フェッラーラ派を調べようと、ロベルト・ロンギ『芸術論叢Ⅰ』の「フェッラーラ大工房(抄)」をサクッと読んだついでに、他の章もちょこっと拾い読みをした。
で、私的に面白かった箇所を二つほど...。
◆ジョルジョーネ(Giorgione,1478年頃 - 1510年)
ジョルジョーネ《ラウラ》(1506年頃)ウィーン美術史美術館
ジョルジョーネ《モーゼの火の証》(1505年頃)ウフィッツィ美術館
「ウィーンにあるジョルジョーネの《ラウラ》が繰り返しボッカチーノに帰せられてきたことは、フェッラーラの画家に対するヴェネツィアの画家ジョルジョーネの早々とした影響を説明することになるとしても、ウフィッツィの小品《モーゼの火の証》に見られる多くのエミリアの反響を説明するのは、より困難なことである。もちろん私は、カステルフランコ・ベネトをカステルフランコ・エミリアにすり替えようとしているのではない。」「芸術論叢Ⅰ」(P208-209)(第八章 ヴェネツィア絵画五百年の糧)
思わず、座布団一枚 と声をかけたくなった。
◆エヴァリスト・バスケニス(Evaristo Baschenis ,1617年 –1677年)
エヴァリスト・バスケニス《パンとビスケットのバスケットを持つ少年》(1660年頃)個人蔵
「あるいは、《菓子籠を持つ少年》のような作品。われわれはここにミラノにあるカラヴァッジョの果物籠に再会するとも言えるであろう。バスケニスは、カトリックの教会管区に身を捧げつつも、あえてフェルメールに似ようとしているのであろう(おそらくフェルメールには、スェールツのようにしか見えなかっただろうが)。」「芸術論叢Ⅱ」(P218) (第十一章 モローニからチェルーティへ)
おおお…もしかして、フェルメールはスェールツを知っていたのだろうか
※ご参考:https://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/a284f73e5eb7b9203f666fcf88ea5f1e