お亡くなりになった、小松崎進先生がおつくりになった「この本だいすきの会」。
全国で1000人以上の、学校の先生や、元先生などが、集っている会です。
その会報誌の、巻頭エッセイ「創る人から」を書かせていただきました。
雑誌ではないので、こちらにも、文面を貼り付けさせていただきました。
「コロナの時代、日本で初めての女医「荻野吟子」を知ってください。」
児童文学作家・日本児童文学者協会副理事長 加藤 純子
数年前に取材しさまざまな資料を集めて出版した『荻野吟子』(あかね書房)は、おかげさまですでに7刷になっています。私は創作が主たる仕事ですが、伝記もいくつか書いています。『ベートーベン』『アンネ・フランク』(ポプラ社)はかれこれ出版から23年。すでに両方とも40刷以上になっていて、のちに文庫にもなりハード本と文庫、その両方で現在もたくさんの子どもたちに読まれています。このように伝記は息長く、人生を生きるモデルのなかなか見つからない子どもたちにとって一つの励ましになっているようです。
この「荻野吟子」を描いた本は、大人の本では渡辺淳一の『花埋め』が有名です。でも子ども向けでは初めてでした。どうしてこれまで子ども向けで出版されなかったかというと、吟子が最初の夫にうつされた「淋病」を、子どもたちにどのように伝えるかが難しかったのだと思います。けれどこの病気がきっかけで荻野吟子は女医を目指していきます。ある意味彼女にとって大きな契機だったわけです。そんなわけで、『花埋め』では男女の関係性などがかなり濃密に描かれていたので、子ども向けに荻野吟子がどう生きてきたかというのを書くには新たな資料が必要だったわけです。幸い、たくさんの皆さんのお力をお借りして貴重な資料が揃い、彼女の生誕の地、熊谷・妻沼にも足を運びました。吟子が生まれた時代は男尊女卑の思想の色濃い時代でした。その中で彼女は何者にも、自分の病気にも負けず、弱い人間の立場に立ち女性として自立していきます。そして困難を乗り越え医学の道に進むのですが、当時は女性が医師の国家試験を通り医師として活躍する道も閉ざされていました。そうした様々な困難を乗り越え医者になっていきます。しかし二番目に結婚した男性の「北海道ユートピア」開拓に共感し、北海道で暮らすことになります。当時は北海道では女医と聞いただけで、患者はほとんどきませんでした。夜間の往診が中心の仕事でした。けれど吟子はその中でも女性を応援するためにいろいろチャレンジします。過酷な北海道での開拓労働の中で吟子の夫を含めた身内はどんどん亡くなっていきます。吟子は残された女の子と共に東京に戻ってきて、その子に見守られ六十二歳で生涯を閉じました。
コロナウイルス感染で、現在たくさんの女医さんたちが必死に患者さんたちと向き合い治療をしてくれています。吟子はそうした「女性医師」の道を切り拓いた日本で最初の女医です。この『荻野吟子』をぜひ。