2019.10.27(日)
とねるずの日
新京成線 習志野駅 10:00 集合
今日はメンバーのうち4人のお休みはわかっていました。
・・で、集まったのは篠崎さんと私のたった二人。
寂しい反面二人で顔寄せ合って地図を見、おしゃべりもたくさんできてそれはそれで楽しかったです。
駅の西側を歩きました。
歩行ルートの矢印を入れ忘れましたが習志野駅から歩き始め、一つ隣の薬円台駅に出ました。
最初の神社マークは金比羅神社 まあこんな細長い土地に・・と内心驚き。
左はマンションへの通路、右は公道・・に挟まれた鳥居の幅だけの参道?境内?
なにやら大勢の人でにぎわっていると思ったら今日は七林(ななばやし)ふれあい祭りとのこと。
こどもたちが射的や魚釣りゲームをしたり、焼きそば、フランクフルト、ポップコーンなどが売られていたり。搗きたてのおもちも売られていたようでしたが、私たちが伺ったときはちょうど売り切れで今搗いているところ・・とのことでした。
奥は少しだけ広さがあり、鮮やかな色合いの拝殿がありました。
鮮やかな色といえば駅の近くでは濃~いむらさき色の住宅を見かけましたが写真は撮りそびれました。 このあとも濃い目色の鮮やかハウスをあちこちで見かけました。
大通りを避け北に曲がり次の神社を目指します。
途中で見かけた花:さざんか
これは名前がわかりません
こちらのお宅も鮮やか系ですね。
金比羅神社の先で道を尋ねた方が地図を見て、次に行く神社は王子神社と教えてくださいました。
裏道を通って王子神社に向かうのですが、けっこうな坂道を下りて登って又下りてと、雪の日や雨の日は怖いわね~と言いながらカニ歩きにもなりました。
裏道は昔の農道そのままのようで、かなり細くてくねくねしていて車もけっこう通りとても危険、地図と違う道路やマンション、住宅地も出来ていたりで迷子になりそうで、あっちでこっちで道を聞いてしまいました。
シックでおしゃれなおうち。
細い道路わきの小さな祠に八幡宮と彫られた板碑が祀られていました。
金比羅神社から続く大通りに出ました。向こう側左手に見える細い道を少し奥に入ったところが王子神社でした。
王子神社;奥に見えるのが拝殿
正面右手の手水舎とご神木のしいの木
拝殿正面
王子神社は下総の国上飯山満村(かみはさまむら)ではもっとも古く、文政5年(1864)に創建されたよう。 明治の初めの大火災後、45戸の家々で現在の社殿を再建したとのことです。(今では2000戸もの氏子さんらしいです)
お祭り(七五三参りかな?)が近いからか氏子の方々が大勢でお掃除をしていらっしゃいました。
王子神社のお参りを済ませ、地図に飯山満(はさま)町三丁目とあるところの寺院に向かいます。
地図でも分かるのですが、飯山満三丁目町とあるあたりは緑や畑がとても多く目にやさしいところです。
こんないいものも見られましたよ。
カラスウリの実
ハヤトウリの花(初めて見たような気がします)
先ほど渡った車の多い通り(ここも金比羅神社前の道路から続く道)に出ると、目の前に目的の寺院がありました。
そこは光明寺。 仁王門の立派さに驚き!
仁王門にはこれまたすばらしくりっぱな木造の仁王さまがいらっしゃいます。金網のすきまから撮らせて頂きましたが全体像は撮れませんでした。
向かって右に 阿形(あぎょう)像
向かって左に 吽形(うんぎょう)像
門はしっかり閉されていてとても入れそうにない感じだったので失礼してとなりのくぐり戸から中を見せて頂きました。それはそれはきれいにお手入れされたすばらしいお庭。
近くにあったモミジの根っこがレースのようでした。
光明寺の開創時期はよくわかりませんでしたが、本堂の左側にある阿弥陀堂は寛文年間(1661~1673)の建立で、本堂のご本尊は延宝7年作(1679)だそうですのでそのころにはあったということですね。
ただ仁王門は昭和61年築(1986)だそうですのでそれほど古くからあったというわけではありませんでした。
そろそろお昼に近いかな? 次の神社で昼食とするとして・・・
車の多い通りを少しだけ歩かざるを得ず、狭い歩道を縦一列で(二人だけなのに!)歩きました。
すぐに神社が見えました。 歩いてきたところに見えた公園から入りましたがそこは神社の後ろ側でした。
ここは大宮神社。 境内にまわると・・
目を引いたのは赤い手摺りの神楽殿。
解説にこの写真がありました。
いつからこの神楽が始まったのかはっきりは分からないそうですが、古い装束や箱には文久3年(1863)とか安政6年(1859)の墨書きがあるそうでその頃にはすでに演じられていたらしいとのこと。
神楽は1/7日の七草の夜 、11/23日例祭の夜に演じられるそうです。
拝殿
後ろには立派な彫り物のある本殿
最後に正面入り口にまわりました。
お参りも済ませ、先ほどの小さな公園にちょうど二人座れるベンチとテーブルがあったのでそこで昼食にしました。
なにせ二人だけですからずっとおしゃべりしながらのランチタイム。
腰を上げたのは12:45分くらいだったでしょうか。
公園に面した家の垣根がピラカンサの赤い実でステキでしたけれど、このようにするには実を残しながら手でカットしたのかしら?などと言いながら・・・聞く人もなく。
薬円台駅が近そう・・と二人で相談、またまた裏道を通ってはさま小学校に沿った道をすすむことにしました。
このあたりは車は少なく広い畑はあるし・・でホントに気分よく歩けて満足。
畑の一部ににんじんが花を咲かせていました。これは来年の種をとるためでしょうね。
最初に寄った金比羅神社と同じような色鮮やかハウスここにも。
午前に見かけた花がここに・・・ 篠崎さんが見つけました。
マユハケと名札が。(なるほど化粧に使う刷毛のようです)
※後日どなたかのブログで「マユハケオモト」と書いてあるのをお見かけしました。
ご近所同士でカラフルに。仲良し三軒で同じ色にならないように相談したのかな~?
花は少し大きいですがアブチロンというかわいい赤い花の黄色版みたい!
こちらも色鮮やか系ハウスのうちに入るかな?
薬円台駅近くの神社。 八幡宮とありますがここは11月に歩くかもしれないところなので寄らずに通り過ぎました。
この時期の花:シュウメイギク
駅のすぐ近くのおしゃれなレストラン。
今の時間はランチタイム、ティータイムは3:00からだそう・・ 残念!
薬円台駅到着。
1Fにあったオブジェ。(今日は日曜日、お店はみんなお休み。)
まわりの野草のモザイク(これは焼物?)がとてもきれいでかわいい。
近くにお茶するところも見つからないままトイレに急ぎたく改札を入ってしまい、今日はお茶をしないで解散(2人だけでもネ)。 上下線とも13:56発の電車で別方向の電車に乗って帰路につきました。
とねるずの日
新京成線 習志野駅 10:00 集合
今日はメンバーのうち4人のお休みはわかっていました。
・・で、集まったのは篠崎さんと私のたった二人。
寂しい反面二人で顔寄せ合って地図を見、おしゃべりもたくさんできてそれはそれで楽しかったです。
駅の西側を歩きました。
歩行ルートの矢印を入れ忘れましたが習志野駅から歩き始め、一つ隣の薬円台駅に出ました。
最初の神社マークは金比羅神社 まあこんな細長い土地に・・と内心驚き。
左はマンションへの通路、右は公道・・に挟まれた鳥居の幅だけの参道?境内?
なにやら大勢の人でにぎわっていると思ったら今日は七林(ななばやし)ふれあい祭りとのこと。
こどもたちが射的や魚釣りゲームをしたり、焼きそば、フランクフルト、ポップコーンなどが売られていたり。搗きたてのおもちも売られていたようでしたが、私たちが伺ったときはちょうど売り切れで今搗いているところ・・とのことでした。
奥は少しだけ広さがあり、鮮やかな色合いの拝殿がありました。
鮮やかな色といえば駅の近くでは濃~いむらさき色の住宅を見かけましたが写真は撮りそびれました。 このあとも濃い目色の鮮やかハウスをあちこちで見かけました。
大通りを避け北に曲がり次の神社を目指します。
途中で見かけた花:さざんか
これは名前がわかりません
こちらのお宅も鮮やか系ですね。
金比羅神社の先で道を尋ねた方が地図を見て、次に行く神社は王子神社と教えてくださいました。
裏道を通って王子神社に向かうのですが、けっこうな坂道を下りて登って又下りてと、雪の日や雨の日は怖いわね~と言いながらカニ歩きにもなりました。
裏道は昔の農道そのままのようで、かなり細くてくねくねしていて車もけっこう通りとても危険、地図と違う道路やマンション、住宅地も出来ていたりで迷子になりそうで、あっちでこっちで道を聞いてしまいました。
シックでおしゃれなおうち。
細い道路わきの小さな祠に八幡宮と彫られた板碑が祀られていました。
金比羅神社から続く大通りに出ました。向こう側左手に見える細い道を少し奥に入ったところが王子神社でした。
王子神社;奥に見えるのが拝殿
正面右手の手水舎とご神木のしいの木
拝殿正面
王子神社は下総の国上飯山満村(かみはさまむら)ではもっとも古く、文政5年(1864)に創建されたよう。 明治の初めの大火災後、45戸の家々で現在の社殿を再建したとのことです。(今では2000戸もの氏子さんらしいです)
お祭り(七五三参りかな?)が近いからか氏子の方々が大勢でお掃除をしていらっしゃいました。
王子神社のお参りを済ませ、地図に飯山満(はさま)町三丁目とあるところの寺院に向かいます。
地図でも分かるのですが、飯山満三丁目町とあるあたりは緑や畑がとても多く目にやさしいところです。
こんないいものも見られましたよ。
カラスウリの実
ハヤトウリの花(初めて見たような気がします)
先ほど渡った車の多い通り(ここも金比羅神社前の道路から続く道)に出ると、目の前に目的の寺院がありました。
そこは光明寺。 仁王門の立派さに驚き!
