花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

ロベルト・ロンギ「芸術論叢」拾い読み(^^;;

2023-07-15 01:17:41 | 読書

フェッラーラ派を調べようと、ロベルト・ロンギ『芸術論叢Ⅰ』の「フェッラーラ大工房(抄)」をサクッと読んだついでに、他の章もちょこっと拾い読みをした

で、私的に面白かった箇所を二つほど...

◆ジョルジョーネ(Giorgione,1478年頃 - 1510年)

ジョルジョーネ《ラウラ》(1506年頃)ウィーン美術史美術館

ジョルジョーネ《モーゼの火の証》(1505年頃)ウフィッツィ美術館

「ウィーンにあるジョルジョーネの《ラウラ》が繰り返しボッカチーノに帰せられてきたことは、フェッラーラの画家に対するヴェネツィアの画家ジョルジョーネの早々とした影響を説明することになるとしても、ウフィッツィの小品《モーゼの火の証》に見られる多くのエミリアの反響を説明するのは、より困難なことである。もちろん私は、カステルフランコ・ベネトをカステルフランコ・エミリアにすり替えようとしているのではない。」「芸術論叢Ⅰ」(P208-209)(第八章 ヴェネツィア絵画五百年の糧)

思わず、座布団一枚  と声をかけたくなった

◆エヴァリスト・バスケニス(Evaristo Baschenis ,1617年 –1677年)

エヴァリスト・バスケニス《パンとビスケットのバスケットを持つ少年》(1660年頃)個人蔵

「あるいは、《菓子籠を持つ少年》のような作品。われわれはここにミラノにあるカラヴァッジョの果物籠に再会するとも言えるであろう。バスケニスは、カトリックの教会管区に身を捧げつつも、あえてフェルメールに似ようとしているのであろう(おそらくフェルメールには、スェールツのようにしか見えなかっただろうが)。」「芸術論叢Ⅱ」(P218) (第十一章 モローニからチェルーティへ)

おおお…もしかして、フェルメールはスェールツを知っていたのだろうか 

※ご参考:https://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/a284f73e5eb7b9203f666fcf88ea5f1e


「Art e Dossier(4月号)」別冊「Cecco del Caravaggio」。

2023-05-27 21:12:55 | 読書

4月に拙ブログで、アカデミア・カッラーラ(ベルガモ)で開催中の「Cecco del Caravaggio(チェッコ・デル・カラヴァッジョ」展を紹介した。

https://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/bcc539271303dae1cdbb15a458bf7eb5

で、なんと「芸術新潮」6月号にこの「チェッコ・デル・カラヴァッジョ」展のレポート記事が2頁にわたり掲載されていた。(むろさんさん情報に感謝

この展覧会はできれば私も本当に観たかったし(残念)、特にカラヴァッジョの弟子としてどのように画業に関わったのか興味があった。まぁ、残された作品から透けて見えるものがあると思うが、チェッコ作品として特定された作品もまだ多くはなさそうであり、多分、この展覧会を機に研究が深まって行くものと思われる。

ちょうど、ボローニャのFさんから「Art e Dossier 4月号(408)」別冊「Cecco del Caravaggio」(Gianni Papi著)を送って頂いたばかりで、私的にグッドタイミングだった。(Grazie>Fさん)

電子辞書を片手に読み始めたばかりだが、さすが、カルヴェージ(Maurizio Calvesi, 1927-2020)が関わった雑誌であり、このジャンニ・パピによる別冊付録の巻末には年表&文献一覧まで付いていて、その充実ぶりに感動してしまった😢。

パピ自身も書いているが、展覧会が開催されたものの(パピが監修)、チェッコの出生や没年情報をはじめ、チェッコをめぐる謎はまだまだ多いようだ。私的にも今後の研究に期待したい。


ジャック・ル・ゴフ「中世とは何か」を読んだ。

2023-02-12 21:23:16 | 読書

今年のお正月は、O先生の講座で紹介されたジャック・ル・ゴフ「中世とは何か」を読んだ。

ジャック・ル・ゴフ(Jacques Le Goff, 1924 - 2014年)は、現代フランスを代表するアナール学派の中世史家である。

この「中世とは何か」はル・ゴフが質問に答えるという形で編集されているので、論文調ではなく、初心者の私にも非常にわかりやすく読むことができた。内容は多岐にわたるが、ちょうど本のカヴァーに要領よくまとめられているので、写真を撮っちゃった、へへ、ご参考まで

