今回の「カラヴァッジョ展」グッズのヤマザキマリさんのイラストが...
http://www.art-museum.city.nagoya.jp/20190830_goods
あまりにもイケメンに描かれ過ぎて、私的になんだか恥ずかしくなってしまったのは何故だろう?(;'∀')
カラヴァッジョをあまり美化しないでくださいませ...
今回の「カラヴァッジョ展」グッズのヤマザキマリさんのイラストが...
http://www.art-museum.city.nagoya.jp/20190830_goods
あまりにもイケメンに描かれ過ぎて、私的になんだか恥ずかしくなってしまったのは何故だろう?(;'∀')
カラヴァッジョをあまり美化しないでくださいませ...
西洋美術史の本を読むとプリニウス(Gaius Plinius Secundus、23-79)『博物誌(Naturalis Historia)』からの引用がよく登場する。戦争に出かける恋人の(壁に映った)影の輪郭をなぞったのが絵画の起源であるとか、アペレスとプロトゲネスの話とか...色々とね。
でも、そんな有名なプリニウスなのに、恥ずかしながら殆ど知ることのなかった私であったが(汗)、イタリア語教室で偶然に火山の話題が出て、プリニウスはヴェスヴィオ火山の噴火で死んだんだよね、と話が盛り上がり、ご一緒したHさんの「マンガ『プリニウス』を読んでいます」発言に、思わず「貸してくださ~い!」と、ずうずうしくもお願いしてしまった
ヤマザキ・マリ&とり・みき『プリニウス』(新潮社)現在8巻刊行。
「古代ローマを生きた博物学者・プリニウスの活躍とその時代を描く、歴史伝奇ロマンの決定版。」(公式サイト)
https://www.shinchosha.co.jp/plinivs/2018/11/22.html
実際のプリニウスは書斎派だったようだが、マンガのプリニウスは書記係エウクレスと配下(軍人)フェリクスをお供に、好奇心の趣くままローマ帝国領内を水戸黄門漫遊記的に旅するのである。時はローマ皇帝ネロの時代、陰謀渦巻く首都ローマは禍々しい事件が立て続けに起っているが、プリニウス一行はそんなローマを離れ帝国属州を気ままに旅している。8巻最後はロドスのヘーリオスの巨像が出てくるし、アレキサンドリアでは大灯台も出ていたし、幻想怪奇な生物も色々登場するし、このマンガはプリニウスだけでなく暴君ネロとその時代も併せての歴史伝奇ロマンなのだ
ちなみに、古代ローマ人は基本的に髭を生やさないが、髭を生やしているのはギリシアかぶれらしい(7月にお勉強した)。マンガでネロが髭を蓄えているのが、なるほど!と了解されたのだわ
ということで、第9巻は12月刊行予定らしいので、続きも楽しみだ♪
来年2020年にかけての観たい展覧会を自分用メモとしてピックアップしておく。
・国立新美術館「ブダペスト——ヨーロッパとハンガリーの美術400年」展
期間:2019年12月4日(水)~2020年3月16日(月)
https://www.fashion-press.net/news/52071
「クラーナハ、ティツィアーノ、エル・グレコ、ルノワール、モネといった巨匠たちの作品をはじめ、日本では目にする機会の少ない19・20世紀のハンガリー作家たちの名作も多数出品される。」とのことで、どんな作品が来るのか楽しみ
・国立西洋美術館「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」
期間:2020年3月3日(火)~2020年6月14日(日)
https://artexhibition.jp/london2020/
「ベラスケス、フェルメール、ターナー、ゴッホ…ルネサンスから19世紀末まで、英国が誇る至宝、全作すべて日本初公開。」とのことで、2020年の私的一押しの展覧会
・三菱一号館美術館「静嘉堂・東洋文庫の至宝展(仮)」
会期: 2020年7月8日(水)〜2020年9月22日(火)(予定)
https://mimt.jp/exhibition/#mitsubishi
「静嘉堂、東洋文庫、三菱経済研究所の所蔵する国宝、重要文化財を含む美術工芸品、古典籍など貴重な作品群100点余りを展観します。」とのことで、丸の内で一堂に会し観られるなんて凄~く嬉しい
