2010.11/17
ネパールに着いて2日目の朝は少し頭が重く感じました。
朝食はホテルのレストランで
ホテルはいつもディネシュさんが朝食付きで取ってくれますので、わざわざ外に出なくともいいので、面倒くさがり屋の私には好都合です。特に早くに出かける予定がない限りは7時半から8時頃にレストランに下りて行きます。
今回のホテル・ノルブリンカのオーナーはチベット系の方で、とても若い方です。
初めてのホテルなのでどんなものかと思いましたが、私が滞在している間はフランスからの宿泊客が目立ちました。(話している言葉でそれとわかったのですが)
なので、オーナー始めレストランスタッフのほとんどがフランス語堪能なのには驚かされました。
おまけに、独学で覚えたという日本語もしゃべれるスタッフもいたりで感心してしまいました。
レストランで合い席になったご夫婦に、「英語はあまり得意ではないのですが・・」 というと 「私たちも一緒です」 とご主人。 やっぱりフランス人でした。 お互い片言の英語で助かりました。 奥さまはフランス語以外は全く駄目のようでした。
ネパールでの朝食はいつもお決まりのもので
ネパール・チヤ(甘くておいしいミルクティー、お腹の具合の悪い時はブラックティーがいい)
オレンジジュース
食パン2枚(バター、ジャム付き)又は おかゆ
目玉焼 又は スクランブルエッグ
ヨーグルトやバナナ などでしょうか。
これらを全部食べるわけではなく、この中から、その日の気分でいくつか選んで食べます。
1時間くらいかけて、そこで知り合う人たちとおしゃべりしながらゆっくりと過ごします。
朝食のあとは、一度部屋に戻って外出の準備をします。
そして、10時ころに街に繰り出すのがこのごろの日課となっています。
前回(2009.10月)の訪問時に撮った写真を配るのが2日目の仕事・・・のようでもあり楽しみの一つでもあります。
散歩ルート
ばかの一つ覚えではありませんが、いつも大体同じコースを歩いてしまいます。
タメル ~ タヒティ ~ アサン ~ インドラチョーク ~ 王宮広場。
帰りは チェトラパティチョーク ~ タメル (ここで昼食) のパターンです。
タメルはこんなところ
時たま、通ったことのない裏道を歩いて迷子になったりもしますが、「タメルにはどう行けばいいですか?」と聞くと道を教えてもらえるので、すぐに見覚えのある通りに出ることができます。
タメルの路上で立ったまま何か食べている人がいました。
興味深げな顔でのぞきこみ 「これはなぁに? おいしい?」 と聞くと 「これは朝食・タルカリ(ごはんにおかず、それにゆで卵2コが乗っていた)、おいしいよ、食べる?」 と言われましたが、朝食を食べたばかりなので 「お腹がいっぱい」 と断りました。
「これでいくら?」と聞くと 「50ルピー(60円位)」 とのこと。 ホテルで朝食付きにすると、部屋代+3ドル(270円くらい)なので、かなり安いと思います。
ご飯を大写しにすればよかったですね。
アサンチョークもいつもの賑わい・・・と思ったら・・・
去年とは様変わり・・・ 広場はきれいにかたづけられ露天の野菜売りの人たちはいませんでした。 (その近くにはまだたくさんの人たちがいましたが。)
後で聞いたところによると、この広場での露天は、朝は8:00(9:00?)まで、夕方は3:00からになったとのことでした。
寂しかったですが、あの混雑を考えるとこれも仕方ないことだと思いますが、露天の人を排除するのでなく、オートバイや自転車の往来を規制したほうがいいのでは?と思ったりもしましたが、決まったことでは仕方ないですね。 車は以前からこの広場には入ってなかったですが。
ここまで歩いて来る間に、けっこうたくさんの人に会えて写真を渡すことが出来ました。
たいてい写した場所を覚えているので、その近くで、「この人(子)知りませんか?」 と聞くと、当人の親だったり、娘さんだったりで、近くにいる人たちもたくさん集まってきて写真をを見てはワイワイ大騒ぎとなります。
写真配りは大体このアサンチョークあたりまでと、この先にあるセトマチェンドラナート寺院前の露天の人たち、寺院境内の布団やさんと糸を売っていた人たちでしょうか・・・
大胆な布団作り 路上で最後の仕上げです。
アサンチョークからインドラチョークまでは生活雑貨を売る店がずらりと並び、その通りを歩くといつも「ああ、ここはネパールだ~」と肌で感じます。
王宮広場
広場に着くと入場料300ルピーを支払い、その先にあるサイトオフィスで「ビジターパス」を作ってもらいます。 そうすれば、この後何度ここを訪れても入場料を払う必要がないからです。
広場にあるシヴァ・パールヴァティ寺院の修復が行われていました。
足場は竹で作られています。 香港ではかなり高い建物でも竹を組んだ足場でしたが、日本ではパイプを組む足場しか見たこことがないのですが、竹を使っていた時代もあったのでしょうか・・・。
