junjunのはなまる日和&ときどきネパール

日々の暮らしとネパールのことなど・・・。

佐渡の旅 2日目 ③宿根木 ④万畳敷(枕状溶岩) ⑤北沢浮遊選鉱場ライトアップ

2023-10-31 08:28:20 | 国内旅

 2023.10.23(月)

 

  昼食を終え出発 13:20

 

 今日③つ目の訪問地、宿根木は昼食地からバスで5分ほどのところでした。

  

 

 見学時間は13:35~14:40

 

ここでも午前のA B C D班に分かれ、ボランティアガイドさんに案内して頂きます。

 

 A班のガイドさんは、加藤るり子さん。

とてもきれいな声で大きなはっきりした話し方をして下さる方。少し離れても話はよく聞こえとても助かりました。

元バスガイドさんだったそうで、浄瑠璃もやっていらっしゃったとのこと。青木さんが、お話をお聞きしているうちに、かつてこの方をお見かけしていた!と思い出しました。なんと奇遇な。

最後に歌って下さった歌声の素晴らしかったこと。

 

      宿根木は小さな町ですが、とても中身の濃いところです。

       

 

 ①から順に →② →④ →⑥ →⑨ と進みます。

 

地図① 世捨小路

小路の真ん中がへこんでいるのは、漁師さんたちの往来ですり減ったからだそう。

こんなところにほおずき、かわいらしい。

 

地図② 柴田収蔵生家

先は坂道になっています。

 

 この地では表札はすべて屋号で表しているそう。

紹介はありませんでしたが、私はこちらのお宅の表札を目にしていました。(うえ?かみ?どっちかな

 

 

地図④ 清九郎宅

ちょうど人の頭で隠れたあたりにあった小さなこれも虫籠窓(むしこまど)? (船板で作られた厚さ3.6㎝くらいというのが分かる

 

⑤の穴口家には行きませんでしたが、解説だけを見かけました。(今はお料理やさんのようです

 

振り返って見たお宅も大きな家。みんな船板でできているのかな?

お隣の鬼瓦が恵比寿様でした。縁起良さそうだし楽しい。

 

地図⑥ 旧郵便局 (この狭い地域に郵便局が3つもあったそう。今はそれらは閉局、別のところに

通り際にあったナンテン。もう少ししたら実もまっ赤になってきれいですね。

 

この集落では川の流れはとても貴重。洗濯をするための階段があちこちにあって下に降りられるようになっています。

 

 時間の都合からか、⑦は飛ばし、⑧は最後にするようです。

 

地図⑨ 有名な三角家(さんかくや) 

弘化3年(1846)の水害後にこの地に移築され、土地に合わせて三角形に切り詰めて建てられたそう。

吉永小百合さんのJR東日本のポスターはここで撮られた

 

三角家は公開家屋でしたが、今日は月曜日だったからか休館でした。

 間取り図:上手く造ったものですねー。 (昔の大工さんの技のすばらしさ、ホントにすごいものです)

       

 

  ⑨の三角家のあとは⑩→⑪→白山神社→⑫→⑩にもどり→⑧と歩きます。

 

     

 

 ⑩公会堂の少し手前の橋を渡り右に入ると、

地図⑪ 共同井戸(つるべ井戸の隣にポンプ式井戸)がありました。

 

ここからも山の上につづく階段があり、かなりすり減っているのが分かります。

 

地図⑩ 公会堂 (3月~11下旬 トイレ使用可となっています

 

番号はありませんが、地図 ⑩公会堂の先の白山神社。(石鳥居には安政2年(1773)銘

 

 

 

小さ目のマンホールは汚水用。絵柄はたらい舟と波、花は何かな。

 

地図⑫の称光寺手前にあったこの路地は先ほどの共同井戸に通じていて人が通る道だそう。

 

地図⑫ 称光寺の石仏やお墓群。三猿も見られますね。

お金持ちの人ほど大きなお墓だそう。

 

⑫称光寺 山門には享保2年(1717)の棟札が残るが、文和4年(1355)にはこの地にすでに時宗()の道場ができていたそう。

称光寺本堂

 

⑩の公会堂前に戻り、土地の歴史の説明などお聞きしました。

1700年代、千石船が往来したこの地はよく栄え、財を成した裕福な家が多かったようです。

 

 三角家の前で右に曲がり道なりに⑧に向かい集合地に戻ります。

 

左の方から来て、帰りは右の方に進みました。4人合わせたら小百合さんにも負けない?

