junjunのはなまる日和&ときどきネパール

日々の暮らしとネパールのことなど・・・。

16度目のネパール パタン

2016-06-09 15:40:04 | ネパール
 2016.5.9(月)

ディネスさんのバイクでの世界遺産めぐり2日目。

まずはパタンに向かいます。

パタン広場入場料 500ルピー

マンガルバザールという、大半の観光客が入場するところから見ると、王宮側は支えなどは見られず、被害のほどはそれほど感じられませんでした。 ただ中はどうなっているのかまだわかりません。

帰りに写したので、入口とは反対方向からの写真です・・・。



この向かい側の建物がいくつも崩れたり、無くなったりしていました。

悲惨な姿に心臓もドキドキです・・・。

入口に一番近い左側の石造寺院(クリシュナ寺院)はすこしの支えで済んでいましたが、危険もありそうなためか金網で囲われて近づけないようになっていました。


その隣のハリ・シャンカール寺院(ヴィシュヌの寺)は土台だけになっていました。

写した方向が違いますが、左端の建物がそれにあたります。(2007.12月のもの)



写真はありませんが、左の奥の方にあった建物もひどいことになっていました。

ここには、高い石柱の上に旧王宮のデグタレジュ寺院を守っていたヨーガ・ナレンドラ・マッラ王の石造があったはずですが、石柱は途中で折れ、石造はどこか別のところに保存されているのでしょうが、近くにはありませんでした。


ガルーダの見守るクリシュナ寺院は無事だったようですが、右の建物(ヴィシュワナート寺院)はつっかえ棒で支えられています。

別の方向から撮ったヴシュワナート寺院。


クリシュナ寺院の左隣の小さなジャガン・ナラヤン寺院(ジャガンもナラヤンもヴシュヌのこと)はなくなっていました。

簡単な仮屋根の下にヴシュヌ神だけが祀られています。
          

商売の神さまが祀られているビムセン寺院もつっかえ棒で支えられていましたが、写真がありません。


パタンの王宮は三つのチョークに分かれているのですが、向かって一番右側が①スンダリチョーク、真ん中が②ムルチョーク、一番左の入り口が③マニケシャブ・ナラヤンチョークです。

①のスンダリチョークは今までは中に入ることはできませんでしたので、古い紹介本の写真で見たことがあるだけで実際には一度も見たことはありませんでした。

ところが、今日、 ③ の入り口、マニ・ケシャヴ・ナラヤンチョークから入る美術館に入ると、そこから① のスンダリチョークにも行けると聞いたので、初めて美術館に入ることにしました。


広場入場料とは別に 美術館入場料 400ルピー が必要。

美術館の中には、ホントに古い、貴重な石像、銅像、木像などがい~っぱい。 それらを紹介しているときりがありませんので興味ある方は中に入って見て下さいね。

① のスンダリチョークに行くには、一度外に出て、真ん中の入り口 ② のムルチョークから入ります。


②のムルチョークはタレジュ寺院のタレジュ女神を守るガンガとヤムナのいるところ。 

タレジュ寺院もやっぱり修復中でした。


ガンガ、ヤムナのいる建物の右端に、① のスンダリチョークに通ずる扉がありました。(男性の陰になっているところ) ここで美術館の入場券を見せると中に入ることができます。



10年目にして初めて見ることができたスンダリチョーク、わくわくドキドキのスンダリチョーク。(スンダリ=美しい)。 

ガンガ、ヤムナのいる右端の入り口から入ってすぐのところから写したもの

まわりの建物には緑や白のネットかけられ、入ってはいけなところには赤いテープが張られていましたが、それは仕方ないことでしょう・・・。 

よく見れば、落ちたレンガはまだそのまま、なんと悲しい・・・。



かつての王たちの水浴場。(正面からみたところ) 素晴らしい石彫の数々! 息を飲むとはこのこと!?