以前、このブログでも書いたのだが、西洋の中世は「476年(西ローマ帝国の滅亡)~1492年(コロンブスの新大陸発見)」とされている。

https://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/b46ebc320f91137015fc4d99c61ce243

まず、西洋史の時代区分についての話は確かに笑えるのだけどね。明日から中世が終わって近世ですよなんて、当時生きていた人たちには認識できっこないもの。

ちなみに、日本でも日本なりの「中世」という概念はあるように思えるのだけど、どうなのだろう?? 大学時代(日本史専攻ではない)、黒田俊雄の中世領主制説とか、永原慶二とか網野善彦とか勉強した記憶があるのだよね(内容は忘却の彼方)。

「西洋の組織化は、敵として認識される世界と対立する自らの存在を自覚し、一つのキリスト教世界、いやキリスト教世界そのものであろうと欲することによって、はじめて可能となった。」

ああ、これは「百年戦争」が、当時未分化だったフランスとイギリスが、戦争の結果としてフランスとイギリスという「国家」が生まれたのと同じだなぁと了解できる。

ちなみに、私的におーっ!と目から鱗だったのは...例えば...

■「すべてが宗教だった中世に宗教という言葉はなかった。16世紀の宗教という概念の誕生は、本当の断絶を示す。」

「宗教」という言葉が言語化されたということは、「宗教」の客体化であり、中世キリスト教社会との決別だということなのだと了解できた。

■「ヘーゲルの『歴史の終わり』も、マルクスの『最終戦争』も、おそらく中世人にとってとっぴな考えではなかった。」

いや、本当になるほどね!と笑っちゃえるところが凄い。ヘーゲルもマルクスも読んでないけど(汗)、彼らの頭の中には、きっと中世人のDNAが刻まれていたのだろうなぁと想像できたのだ。

ということで、この「中世とは何か」があまりにも面白かったもので、積ん読状態だったアンリ・ピレンヌ「ヨーロッパ世界の誕生-マホメットとシャルルマーニュ」を読み始めてしまったのだよ。

私の知りたかったローマ帝国の崩壊後の世界が詳細に描かれていて非常に興味深いのだが(塩野七海さんの著書では物足りなかった)、しかし、「中世とは何か」ほど読みやすくはなく、少しずつしか読み進めない自分の読解力(&知識)の無さが残念である。ということで、現在進行形で読み続けているところだ。

ちなみに、ピレンヌの「ベルギー史」が本当に読みたいのだわ!! どなかた専門家の先生が翻訳して出版してくれないかなぁ。お願いいたします!!


ヤマザキマリ著『リ・アルティジャーニ』を購入。

2022-06-30 01:28:34 | 読書

国立西洋美術館のショップに、なんと!6月30日発売予定日の『リ・アルティジャーニ―ルネサンス画家職人伝―』が置いてあった

で、早速チェックしましたよ~、アントネッロ編をね。

で、飾られていたのは、ペトルス・クリストゥスの部屋ではなく、コラントニオ先生の工房だった。でも、やっぱり似ているよね~!!

ヤン・ファン・エイク《アルベルガティ枢機卿の肖像》(1431/35年頃)ウィーン美術史美術館


ヤマザキマリ著『リ・アルティジャーニ』が「とんぼの本」で♪

2022-06-25 23:52:38 | 読書

『芸術新潮』7月号を本屋で立ち読みしたのだが(汗)、ヤマザキマリさんが連載していた『リ・アルティジャーニ』が「とんぼの本」として出版されることを知った。6月30日発売とのことで、わーい、楽しみだ!!