昨日、ネットで興味深い記事を見つけた。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190825-00010000-nknatiogeo-sctch
「インド、ヒマラヤ山中の人里離れた高地に、考古学史上でも屈指の謎に満ちた湖がある。およそ800人分もの人骨が見つかっている「骨の湖」ループクンド湖だ。今回、38人分の人骨について本格的なゲノム解析を行った結果、38人のうち23人は南アジアに祖先を持ち、紀元7世紀から10世紀にかけ、1回~数回の出来事で亡くなったと判明した。ところが、14人は地中海のギリシャとクレタ島に遺伝的祖先をもつ人々だった。南アジアのグループが亡くなった約1000年後に、おそらく1度の出来事で命を落としたと考えられる。「なぜ地中海の人々が、はるばるこの湖までやってきて、ここで何をしていたのかはわかりません」と語るのは、論文の共著者で、インド、ラクナウにあるバーバル・サーニー古科学研究所の考古遺伝学者、ニラジ・ライ氏だ。」(記事から抜粋)
古代苦手の私がこのニュースに反応したのは、ちょうど『西洋美術の歴史 1-古代』(中央公論新社)の「第6章 東方のヘレニズム美術」を読んでいるところだったからだ。恥ずかしながら、大胆にも(恐れ知らずだよね)古代ド素人!の私が、なんと考察(?)までしちゃったのだ。すなわち、セレウコス朝シリアから分裂したグレコ・バクトリアからインド・グリーク朝への流れがあるのだから、ギリシア人がループクンド湖周辺にいてもおかしくないんじゃないか??と💦 もちろん、見当違いも甚だしいかもしれないので、その時は笑ってお許しあれ💦
古代&古代美術ド素人の私ではあるが、このループクンド湖研究の続報を期待したい。
※追記:紀元7世紀から10世紀を、紀元前7世紀から10世紀、と読み違えていました‼️。恥ずかしくも、見当違いも甚だしいことで、お粗末でした!!
ゲストのmomoさんからTVドラマシリーズ「カルロス~聖なる帝国の覇者」録画DVDを頂いてしまった!!(Grazie‼>momoさん)
もちろん、主人公はスペインのカルロス1世=カール5世であり、第一話では、フランドルからスペインに向かうカルロスの一行が持つ「聖アンデレ十字=ブルゴーニュ十字」が鮮やかに翻っていた♪♪
「ブルゴーニュ公フィリップ善良公は聖アンデレを守護聖人とする金羊毛騎士団を設立し、白地に赤色の聖アンデレ十字を騎士団および公国の旗として使用した。これはブルゴーニュ十字とも呼ばれ、騎士団を継承したスペインおよび同領ネーデルラント、その他ヌエバ・エスパーニャなどの副王領で使われた。」(Wikipedia)
ドラマの第8話では、カルロスは1525年のパヴィアの戦いでフランスのフランソワ1世を捕虜にし、フランスがブルゴーニュ、ミラノ公国、ナポリ王国などを放棄することを要求する。すなわち、ブルゴーニュ家シャルル・ル・テメレール(カルロスの曾祖父)の戦死で、フランス領に組み入れられてしまった本貫の地ブルゴーニュを取り戻すことに執着するのだ。
それにね、カール5世は一時期、遺言書で、自分が死んだらディジョンのシャンモールに埋葬するように書いたらしい。その後書き直したらしいけどね。多分、フランドル育ちのカルロスは、幼いころから自分の血に流れるブルゴーニュ家の歴史を聞いて育ったに違いない。だからこそ、自分自身の移動に伴い金羊毛騎士団とブルゴーニュ十字旗をスペインに持ち込み、一方、ウィーンのハプスブルグ家ではブルゴーニュ十字旗は使われない。
スペインに翻るブルゴーニュの聖アンデレ十字が、その後のスペイン領の拡大にともない、海を越えて翻ることになるのが興味深い。ということは、1613年に伊達政宗が派遣した慶長遣欧使節団の支倉常長も、経由地であるヌエバ・エスパーニャやスペイン本土において、この「ブルゴーニュ十字」が翻る様を見ていたはずなのだよね
三菱一号館美術館「マリアノ・フォルチュニ - 織りなすデザイン展」を観た感想をサクッと
私の大好きなスペインの画家マリアーノ・フォルトゥーニ・イ・マルサル(1838 - 1874)の息子であるマリアノ・フォルチュニ(1871 –1949)の仕事と作品を紹介する展覧会だった。(名前表記はイタリア語読み?? 父との区別のため??)
