8月28日に1844年8月28日のマルクスとエンゲルスの出会いについて「つぶやき」ました。
https://blog.goo.ne.jp/kaeru-23/e/ef08c9dd8426b0fe47e570ccb0199916
この時の出会いは二人にとって二度目の対面で、最初の出会い1842年11月16日はマルクスの誤解があり「ごく冷ややかなめぐり合い」でした。エンゲルスがその時の様子を述べています。
「マルクスは42年10月まではボンにいました。9月または10月初め、私がべルリンからの帰途立ち寄ったとき編集部にいたのは、私の記憶するかぎりでは、M・ヘスと……ラーヴェだけでした。……11月末ごろ(16日のこと)イギリスへの通りすがりにふたたび所用訪問したとき、私はそこでマルクスに出会いました。そのおりに私たちははじめてごく冷やかなめぐり合いをもちました。マルクスはそのころバウアー兄弟に反対の態度をとっていました。 すなわち、『ラィン新聞』は政治上の討議や行動のためではなくて、主に神学上の宣伝、無神論等のための伝達者になれ、ということに反対を表明し、またエトガル・バウアー的な、『とことんまで行き』たいというだけの、空言共産主義にたいしても同様でした。……私はバウアー兄弟と文通していましたので、私は彼らの同盟者と見なされる一方、マルクスは彼らからあやしまれていたようです」(エンゲルスからフランツ · メーリングへ、1895年4月末、全集39・411頁)。
ここで述べられているように、エンゲルスが最初編集部に寄った時、マルクスは『ライン新聞』の編集責任者にはなっていませんでした。これを第1回とすると、「冷ややかな出会い」が第二回で、その後1844年8月28日のパリでの出会いが三度目の正直で、生涯を通じての同志的関係の出発点となったのです。
次の2枚は二人の同志的姿で、いずれも新日本新書『フリードリヒ・エンゲルス』掲載のものです。