DNPルーヴル・ミュージアム・ラボでを
「《うさぎの聖母》聖なる詩情」展を観てきた。
しかし、まさかこの時期にティツィアーノ作品が観られるなんて思ってもいなかった。
《聖母子と聖カテリナと羊飼い》通称《うさぎの聖母》(1525-1530年頃)
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488–1576)
《うさぎの聖母》は聖会話スタイルがキンベル美術館のティツィアーノ作品と似ている。
《The Madonna and Child with a Female Saint and the Infant Saint John the Baptist》(1530年)
Tiziano Vecellio (1488–1576)
更に「うさぎ」も登場!この展覧会に行けば
ジョヴァンニ・ベッリーニの「うさぎ」問題も解決されるかもしれないとかなり期待は膨らんでいた。
【DNPルーヴル・ミュージアム・ラボ】
さて、DNPルーヴル・ミュージアム・ラボは最新式の視聴覚施設を使った面白い展示空間だった。ルーヴル所蔵作品1点を展示し、その作品を様々な角度から解説してみせる。さすがルーヴルだと思ったのは、解説無しでじっくりと絵画を鑑賞してから解説コーナーに移動するルートになっていることだった。更に絵画の知識や見方を知った後にもう一度作品を鑑賞できる。絵画鑑賞はこうでなくっちゃ!
このラボは予約制であり、初めにイヤホン操作のガイダンスを受ける。見学コースに従って展示室に近づくと自動的に耳からルートの案内や、ルーヴル美術館絵画部門主任学芸員ジャン・アベールによる解説が流れるようになっている。きっとセンサー付なのね?
【16世紀のヴェネツィアの中で】
最初の展示室のテーマは「16世紀のヴェネツィアの中で」。暗い室内の壁にはベッリーニやジョルジョーネ、ティツィアーノやカルパッチョなどが描いたヴェネツィアの風景が映し出される。
ヴェネツィアは今でも昔の面影そのままの都市だから、一瞬のうちに懐かしさがこみ上げてくる。解説によるとラグーナやアドリア海からの「湿った熱い空気」こそがヴェネツィア絵画に影響を与えたとのこと。私的には「空気」と言うよりも「光」じゃないのかなぁとも思った。
ヴェネツィア派の特徴は ・色彩への愛 ・大気を描くことへの拘り ・自然への愛(日常の中に神を見出す)=自然主義 とのこと。
そう、「空気」と言うよりも確かに「大気」だと思う。それから解説に出てきた「ヴェネツィアの自然主義」って初めて聞いたような気がするけど、自然主義ってロンバルディアの画家たちの専売特許じゃなかった訳ね??
【絵画展示室】
細い通路を抜けると…そこはこじんまりとした展示室で、室内には1枚の絵だけが展示されていた。ティツィアーノ《うさぎの聖母》とガラス越しに対面する。ここでは解説無しにゆっくりと作品を楽しむことができる。先般の国立新美術館フェルメール展示とは雲泥の差だ(^^;;。
まずヴェネツィア派らしい田園風景と鮮やかな色彩の饗宴に目が喜ぶ。構図は対角斜線になっているようだ。聖母子と聖女の一団が抑えた色調の緑系の背景から鮮明に浮き立つように見える。空気遠近法を取り入れた山並みへと奥行が深まるように描かれているのだと思った。空は夕暮れの陽光に染まり、その光を映した雲がたなびく。でも、夕焼けの光の描き方は師匠のジョヴァンニ・ベッリーニの方が断然上手だと思うのだけどね(^^;;;
ふと聖母子たちの右手奥を見遣れば羊飼いが座っており、なんとなくジョルジョーネっぽい雰囲気を醸し出している。牧歌的田園風景の中でのピクニックのような聖会話はキリスト教的象徴の意味を除いても詩的で十分に美しい。
さて、より詳細に観察する。聖母の衣服の深紅色はまさしくティツィアーノの色だ。薄色のヴェールからほんのりと透ける紅色も優雅。肩から流れるガウンの輝く青色にうさぎの白が映える。幼児イエスはうさぎに手を伸ばそうといているようにも祝福を与えているようにも見える。幼児を抱く聖女は何か引き出しのような台に乗っている。髪の結い方が複雑で繊細な髪飾りも美しい。ドレスの細かいドレープが柔らかな陰影を作り実に魅力的だ。青磁色の薄いストールは端に金糸が織り込まれている。聖母の足元の果物籠にはりんごと葡萄が入っている。その左脇に一叢咲く可憐な野苺。うさぎの側にはピンク色の小花。その端にはもう1匹のうさぎのお尻。
