「本当にあの子そんな事をお姉さんに言ったんですか。」「言った、確かに言った。しかもその後急いで走ると、ピューっと逃げて行ったんだよ、あの子が。」屋内で、さも意外だと言う風に、そん事を驚き、慌てふためいて話し合う姉妹がいた。「あの、いつもお姉さんが話し掛けて気にしてます子でしょう。」「そうなの、あのふっくりほっぺの可愛い子よ。」「そんな事、信じられませんけどねぇ。」「でも、本当なのよ。」…。
聞き間違いでは無いかと言う妹に、否、確かに「いけずの姉さん」とあの子は言ったと姉は答えた。妹は言う、「意味を知ら無いで言っているのでしょう、もう一つの方の意味の方じゃ無いかしら。あの子の年代ならそっちの方を言うでしょう。」妹の言葉に、姉はそうかしらとやや安堵した。「ならそれでも良いけれど、そうね、あんな小さな子が嫌味を言う筈無いわね。」姉はホッとした表情で笑顔になった。でも、内心は『それはそうで、問題有りよね。』と思った。『今度から少し教育してやらなければ。』
押し黙り考え込む姉の様子に、思い立った様に妹は言った。「あの子と遊んでいる、そう、史とか言う。あの子の影響じゃ無いですか。私があの子の方に一寸話してみましょう。」。
程無く妹は部屋から出て行った。その後、姉は畳部屋の窓辺に静々とにじり寄ると、もの思う風情で溜息を吐いた。彼女は空を見上げた。窓の外は往来で、その道は真っ直ぐに近くの寺へと続いて行く。そのお陰で、寺へ遊びに行く子供達が頻繁にこの道を通る。その子達を眺め観察するのが、日がな一日暇な彼女の日課でもあった。通りを通る子供達の中には、彼女が話し掛けて、程々親しくなる子もいた。そうする内にその子達は、どんどん成長して行き、今では成人して社会人、結婚して一家を構え子持ちの人々もいた。
「小さい時のあの人に似てたのに…。」
あのぷっくりほっぺ。残念だわ。非行に走らないと良いけど…。彼女は溜息を吐いた。それからふと気付いて、窓の外、道の左右に目を遣ってみる。「今日はあの子は通ら無いのかしら?。」彼女は沈んだ表情になった。
『如何しようかなぁ…。』、今日は寺に行くのは止そうかと智は考えると、足が鈍って来た。何時もなら、とうに境内にいる時間だ。走り掛けては歩を緩め、止まっては歩み出す。今日のこの子の気持ちは動揺していた。不安定な気持ちの儘、この子は外遊びに出て来たのだ。見るとも無くそんな子供の様子を眺めていたこの通りの人々は、薄々この子に何かあったと感じ取っていた。
「如何したい?、智ちゃん?。」
八百屋のおばさんが声を掛けた。あ、おばさんと、子供も彼女に応えた。如何しようかなぁ、おばさんに訊いてみようかなぁ?。子供は考えてみた。「一寸、寺で…。」と、言ってはみたものの、子供は如何説明して良いか分からなかった。「寺で、」、やっぱりねと彼おばさんは合点した。そうして彼女の目の前で沈んだ様子に見える子に、彼女は助言とばかりに言った。
「昨日みたいな、この通りに誰もいない様な日は、お寺に行っちゃいけないよ。」
境内にも誰もいなかっただろう?。と、彼女は子供に確認した。そうと相槌を打つ子に、やっぱりねと彼女も頷く。「だったら尚更行っちゃいけない、家の人に聞かなかったのかい?、友達には?、」と彼女は子供の身を案じてくれた。
「だったらね、このおばさんが教えてあげる。昨日みたいな誰もいない日は、この道にも、お寺の中にも、だったんだろ?。だったら尚更だ、そんな誰もいない日は、智ちゃんも、寺に行っちゃダメな日だ。」
外にも出ない方がいい、家の中にいるのが一番、それが良い日だ。と、彼女は近所の子供に親切に教えてやるのだった。
おばさんが行ってしまうと、子供は道に佇み考えていた。『今日はおばさんに道で会った。』通りを見ると、其処彼処に人の姿が見える。今日は寺に行っても良い日だ。懲り無い子供は寺へ向かった。が、その歩みはゆるりとした物だった。寺へ行くにはお姉さんの家の前を通るのだ。
子は昨日、興に乗ったとはいえ、言わなくてよい事をつい口にしてしまったのだ。抑圧された状態から解き放たれた解放感で、高揚した気分の儘に「いけずのお姉さん。」と、その家の適齢期の女性に対して口にしてしまったのだ。家が近付くに連れ、子の心中には後悔の念が湧き上がって来た。『お姉さん、今日は窓に居るだろうか?。』、居れば彼女と顔を合わせる事になる。子の心は曇った。何気無い様に歩きながら、遠目にそうっとお姉さんの家の窓辺を窺ってみる。人影はない様子だ。
ぽつぽつぽつ…。お姉さんの家に差し掛かり、彼女は居ない様だと窓辺を過ぎ、その家を通り過ぎた。何気無く、何気無くと、内心の動揺を抑えて歩いていても、子供の顔の方は緊張で強張っていた。難所を一つ抜けると、気が緩んだせいか子供の歩みからは力が抜けた。足が縺れて転びそうになった。膝を掌で叩いたりして歩調を整えた。遂に子供は境内に踏み込んだ。本堂を眺めると、石段と木の上り階段の間、踊り場で掃除をしている人物がいた。住職さんだ、子供は気付いた。今日も責められるかしら?。
その日の住職さんは伏し目勝ちで、黙々と竹箒を動かしていた。声を掛けた物か如何かと子は迷った。が、寺に侵入しているのだから、お世話になるのだと思えば挨拶は必定だ。足を止めて「今日は」と挨拶した。うむと住職さんも返した。子は本堂を避け、境内の開けた空き地で遊ぶ事にすると体の向きを変えた。その時、今しも歩を踏み出そうとする子供に待ったが掛かった。「ちょっと此処へ上がって来なさい。」掃除の手を止めた住職さんに手招きされた。
「あなたの名は、智ちゃんだったね。昨日は遣り過ぎた。取り込んでいた物だからね。」
申し訳なかったな。住職さんにそう言われて智はホッとした。昨日と同じ舞台に上がった心地がしていて、此処で同様の事が起きるのではと、智は危惧していたのだ。さて、ともは何と返事をして良いのやらと、返答に困った。もごもご口を動かしていると、住職さんから「もういいですよ」とお暇を出された。はっ?と、この対応にも、全く慣れていない智は何を如何して良いのか分からない。詰まり智は、再び掃除を始めた住職さんの傍で身動き取れずに四苦八苦していた。お陰でその後の住職さんは、智の様子を知り、掃除の手を止めその原因を訊くと、自分の言葉に対する返答と智の身の処し方を、各々その子に教えてやらねばならなかった。
いえいえ、気にしませんとか、構いませんとか、私が教える事では無いがな。もういいと言われたら、はい、とか、はい、失礼しますと言って、下がる、詰まり、その場から離れて、今のお前なあっちの方へ遊びに行くつもりだったんだろう、もう行っていいからね。
「否、もう行ってくれると此方も助かる。」
ふふっと苦笑いして、止めていた手を動かすと、住職さんは再び黙々として掃除を始めた。