加藤省吾作詞・海沼実作曲
「みかんの花咲く丘」
みかんの花が 咲いている
思い出の道 丘の道
はるかに見える 青い海
お船がとおく 霞(かす)んでる
黒い煙(けむり)を はきながら
お船はどこへ 行くのでしょう
波に揺(ゆ)られて 島のかげ
汽笛がぼうと 鳴りました
何時か来た丘 母さんと
一緒(いっしょ)に眺(なが)めた あの島よ
今日もひとりで 見ていると
やさしい母さん 思われる
この歌はかあちゃんの年齢の人なら誰でも知っている童謡です。
この歌を歌っていた 川田正子 さんが1月になくなられた。
私のお気に入りの『ラジオ深夜便』 『こころの歌』
の時間に2回に渡って特集をしていた。
一度は、正子さんの甥に当たる3代目海沼実さんの『童謡・唱歌』の時間。一度は担当のアンカーの日に、妹の孝子さんと二人の特集だった。
川田正子(かわだ まさこ、1934年7月12日 - 2006年1月22日)は、日本の歌手。童謡や唱歌を主に歌っていた。
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生涯
1942年、妹の川田孝子とともに音羽ゆりかご会に入会し、同会の会長で童謡作曲家の海沼實に師事する。
1943年、関東児童唱歌コンクールで「兵隊さんの汽車」を歌い、2位に入賞。
1945年、紅白歌合戦の前身「紅白音楽試合」に出場。
1947年、変声期にさしかかったため歌手を引退する。
その後、武蔵野音楽大学声楽科に進学する。卒業後、歌手に復帰する。
1958年、結婚
1979年、母・須摩子が病に倒れると、音羽ゆりかご会の会員を引き連れて森の木児童合唱団を創立。
1991年6月、日本童謡協会より童謡賞特別賞を受賞する。
2001年、東京のNHKホールで歌手生活60周年記念コンサートを開催。
2006年1月22日夜、入浴中に意識を失い、病院に搬送されたものの、そのまま息を引き取った。71歳だった。
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代表曲
兵隊さんの汽車(「汽車ポッポ」の原曲)
里の秋(1945年)
みかんの花咲く丘(1946年)
とんがり帽子(1947年)
{3代目海沼実さんは、正子、孝子姉妹の母親が、後に海沼実氏と結婚して生まれた「川田美智子」さんの息子さんで、祖父である初代実氏の後をついで、音羽ゆりかご会を主催する作曲家です。ラジオ深夜便に定期的に童謡唱歌についての解説をなさっている。}
川田正子さん・孝子さん姉妹は戦前戦後のすさんだ時代を、ラジオを通じて日本中の老若男女を楽しませ、元気ずけてくれた人です。
安田祥子・章子(今の由紀さおり)姉妹や、小鳩くるみサンが本当に人気者でした。
当時蓄音機や電蓄などは殆どの家庭に有りませんでしたから、小さい頃に近所のお友達のところで聞かせてもらった、SP盤のレコードことは、今でも鮮明に覚えています。
写真はみかんの花
「みかんの花咲く丘」

思い出の道 丘の道
はるかに見える 青い海
お船がとおく 霞(かす)んでる

お船はどこへ 行くのでしょう
波に揺(ゆ)られて 島のかげ
汽笛がぼうと 鳴りました

一緒(いっしょ)に眺(なが)めた あの島よ
今日もひとりで 見ていると
やさしい母さん 思われる
この歌はかあちゃんの年齢の人なら誰でも知っている童謡です。
この歌を歌っていた 川田正子 さんが1月になくなられた。
私のお気に入りの『ラジオ深夜便』 『こころの歌』
の時間に2回に渡って特集をしていた。
一度は、正子さんの甥に当たる3代目海沼実さんの『童謡・唱歌』の時間。一度は担当のアンカーの日に、妹の孝子さんと二人の特集だった。

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生涯
1942年、妹の川田孝子とともに音羽ゆりかご会に入会し、同会の会長で童謡作曲家の海沼實に師事する。
1943年、関東児童唱歌コンクールで「兵隊さんの汽車」を歌い、2位に入賞。
1945年、紅白歌合戦の前身「紅白音楽試合」に出場。
1947年、変声期にさしかかったため歌手を引退する。
その後、武蔵野音楽大学声楽科に進学する。卒業後、歌手に復帰する。
1958年、結婚
1979年、母・須摩子が病に倒れると、音羽ゆりかご会の会員を引き連れて森の木児童合唱団を創立。
1991年6月、日本童謡協会より童謡賞特別賞を受賞する。
2001年、東京のNHKホールで歌手生活60周年記念コンサートを開催。
2006年1月22日夜、入浴中に意識を失い、病院に搬送されたものの、そのまま息を引き取った。71歳だった。
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代表曲
兵隊さんの汽車(「汽車ポッポ」の原曲)
里の秋(1945年)
みかんの花咲く丘(1946年)
とんがり帽子(1947年)







写真はみかんの花