2020.3.1(日)
午後の部は、午前にゴールした花の都公園までバスで戻ってからのスタートです。
花の都公園内の溶岩樹型の観察ゾーン
樹形型溶岩とは;
1000数百年前(864?)、富士山噴火で流れ出た溶岩が生木を覆って木は燃えてなくなってしまったけれど周りの↓溶岩が残ったもの。
蜂の巣のようになった溶岩など珍しいものも展示してあったのですが写真はどれもピンボケになってしまいました。
赤色つらら状溶岩↓ 赤みを帯びた溶岩がツララのように
下がっているのですが、この写真ではよくわかりませんね。
これは噴火でこうなったのではなさそうです(ケヤキ)。
外には花はまったくないので温室の花を眺めました。
温室内にお雛さまが飾ってありました。
見たことのない花や見たことはあっても名前のわからない花がいくつか・・・。名札も付いていましたが、覚えられないので名前は無しで写真だけ並べることにしました。
黄色いツバキ↓ これは珍しい・・・
外に出ると、入り口横にこんな木が↓立っていました。
枯れてしまった木の脇から若い枝が伸びているようなのです。
花の都公園をあとにし、次の目標の山中諏訪神社に向かいます
ヤドリギがたくさん目に入るようになりました。
木々の葉の落ちたこの時期だからよく見えたのですね。
この先にウリカエデの並木というのがあったのですが、木肌がホントにウリ坊にそっくりでした。
この木からメープルシロップがとれるのだそうですね。
まもなく山中諏訪神社到着。
安産の神さまが祀られているということからか拝殿の屋根下の彫り物は赤ちゃんを抱いたものでした。
私が写真を撮っていると、講師の先生が手水舎にもありますよと教えてくださいました。
手水舎の屋根下の彫刻
祭神は 豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
建御名方命(たけみなかたのみこと) だそうですので二ヶ所に?
※ ここでは9月の例大祭のお神輿は女性もかつぐのだそうですよ。
隣接して 山中諏訪神社があります。
←左におみこしの格納庫。
三基のうちの一基。とてもきらびやかです。
諏訪神社をあとにして次に進みます。
山中湖小学校の入り口のお地蔵さま↓ と 双体道祖神↓
左の愛宕地蔵は江戸時代中期のころ作られたと考えられるが、
正確な建立は不明とのこと。
右の双体道祖神は↓ 宝暦10年(1760)に建立されたもの。
村の守り神、子孫繁栄、往来の旅人を守護する神
として信仰されたそう。
山中口留番所跡; 旧鎌倉街道の入り鉄砲に出女を防ぐための関所だったところ。
当時の礎石
※ 旧鎌倉街道は鎌倉往還と言っていたようです。
その往還にレールを敷き、馬に引かせた馬車が通っていたので馬車道とも言われているそう。 富士吉田~御殿場まで。
お旅所; 山中諏訪神社の9月例大祭のとき、お神輿がここで一晩休むところ。
りっぱな神楽殿もあります。(中ほど右手に)
入り口のところに大きな柏の木がありました。(葉がないと何の木かさっぱり分からないところですが根元に名札がありました。)
このあたりでもたくさんのヤドリギが見られました。
馬頭観音; 昔は馬が働き手だったためこうしてちゃんと供養したのですね。
この街道を歩いて珍しい家の造りを見ることができました。
茅葺きを一部残して新築したのか改築したのか・・・ 新築したあとで茅を葺いたのか? ほかにもたくさんありそうですが、今日はこの2軒だけを目にしました。
歩きの終わりに見えた富士山はまったくの逆光になっていましたが見られただけでウキウキでした。
☆☆
マスクはずっとつけていてくださいと言われましたので、メガネが曇ってよく見えず、ピントが合っているのか合っていないのかもよくわからないままシャッターを押していた一日でした。 ☆☆
歩き終わりは15:00
ここからバスで近くの温泉に行き、今日の疲れをとって帰ります。15:20~16:20
紅富士の湯です。
帰りも石川パーキングでトイレ休憩。17:35~ 15分間。
出発地の京成津田沼駅前に着いたのは19:00前だったかもしれません。
何しろ車も少なく事故もなく道路もスイスイ・・・ 早く帰り着きました。
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