歩き疲れると寺院の台座に座って、行き来する人たちを眺めては時間の過ぎるのも忘れて過ごします。
既に1時を回り、お腹も空いてきたので、帰りはチェトラパティチョークを通ってタメルに戻って昼食と致しましょう。
今日のランチは ”ワンタンラーメン”
日本の、あのつるっとした美味しいワンタンを想像していたら、届いたものには餃子の皮で作られたワンタンが入っていました。 食べられはしましたが粉のかたまりのようでがっかり、メンは固ゆでが好きなのですが・・・。
まあ異国の地で日本と同じものを要求するのは無理とは分かってはいるのですが、残念でした。
支払い時の出来事
食べ終わって会計をするときのこと、「225ルピー」 と言われ、 「えっ、180じゃないの?」 というと、メニューを見に行ってくれ、180+税10%で198ルピーと訂正してくれました。
小さなことだけれど注文時に料金を覚えていてよかった・・と思った出来ごとでした。
なんだかんだ言っても空腹は満たされ、街を一回りしてきたら、朝、起きた時に重かった頭もいつの間にかスッキリしていました。
ホテルのお湯事情
ホテルによっては、お湯があまり出なかったり、早い時間は出たけれど遅い時間になると出なくなってしまうというホテルもありました。
今回の、このホテルは朝からお湯はたっぷりと出るので心配はないとは思いましたが、早いにこしたことはない・・・と、帰ってすぐにシャワーを使い、ほこりを落としてさっぱりしました。
その後は、ノートの整理をしたり、ネパール語のノートを開いてみたり、疲れると日本から持って行った小説などを読んで過ごします。
夕食は・・・
お昼が遅かったり、あまり食欲もない時は、途中で買った果物とお茶くらいで済ませてしまいます。 今晩もそのパターン。
電力事情
夜も7時ころになると必ず停電になります。(季節にもよると思いますが、1日18時間も停電がある国ですから仕方ないですね) じきに自家発電の電気がつきますが、その照明たるやとてもとても暗くて、長い時間本を読んだり、勉強なんて出来ません。
去年、見えなくはないので薄暗い中で2~3時間ノートの整理をしてしまったら、翌日からまる2日、具合が悪くなり、ポカリスエット以外食べ物が摂れず、その後しばらく辛い日々を過ごしたので要注意なのです。
ということで、夜にすることがないので、仕方なくベッドにもぐって寝てしまうことに・・・ 日本にいたら考えられないことですが、8時就寝です。
ネパールに着いて2日目の朝は少し頭が重く感じました。
朝食はホテルのレストランで
ホテルはいつもディネシュさんが朝食付きで取ってくれますので、わざわざ外に出なくともいいので、面倒くさがり屋の私には好都合です。特に早くに出かける予定がない限りは7時半から8時頃にレストランに下りて行きます。
今回のホテル・ノルブリンカのオーナーはチベット系の方で、とても若い方です。
初めてのホテルなのでどんなものかと思いましたが、私が滞在している間はフランスからの宿泊客が目立ちました。(話している言葉でそれとわかったのですが)
なので、オーナー始めレストランスタッフのほとんどがフランス語堪能なのには驚かされました。
おまけに、独学で覚えたという日本語もしゃべれるスタッフもいたりで感心してしまいました。
レストランで合い席になったご夫婦に、「英語はあまり得意ではないのですが・・」 というと 「私たちも一緒です」 とご主人。 やっぱりフランス人でした。 お互い片言の英語で助かりました。 奥さまはフランス語以外は全く駄目のようでした。
ネパールでの朝食はいつもお決まりのもので
ネパール・チヤ(甘くておいしいミルクティー、お腹の具合の悪い時はブラックティーがいい)
オレンジジュース
食パン2枚(バター、ジャム付き)又は おかゆ
目玉焼 又は スクランブルエッグ
ヨーグルトやバナナ などでしょうか。
これらを全部食べるわけではなく、この中から、その日の気分でいくつか選んで食べます。
1時間くらいかけて、そこで知り合う人たちとおしゃべりしながらゆっくりと過ごします。
朝食のあとは、一度部屋に戻って外出の準備をします。
そして、10時ころに街に繰り出すのがこのごろの日課となっています。
前回(2009.10月)の訪問時に撮った写真を配るのが2日目の仕事・・・のようでもあり楽しみの一つでもあります。
散歩ルート
ばかの一つ覚えではありませんが、いつも大体同じコースを歩いてしまいます。
タメル ~ タヒティ ~ アサン ~ インドラチョーク ~ 王宮広場。
帰りは チェトラパティチョーク ~ タメル (ここで昼食) のパターンです。
タメルはこんなところ
時たま、通ったことのない裏道を歩いて迷子になったりもしますが、「タメルにはどう行けばいいですか?」と聞くと道を教えてもらえるので、すぐに見覚えのある通りに出ることができます。
タメルの路上で立ったまま何か食べている人がいました。