息子フォルチュニはヴェネツィアに工房を持ち、様々なテキスタイルや、あの有名なドレス「デルフォス」などを創作する。その他にも写真や舞台照明などのデザイナーとしても活躍したが、どうやら自身は「画家」であると自認していたようだ。パパの作品も模写したりしている。でもね、その絵画作品を観たところ、残念ながらパパには及ばないと思えた。その代わり、デザイナーとしては素晴らしい仕事をしている。
テキスタイルから衣装デザインまで手掛ける。中央のプリーツドレス「デルフォス」が特に有名。
で、私的にはやはり父フォルトゥーニ作品の展示が嬉しかった。 主に素描や版画作品だったのだが、特に目を惹かれたのは《牧歌》だった。
マリアーノ・フォルトゥーニ・イ・マルサル《牧歌》(この版画作品だったと思う)
ちなみに、オリジナル水彩画《牧歌》(1868年)はプラドにある。
https://www.museodelprado.es/en/the-collection/art-work/idyll/425dd913-a73c-4c46-9d28-adc9dd66c00b
プラドの解説とは別に、私的には《牧歌》の少年の背中の傾きに《日本風サロンに居る画家の子供たち》に描かれた息子(マリアノ・フォルチュニ)の背中の傾き重ねてしまったのだった。もしかして、画家自身も描きながら《牧歌》少年の背中を想起したかもしれない。
マリアーノ・フォルトゥーニ・イ・マルサル《The Artist's Children in the Japanese Salon》(1874年)プラド美術館
私の目を惹いたもう1枚の絵がある。今回の展覧会公式動画「マリアノ・フォルチュニ 創作の源を訪ねて 」ではヴェネツィア「フォルチュニ美術館」が紹介されていた。(フェッレッティ館長はフォルトゥーニと発音しているように聞こえる)
https://www.youtube.com/watch?v=Aty8ch4_0gA
カメラが館内の様子を映し、壁にヴェネツィア派の作品が幾つか見えた。その時、一瞬私の目が捉えたのはティツィアーノ《鎧を着けたフェリペ2世の肖像》(コピー作品)だった!!
フォルチュニはヴァネツィアのカ・ペーザロに居を構えたが、やはり彼はスペイン人マリアーノ・フォルトゥーニ・イ・マドラーソ(Mariano Fortuny y Madrazo)なのである。私はそのアイデンティティの証をフェリペ2世の肖像に見たような気がした。
最近、やはり西洋美術はギリシア・ローマ美術から勉強しなければいけないと反省し(古典古代は苦手)、「西洋美術の歴史1-古代」(中央公論社)を読み始めた。いやぁ、勉強になること多々で、ルネサンス美術を知るにはギリシア・ローマ美術を知らなければならないことが良~くわかった。今更ながら大反省💦
さて、16世紀にローマのカラカラ浴場跡から発掘された《ファルネーゼのヘラクレス》は、リシュッポスのオリジナル《休息するヘラクレス》(前320年頃)を、ローマ時代(後3世紀)に大きくコピーしたもので、ファルネーゼ家のコレクションに入り、現在はナポリ国立博物館に所蔵されている。
グリュコン《ファルネーゼのヘラクレス》(後3世紀)ナポリ国立考古学博物館
ちなみに、古代ローマ人は左右対称好きなので、カラカラ浴場からは1対(2体)出土しており、現在、別のもう1体はナポリのガゼルタ宮に所蔵されている。当時は壊れた状態で出土したらしい。
https://www.alamy.com/stock-photo/hercules-statue-reggia-di-caserta.html
私が2011年2月にローマで「Palazzo Farnese」展を観た時、《ファルネーゼのヘラクレス》は1階(2階)「ヘラクレスの間」入口右側に展示されていた。
https://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/f3de6a9fff61dcb04dc60038b6d2c501
「ヘラクレスの間」と言うくらいだから、当時もそこに展示されていたと思っていたのだが、何と!1590年代には地上階(1階)の「coltile(中庭)」に面した列柱回廊のロッジア部分にあったようなのだ。実はそれを知ったのが、なんとまぁ!アンニバレ・カラッチの素描なのだった
多分、アンニバレがボローニャ派の画家たちを率いて、カラッチ・ギャラリーの天井画を描いていた頃の素描だと思うが、仕事の合間に描いたのだろうか?などと想像するのも楽しい。いや、もしかして、仕事への支払いの悪いファルネーゼ家への不満を素描で紛らわせていたり?(妄想)
で、アンニバレが描いた当時の設置場所を確認すべくネットで探してみたら...下記の画像を見つけた。空間や像の大きさが想像され、大体の雰囲気がわかるような気がした。
https://www.flickr.com/photos/dealvariis/3588801724/
ううむ...もしかして写真撮影した右隣の開口部アーチ(ロッジア)下あたりに設置されていたのではないかと想像するのだが、どうなのだろうか???