 

今日は月曜日だからか休館でした。(加藤るり子さんのお顔を切ってしまい残念

 

向かい側に喫茶店!こんなところにとちょっと驚き。

 

あら~壁の割れ目からスミレ(花がいくつか見えました

 

地図に番号はないのですが、その先左にある土蔵の覆屋。

   

横から見ると3階建てというのが分かります。    

 

腰板の説明のあったお宅。

 

離れていて説明を聞き落としましたが、掲示から想像するにここは歌舞演芸などが行われる建物のよう。

 

この土地の家の多くが船板を使った建物との説明

 

地図⑧ 伊三郎宅(非公開) 扇の形をした軒下飾りが珍しい。姓の石塚の石の字が見える

⑧の伊三郎さんのお宅を通り過ぎて振り返る。

向かいの喫茶店が観光の邪魔にならないよう目立たない造りになっているのに感銘。

川がとても大事というお話。

 

 

狭い地域に十数か所の洗濯場があると・・。

 

 最初に気になった建物の前に戻ってきました。

こちらにも扇の軒飾りがついていました。よしかわ屋というお食事処でした。

最初に目にして気になったのが道路際の竹の垣。これは泥(雪)除けかな~。

 

そんなことを思いながらバスに戻りました。

 

 

 次に向かったのは、きょう3つ目の観光

③万畳敷。枕状溶岩(まくらじょうようがん)という珍しい岩です。

網目状の岩が何とも珍しく美しい。

遠くから見ただけでは、ただ珍しくきれいな編み目模様の岩としか思えませんでした。

模様の一つ一つが枕のような形で、枕の周りは黒っぽいガラス質で覆われているものがここでは白に変化しこのように美しく見えるようになったそう。

 

大きくしてみると一つ一つの模様が枕のよう・・というのがよくわかりますね。

この枕状の岩の積み重なったものを潜岩(くぐりいわ)という、と解説に。

解説にはありませんでしたが、この模様から別名 ”キリン岩” とも呼ばれているそうです。

 

珍しい岩ばかりに気を取られ、万畳敷という名の由来の畳敷の海岸を写していなかった!

ここはバスを降りてほんの15分ほど眺めただけでした。

 

 ここから今晩の宿のある相川温泉に向かいます。(15:10発

 

   相川温泉は佐渡の西側の真ん中あたりに位置します。

    

 

船というと、岸壁に横づけにするとばかり思っていましたが、佐渡に来て初めてこのようにまとめて船を上げておく風景を見かけました。船揚げ場(ふなあげば)というそうですね。これなら船底に虫や貝が付かなくて良さそう。

少し走った別の集落の船揚げ場。

 

海から離れると田んぼが広がりますが、耕作放棄地も多くセイタカアワダチソウが一面に咲いています。

きれいですが、いいやらわるいやら。

 

 相川温泉 ホテル万長につきました。(16:45)

今回の旅は夕方早くに宿に着くよう設定されていました。でも昨日のトキセンターはあと30分余分に時間をとっても宿には17:00頃着ですから少し考えた方がいいのではないかと思いました

 

夕食は18:00から。

手ごわいカニはそれほど好物というわけでもないので後回しにしたら、お腹いっぱいで入らなくなりました。(絵手紙の餌食にでも・・

 

20:00からロビーで佐渡の踊りと演奏があります。(朝の鬼太鼓に続き今日2つ目のラッキー

歌い手さんの声のいいこと! 佐渡の踊りははんなり系、なんとも心地良い。

 

 歌と踊りは20分ほどで終了。

すぐにホテルのマイクロバスに乗り、翌日訪問予定の北山浮遊選鉱場のライトアップ見学に。

 

ホテルから5分ほどのところでした。 約10分の見学。

ポスターでははるか上の方までライトアップされていましたが、この晩は一番下の段だけでした。

数分ごとに色が変わりました。

 

上のライトアップとは反対側にあったこれは? 今日は何のガイドもありませんのであした・・。

振りかえると又色が変わっていました。

ほんの10分ほどでマイクロバスに戻り、ホテルへ。

 

これで今日3つ目のラッキーなできごと。予定にはありませんでしたからね!

 

実は、このホテル万長には美術館もあって有名な方の絵や書、その他いろいろ展示しているとのことで、戻ってすぐにそちらものぞきました。

 

百人一首の絵皿 

吊り雛と掛け軸。

 

昨日見たばかりのトキの絵(どなたの作品だったか・・

 

高村光雲の作品。(いろいろなものが写り込んでしまってよくわかりませんね)

     ロビーにあった展覧会のポスターのほうが顔がはっきりです。

      

 

国指定無形文化財に指定されている ”のろま人形” という人形芝居に使われる人形。(ほかにもあり

享保年間の千石船の往来で上方からやってきたものらしいです。

 

他にも古い有名な方の掛け軸などたくさんあったのですが(狩野探幽や谷文晁など)、室内の写真はうまく撮れないのとガラスケースの中なのと作者も覚えきれないのでこれだけにしました。

 

 21:00過ぎ、温泉に入っておしゃべりして床に就きました。

 

 これで2日目のレポートを終わります。 つづきは又数日後になります。