このあと、広場から少し離れたゴールデンテンプルに向かいました。 

ゴールデンテンプル 入場料 50ルピー

見慣れたシンガ、シンギニがお出迎え。


寺院の屋根が壊れているようですね。 ここは典型的なネパールの屋根瓦でした。

ネパール式屋根瓦


今日はたまたま男の子のお祝いがある日。 個人で行う家もあれば、今日のように合同でやる人もいるそうで、せまい境内がみるみる人で埋め尽くされました。

子供は丸坊主で裸・・・。


家族はお祝いの時に着る赤のサリーです。(ネワール族の方)


そして、お父さんたちは撮影係・・・。 日本と同じような光景ですね。


思いがけず珍しい光景を見学できました。


この後はクンベシュワール寺院に向かいます。すぐ近くですけれど・・・。


2010.11月に一人で来た時に初めて気がついたのですが、膝くらいの低いところの壁にはめ込まれていたこの方は? 今日はディネスさんがいたので解決!
          
昔々、カトマンドゥに12年もの間雨が降らなかった時、当時バクタプールの王様だったナレンドラ・デーヴ王と特殊な能力をもつというカトマンドゥのバンドゥダッタ・アチャルヤとポーターとして同行したパタンの農民の三人で、インドのマチェンドラナート(観音さま)を迎えに行き、雨を降らせることができたという伝説の中のパタンの人でした。

この話はディネスさんから聞いていましたので、「あ~、あの人」とすぐにわかりました。
(ネパール語の辞書が引けるようになりましたので調べてみると、LALIT=大切に思っている JYAPU=農民(階級)とありました。)


ほどなくクンベシュワール寺院に到着。


ここは入場料は必要ありません。

久しぶりのこの緑・・・。 カトマンドゥのダルバール広場と同じ、ピーパル(インドボダイジュ)です。


グル~っと一回りしましたが、特に支えもなく地震の影響はほとんどなかったようでした。


昼食をはさんでマハーボーダ寺院にまわりました。

マハーボーダ寺院もこの通りですが、崩れ落ちてしまったということはなかったようでホッとしましたが、パイプに囲まれた姿は痛々しい。



この先にある、ルドラ・ヴァルナ・マハビハールやマチェンドラナート寺院は被害はほとんどないと聞きましたのでそちらには回らず、世界遺産ではないのですが、パタン近郊にある、私の好きな村ブンガマティ、コカナに向かいました。


16度目のネパール ボーダナート、パシュパティナート

2016-06-05 16:59:25 | ネパール
 2016.5.8(日)つづき・・・

本日、2つ目の世界遺産ボーダナートにまわります。

ネパールではよく見かける光景ですが、大きな木の根元に造られた小さな寺院。


私はこれらを見るたびに、もとの木は大丈夫なのだろうか?と心配になります。 元の樹木が枯れかかっているのを見たこともあるのですけれど・・・。


ボーダナートの少し手前にあった、ガネシュ(別名ヴィナヤク)で有名と言われる寺院に寄りました。


ご本尊はガネシュなのでしょうが、境内には銅版で造ったヴィシュヌ像や水に浮かぶヴィシュヌ像、そのほか、シヴァリンガやヴィーナを持つサラソティ・笛を吹くクリシュナ像などいろいろなものがありました。



水に浮かぶビシュヌ像はブダニールカンタにあるものが10倍くらい?大きくて有名です。

参考までに、 ガネシュ(別名・ヴィナヤク)で有名な4つの寺院 をあげると
   ①アショクヴィナヤク・・・ カトマンドゥ・ダルバール広場にある。
   ②スルヤヴィナヤク・・・  バクタプル
   ③チャンドラヴィナヤク・・ カトマンドゥの東のはずれ、チャーバヒルというところ
   ④カールヤヴィナヤク・・  ブンガマティとコカナの間

本によっては ④ジャルヴィナヤク・・キルティプルのふもと、チョバール とするところもある。



ボーダナートに着きました。  入場料250ルピー

ゲートをくぐってすぐのところです。


や・や・やーーー、 話には聞いていましたが、ほんとに 目がない! 頭も崩れてなくなっていたのでしょうが今は修復中! 唖然!!

