花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

北イタリア旅行記(3)

2005-11-27 20:35:19 | 海外旅行
大抵の美術館案内書にはアカデミア美術館のジョルジョーネは旅行記(2)で触れた《テンペスタ(嵐)》と《老婆》しか扱っていなにのだが、どうした訳かカ・ドーロにあるはずのフレスコ画《裸体》、もあった。しかも、それだけではない。あのカステルフランコのサン・リベラーレ聖堂にあるはずの祭壇画《玉座の聖母子と聖リベラーレ、聖フランチェスコ》もあったのだ!
http://www.wga.hu/html/g/giorgion/religion/madon_fr.html

ヴェネツィアでは沢山の祭壇画を観たのだが、ジョルジョーネのこの祭壇画の異色さはソフィスティケートされた優美さにあるように思う。構図自体も濃紅色の織物で上下に分断され、その上部に玉座に座る聖母子が、下部に聖リベラーレと聖フランチェスコが立つという、正三角形シンメトリーで構成されている。聖母子の柔らかな雰囲気。聖リベラーレの鎧の光沢の描写さえこの聖者(若者としか見えない)美しい装飾衣装と見える。聖フランチェスコは左手を差出しながら優雅なポーズをとっている。三者の微妙なハーモニーが背景の風景と一体となり、優美な雰囲気を醸し出しているのだ。

私がこの作品の前に立った時、ちょうど目の位置が聖母子の足元に当たった。その足元から垂れている緑地の織物の繊細な質感描写に圧倒されたのだが、横に金色の細い線で織糸とその光に輝く陰影を描写していた。その繊細な描線を観ながら、ようやく芸術家として認められつつあった画家たちも、やはりまだ職人技の世界に住んでいたのではないか…と、ふと思ってしまった。私には薄暗い展示室の2作品よりもこの祭壇画に出会えたことの方が嬉しかったような気がする(^^;;

北イタリア旅行記(2)

2005-11-16 02:17:17 | 海外旅行
2日目<ヴェネツィア>

ヴェネツィアは今度で5度目になる。当時は絵画にそれほど興味を持っていなかったので、ドゥカーレ宮殿もアカデミア美術館もサックリとしか観ていなかった。アカデミア美術館はその時もティツィアーノの絶筆がお目当てだったのに、画面が暗い印象でなんだか良くわからず帰ってきたという、今から想えば実にもったいないことをしている(^^;;;
今回はヴェネツィア派を観るのだという目的があるので気合も入る。時差ぼけ含みの寝不足ではあるものの朝早く目が覚めた。ホテルはアカデミア美術館にほど近い。薄曇の冷気を吸いながらアカデミア橋を渡っても10分もかからずに着いてしまった。開館したばかりの朝8時35分、館内はまだ団体客も来ておらず空いていた。チケットは3美術館(アカデミア・フランケッティ・ペーザロ)共通チケットを購入。受付で音声ガイドを勧められる。何と日本語版もあるのだ!


◆ アカデミア(アッカデーミア)美術館 (Gallerie dell’Accademia ,Venezia)

私は正規の美術史の勉強をしたこともなく、まじめに調べるタイプでもないので、大抵は美術館で実物を観ながら感じたままを自分のものとしている。なので、ヴェネツィア派についてもこのアカデミア美術館でその概要を知ったような気がする。
塩野七生さんの「海の都の物語」を読むと、当時ヴェネツィアが海洋貿易大国として地中海世界の覇権を握り、強力な海運国家として隆盛を誇っていたことがわかる。アカデミアでヴェネツィア絵画を観ていても、コンスタンチノープルのビザンチ文化、ギリシア文化、イスラム文化からの影響を感じずにはおれない。更には北方フランドル絵画やデューラー等のドイツ絵画まで、多様な影響を享受する文化的風土があったからこそ、ヴェネツィア派と呼ばれるフィレンツェとはまた違ったルネサンス絵画の隆盛を見たのだと思う。ヴィヴァリーニからベッリーニ一族…義兄弟となったマンテーニャの影響を受けたジョヴァンニ・ベッリーニの凄さ!それを継ぐジョルジョーネにティツィアーノ、ティントレットにヴェロネーゼ、カルパッチョにクリヴェッリ…名前を挙げていっても切りが無いほどだ。

さて、アカデミアと言えば有名なのがジョルジョーネの《テンペスタ(嵐)》だが、薄暗い展示室に《老婆》と一緒に柵の向うに(!)並んでいる。近寄って仔細に眺めたかったのにとても残念だった。さて、絵は確かに今にも嵐が来そうに暗雲が垂れ込め稲妻が走っている。しかし、赤ん坊を抱いたジプシー女(?)と棒を持った男は一体を意味するのかよくわからない。全体から受ける感じは《嵐》という題にしてはのどかな風情がある。ジョルジョーネの洗練された柔らかな筆致によるもののように思われる。もう少し照明が明るければジョルジョーネの色彩豊かな世界を堪能できたのに…(涙)

ところで、隣の《老婆》はヴァニタス的な「時と共に」と書いた紙を持っている。老婆の視線や人物写実にリアルな存在があり、やや開けた口元と自分を指す手は「あんたも直に私のように老いるのさ」と言っているように思える。面白いことにパノフスキーは「テッィツィアーノの諸問題」で、この絵をジョルジョーネ的ではなくティツィアーノ作ではないかと疑っている。しかし私的に思ったのだが、この老婆に在りし日の華やぎの影を一瞬想い浮かべさせる筆致はやはりジョルジョーネのものではないか…と(^^;;

北イタリア旅行記(1)

2005-11-09 03:35:42 | 海外旅行
今回の旅行は、ミラノのパラッツォ・レアーレで開催されている「CARAVAGGIOとヨーロッパ展」を観ること、及び、去年の夏METで観たロンバルディアを中心にした「Realtyの画家たち展」とロベルト・ロンギの論考、そして、この秋に翻訳出版されたパノフスキー「テツィアーノの諸問題」に触発されたものと言える。なぁんて、カッコつけたいが、本当はもう好奇心だけで行ってしまったのだ(^^;;;

旅行の行程は
ミラノ経由ヴェネツィア → ブレーシャ → ベルガモ → ミラノ(おまけカラヴァッジォ)

1日目 <成田→ミラノ→ヴェネツィア>
やれやれ、既にミラノから大波乱の展開となった今回の旅だった。まず、ミラノのマルペンサ空港でヴェネツィア行きの国内便ゲートに移動しようとしていたら、なんと知人のSさんに出くわしてしまった。フィレンツェで仕事(?)出張があるという話は聞いていたのだが、まさかミラノでバッタリとは!うう...なんだか悪縁かも(爆笑)。お互い時間もあったので、空港内カフェでお茶しながら近況報告会。

Sさんの搭乗時間もあり、カフェで別れ、私も国内線に向かった。途中でモニターのスケジュールを見るとヴェネツィア便の出発時間が遅れているようだった。とにかく搭乗ゲートに向かう。座って待っていたが、モニターはどんどん時間の遅れを告げ、最後には表示も無くなった!時間も午後11時を過ぎようとしていた(~_~;)

そんな中で心強かったのは、ヴェネツィア便の搭乗待ちをしていた中に日本人ツァーグループがいて、その企画人兼添乗員さんが他の日本人客(私も含む)にも状況説明してくれたことだった。図々しい私などヴェネツィアのホテルにチェックインが遅れる旨の電話をかけてまで貰う始末(大感謝!)

なんやかんやで、どうにか便も出発し、ヴェネツィア空港に到着したのは真夜中12時過ぎ。バスも既に終了していた。メストレ宿泊予定ツァーグループの送迎車を見送り、本島宿泊予定の私は同方向の二人組みの若い女性たちと一緒にタクシーでローマ広場に向かった。そこからヴァポレットで近場の船着場(駅)に向かうことにしたのだ。が、ここからがまた大変!ヴァポレットは既に夜間快速最終便で、私のホテルのある船着場(駅)は飛ばされるのだ。タクシー(ボート)も見つからない。ホテルに一番近い船着場を教えてもらい、そこから荷物を持っての移動となった。

暗い夜道を場所も定かでないホテルを探しながら歩くなんて想像もしていなかった。AZのおかげで…とブツブツ言いながらホテルに辿り着いたのは午前1時を過ぎていた。ああ、なんて旅の始まりなんだろう。はーっ(ーー;)