2007.4/21(土)
初めてのネパール訪問はガイドブックを購入して、毎日それを眺めてここもあそこもと盛り沢山のスケジュールを組んでしまいました。 ただ1日1日の予定はかなり余裕のあるものだったと思います。
7日目はもうネパール最後の日。 夜中の直行便で日本に帰る予定ですがホテルにはぎりぎりまでいられるようにしてありますので、ほぼ1日ゆっくりできます。
朝のうち、ディネシュさんから電話があり、「パタンの山車祭りを見に行きませんか、」とのお誘いを受けたので、即、「行きます、行きます」と返事。
その時のことはパタン訪問のところで紹介してしまいました・・・
4時に迎えにきてくれるというのでそれまで一人で街をブラブラしよう・・・
午前中はタメル地区の散策をしながらお土産やさんをのぞいて小さなものを2,3買い求めました。
ホテルには1時過ぎに戻り買ってきたパンとお茶をいれて昼食とし、シャワーも使ってしまいました。
デネシュさんが迎えに来てくれるまで、荷物を片づけ、少し休んで待つことができました。
お祭りを見たあと、夕食に最後のネパール料理を食べて、空港に送ってもらったのは夜の8時過ぎ。
空港内には見送りの人は入れないのでディネシュさんとは入口でお別れしました。 なんだか急に不安になってきましたが、何があってもここからは一人でやらなくては・・・と心を落ち着かせ、風の旅行社のやさしいスタッフさんが教えてくれたようにまず、空港税を払ってからチェックインカウンターに進む・・・
2009年からは空港税は航空運賃に含まれるようになりましたので、この作業は必要なくなりました。
けっこうたくさんの人が、空港に入ってすぐにチェックインカウンターに進んでしまい、チェックイン時 「空港税は?」 と言われあわてて支払いに戻ったりしていましたから航空券に含まれるように改善されてよかったのではないでしょうか。
その後ニュージーランドに行った時も、先に空港税を支払う形式で、大きなトランクを持って右往左往した記憶があります。 いい風に改善されるのはありがたいですね。
チェックインを済ませたら、2Fに上がって出国審査を受けて23:15分の出発まで待てばよし。 2時間以上もあるなーと思いながら時間をつぶす。
持ち物検査も受けてさらに奥に進んで出発ゲート近くに進んだ時、偶然にも同じ旅行会社のタグを付けた若い女性がとなりに座り、おしゃべりができました。
彼女は一人でエヴェレスト方面のトレッキングをしてきたとのこと。 もちろんガイド、ポーターさんと一緒で。 若いのに一人なんてエライナーと妙に感心してしまいましたが、その後、けっこうたくさんの女性が一人でもトレッキングをしていることを知りました。
飛行機は最終的には2時間以上も遅れて、夜中1:35分の出発となってしまいました。
帰りも上海空港で飛行機を降りて1時間待ち。 帰りは少し余裕ができ、トイレも済ませお土産やさんものぞき、中国のお土産も買うことができました。
再度搭乗したのが朝の7:30分(まだネパール時間のまま)でしたがこれまたなかなか出発とならない・・・ 8:15分ころになって一人の女性が乗ってきました。
この方は再搭乗の案内が分からなかったのではないだろうかと思いました。
実は行きもそうでしたが、再搭乗の際のアナウンスがよくわからないのです。 ボードとにらめっこしていてもよくわかりませんでした。 行きはトイレにも行かず入口近くで待ち、時間を見計らって空港スタッフに確認をして乗り込んだものです。
帰りも同じく再搭乗の際のアナウンスがよくわかりませんでした。 が、見慣れた顔の日本人の山帰りの人たちが動き出したので、聞くこともなく私もうまいこと乗り込むことが出来たのでした。
遅れたご婦人が乗り込むと間もなく出発となりました。
あとは日本に向かって飛ぶだけ。 もう心配はないでしょう・・・
私は関空から羽田に戻り自宅へと向かいました。 なんだかんだと丸1日がかりで8日目の夜7時近く家に着き、長ーく感じた初一人旅が終わったのでした。
この時(2007.4月 初・一人旅時)はまだパソコンも持っておらず、ブログなどということも全く念頭にありませんでした。 もちろん本にしようというのもこの時は考えてもいませんでした。
何度か訪問するうちに、せっかく教えてもらったことを忘れたくないので記録しておこうと、先に本にまとめることを思いたち、2008年の5月からパソコンを習い始めて1年がかりで本の形にしました。(誤字、脱字ありのひどいものですが)
その後、ブログを書いている人が身近にいて、私にも出来るのかなーとやってみたらなんとか出来そうでしたので始めた次第です。 (それが2010年8月)
本にしてもブログにしてもパソコンの知識のない私だけでは出来るはずもなく、多くの方にお世話になりながらやっとできているのが現実です。
本作りでお世話になったパソコンの恩師・土井さんとパソコンボランティアの方々、それにブログでお世話になったsaikoroatさん、ほんとうにありがとうございます。
