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雪の白川郷と立山連峰を眺める旅 1日目

2022-03-28 08:47:29 | 国内旅

 2022.3.1(火)~3.4(金)のこと

 

 3/21(月)にやっと蔓延防止等重点措置が解除になりました。

各地の人出も増えてコロナ陽性者も増えてきたようなのが気になります。

そんななかですが、ヒンシュクを買うことを覚悟で少し前に出かけたときのことを

公開することに致しました。

 

 2月半ばころ、私が「雪の白川郷が見たいけれど、コロナ第6波のために

津田沼始発のバス旅はみんななくなってしまった・・・」 と話したことを

とねるずの青木さんが覚えていて下さり、「私も雪の白川郷が見たくなったので

一緒に行きませんか?」と声をかけて下さり急に決まった「雪の白川郷と富山

市内から立山連峰を眺める旅」でした。

 

急だったので、他の人には声をかけず不良ババ2人だけの旅となりました。

 

 青木さんはとねるずのリーダーとしての30年の経験と長年ご主人やお孫さんたちと

キャンピングカーで日本全国を回る旅をやっていた経験などで、とにかく計画から

情報収集、交通、宿探し等とても慣れているようです。

 

 おかげで私は何もしないで雪の白川郷や富山市内からの立山連峰を眺める旅ができた

のでした。(今まで何度もこの形でお世話になっています!

 

 

 3/1(火) 雪の白川郷 1日目 

 朝早いのが苦手な私と青木さんというのに、白川郷行きのバスの乗り継ぎの都合で、

東京駅発7:20分のかがやき503号に乗ることになりました。

 

群馬県から新潟に入ったとたん見えたうれしい雪景色。

このあたりでは素晴らしい青空。

このあたりで見た雪はかなりのものでしたが、この先は少し雪が減って、富山、金沢

あたりで見えた町の風景には雪がほとんどなかったのがとても不思議でした。

 

 金沢駅着9:50分。

バスは11:10分発なのでかなり余裕があります。

観光案内所に寄り資料を集め、バスのチケット売り場にまわり乗車券を購入、駅前見学

もしました。

金沢駅前にあった愉快なオブジェ

この作品は金沢・まちなか彫刻作品・国際コンペティション2006で最優秀賞となった三枝一将

さんという方の作品だそうです。私の好きなとても楽しい作品!

 

 金沢では空はどんより曇り空。

駅前の大きな鼓門(つづみもん)は2005年完成のものだそう。 

でもお花がきれいで和ませてくれます。

 

まだ時間があったので駅ビル内でお土産も購入してから白川郷行きの高速バスに

乗りこみました。

白川郷行きのバスは富山や高岡からもあるようですが、コロナの影響でか減便などでうまい

具合のものが金沢からしかありませんでした

 

金沢の街なかやまちはずれでも雪はほとんどなかったのに、トンネルくぐるごとに

雪が増えていき到着した白川郷はまだ雪に埋もれていました。

12:35 白川郷のバスターミナルに到着。

待合所にあったポスターを写真に収めました。

放水訓練は ↓ この日に合わせて行かないとみられませんね。

 

とりあえず宿に向かうことに。

まだ13:00前なのですが、雨がポツポツ落ちてきて、まるで日暮れ時のよう。

 

茅葺き屋根の急勾配は60度近いそうで雪は自然に落ちるのかと思いましたが、いやいや

雪下ろしはひと冬に何度もするということでした。

数日前のニュースで白川郷のあたりも大雪と耳にしました。

こちらの家はそのあと雪下ろししていないのかもしれません。

 

 

「いろり」というお土産屋さんとお食事処は、翌日私たちもお世話になったところですが、

マメに雪下ろし、建物の周りの雪かきをしているようであまり雪はありません。

 

少し奥まった所の民家

 

宿はバスターミナルから歩いて6分と近いところのようですが、途中に、見どころの

「和田家」があったので、トランクを持ったままでしたが、寄っていくことにしました。

これは ↓ 翌日本通りから写した和田家の全貌ですが雪でよく分かりませんね。

                   (茅葺き屋根の右の方は雪がない

 

頂いたパンフレット ↓ この建物は300年前のものとのこと

江戸時代、和田家は名主(庄屋)や番所役人を務め、村の現金収入として焔硝の取引を

していたそう。明治になって市町村制の公布で白川村が誕生、和田弥右衛門さんが初代の

村長に選ばれたとあります。

 

屋内が暗いので私の写真はみんなピンボケ。

囲炉裏の上に釣られている四角い板は火天(ひあま)というもので、立ち上がる火の粉を

消し止めたり、熱と煙を分散させる役目があるそうです。

 

天井はすのこ状に隙間が作ってあります。

これは1階のいろりで焚く煙が上の階まで上がって、暖気をとったり屋根を保護する役目が

あるそう。

飾ってあった写真 ↓  晴れたの日の「和田家」の外観。

 同じく: 和田家の前を通る祭りの行列

 

合掌造りの3階部分では生業の作業などが行われていた(↓パンフレット)

屋根裏の柱はこんな風になっていました。

昔使っていたいろいろな道具が展示されています。

床(1階からみれば天井)の一部はこのように ↓ すのこ状。

300年の歴史ある床も素晴らしいですね。

 

南側の明かり取り窓から見えた外の景色は私の見たかった雪景色。

 

住宅見学はスリッパはお借りできるものの、床といい部屋といい足がとても冷えます。

冬場の見学には気合いと準備がいるということは想定外でした!(靴はふかふかのあったか

ブーツだったのですが、家に上がる時の用意は無防備でした

 

表通りに戻り、隣のお土産屋さんの前を通りかかるとこのお人形さん。なんと楽しい!