上の入場門のちょうど反対側にあるアジマ寺院の前の僧院、グル・ラカーンの2階からも撮りました。


ボーダナートはもともとはネワール仏教の寺だったそうですが、チベットからの難民が多く住むようになり、チベット仏教の僧院がどんどん増え、今ではチベット仏教の聖地になってしまったそう。

チベットの人は、お金持ちの人が多いとかで、ほかの世界遺産から比べると修復も早めに進んでいるとのことです。

私たちが昼食を摂ったところからちょうど見えた風景。

ボランティアの方々がトラックで運ばれて来たレンガを手渡しで運び上げていました。

これを見て、すぐに飛んで行って私もお手伝いをしたいところでしたが、極端に暑さに弱く、太陽アレルギーもある私は尻込みをしてしまいました。

手渡しで積みあげたところから頭のあるところまでは滑車のついたトロッコのようなもので引き上げているようでしたが(手動?)実際に引き上げているところは見られませんでした。


昼食を摂りながら、しばらくは、こんなになってしまったボーダナートをながめ、ぼんやりと時間を過ごしました。



このあと、今日、3つ目の世界遺産、パシュパティナートに向かいました。 


パシュパティナート  入場料 1000ルピー

パシュパティナート寺院の被害はほとんどなかったそうです。 

こちらの門があのネパール一大きな聖牛・ナンディの見える門です。


寺院内にはヒンドゥー教徒しか入れませんので、私たち外国人はナンディのお尻の見える門からちょっとだけ中を覗くことしかできません。

2008年ころはもう少し先の、門のすぐ近くまで行けたのですが、久しぶりに来てみると、門から5m位手前に柵が設けられ、それより近づくことはできないようになっていました。


このあと、エッカイラスルドラやアルエガート(火葬台)のあるバグマティ川の方にすすみました。

私が2009.4月に伺った時に写真を撮らせて頂いたサドゥー(修行者)が今日もいらっしゃいましたので写真をお見せしてそのことをお話しました。(一番左の方)


写真のころより大分体格がよくなっていらっしゃいましたので、そのことを言うと、笑っていらっしゃいました!


バグマティ川の対岸の丘の上にあがると、ベンチが増えていました。やっとここにたどり着いたあとに座るところがあるというのは嬉しい限りです。 観光客らしい人はほんとに少なく、たくさんのネパール人がのんびりと時を過ごしているようでした。

ここから見た寺院も変わりなく見えました。

ただ、右手前の小窓の並んでいる建物は、死期の近い方が自分の意思でここに入りたいと言ってやってくる病院とのことですが、ここは取り壊す予定になっているそうです。

遠くに見える老人ホームの屋根、実はこの老人ホームは被害がひどく危険ということで閉鎖されていました。 前にお会いした方々がいるとも限りませんがお会いできなくなって残念です。



私たちもしばらくベンチで休息。
 

長期滞在する参拝客が宿泊するという施設の中を通って帰ることにしました。

そちらを通らないと目に入らないのですが、こんなところにと思う通り道に、4C の物と言われるシヴァとパールヴァティの石造があります。

15C、イスラム教の侵攻時、たたき壊されて顔がなくなっていますが、それでもよくぞご無事で・・・という感じ。 こういうのを見ると、私の心はズキンズキンと痛みます。


施設を通り過ぎて外に出たあたりから、対岸を見ると、おみやげ屋さんがズラーッと出ていたあたりの建物がすっかりなくなってがれきだけになっていました。 

その向こう側が老人ホームですので、このあたりの被害が大きかったということでしょうか・・・。 建物も古かったのかもしれません。

おみやげ屋さんも以前よりはずーっと少なくなっていました。 こう観光客が少なくては生活できるほどの収入は得られないでしょうしね。

そんなことを思いながら今日の予定をすべて終え、帰途に着きました。


旧王宮前の通り(ダルバール マルグ)をタメルに向かって帰るとき、道路の両側がジャカランダの並木になっているのに気がつきました。 ですが、木がまだ若いせいか花があまり目立ちません。 お天気もはっきりしない上に夕方、さらにバイク上からでしたのでなおのこときれいには撮れませんでした。




16度目のネパール スワヤンブナート寺院

2016-06-04 17:15:05 | ネパール
 2016.5.8(日)

この日からディネスさんのバイクにまたがっての世界遺産まわりが始まりました。

今日は、スワヤンブナート、ボーダナート、パシュパティナートの3か所を回る予定です。


スワヤンブナート寺院はカトマンドゥのタメル地区からも歩いて行けるのですが、日程の都合もあり歩きで行くのは断念しました。

バイクで着いたところは、初めてディネスさんと行った時と同じ、池の中に立つおしゃかさまのいらっしゃる西の門でした。(入場料 200ルピー)