・ヤマザキマリ/著『リ・アルティジャーニ―ルネサンス画家職人伝―』(新潮社/とんぼの本)

https://www.shinchosha.co.jp/book/602301/

「舞台は15世紀半ばのイタリア。当時、まだ「職人(アルティジャーニ)」という立場で腕をふるっていた画家たち――ボッティチェリ、レオナルド、アントネッロらの青春時代から老境までを美麗に活写する。」

私的には、渋~いマンテーニャ&ベッリーニ義兄弟編や、アントネッロ編で、ペトルス・クリストゥスの部屋の壁に飾られていた《アルベルガティ枢機卿》に似た作品をぜひ再読確認したいのだわ


(続)塚本邦雄の小説が文庫化( ;∀;)

2022-06-08 22:36:32 | 読書

塚本邦雄の小説が文庫化された件で、前回、「中身の方も旧漢字旧仮名遣ひではなくなったのか?不安ではあるが、とりあえず書店チェックをしてみたいと思う。」と書いた。

が、結局、駅前の〇善書店に行くのも面倒なので、amazonぽちっと購入してしまった

ということで、中身チェックをしたところ、旧漢字旧仮名遣ひ(正字正仮名=旧字旧仮名)は、今回の文庫本では「新字旧仮名」になっていた。要するに新漢字に旧仮名遣いという、妥協とも言える表記になっていた。確かに読み易くはなったが、行間から立ちのぼる香気が半減したのが哀しい

この文庫版の帯「文字でできた麻薬」と書いた人は、単行本で再度読み直して欲しいものだ。


塚本邦雄の小説が文庫化( ;∀;)

2022-06-05 10:09:56 | 読書

最近は小説の類は全然読んでおらず、読むとしても美術書が多くなっている。ところが、偶然、塚本邦雄の小説が文庫化されていることを知った。

・塚本邦雄『十二神将変』(河出文庫)

https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309418674/

・塚本邦雄『紺青のわかれ』(河出文庫) 

https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309418933/

以前にも書いたと思うが、私は昔から塚本邦雄の短歌よりも小説の方が好きであり、あの!知る人ぞ知る絢爛玲瓏たる小説が文庫化されたことは実に喜ばしい。

しかし、問題は、題名からにして旧漢字ではなくなっていること!!塚本世界が薄っぺらくなってしまうよ!!  それに、装丁も気に入らない。塚本家は政田岑生氏に対して遺恨があるようだが、装丁家としての政田氏は良い仕事をしていると思う。

文庫本をまだ手に取って見たわけでない。中身の方も旧漢字旧仮名遣ひではなくなったのか?不安ではあるが、とりあえず書店チェックをしてみたいと思う。新漢字新仮名遣いになっていたらガッカリだわね

※ご参考:デューラー木版画からの引用

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Albrecht_D%C3%BCrer_-_Coat_of_Arms_of_the_German_Empire_and_Nuremberg_City_(NGA_1943.3.3685).jpg

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Albrecht_D%C3%BCrer_-_Title-Border_with_Putti_Holding_the_Pirckheimer_Arms_(NGA_1984.20.1).jpg


ジュール・ミシュレ『フランス史【中世】Ⅴ』私的超サクッと感想(^^;

2022-03-22 21:49:23 | 読書

以前読んだジョゼフ・カルメット『ブルゴーニュ公国の大公たち』(国書刊行会)はとても面白い本であったが、フランス史から見たブルゴーニュ公国はどうなのだろう?と、ジュール・ミシュレ『フランス史【中世】Ⅴ』(第5巻)を図書館から借り、ようやく読み終えた。

ジュール・ミュシュレ(Jules Michelet, 1798-1874年)は19世紀フランスの歴史家であり、まぁ、なんと!「ルネサンス Renaissance (仏)」の造語者とされている。現代における歴史家としての評価はわからないが、アナール派に影響を与えたと言われており、私的にもなにやら頷けるものがある。

さて、【中世】Ⅴは百年戦争期を扱っており、英仏の思惑と攻防、そして、フランスという国家の統一までを描く。もちろん、フランス王と対立するブルゴーニュ公の思惑も、ジャンヌ・ダルクの奮闘と悲劇も登場する。ミュシュレの描く乙女は瑞々しくも賢く美しい。

しかし、私的にⅤで特に興味深かったのは、ブルゴーニュ公のフランドル支配におけるフランドル諸都市との軋轢の理由の一つとして、ゲルマン法とローマ法の違いに言及していることだった。

