛行できる機種です。アメリカ軍のV-22オスプレイがこれであり、この技術を民間機に転用したイタリア・レオナルド社のAW609を候補に挙げているようです。旅客定員は9名で、羽田との間を2時間ほどで結ぶ構想だそうです。

調べてみると巡航速度は460km/h前後、航続距離は1,400km弱となっています。


[これじゃ無理です]
以前にも触れた通り800mほどの滑走路で離着陸可能なATR42-600Sでも航続距離は1,560km。これより短いAW609では安全な就航は望めないことになります。羽田を出た時点では父島は微風晴天だったのに途中でスコールになり着陸できない、となったときに引き返すことができないのです。最悪の事態は燃料切れで海に墜落してしまうことになります。

緊急避難できるはずの八丈島空港も就航率が低く、万一の際には悪条件で事故リスクを覚悟の上で着陸を強行ってことになりかねません。まさに命がけになります。というかAW609では八丈島との単純往復すらできず燃料切れとなるので、何かあれば海中にドボンとなります。

しかも乗客はたった9名。急患輸送ならこれで問題ありませんが、旅客輸送であれば非常に高額な運賃になります(一部では20万円という話もあります)。しかも片道2時間ならトイレも必要で客席をトイレに割くならさらに乗客数が減ります。採算面でも到底就航は困難です。

さらにAW609は依然として開発中であり、試験飛行中に墜落事故も起きています。左派の連中が「オスプレイ=危険な飛行機」とのレッテル貼りをしようとしていますがならば基本的な部分が同じAW609も危険な飛行機になってしまいます。そういった部分以前に開発完了のメドも立っていないようです。


[都は何を考えているのか]
どう見ても実現困難なAW609の就航計画をなぜ都が出してきたのでしょうか?

恐らく豊かな自然を求めて小笠原に移住した住民の空港建設への反対が根強いからではないかと考えられます。とりあえず500mでも滑走路を作り「安全が確保できずやっぱ無理でした」という理由で延長して本来の1,500m~2,000m前後に延長するのではないかと考えられます。
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高松から帰ってきました

2020-08-02 | シャック便り
先ほど高松から帰ってきました。

梅雨明けし暑い2日間となりました。しかしながらハイバンドや50MHzのシーズンはおしまいといった感じがしました。暑いわ開かないわでは移動運用はしばらくお休みかも知れませんね。レポートは明日以降順次アップします。

画像は高松「しんぺいうどん」の鶏天ぶっかけ(冷)です。天ぷらは注文を受けての揚げたて、鶏天だけでなく大葉・なす・カボチャ天も入っておりこれで税込み650円。大満足できました。

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