そこからは本に書いたのと同じ時計まわりで歩き始めました。

文殊菩薩の寺のあるところをめざしますが、ほんの少々なのですが、上り坂になっています。
家での階段の上り下りは問題ないのですが、ここは階段の幅も違うせいか、急ぐと息が切れ、普段の運動不足が身に染みました。 

文殊菩薩はヒンドゥー教では弁才天(=学問の神さま)として敬われています。

ここの被害はほとんどなかったようです。 2007年、8年ころより豪華な造りになっていました。


でも、私は豪華になった今より以前のシンプルなものの方が好きです。(2008.12月のもの)


ぐるっと回って、今度は下って行くので余裕がありますので下の街並みを眺めたりしましたが、何とこの10年で住宅のふえたこと増えたこと、それにカラフル・・・。(お天気も悪く写真はうまく撮れませんでしたが)


山には猿も多いのですが、ナツツバキのような花が足もとにたくさんおちていました。見上げるとこの花の咲く大木があっちにもこっちにもたくさんありました。

ジャカランダのように派手ではありませんが、山全体がネパールの5月を祝福しているようでした。
      

5大如来のあるチャイティア(ストゥーパの小さいもの)は健在でした。
(このとき写真を撮らなかったため、これは2008.12月のもの)
              

次に向かったサンティプール(五大エネルギーの “空”を表すところ)はひどいことになっていました。

鬼のような顔をした彫り物はシェプといい、寺院を守っている想像上の動物。その食べ物はヘビということです。

その前にあるイケメンのお釈迦さまも健在。

着いたところがストゥーパのあるところ。 ストゥーパは健在だったようですが・・・。


その横にあったはずのチベット仏教の僧院、カルマラーズゴンパがきれいになくなっていました。 地震の起こった時間(午前11時ころ)からして、お祈りの最中だったお坊さんやお参りの人などもたくさん亡くなられたようです。

ゴンパに入ってすぐのところにあった弥勒菩薩はこんなふうに外に置かれていました。
 
その隣にあったはずのパドマ・サンババの像はありませんでした。


テレビのニュースでは、ストゥーパの前にあったプルタープ・マッラ王の二人の女王様の塔のうちの一つが倒れてなくなってしまったということが放送されていましたので一つはないのは知っていました。

この塔は近くからではなかなか写真には撮れず、これは2009年4月にカトマンドゥのダルバール広場を通って歩いて行ったときに遠くから写したものです。(遠くからでしたのでぼんやりとしかとれませんでした。) この右側の塔が倒れてしまったのです


土台だけがトタンで囲われていました。復元されるのかどうかはわかりません。



5大エネルギーの “風” を表す、ヴァーユプール(小さな建物)も少し崩れていました。


スワヤンブナートはもともとネワール仏教の聖地ということですが、一つだけヒンドゥー教の寺院があります。それが、子供の守り神を祀っているハルティマタ寺院ですが、健在のようでした。

寺院前では今日もお参りの人が儀式を行っていました。(このあたりでも写真を撮ったはずなのですが、なぜかありません・・・。)


ここからは入場した西門に向かって歩き、スワヤンブナート寺院をあとにし、ボーダナートに向かいました。

スワヤンブナートの手前にヴィシュヌマティ川が流れていますが、帰りに見るとその橋のたもとの寺院もこんなことになっていました。





16度目のネパール カトマンドゥ・旧王宮広場②

2016-06-03 07:25:38 | ネパール
 2016.5.7(土)つづき・・

私がダルバール広場に入場する時は、タレジュ寺院の見える、広場の象徴ともいえる大きなピーパルのあるところからがほとんどですが、目に入ったのは世界遺産となっている建物を支えているおびただしい数のつっかえ棒・・・。

