花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

「van Eyck展」のvirtual tour!

2020-06-30 00:49:36 | 展覧会

ゲストの通りがかりの者さんからの情報です。(多謝!!>通りがかりの者さん)

ヘント美術館「van Eyck展」のvirtual tourがネットで見られる。音声ガイドまで聴くことができる優れものだ(*^^*)

https://www.mskgent.be/en/news/360deg-virtual-tour-van-eyck-optical-revolution

https://virtualtour.vaneyck2020.be/en/adults/room-1/room-0-1

 

 


ラタトゥイユを作った(^^ゞ

2020-06-23 22:43:51 | 食べもの

料理は苦手なのだが、この自粛期間中は毎日作らざるを得なかった。そこで、頼りにしたのはネット上に紹介されているレシピで、私にもできそうな超簡単レシピを探しては、見よう見まねで作ったりしていた。以前に比べたら料理することに対してのハードルが少し低くなったような気もする。

そんな時、スーパーで季節柄ズッキーニが安くなっていた。ラタトゥイユ作ろうかなぁ~、なんて思ったのは進歩の証かもしれない。以前は、食べたくなったらお店で食べたり、成城石井のラタトウイュを買ったり、自分で作るなんてめんどうだと思っていたのだから。

ということで、ネットで参考になりそうなレシピを2つ見つけ、自分で作り方をアレンジして作ってみた。

量が少なく見えるのは、一食分をすくって食べた残りだから(^^ゞ

味はまずまずで、ちょっと塩味が足りなかったかも。でも器に盛り付ければ(冷蔵庫で一晩置いたので見栄えはぱっとしないけど)それらしく見えるでしょ


Grazie mille Papa Francesco!

2020-06-21 01:33:50 | 展覧会

以前、DVDで映画「ローマ法王になる日まで(Chiamatemi Francesco)」を見た。

https://www.youtube.com/watch?v=PjiVW_wnvB4

2019年11月にフランシスコ教皇が来日された時、私はクリスチャンではないけれど、なんだか有難い気持ちと同時に、アルゼンチン時代のご苦労が偲ばれてしまった。

イタリア語教室仲間のIさんはクリスチャンで、教皇来日時には東京ドームに行かれた。遠い席だったので教皇の白いお帽子(zucchetto)ぐらいしか見えなかったのが残念だったとおっしゃっていた。信者はフランシスコ教皇のカードを頂いたそうで、その1枚を私もお裾分け(?)していただいた。ちなみに、サインはラテン語の「Franciscus」になっている。イタリア語では「Francesco」だけどね。

先に触れた(開催延期になった)国立新美術館「カラヴァッジョ《キリストの埋葬》展」も、フランシスコ教皇の日本への有難いご厚意の賜物のようである。

https://caravaggio2020.com/

そのご厚意が無事形となるように祈らずにはおられない。


国立新美術館「カラヴァッジョ《キリストの埋葬》展」開催延期!

2020-06-17 00:40:43 | 展覧会

今年の10月から開催予定だった国立新美術館「カラヴァッジョ《キリストの埋葬》展」の開催が延期になった。(むろさんさん情報に感謝!!)

https://caravaggio2020.com/

「開催延期のお知らせ:本展は新型コロナウイルス感染拡大に伴い、展覧会準備を当初の予定どおりに行うことが不可能となったことから、2020年10月21日(水)~2020年11月30日(月)の会期を変更することといたしました。新しい会期につきましては、今秋以降に改めて国立新美術館ホームページ、本サイト等でお知らせいたします。」(公式サイト)

開催を危うんでいたが、「中止」ではなく「延期」だったのは幸いである。来年になっても全然かまわないので、ぜひとも開催をお願いしたいと思う。


あまりに無頓着で...(-_-;)

2020-06-11 23:31:51 | Weblog

昨日、首都圏在住の知人と久しぶりに電話でよもやま話をしたのだが、なんとお嬢さんの職場でコロナ疑惑事件(?)があり、職場での席が疑惑の同僚と近くだった為、お嬢さんも一時自宅待機になったそうだ。

その同僚のPCR検査結果がでるまで、知人ご夫妻は自宅内でお嬢さんと隔離生活を余儀なくされ、それはそれは大変だったとのこと。幸いにも疑惑の同僚は陰性だったとのことで、めでたしめでたしだったけれど、普段自分が気を付けていても巻き込まれる可能性は多分にあるのだよね。

今日も某デパート脇の狭い道路を歩いていたら、すぐ傍を徐行していた車から大きなクシャミ音がして、思わずギョッとして見た。車の窓が半分開いていて、なのに!運転していた5、60代ぐらいの男性はマスクをしていなかった!!!

