2016.5.7(土)つづき・・
私がダルバール広場に入場する時は、タレジュ寺院の見える、広場の象徴ともいえる大きなピーパルのあるところからがほとんどですが、目に入ったのは世界遺産となっている建物を支えているおびただしい数のつっかえ棒・・・。
カケショワル寺院は屋根もなくなっており言葉もありません。
プルタープ・マッラ王がしゃべったという9つとも12とも言われる言語が彫ってある石板のある王宮(スンダリチョーク、モハンチョーク)の外壁
こちらの建物は外壁のレンガもかなり崩れおちていますが、落ちたレンガをただ積みなおせばいいという簡単なものでもないそうです。
デグタレジュ寺院前の高い石柱にはプルタープ・マッラ王が寺院のタレジュ女神を見守っていたはずですが、地震で落ちてしまったらしくどこにあるのかわかりませんでした。
入場パンフの表紙にあった石柱の上のプルタープ・マッラ王像
ハヌマンドカもこの通り。ハヌマン(猿神)もおびただしいほどの支えの中にありますが、お参りする人は絶えません。
台座しかないないなんて・・・。 初めて見た方は上に建っていたマジュデガ寺院やその前に白いインド・シカール様式のカムデブ寺院があったことなど想像もできないでしょう・・・。
2009年10月に写したものです。 こんな素晴らしい建物があったのですよ。 季節とお天気により空の色もこんなに違います!
私も台座の一番上まで上がって、長い時間、下を通る人やまわりの景色を眺めていたものです。 こんなことができるのがツアーでないことの利点ですね。
シヴァ・パールバティ寺院は3、4年ほど前に伺った時に修復をしていました。 そのためか被害も最小限に抑えられたかもしれません。
観光客もほんとに少なく、赤いシャツを着た方が今日初めて会った外国人だったかも・・・。 この後、数人の方々をお見かけしましたが・・・。
ヴシュヌの乗り物、ガルーダの後姿が何ともさびしそう・・。その目の先にはトライロキャ・モハン・ナラヤン寺院があったのですが、ここも台座のみになっていました。
その隣の石造寺院も新たにちょっとの揺れでもあったら今にも倒れてしまうのではと心配。
何より驚いたのは・・・、 カトマンドゥ旧王宮広場の中では最古(12世紀のもの)のカスタマンダプ寺院がきれいになくなってしまっていたことです。 お参り中のネパール人や観光客がおおぜい下敷きになり、亡くなられたそうです。
これは2008.12月に写したカスタマンダプ寺院です。
それが大地震後一年たった今はこんなことに・・・。 シンガ、シンギニがあるだけであとは何もなくなっていました。
とにかくがっくり・・ こんな貴重な素晴らしいものが消えてなくなってしまったのですから・・・。 全身の力が抜けてしまいました。
クマリの館もご覧のとおりです。 中に住んでいらっしゃる神さまのクマリやお世話をする方々にお変わりはなかったのでしょうか。
よくみると、左側のシンガの像が割れていました。
クマリの館から王宮の方をみると西洋風の白いりっぱな建物、ガッディ・バイタクがありますが、被害は大きかったということでこんな状況です。
ガッディバイタクは19世紀に首相だったジュング・バハドゥール・ラナがイギリス訪問後にイギリスの建築様式を取り入れて造ったもので、インドラジャトラのときには王族がテラスに姿を見せたということですが、王制のなくなった今は大統領が姿を見せるということです。
それに続くバサンタプールダルバール(ノウタレダルバールともいう、右側の建物)の被害も甚大。 外から見ると、屋根は4層でしたが、今は2層しかありません。 中は9階建てになっていたため、ノウタレ・ダルバール(9階の宮廷)と呼ばれていました。 ・・・が、今はこの通り、ひどいことになっています。
2007.12月のガッディバイタクとバサンタプールダルバール(ノウタレダルバール)です。
その前の広場がバサンタプール広場で、銅製品や骨董のようなものを売る露店が広がっていて、いつもたくさんの観光客でにぎわっていたのですが、今はその露店もこんなに少なくなってしまい、観光客もほとんど見られませんでした。
広場に面してあるサイトオフィスの建物もこんな具合でしたが、今日はネパール歩きの初日ですので、これから何度もこのダルバール広場を訪れるだろうと、今回もビジター・パスを作ってもらい、帰途につきました。
帰りもこのピーパルの前を通って帰ります。 時々は別の道を通りますが・・・。
どの写真を見ても観光客らしい人はほとんどおらず、いても中国の方々がほんの少し・・・、あとはネパール人ばかりです。
一日も早い復興を願いますが、こうひどくては5年後? 10年後? もどうなるやら・・・。
どうかたくさんの人にネパールを訪問して頂きますようにと祈るばかりです。
日本でも熊本で同じ状況が起こっていますが・・・。
私がダルバール広場に入場する時は、タレジュ寺院の見える、広場の象徴ともいえる大きなピーパルのあるところからがほとんどですが、目に入ったのは世界遺産となっている建物を支えているおびただしい数のつっかえ棒・・・。
カケショワル寺院は屋根もなくなっており言葉もありません。
プルタープ・マッラ王がしゃべったという9つとも12とも言われる言語が彫ってある石板のある王宮(スンダリチョーク、モハンチョーク)の外壁
こちらの建物は外壁のレンガもかなり崩れおちていますが、落ちたレンガをただ積みなおせばいいという簡単なものでもないそうです。
デグタレジュ寺院前の高い石柱にはプルタープ・マッラ王が寺院のタレジュ女神を見守っていたはずですが、地震で落ちてしまったらしくどこにあるのかわかりませんでした。
入場パンフの表紙にあった石柱の上のプルタープ・マッラ王像
ハヌマンドカもこの通り。ハヌマン(猿神)もおびただしいほどの支えの中にありますが、お参りする人は絶えません。
台座しかないないなんて・・・。 初めて見た方は上に建っていたマジュデガ寺院やその前に白いインド・シカール様式のカムデブ寺院があったことなど想像もできないでしょう・・・。
2009年10月に写したものです。 こんな素晴らしい建物があったのですよ。 季節とお天気により空の色もこんなに違います!