カケショワル寺院は屋根もなくなっており言葉もありません。



プルタープ・マッラ王がしゃべったという9つとも12とも言われる言語が彫ってある石板のある王宮(スンダリチョーク、モハンチョーク)の外壁



こちらの建物は外壁のレンガもかなり崩れおちていますが、落ちたレンガをただ積みなおせばいいという簡単なものでもないそうです。



デグタレジュ寺院前の高い石柱にはプルタープ・マッラ王が寺院のタレジュ女神を見守っていたはずですが、地震で落ちてしまったらしくどこにあるのかわかりませんでした。


入場パンフの表紙にあった石柱の上のプルタープ・マッラ王像
                 


ハヌマンドカもこの通り。ハヌマン(猿神)もおびただしいほどの支えの中にありますが、お参りする人は絶えません。



台座しかないないなんて・・・。 初めて見た方は上に建っていたマジュデガ寺院やその前に白いインド・シカール様式のカムデブ寺院があったことなど想像もできないでしょう・・・。


2009年10月に写したものです。 こんな素晴らしい建物があったのですよ。 季節とお天気により空の色もこんなに違います! 

私も台座の一番上まで上がって、長い時間、下を通る人やまわりの景色を眺めていたものです。 こんなことができるのがツアーでないことの利点ですね。


シヴァ・パールバティ寺院は3、4年ほど前に伺った時に修復をしていました。 そのためか被害も最小限に抑えられたかもしれません。 

観光客もほんとに少なく、赤いシャツを着た方が今日初めて会った外国人だったかも・・・。 この後、数人の方々をお見かけしましたが・・・。


ヴシュヌの乗り物、ガルーダの後姿が何ともさびしそう・・。その目の先にはトライロキャ・モハン・ナラヤン寺院があったのですが、ここも台座のみになっていました。


その隣の石造寺院も新たにちょっとの揺れでもあったら今にも倒れてしまうのではと心配。



何より驚いたのは・・・、 カトマンドゥ旧王宮広場の中では最古(12世紀のもの)のカスタマンダプ寺院がきれいになくなってしまっていたことです。 お参り中のネパール人や観光客がおおぜい下敷きになり、亡くなられたそうです。

これは2008.12月に写したカスタマンダプ寺院です。  


それが大地震後一年たった今はこんなことに・・・。 シンガ、シンギニがあるだけであとは何もなくなっていました。

とにかくがっくり・・ こんな貴重な素晴らしいものが消えてなくなってしまったのですから・・・。 全身の力が抜けてしまいました。


クマリの館もご覧のとおりです。 中に住んでいらっしゃる神さまのクマリやお世話をする方々にお変わりはなかったのでしょうか。


よくみると、左側のシンガの像が割れていました。 


クマリの館から王宮の方をみると西洋風の白いりっぱな建物、ガッディ・バイタクがありますが、被害は大きかったということでこんな状況です。

ガッディバイタクは19世紀に首相だったジュング・バハドゥール・ラナがイギリス訪問後にイギリスの建築様式を取り入れて造ったもので、インドラジャトラのときには王族がテラスに姿を見せたということですが、王制のなくなった今は大統領が姿を見せるということです。


それに続くバサンタプールダルバール(ノウタレダルバールともいう、右側の建物)の被害も甚大。 外から見ると、屋根は4層でしたが、今は2層しかありません。 中は9階建てになっていたため、ノウタレ・ダルバール(9階の宮廷)と呼ばれていました。 ・・・が、今はこの通り、ひどいことになっています。


2007.12月のガッディバイタクとバサンタプールダルバール(ノウタレダルバール)です。


その前の広場がバサンタプール広場で、銅製品や骨董のようなものを売る露店が広がっていて、いつもたくさんの観光客でにぎわっていたのですが、今はその露店もこんなに少なくなってしまい、観光客もほとんど見られませんでした。



広場に面してあるサイトオフィスの建物もこんな具合でしたが、今日はネパール歩きの初日ですので、これから何度もこのダルバール広場を訪れるだろうと、今回もビジター・パスを作ってもらい、帰途につきました。



帰りもこのピーパルの前を通って帰ります。 時々は別の道を通りますが・・・。
  

どの写真を見ても観光客らしい人はほとんどおらず、いても中国の方々がほんの少し・・・、あとはネパール人ばかりです。

一日も早い復興を願いますが、こうひどくては5年後? 10年後? もどうなるやら・・・。

どうかたくさんの人にネパールを訪問して頂きますようにと祈るばかりです。
日本でも熊本で同じ状況が起こっていますが・・・。