空いた窓から1mも離れていない本当に傍での出来事だったので、もしも感染したらどうしてくれるんだいっ!! 運転中にクシャミをするなとは言わないが、マスクをしないなら車の窓は閉めて欲しいし、窓を開けるならばマスクをして欲しい。新しい生活様式下の最低限のマナーだと思うのだけど、無頓着な人が多いのも悲しいけれど現実だ。

自分が気を付けていても防ぎきれない場合もあり得るが、他人の無頓着のために感染に巻き込まれるのは本当に悔しいと思う。


国立西洋美術館「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」(新)会期決定。

2020-06-05 00:24:48 | 展覧会

「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」の会期決定および日時指定制の導入についての掲載があった。

https://artexhibition.jp/london2020/

◆東京会場:国立西洋美術館

◆(新)会期:2020年6月18日(木)~10月18日(日)

「※ただし、6月18日(木)~6月21日(日)は、前売券および無料観覧券をお持ちの方と無料観覧対象の方のみがご入場いただけます。この4日間は今後の入場券の販売はございませんので、ご注意ください。」

https://www.nmwa.go.jp/jp/information/whats-new.html#news20200604_2

https://artexhibition.jp/topics/news/20200604-AEJ243245/

前売券は持っているけど、仙台から「東京アラート」の出ている東京に、怖くて行けるはずありません。負け惜しみを言わせてもらえば、一昨年ロンドンでしっかり観ているので、別に急ぎませんし

ちなみに、大阪は...

◆大阪会場:国立国際美術館

◆(新)会期:2020年11月3日(火・祝)~2021年1月31日(日)

観に行くとしても感染状況次第なので、あきらめるという選択肢も出てくるかもしれない(-_-;)


【むろさんさん寄稿】「NHK BS世界のドキュメンタリー「疑惑のカラヴァッジョ」を見ての感想」(2)

2020-06-04 16:40:58 | テレビ

「NHK BS世界のドキュメンタリー「疑惑のカラヴァッジョ」を見ての感想」【むろさんさん寄稿】(続き)

2.調査方法が適切か 必要な調査は実施されているのか
今回の番組で紹介されていた調査は「これから絵を高く売ろう」という立場での調査研究であり、そのために都合のよいことだけを出しているのではないかということを感じました。私は最近Ermanno Zoffili編著 THE FIRST MEDUSA / LA PRIMA MEDUSA CARAVAGGIO, (英語・イタリア語併記)Milan ,2011 という本をじっくり読む機会がありました。2016年の西美カラヴァッジョ展及び2019年札幌・名古屋のカラヴァッジョ展に展示されたメデューサの楯第2バージョン(Murtola Medusa)についての調査研究報告書で、メデューサの神話的背景、ウフィッツイのメデューサの楯とともにどんな背景で描かれたか、科学的方法による分析結果などについて述べられています。このメデューサの楯の研究は所有者が売るのが目的ではなく、真筆かどうかを明らかにするために調査を行ったものです。この調査研究では顔料や下地塗り材料の化学分析やフォールスカラー(偽赤外線)分析を行っていますが、テレビ番組のトゥールーズのユディトの調査ではそういう分析の話が出てこなかったので、都合の悪い結果が出そうな調査はやらなかったか、やっても公表しなかったのではないかと勘ぐりたくなります。
テレビ番組では絵の表面からはがれたという顔料の分析のシーンもありましたが、それは後に補筆した部分の顔料ということでした。当初部分は物理的に採取できなかったのか、あるいは敢えて採取しなかったのかは分かりません。

Zoffili の本に出ているMurtola Medusaの顔料分析結果は、それまでに分析結果が報告されているカラヴァッジョの真筆作品15点と比較して一覧表にされています。対象となる顔料物質の種類は20種及び下地塗り材料2種です。その結果は、①Murtola Medusaにもカラヴァッジョの他の多くの作品に使われている典型的な物質が使われている。②Murtola Medusaの下地はCALCITE(石灰)であり、他の多くのカラヴァッジョ作品と同じであるが、ウフィツィの MedusaではGESSO(石膏)下地であり、現在分析結果が知られている作品ではボルゲーゼ美術館の「蛇の聖母」(パラフレニエーリの聖母)と2点だけである。これらの結果からMurtola Medusaがカラヴァッジョの真筆であるかどうかの判定はできませんが、こういった分析結果のデータを蓄積していくことが重要です。

