第1章-第1節の展示作品は、主題の背景の窓から見えていた風景 → 主題の背景に風景 → 風景の中に小さく主題という、風景が主題を凌駕して行く過程を物語ろうとしているのだと思う。
しかし、ネーデルラント絵画とイタリア絵画、それに時系列的混在もあることから、美術ド素人はなんだか少し戸惑ってしまったのだった(汗)。だが、イタリア絵画に集中して観てみると、イタリアにおける風景画の流れを微妙に示しているのではないかと気が付き、なるほど!と、面白くなってきた。
今回、ヴェネツィア派のティツィアーノ《タンバリンを演奏する子ども》が出展されていた。可愛い子どもの描写には顔をほころばせてしまう。タンバリンを演奏するこの小品から連想するのはパルナッソスやバッカス祭りだ。
ティツィアーノ《タンバリンを演奏する子ども》(1510-15年頃)ウィーン美術史美術館
また、ティツィアーノから影響を受けたフェッラーラ派のドッソ・ドッシ《聖ヒエロニムス》やガロファッロ《ノリメ・タンゲレ》も並ぶ。ドッソ・ドッシ《聖ヒエロニムス》はヴェネツィア派と見紛うような、自然への共感が感じられる作品だった。
ドッソ・ドッシ《聖ヒエロニムス》(1517-19年頃)ウィーン美術史美術館
フェッラーラ派が風景画の流れで語られるとしたら、もしかして(図録もイヤホンガイドも無しの当て推量だが)エステンセ城の「Camerini d'alabastro(大理石の間)」繋がりではないのか?と思った。
ジョヴァンニ・ベッリーニ、ティツィアーノ、ドッソ・ドッシ《神々の饗宴》 (1514-29年 )ワシントン・ナショナル・ギャラリー
フェッラーラの「エステンセ城」
更に、スキファノイア宮「Salone dei Mesi(月歴の間)」から第2節の「月歴画」へ繋げるためではないのか…? まさか、今回のイタリア風景画はヴェネツィアではなくフェッラーラがキモなのか?! などと、美術ド素人は勝手にあれこれ考えてしまった(^^ゞ
イタリアにおける風景画と言ったら、まずはヴェネツィア派であるし、カラヴァッジョ《イサクの犠牲》《エジプト逃避途中の休息》の背景にもヴェネツィア派の影響がプンプン臭う。私的には《サウロの回心》(オデスカルキ・バルビ・コレクション)にも感じられるほどだ。
2012年春、ミラノのパラッツォ・レアーレで「ティツィアーノと近代風景画の誕生(Tiziano e la nascita del paesaggio moderno)」展を観たが、解説の中でヴェネツィア派風景画へのドイツとフランドルの影響について言及していたのが印象的だった。
冒頭を飾ったのはジョヴァンニ・ベッリーニ《磔刑図》。フランドル絵画から影響を受けているが、それ以上に画家自身の自然への感性が素晴らしい!彼の作品には光と大気が満ち溢れているのだ。ジョルジョーネもティツィアーノもベッリーニ工房出身であり、それこそ第二次ヴェネツィア滞在中のデューラーがピルクハイマー宛て私信(1506/02/07)でベッリーニを「彼はたいそう齢をとっていますが、今でも絵画では最高の方です」と褒めているし♪
ジョヴァンニ・ベッリーニ《墓地の磔刑図》(1501-03年)アルベルティ美術館(プラート)
当時の拙ブログ記事「イタリア美術プチ縦横断旅行」に短いレポートを書いているが、ミラノの展覧会紹介Youtube動画を見つけたのでご興味のある方はご参照あれ。
そのヴェネツィア派から影響を受けたフェッラーラ派、そのヴェネツィア派とフェッラーラ派から影響を受けたボローニャ派のアンニバレ・カラッチ。その影響を受けたフランチェスコ・アルバーニ…。ヴェネツィア派からボローニャ派に至る風景画の流れは、もしかして斯くの如しなのかもしれない。
ちなみに、今回出展されていたアルバーニ工房《悔悛するマグダラのマリア》を観て、思わず「ボローニャ派だわ!」と口の中で叫んでしまった。
フランチェスコ・アルバーニ工房《悔悛するマグダラのマリア》(1640年頃?)ウィーン美術史美術館
以前、ボローニャ派の「浮揚の系譜」について書いたことがあるが、まるでドメニッキーノやランフランコやグイド・カニャッチのマグダラのマリアが自分の乗るべき雲を天使たちが運んでくるのを待っている場面のように見えるのだ(^^;;;。いや、真面目に書けば、これから「マグダラのマリアの浮揚」が始まる前場面と考えられる。(追記;よく見ると天使が青い服を運び、左上の雲が浮揚場面なのだ!)ボローニャ派が浮揚と風景を結びつけながら描いていたことが良くわかり、アルバーニも浮揚の系譜に連なることが私的に了解され、今回一番興味深い作品となった。
もちろん、イタリア・バロックにおける風景画と言えばアンニバレ・カラッチに言及しなければならないのだけれど、残念ながら今回は作品展示も無く、更にクロード・ロラン作品も無い(彼がフランス人だからか?)!! 「欠落している感」はここにも原因があるように思われる。
ということで、今回、私的に不満はあれこれあるけれど、イタリア絵画における風景画の歴史を改めて勉強する良い機会になったのだった。ちなみに、サルバトール・ローザはあまり好きじゃないので無視してしまったが、ごめんね(^^;;