20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
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百日紅

2021年08月11日 | Weblog
            

百日紅。
この字を見ると、思い出すのが、杉浦日向子の短編集『百日紅』。

でも花を見ると、秩父の父や母を思い出します。
父の病院にタクシーで向かうとき、車窓には、いつも真っ赤な百日紅が咲いていました。

庭に白萩が咲いていて、父が愛した白萩を、みんなで父の病室に持っていってあげようと、姉が用意していた姿を思い出します。
ですから、母は真夏に亡くなり、父は秋の初めに亡くなったということです。

百日紅は、真夏の母のお葬式を思い出します。
お通夜の夜は、姉と私は式場の、母が寝ている部屋の隣の和室に泊まり、家族は近くの旅館に泊まりました。
翌朝は集合して、近くのレストランでみんなでおしゃべりしながら朝食を。
秩父神社から、神官の人たちが来てくださり、お通夜もご葬儀もとても賑やかで、母にぴったりのお葬式でした。

それより10年近く前に父は亡くなりました。
父の病室を思い出す時、いつも脳裏に浮かぶのは羊山。
長く病院の理事長をしていた父は、その病院の特別個室に入院していました。
お見舞いに行くと、その部屋から「ほら、羊山が、よく見えるだろ」と、父が指差した、その先には、夏の蒼い羊山が広がっていました。
重病人ではないような顔でおしゃべりしました。
でも、それから、ほどなく父は、肺気腫であっという間に亡くなりました。85歳でした。


いつも拙blogを見てくれている秩父の従兄弟のKちゃんが、「今年の川瀬祭りは(夜祭に並ぶ夏のお祭り)感染予防を徹底させ、いくつかの町内の神輿や、笠鉾が出ただけだった」とメールをくれました。

            
これが、Kちゃんの住む地域の笠鉾です。(お借りしました)

実は、先日、Kちゃんが高校生から大学生だった頃の自叙伝的小説を書いて送ってくれたのです。
早稲田時代の民主化闘争のこと、法律の道に進んだ動機。
挙げ句の果ては、東大全共闘トロツキストなんて、言葉まで飛び出していました。
それにしても、あの時代のディテールまでよく覚えています。生真面目なKちゃんらしい、一時代の自叙伝です。
その作品への私からの感想メールの、返信でした。

「あの時代、私たちは個々の人間がどう生きるか。社会を変えるためには、何を学び他者とどうつながっていったらいいか。そういうことがきちんと論理的には掴めていなかった。深く深く思索することもなく、時代の空気感から、大きな思想の塊の中で、それが全てと思っていた。数年前「東大全共闘VS三島由紀夫」という映画を見た時、脳天を叩かれた気がした。
東大全共闘の中心にいて、アジ演説をやっていた男の言葉の軽さに、あの時代だったら、私は気づけなかったかもしれない。からめとられていたかもしれない。でも今ならはっきりわかる。あの軽さ。彼は全共闘という括りの中でしか生きていなかったのだ。ああいう男に他者の本質的な深いところの痛みなど、わかるはずがない。
人間が生きていくってことは、最終的には人間性と、どこまでも学び続ける姿勢と、人への誠実さなんだと思う」
これは、私が、いつも自分自身に課している言葉です。今の政権や、都政に否を突きつけるのも、根底にそうした思いがあるからです。それを、一つ年下の従兄弟に偉そうに(笑)。

こんな真面目で実直なやりとりをしあう、昔から、とっても生真面目な血筋の一族なんです(笑)。

いずれにしても、Kちゃんから作品を送ってもらったことも含め・・・。

夏は、私にとって、そこに出てくる、叔父や叔母などへの思いも込め、父や母への、まさに鎮魂の季節です。
コメント
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