Murtola Medusaの画像診断としては、通常のX線撮影や赤外線反射撮影の他に赤外線フォールスカラー合成デジタル撮影、紫外線蛍光カラーデジタル撮影、実体顕微鏡デジタル撮影などが行われています。このうち赤外線フォールスカラー合成デジタル撮影は赤外線画像の特定の波長域を別の色調(すなわち false color/偽の色)に置換処理したもので、可視光下では同系色にみえる2種の顔料が異なる色調で表示されることもあり、技法分析に役立つとのことです。芸術新潮2019年12月号掲載のウフィツィ美術館のキリストの洗礼(ヴェロッキョ工房とレオナルド・ダ・ヴィンチ作)の調査報告では、ヨハネとキリストの肉体は全く異なる顔料で描かれていることが分かるとされていて、現在の画像診断方法の中ではかなり有力な方法と思われます。トゥールーズのユディトが今後METに入るのならば、こういった調査が徹底的に行われ、結果が公表されることが望まれます。

3.今回の絵の購入方法と寄贈について
番組の最後の方で、オークションではなく通常の取り引きにより売却が決まったこと、その裏にはアメリカの富豪とMETのキース・クリスチャンセンが関与していたことが明かされていましたが、これを見て思い出したのは、昔ワシントンNGがジネヴラ・デ・ベンチの肖像を手に入れた時の話です。
かなり昔に新聞で読んだ記事ですが、これが深く印象に残ったことがルネサンス美術に関心を持つことになったきっかけの一つなので、その内容は今でもよく覚えています。
レオナルド・ダ・ヴィンチの絵について、ヨーロッパの主要大国(英仏独ソ)にはあるのにアメリカにはないということで、アメリカの美術館関係者や支援者は皆レオナルドの絵を手に入れたがっていたが、リヒテンシュタイン公国の王室コレクションから絵が売却されるという情報があったため、ワシントンNGの関係者が極秘に徹底的な調査を行い、真筆という確信が得られたので、購入することとした。アメリカへの運搬は飛行機で行い、絵のために一人分の座席を準備して運んだ。価格は当時の絵画取り引きの最高額であった。資金の提供者はメロン財閥で、すぐに国家に寄贈し、絵にはポール・メロン氏寄贈の銘板が付けられて名誉が与えられ、また寄贈者には税の控除があり、国家(ワシントンNG)にはただでレオナルド・ダ・ヴィンチの絵が手に入って、めでたしめでたしということです。
(ジネヴラ・デ・ベンチの肖像はボッティチェリの絵とともに、ワシントンNGへ行ったら真っ先に見たいと思っていた絵です。1月に代官山で開催された「没後500年記念夢の実現展」での腕の部分を追加した復元模写も興味深く拝見しました。)

今回のテレビ番組の中で言われていた、美術館関係者からは誰も購入希望者が出てこなかったということが、このトゥールーズのユディトについての専門家の評価を象徴的に示していると思います。カラヴァッジョの真筆として美術館が購入するには疑問点が多すぎてリスクが高いと判断したということです。購入希望者はアメリカの富豪ただ一人、そしてその裏で動いたのがMETのキース・クリスチャンセン。オークションの予想価格よりも低い値段で取り引きが成立したはずですから、これは購入後の調査でカラヴァッジョの真筆と判定されれば「お得な買い物」となり、METの展示室に寄贈者の名前も載って大きな名誉が与えられます。真筆ではないフィンソンか誰かの作となれば金銭的な評価は桁違いに下がってしまい、寄贈者もあまり注目されません(大騒ぎになった絵の寄贈者として名前は残るでしょうが)。大きな賭けですが、アメリカの富豪というのはリスクを取る投資家・企業家でもありますから、その辺は承知の上でスポンサーになっているはずです。クリスチャンセンも、うまくいけば高い評価が得られる、ダメでも自分のふところが痛むわけではない、ということです(学者としての評価がどうなるかということはありますが)。