「低地ドイツだけでなくドイツ人全般にいえることだが、彼らは、わたしたちのような他のどこかの人間(autres welches)とくに成文法しか頼りにしない疑い深い南国人には、あまり敬意を抱かない。彼らにとって法律は人間の良心と誠意への確固たる信頼に基づくもので、耳で聴くものであった。フランドルで重要な裁判集会は、自由な人間が真理を共有するための集いであり、あくまでも「真理の率直で平和的な解明」をめざすものであった。各人は、たとえ自分にとって不利であっても、ほんとうのことを話さなければならなかった。実際は必ずしもそのとおりでなかったとしても、これがゲルマン法の理想であった。・・・しかし、フランドル伯とブルゴーニュ人やフラッシュ=コンテ人の法律家たち(レジスト legistes)は、こうしたフランドル人原初的規範を理解しようとは全くせず、これらの言葉のフランドル的意味を無視して、あくまでローマ法的に解釈し、行政官(magistaras)を任命し、そこから「loi(法律家・代訴人)」を選べば充分であると考えた。」(p320~p321)

確かに、ブルゴーニュ公国はフランスの高等法院のシステムをフランドルでも採用しているからね

そして、もう一つ私的に興味深い記述があった。

「ブルゴーニュ公は、その公国においても、フランスにおいても、あくまで政治的封建体制の首長であり、ほんとうの意味での封建領主ではまったくなかった。本来の封建制度の法を作りあげていたもの、領民をして自分たちに重荷をかけてくる人々に尊敬と敬愛の気持ちを抱かせていたもの、それは、領主が根底的に土着の人だったということである。すなわち、領主一家がその土地で生まれ、その土地に根を下ろし、みんなと同じ生活をしている人、いうなれば『ゲニウス・ロキGenius loci』(訳注・土地の神霊、氏神)だったからである。ところが、その全てが、十五世紀には、結婚や相続、王からの贈与などのために覆されてしまっていた。」(p368)

フィリップ・ル・アルディとフランドル女伯マルグリットの結婚により、フランドルはブルゴーニュ公領に編入された。が、ここで私が「おおっ!」と呻いてしまったのは『ゲニウス・ロキGenius loci』が登場したからである

以前、H先生の講座で紹介された、鈴木博之『東京の地霊(ゲニウス・ロキ)』を読んだことがあった。

鈴木先生(H先生の先生)の「ゲニウス・ロキ」は、ある土地から引き出される霊感とか、土地に結びついた連想性、あるいは土地がもつ可能性といった概念を言っていた。なので、池上俊一『フィレンツェ- 比類なき文化都市の歴史』(岩波新書)を読んだ時も、これはフィレンツェのゲニウス・ロキについてではないかと思ってしまった

しかし、このミシュレの「ゲニウス・ロキ」についてを読むと、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」の坂東武者なんて、まさしく土地に密着した「ゲニウス・ロキ」の関係なんじゃないかと思えてしまうのだよ。氏族は土地の名前だしね。

ということで、次は「中世 Ⅵ」(第6巻)を読まなくちゃ。ルイ12世とシャルル・ル・テメレール の確執と、ル・テメレールの死が描かれているはずだから。そして、できたら続けて「Ⅶ ルネサンス」(第7巻)も読みたいな


トマス・ホーヴィング『謎の十字架』再読。

2021-07-05 12:24:08 | 読書

前にメトロポリタン美術館クロイスターズ分館について書いたが、その時にトマス・ホーヴィング著『謎の十字架』について触れた。

https://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/88932aa8a7b77b4558ffd7d4dfeccd6c

なんだか懐かしくなり、図書館で借りて再読してしまった。三十数年ぶり??

