「あまちゃん効果」その3、という内容になります。
その1、連ドラ「あまちゃん」を見る人に「幸福感」が拡がっていた。
その2、ブログ「kaeru-23」への訪問者・閲覧数が飛躍した。
さて、その3は、「プロ」 という存在の意味を教えてくれた。
「あまちゃんの感想」を読むなかで、幾つか「あまちゃんのその後」的な物語
つくりが見られたことです。感想文を書いて「なぐさめている」水準から自分で
物語をつくりはじめる人を創り出すドラマこそプロが作ったものだと実感しました。
もちろんそこから本格的な脚本家など生まれるかどうかを基準にしているの
ではありませんが。
ドラマから受けた感銘を感情移入の水準から創作という能動性の発揮に飛躍
させる力です。 それは当然、感銘をうけた人の数だけ水準に差があるわけです
から、またドラマのどこに、あるいは演じた誰に、または音楽とか、関心のありど
ころによっての差もあります。 その個人一人ひとりの想像力・創造力のありよう
に寄ります
その個人の内包していた想像力・創造性に火を点け炎化し、煙さえ立たせる
力は創造の伝播力とでもいえるでしょう。 そして、クドカンという脚本家によって
代表されるドラマ「あまちゃん」の視聴者へのメッセイージを 「来てよ その火を
飛び越えて」 とすれば 「来てよ その日を 乗り越えて」 その日・2013年9月
28日を自分の創造力・想像力で乗り越えて来て欲しいと、読みかえることができ
ます。
例のkaeru跳びで言えば、現在どの分野でも新しい創造性・想像力が求められ
ています。 それはその分野のプロといわれる人がどれほど創造の伝播力を発揮し
えるか、関わる人の「創造」への欲求を刺激し顕わにさせることができるか、受け手
の問題と同時に渡し手=プロ側の力の質量が問われているのです。