4.トゥールーズのユディトの作者判定に関しての個人的感想
以下に述べることは番組を見終わってから考えた全くの素人の思いつきです。美術史的な裏付けも何もない空想ですが、こういう感じ方もあるということを知っていただければと思います。
(上で述べたモレッリ方式の判定とか科学的分析のことは別にしても)私はこのトゥールーズのユディトはカラヴァッジョの真筆ではないと思いました。私には番組中で「バルベリーニのユディトの表情には人を殺すことへのためらいがあるが、この絵のユディトは冷酷な殺し屋のように見える」という趣旨の解説がとても気になりました。最近名古屋のカラヴァッジョ展に来ていたボルゲーゼのダビデとゴリアテを見て感じたことですが、首を切られたゴリアテの側はカラヴァッジョの自画像として自分の犯した罪への反省とか後悔とか恩赦への期待といったことがよく語られていますが、首を切ったダビデの側にも何か複雑な感情、単なる勝利者としてカラヴァッジョが表現しなかった理由があるように思います。ルネサンス時代のドナテルロ、ヴェロッキョ、ミケランジェロのダビデとは違うもっと複雑な感情を表現できる能力をカラヴァッジョが持っていた、あるいはルネサンスという特別な時代(15世紀後半のイタリアは戦争がほとんどなかった史上まれに見る時代だったので、そこにルネサンスの花が開いた、と考える研究者もいます)とは違う、イタリアにとって苦難の時代にローマという競争の厳しい世界で生きていたカラヴァッジョが感じ取って表現したものかもしれません。メデューサの楯にしても、メデューサは単なる化け物ではなく、妖怪にならざるを得なかった深い意味(悲しみ)がある(もとは髪の毛がきれいな絶世の美女だったのに)。そしてカラヴァッジョはこういう殺す側と殺される側双方の持つ悲しみを理解し表現することができた画家ではないかと番組を見て感じました。だから、単純な殺し屋としか表現できていないトゥールーズのユディトはカラヴァッジョの真筆ではないと感じています。カラヴァッジョとカラヴァッジェスキの作品で同一主題を描いたもの(いかさま師、ダビデとゴリアテ、聖マタイの召命など)で比べてみると、その表現力の差は理解できると思います。


【むろさんさん寄稿】「NHK BS世界のドキュメンタリー「疑惑のカラヴァッジョ」を見ての感想」(1)

2020-06-03 23:27:52 | テレビ

ゲストのむろさんさんから、BS-ドキュメンタリー「疑惑のカラヴァッジョ」についての投稿を頂いたので、2回に分けて掲載したいと思います。

「NHK BS世界のドキュメンタリー「疑惑のカラヴァッジョ」を見ての感想」【むろさんさん寄稿】

1.モレッリ方式によるカラヴァッジョ作品の真筆判定の妥当性について
今回のテレビ番組ではイギリスのJohn Gashという研究者がトゥールーズのユディトとカラヴァッジョの真作であるというルーアンのキリストの笞打ちを比較し、キリストの目の下の部分や下帯の表現とユディトの目やベッドシーツなどの細部がよく似ているということをトゥールーズのユディトがカラヴァッジョの真筆であると判定する一つの根拠としています。このやり方が妥当なのかどうか考えてみました。

まずはこの比較研究の基になる理論として、モレッリ方式とは何かを簡単に書きます。この方法について正確かつ分かりやすく説明した本はあまり見たことがないのですが、私の知る範囲では、東京藝術大学創立100周年記念貴重図書展解題目録(1987年発行)に「モレッリ イタリアの画家とその作品の批判的研究」として、1891~93年に出版されたジョバンニ・モレッリのドイツ語・英語の著書に関する紹介が掲載されていて、簡潔で分かりやすいと思うので以下に引用します。(執筆佐々木英也、原書は美術学部長摩寿意善朗からの寄贈)。
それによると、「モレッリ方式は美術作品を全体的な意味によってではなく、外形的な諸部分つまり画家が自分の型とか手の癖に従って無意識的かつ反復的に描く傾向をもつ耳、指、鼻あるいは衣襞などを精密に比較対照し、これによって作品の真偽とか作者の帰属を決定しようとするものである」としています。
写真は1892年発行のモレッリの著書「ローマの美術館」(英語版)からルネサンス期の画家の手の部分を取り上げたもので、フィリッポ・リッピやボッティチェリの名も見えます。フィリッポ・リッピ特有の短い指の描き方やボッティチェリのヴィーナスの誕生、ワシントンNGの青年の肖像(2016年上野都美ボッティチェリ展に来日)に見られるような「しなやかに伸びた指とポーズを取った手」が見て取れます。

