葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

コーヒー色の世界 続き。

2013-10-18 17:27:57 | つづきの海を はろば...

 昨日の 「つぶやき」 に屋根裏人さんから頂きましたコメントへの返信と

合わせての 「つぶやき」 です。 「返信」で書きました「資料」とはこの記事。

「10月14日日本経済新聞朝刊 ・文化欄」で、見出しの部分を拡大すると

下の写真です。

        

 

写真の「仏頭」は国宝の「銅造仏頭」です。

その下の御婦人が98歳の黒田康子(しずこ・と読みます)さん。

写真説明に≪夫・義氏の遺影を持つ筆者(写真下)。夫は生前、興福寺

仏頭のことを「お前に似ている」と語っていた≫

「仏頭の目覚め 見届けた夫」の脇にある言葉は、「戦前の興福寺修理中、

500年ぶり再発見に立ち会う」と書かれています。

 

記事より ≪1937年。秋の深まる古都で、興福寺は東金堂の解体修理中

だった。当時夫は奈良県で古建築保存業務に携わっていた。10月の終わ

る頃、本尊・薬師如来の後ろの板壁をはがすと、~内部にあの仏頭が。

夫は静岡県出身~建築史が専門の技官。古美術にも明るかった、~「しみ

じみと眺めた時の興奮はなお生々しく残っている」と夫はよく述懐した。胴体

のない破損仏だが、異例の早さで翌年には国宝に指定された。≫

さらに義さんとのことでは≪ある歴史の講習会に参加した私は講師だった

夫に一目ぼれ。半年にわたる文通の末、1941年に結婚した。夫の勤務地

だった奈良で新婚生活を送り、息子も授かった。しかし夫は44年に召集され、

翌年フィリピンで戦死した。31歳だった。≫

 

 屋根裏人さんの疑問に答えるとすれば

夫・義(よしのり)さんは31歳でした。「もう一つの短歌」はその葉書を載せた頁

にあります。

これは黒田康子さんの研究された郷土史(逗子・葉山など)関係を中心にした

文集シリーズの第6集に載せられたもので、康子さんが夫から受け取った「最後

の葉書」で、昭和19年8月以降(その前の葉書の日付が8月20日の消印、「最

後の葉書」には消印も日付もありません、検閲済の印はありますが)。

発信地としては「比島派遣第10612部隊」と書かれていますので、フィリッピン

であったことは分かります。

 

 昨日の短歌も含め二首を記します。

  この海の つづきの海を はろばろに 越えて来にしか 夕日に 対ふ 

                                                                           (〇〇上陸)

   日盛りは ねむの木かげに 椅子ならべ 裸ひとつが 熟睡(うまい) しにける

                                                                                        (高尾にて)                                          

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする