花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

舟越桂《ラムセスにまつわる記憶》。

2024-08-04 22:00:30 | 日本美術

「芸術新潮」8月号は今年3月に逝去された彫刻家舟越桂の追悼特集号だった。

以前、記憶は曖昧だが、東京国立近代美術館か東京都庭園美術館かで、舟越桂の作品展を観たことがある。初期の静寂な人物像はなんとなく有元利夫を想起させた。また、舟越安武が父であることを知り、岩手県立美術館で観た安武作品を思い出し、なるほどなぁと思った記憶がある。

今回の芸術新潮の記事を読むと、やはり一時期有元利夫の影響を受けたようであり、更にルーヴル美術館《フィレンツェの婦人》がお気に入りだったらしく、多分、初期ルネサンスの作風が好みだったのだろうと推察された。

《フィレンツェの婦人》ルーヴル美術館(ガラス光反射のため正面から撮れなかった

私的には、宮城県美術館(常設展)で舟越作品《ラムセスにまつわる記憶》が展示されていた記憶が新しい。なので、芸術新潮に記載されていた舟越作品所蔵先一覧で、所蔵が石巻市博物館になっていたのに驚いてしまった。えっ?宮城県美術館の所蔵ではなかったのか?!そして、石巻に購入提案する気の利いた学芸員がいたのか?!と

舟越桂《ラムセスにまつわる記憶》(1986年)宮城県美術館にて(所蔵:石巻市博物館)

2011年の震災で石巻文化センターが被災した後、《ラムセスにまつわる記憶》は泥の中から救出されたようだ。

ラムセスは謎だが、大理石の玉眼は震災の記憶をも宿しているように思える。


初期の満谷国四郎を日本のカラヴァッジェスキと言いたい(^^;

2021-04-29 17:20:48 | 日本美術

サクッと立ち読みした芸術新潮 5月号」の特集は「福富太郎」伝説だった。どうやら、東京ステーションギャラリーで「コレクター 福富太郎の眼 ― 昭和のキャバレー王が愛した絵画」展が開催中のようだ。ちなみに、現在はコロナ禍のため休館中である。

http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202104_fukutomi.html

「芸術新潮」の特集ページを捲っていると、満谷国四郎《軍人の妻》が目に飛び込み、ああ、やはり満谷の初期作品はカラヴァッジョ的だなぁ、と思ってしまった。

満谷国四郎《軍人の妻》(1904年)福富太郎コレクション資料室

写真を見ると、涙を宿す妻に注ぐ右全方からの光、妻の抑えた悲しみを映し出す白の半襟と黒の喪服、遺品を受ける白布の反射光、そして軍帽を映す軍刀の精緻な描写...。満谷はキアロスクーロを用い、その佇まいを哀しくも美しく浮かび上がらせている。

以前、山梨県立美術館「夜の画家たち」展の感想を書いた時、満谷国四郎《戦の話》について触れた。

https://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/dbfff464192556b1cfcc00b191af757d

満谷国四郎《戦の話》(1906年)倉敷市立美術館

驚くことに、カラヴァッジョ《聖マタイの招命》を想起させる明暗の効果であり、画面構成であり、満谷はカラヴァッジョ作品を観たのではないか?と疑うほどだった。

カラヴァッジョ《聖マタイの招命》(1600年)サン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂(ローマ)

今回の《軍人の妻》を見ても、やはり、満谷の初期作品にはカラヴァッジョ的なものが色濃く満ちているとしみじみ思う。美術ど素人の暴言かもしれないが、私的に、初期の満谷国四郎を日本のカラヴァッジェスキと言いたい


ネルソン・アトキンズ美術館の海北友松。

2017-05-25 00:42:34 | 日本美術

5月21日に終了した京都国立博物館の「海北友松展」に、ネルソン・アトキンズ美術館の《月下渓流図屏風》が来日していたようだ。残念ながらネルソン・アトキンズで海北友松作品を観た記憶が無い。

ネルソン・アトキンズ美術館のガイド本をチェックしていたら、《月下渓流図屏風》と共に《琴棋書画図屏風》も載っていたのだが、今回は来日していなかったのだろうか??

 ネルソン・アトキンズ美術館ガイド本

海北友松 《琴棋書画図屏風》(桃山時代)ネルソン・アトキンズ美術館

友松は《琴棋書画図屏風》を多く描いているようだが、当時、好まれた画題だったのだろうなぁ。


新日曜美術館― 浜口陽三

2007-09-10 02:27:52 | 日本美術
浜口陽三の「くるみ」を手にとって眺めたことがある。メゾチントの闇に静止する一粒の固く皺だらけの胡桃。深く静かな画面に思わず引き込まれるような作品だった。

友人のNさんの亡くなられた父上お気に入りの1枚で、マンション引越の際に実家から形見として持ち出したものとか。弁護士であった父上はこの作品を眺めながらベートーベンを聴いていたそうだ。

今日(昨日?)のNHK「新日曜美術館」で脚本家の山田太一氏が浜口陽三について語っていた。浜口はカラー・メゾチント(銅版画)の開拓者として有名だ。

「浜口の世界は恐ろしいほど自己限定的だ。さまざまな可能性を追求するのが芸術家の業なのに浜口は他の可能性を断念し、銅版の黒い闇の追求に賭ける。それは晩年の小津安二郎の世界に通じる」と。

私もミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションに行ったことがある。メゾチントの深くて暖かく、時に漆黒の闇に、光の点るようにさくらんぼや蝶やレモンが浮かび上がる。「静物画」とはこのことかと思うほど静寂に満ちた世界だ。計算し尽された構図は時を止め、丹念に研ぎ澄まされた造形と質感は淡い光を放ちながら純粋化し、普遍化していく。

山田氏は所蔵している作品をスタジオで紹介してくれた。黄色いレモンが前後に2個。その間に瓶が漆黒のシルエットとして浮かび上がる。ああ、凄いな~!と感心する。レモンの黄色はレモンじゃない、光なのだ。逆光のレンブラントであり、漆黒の虚空のルネ・マグリットなのだ。


(著作権に問題がありましたら削除します)

浜口の凄さに感じ入りながら、やはり自己限定的なイタリア人の画家を想起した。モランディの世界にもなにかしら共通するものがあるのかもしれないね。