モレッリ方式については、後記する日本美術での適用事例に比べて、近年の西洋美術の研究では論文等への記載があまり見られないと常々思っていたため、2016年の上野都美ボッティチェリ展記念講演会(イタリア文化会館)でそのことを質問しました。質問票にその旨を記載し提出したところ、何人かの質問者の分と合わせて採用され、同展イタリア側監修者のチェッキ氏(元パラティーナ美術館館長)とネルソン氏(ハーバード大ルネサンス研究センター ヴィラ・イ・タッティ所属、フィリッピーノ・リッピの研究者)からご回答をいただきました。その内容は「モレッリ方式は美術史研究の初期段階で提唱されたものであり、当時は無意識に描いたとされる部分に現れた特徴を機械的に作品判定に適用していた。その当時と比べ現在は研究成果も蓄積されていて、モレッリ方式を適用するよりも作品のクォリティーを見極めることの方が大事である。ベレンソンも、本人かどうかは絵のクォリティーが大事と言っているし、矢代幸雄はモレッリ方式は役に立たなかったと言っている。」とのことでした。
作品自体の質の判断が第一ということはよく分かりましたが、作品判定に際してモレッリ方式を機械的に適用しないで、作品の質・出来を考慮しつつモレッリ方式を適用することもできるのではないかと、その時も完全には納得できないまま現在に至っています。今回のテレビ番組に関連して、モレッリ方式の適用について考えてみたのですが、まずこの問題の参考になりそうな日本美術の例を(少し長くなりますが)示そうと思います。

モレッリ方式の日本美術への適用事例として、大きな成果を上げていると思われるのは彫刻史分野での仏師快慶作の仏像への適用です。私は日本美術から入って、その後西洋美術も見るようになったのですが、モレッリやベレンソンの名前とモレッリ方式という言葉を初めて知ったのが快慶の仏像の耳を使った判定を説明した本でした。その著者は運慶の作品と快慶の作品の耳の造形の違いから快慶作品の特徴を抽出したり、快慶銘はないが作風が近いとされている作品の作者判定に耳の形を使い、その仏像が快慶ではない仏師の作であると判断し、現在ではその判定が定説となっています。その後、この快慶の仏像の耳を使った判定を更に発展させた別の研究者が快慶と弟子の行快の耳の彫り方の差に注目し、この10年ぐらいで大きな成果を上げています。図は人間の耳を示したもので、この耳の部分のうち対耳輪の上脚という部分が「快慶では斜め約45度前方」に向かい、「行快では真っすぐ上」に向かう、というのがその違いです。快慶作品でも初期のものではこれとは違う上脚の角度・形を示すものがありますが、中期以降の作品はほとんど全てこの形になります。そして行快もその頃から登場し、快慶銘のある作品でも行快の耳の特徴を示すもの、右耳と左耳で快慶と行快それぞれの特徴を持つものもあります。これについての解釈は実際には行快が彫っていても、注文者に引き渡す時には「快慶ブランド」として工房から出す、また、頭部の右側と左側で快慶と行快が片側ずつ作って木寄せをしたといったことが考えられます。

このような作者判定に耳の形が使えるといっても、それは同じような時代、地域、社会的環境などの中でのごく狭い範囲でのみ有効であると考えられ、例えば同じ平安時代の仏像でも9世紀のものと運慶・快慶の若い頃である12世紀後半の像の耳が仮によく似ていることがあっても、それは単なる偶然であり比較しても意味がありません。快慶と弟子の行快の耳の彫り方による判別は同一工房の中の作者間であり、師匠の快慶も行快の彫り癖を容認していたようで、行快は快慶の耳の彫り癖を真似て作る必要がなかったという点でモレッリ方式を適用できる例と言えます。そして特に重要なことは、鎌倉時代の仏像製作は注文によるものであり、高く売るために有名な作家の作品の特徴の真似をするといった意図、行為が働いていないということです。

現代の画家が描く絵を見る時でも、最近私はモレッリ方式による見方をしていることがあります。漫画家からイラストレーターになったある有名作家の描く女性の手・指の表現で、ある時美少女らしくない節くれだって力が入ったような描き方をしていることに気がつきました。それ以来この人の絵を見るとつい手に目が行ってしまいます。この手の特徴も描き癖だろうと思っています。

