JF4CADの運用日誌2.5

アマチュア無線局JF4CADの活動内容紹介ブログです。

名古屋笠寺・御器所御朱印巡り②

2025-02-02 | 御朱印めぐり
名古屋笠寺と御器所の御朱印巡りの続きです。

笠寺観音と泉増院の間の道が旧東海道で、北に進むと呼続です。名鉄桜駅の西に呼続公園があり、ここに長楽寺があります。

821年に空海が創建したとされるが起源とされます。その後塔頭も構える大きなお寺となりましたが衰退、1508年に今川氏が再建し曹洞宗の「長楽寺」となります。

今川が伽藍を整備したのはこの地が織田方との境にあたるためで、今川方は戸部新左衛門政直が守っていました。戸部氏は元は織田方であったそうで、裏切りに遭った信長は1558年に政直のニセ書状を作り今川に流して誅殺させています。これにより信長は笠寺一帯の支配権を回復し、2年後の桶狭間につながってゆきます。

長楽寺は神仏習合が残り、稲荷社が残っています。

長楽寺の御朱印です。


長楽寺の隣が富部神社です。

1603年に津島市の津島神社から勧請されたとされています。その3年後に清洲城主の松平忠吉が病気平癒の祈願をしたところ見事回復、お礼として本殿などを整備し現在も残されています。

本殿は国の重要文化財に指定されています。

別名を蛇毒神天王とも言われ、巳年にはお参りする人が多いそうです。

富部神社の御朱印です。富部神社は毎月違う御朱印が出てくるそうです。

さらに続きます。
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名古屋笠寺・御器所御朱印巡り①

2025-02-01 | 御朱印めぐり
細々と続けている名古屋の御朱印巡り、今回は笠寺と御器所周辺を回ってみましょう。

笠寺は名古屋市南区にあるエリアで、JRなら笠寺駅、名鉄なら本笠寺駅が最寄りです。かつては海に囲まれた半島状の土地であり、東海道が通る交通の要衝でした。尾張四観音の一つに数えられる笠寺観音のお膝元です。尾張四観音は中川区の荒子観音、あま市の甚目寺、守山区の龍泉寺、南区の笠寺観音で、いずれも名古屋城から見て鬼門の方角にあります。


それではJR笠寺駅からスタートです。普通しか停車しないので名古屋駅で乗り換えとなります。

国道1号線と名鉄線を渡って七所神社があります。

940年に平将門の降伏祈願のため熱田神宮から日本武尊ら七体の祭神を勧請して創建されたとされています。

本殿は20世紀初頭に建てられたもので、1945年の名古屋空襲では焼失を免れたものの伊勢湾台風の被害を受けています。

七所神社の御朱印です。


歩いてすぐに笠寺観音があります。「笠覆寺」が正しい名前ですが「笠寺」または「笠寺観音」と呼ばれることが多いようです。

733年に善光が開いたとされる真言宗智山派のお寺です。近くの呼続の浜に打ち上げられた霊木を善光が彫って十一面観音にして
「小松寺」として創建されました。

その後小松寺は荒廃し観音像は雨ざらしになっていましたが、不憫に思った玉照姫が観音像に笠をかけたたところ、関白藤原基経の子であった兼平に見いだされ玉の輿に乗り京へと上っていったとされています。このエピソードから「笠覆寺」と改められ、玉照姫によって伽藍が整備されています。今も笠の一部だとされるものがお寺に残っているそうです。

本堂は2022年に大規模な改修が行われています。

笠寺観音の御朱印です。


笠寺から道を挟んで反対側に塔頭の泉増院があります。

七世実道上人の夢枕に玉照姫が現れ「自らの像を造り納めるように」とのお告げを受け、姫の像を安置したところ縁結びの御利益があるとして尾張徳川家の女中らもお参りに来るなど人気となったそうです。

たまたまご住職が戻られて御朱印をいただくことができました。

泉増院の御朱印です。

続きます。
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