聖母子と聖女と離れた後方には羊飼いの男が座っている。ジョルジョーネ的な雰囲気と構図。背景の空山並みは空気遠近法で青みを増していく。その上に夕暮れの陽光を映す雲がたなびく。背景を監察すると田園には小川も流れ、教会の塔や城砦のような建物も見える。小道には人影を何組か発見でき、特に向かって左端の人物は甲冑を身につけている。
【視聴覚コーナー】
実物を観た後、展示室を出て視聴覚コーナーへ移動する。ここで《うさぎの聖母》についてスクリーンや体験コーナーを通じ、みっちりとレクチャーを受けられるようになっていた。
<絵画の中へ>
Scene1:聖会話 Scene2:絵を構成する様々な要素 Scene3:絵の主要登場人物 Scene4-5:アレクサンドリアの聖カテリナ Scene6-7:聖母と幼子イエス Scene8:色彩による絵の構図 Scene9-11:絵の様々な象徴 Scene12:羊飼い、古代世界の象徴 Scene13:北方の画家、動物を好んで描いたデューラーの影響 Scene14:うさぎの象徴
聖会話はジョヴァンニ・ベッリーニに始まり、ジョルジョーネやティツィアーノなどのヴェネツィア派で盛んに描かれるようになったとのこと。ロレンツォ・ロットも良く描いているよね。
構図については、斜め構図の聖母子たちと羊飼いの間にある空間の重要性を知ったが、それよりも面白かったのは、聖母の座った足のポーズが羊飼いの男の足のポーズの向きを変えた反復であること!!古典絵画ではよく登場人物たちに反復のポーズが観られるが、こんな風にさりげなく描くなんてニクイと思う。
象徴の意味については、まず、聖女が乗っていたのは刃物が付いていた車輪だということ。わたしには鉄色の取手がついた引き出しに見えたのだが(^^;;;;。ということで、聖女は車輪をアトリビュートとする聖女カテリナだった。
果物籠の中りんごは人間の原罪を、葡萄はキリストの贖罪を表す。その側に咲く苺は楽園を意味する。そういえばボッス《快楽の園》でも苺が印象的だったなぁ。
勉強になったのは、白い布の役割。大切なものを持つ時は直接触れずに白い布で包んで持つこと。聖女カテリナが抱く幼児も白布に包まれているし、果物も白布の上に置いてある。白の持つ意味合いって結構大きいのかもしれない。ということで、いよいよ「うさぎ」へ(笑)
で、驚いたのは、どうやら聖母子と「うさぎ」を描くのはデューラーの影響のようなのだ。もちろ《「野うさぎ》は有名だし、私もウィーンのアルベルティーナで観ている。しかし、恥ずかしながら木版画《三羽の野ウサギのいる聖家族》を知らなかった(^^;;;
(もっと大きい画像は
ここ)
「三羽の野ウサギのいる聖家族」
1497年頃 木版 39.2×28.0cm
デューラーがイタリア旅行でヴェネツィアに滞在したことは有名だ。その時にベッリーニにとも親交を持っているし、日記ではヴェネツィアの画家たちがデューラーの技を知りたくて宿を訪ねてきたことが記されている。若きティツィアーノも訪ねただろうか?
さて、問題の「うさぎ」である。中世の頃、うさぎは単体生殖をすると信じられていたことから、聖母マリアやキリストの純潔を意味するという。伝説ではうさぎは目を開けたまま眠るということで、神への心を開きその神秘性に目を向けること、うさぎが臆病であることから、神への敬虔な恐れを抱くこと、等々、様々な解釈が可能なようだ。この作品の大意としては、うさぎの白が原罪を負わないイエスの象徴であるらしい。
聖母子とうさぎのテーマはデューラーからの影響としても、依然ベッリーニの《祝福するキリスト》もデュラーからの影響だと断じることはできないように思える。
《Christ Blessing》(1500年)
Giovanni Bellini (1430–1516)
ベッリーニ作品には白うさぎだけでなく褐色のうさぎも一緒に描かれていて、私的にはこれも未だ謎のままなのである。