長くなりましたが、西洋絵画の判定にモレッリ方式を適用できるかに戻ると、ルネサンス・バロック期は美術品売買の市場ができ始めた時期です。ミケランジェロが若い頃に、自作の眠れるキュピッドが古代彫刻として売られ、作者が判明して腕の良い彫刻家としてローマでのデビューにつながったという話やバルジェロのバッカスも古代彫刻に見せるために腕を折られて庭園に飾られたことなど、1500年前後は芸術家像が確立し始めるとともに、芸術作品が高値で売られ始めた時代です。バロック期になると売るための絵もかなり流通してきたようで、カラヴァッジョもローマに出てきたばかりの数年間は「売り絵」を描いて糊口をしのいでいたようだし、名前が知られるようになってからも、同じ作品が欲しいという別の注文者からの要望に応えるために、同一テーマの第2作を作ったり、あるいは本人公認で他の画家に作らせる(ドッピオ作品。作者は悪友のプロスペロ・オルシなど。近年までMET寄託だったリュート奏者もその一例か)といったことが行われたようです。その場合、作者はカラヴァッジョ作品に似せるために細部の描き癖までも真似をするのではないでしょうか。

このような「より高く作品を売るため」に製作当初でも別の人が描くということが行われていた時代の作者判定には、モレッリ方式を適用することはあまり有効ではないと考えます。本人の特徴が現れていても、最終的にはそれだけでは作者の判定は決められないということになります。(贋作の判定に有効かどうかも同じような話です。特徴が現れていなければ贋作の可能性があるが、特徴が現れていても真作である証拠とはならない。)トゥールーズのユディトがルーアンのキリスト笞打ちの細部とよく似ているといっても、それだけでは作者の判定はできないと思います。(ヴォドレ氏の2016年西美カラヴァッジョ展での真作一覧表のように、ルーアンの絵自体を真作ではないと考える研究者もいますから、この作品を基準にしていいのかという議論もあると思いますが。)

真筆との比較という点では、バルベリーニのユディトとの差は大きいし、イヤリングが似ていることは、それほど決定的なことではないと思います。また、トゥールーズのユディトはナポリの銀行の絵と比べると出来がいいと思いますが、番組で述べられたようにこのトゥールーズの絵が仮にカラヴァッジョの未完成作をフィンソンが完成させた絵だとすると、ナポリの銀行の絵はそれから更に作られたコピーだろうと思うし、同じフィンソンの作でこれだけ質的な差があるのか、別の人のコピーではないのかということも考えなくてはならないでしょう。番組ではトゥールーズの絵の女性2人の肩の部分の描き直しのX線画像が出ていましたが、この同じ部分についてナポリの銀行の絵がどうなっているのかも知りたいところです。

また、この問題についての提案を一つ。番組ではトゥールーズのユディト、ナポリのユディト、ルーアンのキリスト笞打ちの3者を比べて、ナポリの絵はフィンソン作でトゥールーズの絵より出来が悪い、トゥールーズの絵の細部はカラヴァッジョ作であるルーアンの絵の細部と似ている、だからトゥールーズの絵はカラヴァッジョ作である、ということを述べているのですが、ここにもう1点フィンソン作の絵を加えて考えてみたいと思います。それは昨年の名古屋カラヴァッジョ展に出品された個人蔵の聖セバスティアヌス(図録のp149 No.22)です。この絵のセバスティアヌスの下帯とルーアンのキリストの下帯を比べても、特にフィンソンの技術が劣るという感じはしません。モレッリ方式は技術の優劣を比べるのではなく、特徴的な描き癖を見るものですが、フィンソンもこのぐらいの技術は十分持っていたということです。この聖セバスティアヌスの絵は図録解説によると保存状態が非常に良いということで、フィンソン作という判定が正しいならナポリのユディトよりもフィンソンの絵の実態を正しく示しているのではないでしょうか。図録解説での制作年代は1606~07年頃となっていて、これはトゥールーズのユディト、ナポリのユディト、ルーアンのキリスト笞打ち、カポディモンテのキリスト笞打ちの制作年代とされる1607年(カラヴァッジョの第一次ナポリ時代)と一致している点でも比較材料として相応しいと考えます。(フィンソン作の聖セバスティアヌスの下帯の描き癖とカラヴァッジョの各種真作の同様部分、トゥールーズとナポリのユディトのベッドシーツの描き癖などの比較はやっていません。興味のある方は比べてみてください。)

なお、番組中で上記のトゥールーズの絵とルーアンの絵の比較部分に出演していたJohn Gash氏はバーリントン・マガジンの2019年9月号(No.1398)にこの件に関する論文を発表しています。私はまだこの論文をきちんと読んでいないので、今後これを読んだ上で、上記の考えが変わるようなら、また機会をあらためてコメントしたいと思います。