junjunのはなまる日和&ときどきネパール

日々の暮らしとネパールのことなど・・・。

16度目のネパール ボーダナート、パシュパティナート

2016-06-05 16:59:25 | ネパール
 2016.5.8(日)つづき・・・

本日、2つ目の世界遺産ボーダナートにまわります。

ネパールではよく見かける光景ですが、大きな木の根元に造られた小さな寺院。


私はこれらを見るたびに、もとの木は大丈夫なのだろうか?と心配になります。 元の樹木が枯れかかっているのを見たこともあるのですけれど・・・。


ボーダナートの少し手前にあった、ガネシュ(別名ヴィナヤク)で有名と言われる寺院に寄りました。


ご本尊はガネシュなのでしょうが、境内には銅版で造ったヴィシュヌ像や水に浮かぶヴィシュヌ像、そのほか、シヴァリンガやヴィーナを持つサラソティ・笛を吹くクリシュナ像などいろいろなものがありました。



水に浮かぶビシュヌ像はブダニールカンタにあるものが10倍くらい?大きくて有名です。

参考までに、 ガネシュ(別名・ヴィナヤク)で有名な4つの寺院 をあげると
   ①アショクヴィナヤク・・・ カトマンドゥ・ダルバール広場にある。
   ②スルヤヴィナヤク・・・  バクタプル
   ③チャンドラヴィナヤク・・ カトマンドゥの東のはずれ、チャーバヒルというところ
   ④カールヤヴィナヤク・・  ブンガマティとコカナの間

本によっては ④ジャルヴィナヤク・・キルティプルのふもと、チョバール とするところもある。



ボーダナートに着きました。  入場料250ルピー

ゲートをくぐってすぐのところです。


や・や・やーーー、 話には聞いていましたが、ほんとに 目がない! 頭も崩れてなくなっていたのでしょうが今は修復中! 唖然!!

上の入場門のちょうど反対側にあるアジマ寺院の前の僧院、グル・ラカーンの2階からも撮りました。


ボーダナートはもともとはネワール仏教の寺だったそうですが、チベットからの難民が多く住むようになり、チベット仏教の僧院がどんどん増え、今ではチベット仏教の聖地になってしまったそう。

チベットの人は、お金持ちの人が多いとかで、ほかの世界遺産から比べると修復も早めに進んでいるとのことです。

私たちが昼食を摂ったところからちょうど見えた風景。

ボランティアの方々がトラックで運ばれて来たレンガを手渡しで運び上げていました。

これを見て、すぐに飛んで行って私もお手伝いをしたいところでしたが、極端に暑さに弱く、太陽アレルギーもある私は尻込みをしてしまいました。

手渡しで積みあげたところから頭のあるところまでは滑車のついたトロッコのようなもので引き上げているようでしたが(手動?)実際に引き上げているところは見られませんでした。


昼食を摂りながら、しばらくは、こんなになってしまったボーダナートをながめ、ぼんやりと時間を過ごしました。



このあと、今日、3つ目の世界遺産、パシュパティナートに向かいました。 


パシュパティナート  入場料 1000ルピー

パシュパティナート寺院の被害はほとんどなかったそうです。 

こちらの門があのネパール一大きな聖牛・ナンディの見える門です。


寺院内にはヒンドゥー教徒しか入れませんので、私たち外国人はナンディのお尻の見える門からちょっとだけ中を覗くことしかできません。

2008年ころはもう少し先の、門のすぐ近くまで行けたのですが、久しぶりに来てみると、門から5m位手前に柵が設けられ、それより近づくことはできないようになっていました。


このあと、エッカイラスルドラやアルエガート(火葬台)のあるバグマティ川の方にすすみました。

私が2009.4月に伺った時に写真を撮らせて頂いたサドゥー(修行者)が今日もいらっしゃいましたので写真をお見せしてそのことをお話しました。(一番左の方)


写真のころより大分体格がよくなっていらっしゃいましたので、そのことを言うと、笑っていらっしゃいました!


バグマティ川の対岸の丘の上にあがると、ベンチが増えていました。やっとここにたどり着いたあとに座るところがあるというのは嬉しい限りです。 観光客らしい人はほんとに少なく、たくさんのネパール人がのんびりと時を過ごしているようでした。

ここから見た寺院も変わりなく見えました。

ただ、右手前の小窓の並んでいる建物は、死期の近い方が自分の意思でここに入りたいと言ってやってくる病院とのことですが、ここは取り壊す予定になっているそうです。

遠くに見える老人ホームの屋根、実はこの老人ホームは被害がひどく危険ということで閉鎖されていました。 前にお会いした方々がいるとも限りませんがお会いできなくなって残念です。



私たちもしばらくベンチで休息。
 

長期滞在する参拝客が宿泊するという施設の中を通って帰ることにしました。

そちらを通らないと目に入らないのですが、こんなところにと思う通り道に、4C の物と言われるシヴァとパールヴァティの石造があります。

15C、イスラム教の侵攻時、たたき壊されて顔がなくなっていますが、それでもよくぞご無事で・・・という感じ。 こういうのを見ると、私の心はズキンズキンと痛みます。


施設を通り過ぎて外に出たあたりから、対岸を見ると、おみやげ屋さんがズラーッと出ていたあたりの建物がすっかりなくなってがれきだけになっていました。 

その向こう側が老人ホームですので、このあたりの被害が大きかったということでしょうか・・・。 建物も古かったのかもしれません。

おみやげ屋さんも以前よりはずーっと少なくなっていました。 こう観光客が少なくては生活できるほどの収入は得られないでしょうしね。

そんなことを思いながら今日の予定をすべて終え、帰途に着きました。


旧王宮前の通り(ダルバール マルグ)をタメルに向かって帰るとき、道路の両側がジャカランダの並木になっているのに気がつきました。 ですが、木がまだ若いせいか花があまり目立ちません。 お天気もはっきりしない上に夕方、さらにバイク上からでしたのでなおのこときれいには撮れませんでした。