翌日、通りの反対側を歩いたときお店の全体像が見られました。

 

 地図を見ながら宿にたどりつきました。まだ14:00過ぎ。

トランクを預けてすぐに明善寺方面に出かけることにしました。

 

宿のすぐ近くに本覚寺がありました。竹の仕切りで今は中には入れないようです。

 

こちらの家は↓まあなんと雪の多い!私の見たかったのはこんな風景でした。

急こう配の屋根の雪は一部落ちていますね。

 

 ところどころにある休憩所(手前)と公衆トイレ(後ろ)。

トイレまで茅葺きの合掌造りとはね!

トイレはあちこちでお世話になりましたが、どこもどこもホット便座でウオッシュレット完備、とてもきれいで助かりました。

翌日観光案内所でトイレのことをお聞きすると、トイレがこうなったのはまだほんの

少し前のことでそれまでは和式のトイレだったそうです。

 

明善寺の近くで、わらで作ったバッタをた~くさんピンで壁につけている住宅がありました。

何か意味があるのか知りたかったですが、人っ子一人おらず聞くことはできませんでした。

 

 

 明善寺はここからすぐのところにありました。

 

明善寺がこの地に寺院を構えたのは延享元年(1744)とのこと。

パンフレットに屋根の葺き替え風景がありました。

 屋根の葺き替えは、

昔は40年~50年に一度でしたが、最近は囲炉裏を使う機会の減少や茅の種類の変化で

葺き替えの周期が短くなり20~30年に一度だそう。

葺き替え作業は村民総出の「結」という形で行われ、100人~200人の村民で基本的に

一日で終らせるそうです。

 

明善寺庫裡が郷土館として見学できるようになっています。

こちらの屋根の雪(右の方)は自然に落ちたものか、雪下ろしをしたものか聞くのを忘れました。

雪のない時の明善寺庫裡の外観 ↓ (頂いたパンフレットに

一見4階建てのように思えましたが、案内板に五階建てとあったようによく見ると5階建てですね。

同じく本堂の外観 ↓

私たちが伺った時には雪に埋もれていて外からの本堂を見落としてしまいました!

 

こちらもスリッパに履き替えて拝観しましたが、和田家の時よりなお一層足が凍りそう!

造りは和田家と同じようで、展示してあるものも実際に使われていたもの。

蚕の入るマブシというものに回転するような仕掛けがあったとは知りませんでした ↓ 

先人の知恵すばらしい!

 

斜めの支えのある柱を合掌柱というのでしょうか。どの柱もこうなっているわけでは

ありませんでした。

 

廊下を伝って行ける本堂には浜田泰介という方の絵が展示されているということで

そちらも拝見しました。

浜田さんの絵は大覚寺、醍醐寺、東寺や大宰府天満宮などにもあるそうです。

 

 いやいやいや~ それにしても冷・え・ま・す!

 

写真は自由に撮って良いということでしたが、暗くてうまく撮れなかったのでこちらも

パンフレットの写真から。

春~冬の富士山のある風景や和尚さんの障壁画です。

 

本堂拝観後、庫裡の入り口近くのいろりのある居間に戻ると、「いろりで休んで行って下さい」

と声を掛けられました。お言葉に甘えて少々座って暖まらせて頂きました。

やっぱりピンボケになってしまったのでパンフレットの写真を ↓

すのこ状の天井もしっかり写っています。

囲炉裏の上に釣ってある四角い板は火天(ひあま)といって、火の粉を防いだり

熱や煙を分散させる働きがあるそうですが、こちらのものは板も釣ってある縄も

200年前からのものとの説明で驚きました。

 

この日は見落としてしまいましたが、庫裡の入り口の右手に茅葺きの鐘楼門があったのです。

翌日、前を通りかかって気がついたのでした ↓

 

明善寺のパンフレットには村のライトアップ風景もありました。

 

私たちも夕食後外に出てみましたが、 パンフレットのような写真はとてもムリで、

撮れた写真はこんなもの ↓。

 

 

私たちが泊ったのは合掌造りの民宿「よきち」さんです。

 

民宿「よきち」さんは、7年ほど前にNHKの番組の取材を受け、1時間?番組になって

放送されたようです。夕食時にDVDを見せて頂きました。

屋根の葺き替えは、個人でかかった費用としては600万円ほどだったそう。 

それに市や県からの補助もあるでしょうから優に1000万円以上はかかることでしょう。

合掌造りの家を保存するのも大変、村の行事などをこなすのも大変、実際に生活するのも

大変ということがよ~くわかりました。

 

 家の中やこたつ風景、食事の写真は撮り損ねました!

 

 

※ 屋根の半分だけ雪が落ちていることで後で気がついたことがあります。

和田家、明善寺とも横から見て屋根の雪が半分だけ落ちていたのは、そこのあたりが

囲炉裏があったりする住居部分になっているからではないかと思い当たりました。

和田家で、「こちら半分に現在も住んでいます」とおっしゃっていたのを後で思い出しました。

 

 

 


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