当時は美術にあまり関心も無く、ただストーリーを面白く追うだけだったが、今回はその細部を極めて興味深く読むことができ、しみじみ、再読して良かった~!!と思ってしまった。初読から今回の再読までの歳月、その間の自分の美術追っかけ経験が決して無駄ではなかったと思わせてくれたからだ。

昔はよくわからず読んでいた事柄が、今はまざまざと了解できる。なにしろ、のっけからアンニバレ・カラッチのファルネーゼ天井画と素描についてのホーヴィングお手柄話が出て来るんだもの(だから繋がりでマルケのカルトーネ)(笑)。

物語は、ホーヴィングがクロイスターズで働くことになる経緯から始まり、「謎の十字架」の実物を見る機会を得、その素晴らしさに魅せられ、何とかMETに入手得しようと奮闘する物語である。セイウチの象牙に彫られた十字架の出自の謎解きだけではなく、怪しげな収集家や競合する美術館との駆け引きなど、ミステリー冒険小説のような趣もあり。なにしろ、ホーヴィングがフィレンツェのバルジェッロ国立博物館でボンド顔負けの離れ業をしたりするし

クロイスターズにて撮影。

ちなみに、METサイトでは…

https://www.metmuseum.org/art/collection/search/470305

「Provenance」には「Ante Topic-Mimara, Zurich (sold 1963)」とだけ書いてある。そう、このミマラが曲者なのよねぇ(笑)。

ホーヴィングはこの十字架を、12世の名匠ヒューゴによる英国サフォーク「ベリ・セント・エドマンズ修道院」起源としたが、その後、英国起源説に異論が出ており、現在ではどうやらそれが主流になっているようだ。もちろん、METは英国説のままだけどね


佐藤直樹・著『東京藝大で教わる西洋美術の見かた』を読んだ。

2021-04-18 19:49:18 | 読書

佐藤直樹・著『東京藝大で教わる西洋美術の見かた』(世界文化社・刊)を読んだ。

藝大の先生が書いた、鑑賞眼を鍛えるための「美術史概説」であり、一般向けに簡潔な説明にしてくれたので、本当に読み易かったし、活字も大きく老眼の年寄り(私)には大変ありがたかった

著者の佐藤先生のご専門はドイツ・北欧美術史ということで、概説本ではあるが、取り上げている事例に北方絵画が多いと言うのもツボで、もちろん、ジョットやカラヴァッジョも登場する。それに印象派を省いたところなども潔くて良いのだわ。

さて、なにより目を惹いたのは、表紙のロヒール・ファン・デル・ウェイデン。

ロヒール・ファン・デル・ウェイデン《若い女性の肖像》(1440年頃)ベルリン国立絵画館

裏表紙はロベルト・カンピンだもの、おほほほ...

ロベルト・カンピン《若い女性の肖像》(1435年頃)ロンドン・ナショナル・ギャラリー

で、なぜ表紙がこの二人の画家だったのか?? 

思うに、この本の一番のハイライトがロベルト・カンピン研究の新説だから、ではないかと。フェリックス・テュルレマン説(2002年)は刺激が有り過ぎるのだよ(笑)。

https://www.amazon.co.jp/Robert-Campin-Monographic-Critical-Catalogue/dp/379132778X

超サクッと要約すると、プラド美術館のウェイデン作《十字架降下》だが、実はカンピン工房作で、カンピンとウェイデンの共作ではないか? そして、シュテーデル美術館のフレマールの画家(ロベルト・カンピン)の3枚の板絵《聖ベロニカ》《聖母子》《三位一体》は、《十字架降下》と組み合わされた一つの多翼祭壇画だったのではないか?との説だ。両者の縦の長さが一致するそうだ

※ご参考:プラド美術館《十字架降下》

https://www.museodelprado.es/en/the-collection/art-work/the-descent-from-the-cross/856d822a-dd22-4425-bebd-920a1d416aa7u館

※ご参考:シュテーデル美術館《聖ベロニカ》《聖母子》《三位一体》

https://sammlung.staedelmuseum.de/en/work/the-flemalle-panels-st-veronica-with-the-veil

「バランスよく作品を知るより、個々の作品に対する具体的アプローチを学んだ方が、実は美術鑑賞のコツを得るには手っ取り早いのです。」とのことで、各回、面白く刺激的な内容で、楽しくお勉強できた。美術ど素人の私の鑑賞眼も少しは鍛えられたであろうか??

ちなみに、佐藤先生のカラヴァッジョ《聖マタイの召命》のマタイは、石鍋先生の説と同じだった