興味深げな顔でのぞきこみ 「これはなぁに? おいしい?」 と聞くと 「これは朝食・タルカリ(ごはんにおかず、それにゆで卵2コが乗っていた)、おいしいよ、食べる?」 と言われましたが、朝食を食べたばかりなので 「お腹がいっぱい」 と断りました。
「これでいくら?」と聞くと 「50ルピー(60円位)」 とのこと。 ホテルで朝食付きにすると、部屋代+3ドル(270円くらい)なので、かなり安いと思います。
ご飯を大写しにすればよかったですね。
アサンチョークもいつもの賑わい・・・と思ったら・・・
去年とは様変わり・・・ 広場はきれいにかたづけられ露天の野菜売りの人たちはいませんでした。 (その近くにはまだたくさんの人たちがいましたが。)
後で聞いたところによると、この広場での露天は、朝は8:00(9:00?)まで、夕方は3:00からになったとのことでした。
寂しかったですが、あの混雑を考えるとこれも仕方ないことだと思いますが、露天の人を排除するのでなく、オートバイや自転車の往来を規制したほうがいいのでは?と思ったりもしましたが、決まったことでは仕方ないですね。 車は以前からこの広場には入ってなかったですが。
ここまで歩いて来る間に、けっこうたくさんの人に会えて写真を渡すことが出来ました。
たいてい写した場所を覚えているので、その近くで、「この人(子)知りませんか?」 と聞くと、当人の親だったり、娘さんだったりで、近くにいる人たちもたくさん集まってきて写真をを見てはワイワイ大騒ぎとなります。
写真配りは大体このアサンチョークあたりまでと、この先にあるセトマチェンドラナート寺院前の露天の人たち、寺院境内の布団やさんと糸を売っていた人たちでしょうか・・・
大胆な布団作り 路上で最後の仕上げです。
アサンチョークからインドラチョークまでは生活雑貨を売る店がずらりと並び、その通りを歩くといつも「ああ、ここはネパールだ~」と肌で感じます。
王宮広場
広場に着くと入場料300ルピーを支払い、その先にあるサイトオフィスで「ビジターパス」を作ってもらいます。 そうすれば、この後何度ここを訪れても入場料を払う必要がないからです。
広場にあるシヴァ・パールヴァティ寺院の修復が行われていました。
足場は竹で作られています。 香港ではかなり高い建物でも竹を組んだ足場でしたが、日本ではパイプを組む足場しか見たこことがないのですが、竹を使っていた時代もあったのでしょうか・・・。
歩き疲れると寺院の台座に座って、行き来する人たちを眺めては時間の過ぎるのも忘れて過ごします。
既に1時を回り、お腹も空いてきたので、帰りはチェトラパティチョークを通ってタメルに戻って昼食と致しましょう。
今日のランチは ”ワンタンラーメン”
日本の、あのつるっとした美味しいワンタンを想像していたら、届いたものには餃子の皮で作られたワンタンが入っていました。 食べられはしましたが粉のかたまりのようでがっかり、メンは固ゆでが好きなのですが・・・。
まあ異国の地で日本と同じものを要求するのは無理とは分かってはいるのですが、残念でした。
支払い時の出来事
食べ終わって会計をするときのこと、「225ルピー」 と言われ、 「えっ、180じゃないの?」 というと、メニューを見に行ってくれ、180+税10%で198ルピーと訂正してくれました。
小さなことだけれど注文時に料金を覚えていてよかった・・と思った出来ごとでした。
なんだかんだ言っても空腹は満たされ、街を一回りしてきたら、朝、起きた時に重かった頭もいつの間にかスッキリしていました。
ホテルのお湯事情
ホテルによっては、お湯があまり出なかったり、早い時間は出たけれど遅い時間になると出なくなってしまうというホテルもありました。
今回の、このホテルは朝からお湯はたっぷりと出るので心配はないとは思いましたが、早いにこしたことはない・・・と、帰ってすぐにシャワーを使い、ほこりを落としてさっぱりしました。
その後は、ノートの整理をしたり、ネパール語のノートを開いてみたり、疲れると日本から持って行った小説などを読んで過ごします。
夕食は・・・
お昼が遅かったり、あまり食欲もない時は、途中で買った果物とお茶くらいで済ませてしまいます。 今晩もそのパターン。
電力事情
夜も7時ころになると必ず停電になります。(季節にもよると思いますが、1日18時間も停電がある国ですから仕方ないですね) じきに自家発電の電気がつきますが、その照明たるやとてもとても暗くて、長い時間本を読んだり、勉強なんて出来ません。
去年、見えなくはないので薄暗い中で2~3時間ノートの整理をしてしまったら、翌日からまる2日、具合が悪くなり、ポカリスエット以外食べ物が摂れず、その後しばらく辛い日々を過ごしたので要注意なのです。
ということで、夜にすることがないので、仕方なくベッドにもぐって寝てしまうことに・・・ 日本にいたら考えられないことですが、8時就寝です。