仁王門にはこれまたすばらしくりっぱな木造の仁王さまがいらっしゃいます。金網のすきまから撮らせて頂きましたが全体像は撮れませんでした。
向かって右に 阿形(あぎょう)像
向かって左に 吽形(うんぎょう)像
門はしっかり閉されていてとても入れそうにない感じだったので失礼してとなりのくぐり戸から中を見せて頂きました。それはそれはきれいにお手入れされたすばらしいお庭。
近くにあったモミジの根っこがレースのようでした。
光明寺の開創時期はよくわかりませんでしたが、本堂の左側にある阿弥陀堂は寛文年間(1661~1673)の建立で、本堂のご本尊は延宝7年作(1679)だそうですのでそのころにはあったということですね。
ただ仁王門は昭和61年築(1986)だそうですのでそれほど古くからあったというわけではありませんでした。
そろそろお昼に近いかな? 次の神社で昼食とするとして・・・
車の多い通りを少しだけ歩かざるを得ず、狭い歩道を縦一列で(二人だけなのに!)歩きました。
すぐに神社が見えました。 歩いてきたところに見えた公園から入りましたがそこは神社の後ろ側でした。
ここは大宮神社。 境内にまわると・・
目を引いたのは赤い手摺りの神楽殿。
解説にこの写真がありました。
いつからこの神楽が始まったのかはっきりは分からないそうですが、古い装束や箱には文久3年(1863)とか安政6年(1859)の墨書きがあるそうでその頃にはすでに演じられていたらしいとのこと。
神楽は1/7日の七草の夜 、11/23日例祭の夜に演じられるそうです。
拝殿
後ろには立派な彫り物のある本殿
最後に正面入り口にまわりました。
お参りも済ませ、先ほどの小さな公園にちょうど二人座れるベンチとテーブルがあったのでそこで昼食にしました。
なにせ二人だけですからずっとおしゃべりしながらのランチタイム。
腰を上げたのは12:45分くらいだったでしょうか。
公園に面した家の垣根がピラカンサの赤い実でステキでしたけれど、このようにするには実を残しながら手でカットしたのかしら?などと言いながら・・・聞く人もなく。
薬円台駅が近そう・・と二人で相談、またまた裏道を通ってはさま小学校に沿った道をすすむことにしました。
このあたりは車は少なく広い畑はあるし・・でホントに気分よく歩けて満足。
畑の一部ににんじんが花を咲かせていました。これは来年の種をとるためでしょうね。
最初に寄った金比羅神社と同じような色鮮やかハウスここにも。
午前に見かけた花がここに・・・ 篠崎さんが見つけました。
マユハケと名札が。(なるほど化粧に使う刷毛のようです)
※後日どなたかのブログで「マユハケオモト」と書いてあるのをお見かけしました。
ご近所同士でカラフルに。仲良し三軒で同じ色にならないように相談したのかな~?
花は少し大きいですがアブチロンというかわいい赤い花の黄色版みたい!
こちらも色鮮やか系ハウスのうちに入るかな?
薬円台駅近くの神社。 八幡宮とありますがここは11月に歩くかもしれないところなので寄らずに通り過ぎました。
この時期の花:シュウメイギク
駅のすぐ近くのおしゃれなレストラン。
今の時間はランチタイム、ティータイムは3:00からだそう・・ 残念!
薬円台駅到着。
1Fにあったオブジェ。(今日は日曜日、お店はみんなお休み。)
まわりの野草のモザイク(これは焼物?)がとてもきれいでかわいい。
近くにお茶するところも見つからないままトイレに急ぎたく改札を入ってしまい、今日はお茶をしないで解散(2人だけでもネ)。 上下線とも13:56発の電車で別方向の電車に乗って帰路につきました。