ちなみに、下記↓の版画は1560年頃の作品で、パラッツォ自体の様子が現在となにやら違うのだよね。
動画の解説によると(フランス語解説にイタリア語の字幕!)、建物のロッジア開口部分をミケランジェロが閉じてしまったようだ。私の誤訳です💦
ちなみに、参考としてパラッツォ・ファルネーゼの平面図を...
ううむ...それでも美術ド素人&横文字苦手の私には疑問は残るのだ。すると《ファルネーゼのヘラクレス》は、ある時期にパラッツォ内で設置場所の移動があったのだろうか??? なかったのだろうか???
色々と忙しくて、8月初めに横浜・東京に日帰りで行ったことを記すのが遅くなってしまった。今回は二つの展覧会を観るのが目的だったのだが、まずは...横浜美術館「原三渓の美術」展から感想をサクッと
・横浜美術館「原三渓の美術- 伝説の大コレクション」展
https://harasankei2019.exhn.jp/
東京に住んでいた頃、職場のNさん(横浜在住)ご推薦で「三渓園」に行ったことがある。
広大な庭園敷地に古い門や三重塔があったり、お茶室があったり、煤けた合掌造りの家屋があったり、もう日本建築のテーマパークみたいで面白くも驚いた。母屋&記念館も興味深く、原三渓の日本美術への造詣とパトロネージも知ることになった。
で、今回の展覧会はその三渓が集めたコレクションを中心に、パトロネージや茶人としての側面にもスポットを当てたもので、特に、今は散逸してしまった当時のコレクションの数々が一堂に会し、ああ!これも三渓コレクションだったのか!と気が付いた作品も少なくない。
例えば、東京国立博物館の下村観山《弱法師》は知っていたが、国宝《孔雀明王像》もだったとは!。また、後期展示予定の伝本阿弥光悦《蒔絵鹿文笛筒》は、以前サンリツ服部美術館で観たことがあるが、あれも三渓コレクションだったのかと驚いてしまった。大和文華館の所蔵になっている作品が琳派の逸品揃いで興味深く、矢代幸雄の審美眼なのだろうか?大和文華館にもぜひ行ってみたくなった。
今回の展覧会は三渓自筆の書画なども含め、そのコレクションを通して原三渓という人物像にも迫る充実の内容で、さすが地元の横浜美術館ならではの入魂の展覧会とに思えた。原三渓...明治の実業家の懐の深さと言うべきなのかなぁ...。
「カラヴァッジョ展」の8作品到着遅延の話だが...
http://m-caravaggio.jp/pdf/info20190807.pdf
イタリア語教室で話したら、L先生が、最近の「IL governo cade」の影響じゃないのか?、と言っていた。
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20190810-00000047-jnn-int
単なる「イタリア政府の手続きの遅れ」ならまだ良いのだが、もし、イタリア政府の混乱の影響だとすると、早期解決をひたすら願うしかないよね。
それにしても、思い出すのはローマでの「メムリンク展」であり、あの時はポーランド政府が土壇場で《最後の審判》貸出しをキャンセルしてしまったのだった。今回はそうならないことを切に祈っている。
いよいよ8月10日(土)から北海道立近代美術館「カラヴァッジョ展」が始まる。
ゲストのmomoさんが7月に札幌で撮った写真を送ってくれた。(Grazie‼>momoさん)
北海道新聞社屋の壁に大型ポスターが...
が、展覧会公式サイトを見ると、何と!カラヴァッジョ作品2点(《女占い師》《瞑想するアッシジの聖フランチェスコ》)を含む8点が札幌に到着遅延らしい。主催者側はさぞかし気を揉んでいることだろう。
http://m-caravaggio.jp/pdf/info20190807.pdf
今回の「カラヴァッジョ展」は、札幌はパスして名古屋に行こうと思っていたので、不謹慎ではあるが私的にはダメージが無くてほっとしている。
波乱の展覧会幕開けになりそうだが、札幌での「カラヴァッジョ展」が盛会であることを(スルーされた東北の片隅から)祈ろうと思う。