今日は夫は西茶屋街の当番で雨模様だから送ってくれと申します。
「天気予報はよくなるようだから散歩代わりに歩いていけば」と言いたかったが黙って車で送りました。
帰りのお迎えは晴れていればいかなくてもいいかなと思っていましたら、なんと!5時前にはポツポツ降ってきました。
どうも都合のいいときだけは「雨男にもなれる」のだと迎えに行ってきました。西茶屋街には人っ子一人通っていません。軒下に淋しく電灯が付いています。
いつもの獅子頭も寂しそうですね。
長町武家屋敷通りを通ってもお店は休業、観光客は誰もいません。金沢は観光産業の街。これでは何とも寂しい限りです。
お正月も終わり、少し遅くなったけれど年賀状の整理をする。
古い友人の年賀状は今年は喪中はがきでした。毎年友人の名前で年賀状は来ていたのだが、だせるような状態では無いことは風の便りで聞いてはいたが多分息子さんがしっかり出されていたのだと思っていました。そしてやがて10年近くになろうとしていますが今年は喪中ハガキでした。心の中で「長いことご苦労様でしたね」と息子さんにお礼を言いたい気持ちです。
「今年は年賀状来なかったね」と思っていた中にはお悔やみ欄にも出さないままで誰も知らない間に無くなっていた友人も有ります。後で残された友人同士お互い電話で話し合って知ったことです。
その中には息子さんからの電話で「母の代理でかけて居ます。身体は元気なのですが。今私が仕事を辞めて母の面倒を見ています。」と言うのが有って息子さんを介して仲の良かった友人について話し合った事も有りました。もう自分では電話もかけられない状態なのだと知って胸がつぶれる思いです。
そこで思わず同じグループだった友人にも電話しましたらやはり彼女も知らなかったそうでそれから自分たちの現況を話し合いました。腰が痛くて外出もままならないけれど「今ご主人と息子さんの食事の支度で忙しい」と言うのでいずこも同じだねと笑いました。
又昨日は大学病院の院友さんからの電話で同部屋だった若い友が亡くなったとのお知らせです。新聞でも結婚しての姓を知らなかったばかりに気が付かなかったことです。
病気との壮絶な戦いをこの10年余り続けてきて遂に”刀折れ矢尽きた”状態だった様子を別の院友さんから聞きました。
お母様から頼まれて娘さんの携帯に登録されていたお友達に手分けして「お知らせして居る」のだそうで思わず言葉を失ってしまった。
そこでもう一人の同室だった若い友人にショートメールを入れて置いたら電話がかかり、やっぱり〇子さんから電話もらったと言うことで話しこんでいて丁度入ってきた娘に頼んでラインが通じるようになりこれは明るい話題となりました。いっぱいスタンプのついたラインが来るようになりました。コロナが終わったら大学病院へ診察に行くからそんな時はラインで知らせてくれるという約束ができました。
そんなこんなで良かれ悪しかれ連絡が今年もとれました。
年賀状はヤッパリ「生きているぞー」というサインなんだと思った次第。