初めてのネパール訪問はガイドブックを購入して、毎日それを眺めてここもあそこもと盛り沢山のスケジュールを組んでしまいました。 ただ1日1日の予定はかなり余裕のあるものだったと思います。
7日目はもうネパール最後の日。 夜中の直行便で日本に帰る予定ですがホテルにはぎりぎりまでいられるようにしてありますので、ほぼ1日ゆっくりできます。
朝のうち、ディネシュさんから電話があり、「パタンの山車祭りを見に行きませんか、」とのお誘いを受けたので、即、「行きます、行きます」と返事。
その時のことはパタン訪問のところで紹介してしまいました・・・
4時に迎えにきてくれるというのでそれまで一人で街をブラブラしよう・・・
午前中はタメル地区の散策をしながらお土産やさんをのぞいて小さなものを2,3買い求めました。
ホテルには1時過ぎに戻り買ってきたパンとお茶をいれて昼食とし、シャワーも使ってしまいました。
デネシュさんが迎えに来てくれるまで、荷物を片づけ、少し休んで待つことができました。
お祭りを見たあと、夕食に最後のネパール料理を食べて、空港に送ってもらったのは夜の8時過ぎ。
空港内には見送りの人は入れないのでディネシュさんとは入口でお別れしました。 なんだか急に不安になってきましたが、何があってもここからは一人でやらなくては・・・と心を落ち着かせ、風の旅行社のやさしいスタッフさんが教えてくれたようにまず、空港税を払ってからチェックインカウンターに進む・・・
2009年からは空港税は航空運賃に含まれるようになりましたので、この作業は必要なくなりました。
けっこうたくさんの人が、空港に入ってすぐにチェックインカウンターに進んでしまい、チェックイン時 「空港税は?」 と言われあわてて支払いに戻ったりしていましたから航空券に含まれるように改善されてよかったのではないでしょうか。
その後ニュージーランドに行った時も、先に空港税を支払う形式で、大きなトランクを持って右往左往した記憶があります。 いい風に改善されるのはありがたいですね。
チェックインを済ませたら、2Fに上がって出国審査を受けて23:15分の出発まで待てばよし。 2時間以上もあるなーと思いながら時間をつぶす。
持ち物検査も受けてさらに奥に進んで出発ゲート近くに進んだ時、偶然にも同じ旅行会社のタグを付けた若い女性がとなりに座り、おしゃべりができました。
彼女は一人でエヴェレスト方面のトレッキングをしてきたとのこと。 もちろんガイド、ポーターさんと一緒で。 若いのに一人なんてエライナーと妙に感心してしまいましたが、その後、けっこうたくさんの女性が一人でもトレッキングをしていることを知りました。
飛行機は最終的には2時間以上も遅れて、夜中1:35分の出発となってしまいました。
帰りも上海空港で飛行機を降りて1時間待ち。 帰りは少し余裕ができ、トイレも済ませお土産やさんものぞき、中国のお土産も買うことができました。
再度搭乗したのが朝の7:30分(まだネパール時間のまま)でしたがこれまたなかなか出発とならない・・・ 8:15分ころになって一人の女性が乗ってきました。
この方は再搭乗の案内が分からなかったのではないだろうかと思いました。
実は行きもそうでしたが、再搭乗の際のアナウンスがよくわからないのです。 ボードとにらめっこしていてもよくわかりませんでした。 行きはトイレにも行かず入口近くで待ち、時間を見計らって空港スタッフに確認をして乗り込んだものです。
帰りも同じく再搭乗の際のアナウンスがよくわかりませんでした。 が、見慣れた顔の日本人の山帰りの人たちが動き出したので、聞くこともなく私もうまいこと乗り込むことが出来たのでした。
遅れたご婦人が乗り込むと間もなく出発となりました。
あとは日本に向かって飛ぶだけ。 もう心配はないでしょう・・・
私は関空から羽田に戻り自宅へと向かいました。 なんだかんだと丸1日がかりで8日目の夜7時近く家に着き、長ーく感じた初一人旅が終わったのでした。
この時(2007.4月 初・一人旅時)はまだパソコンも持っておらず、ブログなどということも全く念頭にありませんでした。 もちろん本にしようというのもこの時は考えてもいませんでした。
何度か訪問するうちに、せっかく教えてもらったことを忘れたくないので記録しておこうと、先に本にまとめることを思いたち、2008年の5月からパソコンを習い始めて1年がかりで本の形にしました。(誤字、脱字ありのひどいものですが)
その後、ブログを書いている人が身近にいて、私にも出来るのかなーとやってみたらなんとか出来そうでしたので始めた次第です。 (それが2010年8月)
本にしてもブログにしてもパソコンの知識のない私だけでは出来るはずもなく、多くの方にお世話になりながらやっとできているのが現実です。
本作りでお世話になったパソコンの恩師・土井さんとパソコンボランティアの方々、それにブログでお世話になったsaikoroatさん、ほんとうにありがとうございます。