最近葬儀では、故人の写真を編集して大きなスクリーンに映し出し、静かなナレーションが入ったりする。
昔と違って正面に飾った写真は決して真面目な顔ばかりではない。
普段と同じ穏やかなお顔の遺影が多くなった。
友人のご主人の物も、「夫婦喧嘩しながら仕事をしていたら入ってきた近所の人が写してくれた。」といういかにも優しいご主人の表情が良く出ているものだった。
以前趣味が写真だという友人が写してくれた私の大写しの顔を、「あらぁこれは良く撮れているからお葬式の写真にするわ。」と言って嫌な顔をされた。
先日同級生と話した時も「『遺影』は気に入ったのを順次差し替えて子供にも宣言しとかなきゃ。」とみんなで共感したものだ。 好きでいつも見ているNHKのドキュメンタリー番組『にっぽんの現場』で、先週は≪明るい遺影≫という題で放送されていたのが面白かった。
滋賀県のデイサービス施設で行われた『明るい遺影撮影会』の臨時のスタジオが今日の現場だ。 自分が無くなった後この世に受け継がれて行く遺影はどんな姿なのか、通所の高齢者もとても興味が有るようなので、所長の発案で実現された。
撮影には、お年寄りの写真をとり続けている写真家が招かれた。
特設のスタジオが作られ20日にわたって50人が撮影された。
激動の世界を生き抜いてきたお年寄りと、撮影者は1時間も話し込む。
表情が和み笑いがこぼれる。
脳出血の後遺症のリハビリを続ける元お医者さんは、紋付き袴で表れて、堅い表情だ。
優しい声で話し、笑う撮影者の話題が、奥さんとのそもなれ初めに及んだとき、何とも言えない優しい表情になった。すかさず何枚もシャッターを切る。
カメラは上からのぞく古い形の懐かしいもので、ピントを合わせて置けばのぞかなくても笑い合いながらシャッターが切れる。 「遺影をとるとお迎えが来る。」と信じて撮影を断っていた82歳の女性がそっと現場を覗きに来た。
「撮ってもらおうかな。その代わりベッピンさんに撮ってや。」と孫の結婚式に着たというお気に入りの洋服を着て現れた。
20日後、みんなの遺影が出来て来た。
なんとも言えない良い笑顔が並ぶ。
それぞれが満足して見ている。
モノクロ写真の一枚一枚がそれぞれの歴史を語っているようだ。
雪が降りしきる西茶屋街を…