私も台座の一番上まで上がって、長い時間、下を通る人やまわりの景色を眺めていたものです。 こんなことができるのがツアーでないことの利点ですね。
シヴァ・パールバティ寺院は3、4年ほど前に伺った時に修復をしていました。 そのためか被害も最小限に抑えられたかもしれません。
観光客もほんとに少なく、赤いシャツを着た方が今日初めて会った外国人だったかも・・・。 この後、数人の方々をお見かけしましたが・・・。
ヴシュヌの乗り物、ガルーダの後姿が何ともさびしそう・・。その目の先にはトライロキャ・モハン・ナラヤン寺院があったのですが、ここも台座のみになっていました。
その隣の石造寺院も新たにちょっとの揺れでもあったら今にも倒れてしまうのではと心配。
何より驚いたのは・・・、 カトマンドゥ旧王宮広場の中では最古(12世紀のもの)のカスタマンダプ寺院がきれいになくなってしまっていたことです。 お参り中のネパール人や観光客がおおぜい下敷きになり、亡くなられたそうです。
これは2008.12月に写したカスタマンダプ寺院です。
それが大地震後一年たった今はこんなことに・・・。 シンガ、シンギニがあるだけであとは何もなくなっていました。
とにかくがっくり・・ こんな貴重な素晴らしいものが消えてなくなってしまったのですから・・・。 全身の力が抜けてしまいました。
クマリの館もご覧のとおりです。 中に住んでいらっしゃる神さまのクマリやお世話をする方々にお変わりはなかったのでしょうか。
よくみると、左側のシンガの像が割れていました。
クマリの館から王宮の方をみると西洋風の白いりっぱな建物、ガッディ・バイタクがありますが、被害は大きかったということでこんな状況です。
ガッディバイタクは19世紀に首相だったジュング・バハドゥール・ラナがイギリス訪問後にイギリスの建築様式を取り入れて造ったもので、インドラジャトラのときには王族がテラスに姿を見せたということですが、王制のなくなった今は大統領が姿を見せるということです。
それに続くバサンタプールダルバール(ノウタレダルバールともいう、右側の建物)の被害も甚大。 外から見ると、屋根は4層でしたが、今は2層しかありません。 中は9階建てになっていたため、ノウタレ・ダルバール(9階の宮廷)と呼ばれていました。 ・・・が、今はこの通り、ひどいことになっています。
2007.12月のガッディバイタクとバサンタプールダルバール(ノウタレダルバール)です。
その前の広場がバサンタプール広場で、銅製品や骨董のようなものを売る露店が広がっていて、いつもたくさんの観光客でにぎわっていたのですが、今はその露店もこんなに少なくなってしまい、観光客もほとんど見られませんでした。
広場に面してあるサイトオフィスの建物もこんな具合でしたが、今日はネパール歩きの初日ですので、これから何度もこのダルバール広場を訪れるだろうと、今回もビジター・パスを作ってもらい、帰途につきました。
帰りもこのピーパルの前を通って帰ります。 時々は別の道を通りますが・・・。
どの写真を見ても観光客らしい人はほとんどおらず、いても中国の方々がほんの少し・・・、あとはネパール人ばかりです。
一日も早い復興を願いますが、こうひどくては5年後? 10年後? もどうなるやら・・・。
どうかたくさんの人にネパールを訪問して頂きますようにと祈るばかりです。
日本でも熊本で同じ状況が起こっていますが・・・。