花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

東京美術倶楽部「大いなる遺産 美の伝統展」(1)

2006-02-23 02:55:15 | 展覧会
東京美術倶楽部創立100周年記念「大いなる遺産 美の伝統展」の前期と後期を観た。
http://www.toobi.co.jp/event/100th/index.html

滅多に観ることのできない個人所蔵の美術品が多く出品されていて、隠れた名品と言うのはこういうものを指すのだろうなぁと、しみじみと拝見させてもらった。なにしろオープニングから小林古径「山鳥」なのだ。淡く白い雪の散る灰色の空を山鳥が飛ぶ。尾を伸ばし羽を大きく羽ばたかせ…凛とした山鳥の姿の良さはさすが古径ならではだ。今回国内初の展覧会出品だとのこと。「山鳥」だけでなく他の名品の数々を観ていても画商たちの持つ底力が伝わってくる。美術館や学芸員の及ばない奥深い世界をふと覗いたような気がした。

この記念展には日本近代絵画や古美術作品が数多く展示されているのだが、最近はどうしても茶碗に目が行ってしまう花耀亭である(^^ゞ。特に国宝の茶碗2口は圧倒的に面白かった。前期は三井記念美術館でも観ている志野茶碗 銘「卯花墻」、後期は初お目見え相國寺の吉州窯「玳玻盞天目茶碗」だ。

実は美術ド素人の花耀亭は、恐れ多くも三井で「卯花墻」を観た時、「不ニ山」の時のような感動が湧かなかった(大汗)。ところが今回はしみじみ名品なのだと納得できた。理由は展示の位置にあると思う。三井の展示は高めの台付きガラスケースに収まり四方から観ることができる。しかし、残念にも設置台が高く、上背の無いと上から口縁や見込みを覗き込むことができない。しかるに今回は展示台が低めで、私もつま先立ちながら(目跡までは見られなかったものの)かなり内部まで見ることができた。斜め上から見ることにより「卯花墻」の手捏ねとヘラの削りによる造形の起伏(?)の面白さがしっかりとわかるのだ!殊に口縁の微妙なゆがみなど、なるほどと唸らせるものがある。志野の柔らかな乳白色を帯びた肌合いも錆色の卯花墻の景色と相俟って良い味を醸し出していた。国宝だから当たり前?(^^;;。でも、三井だけで見ていたらわからなかったと思う。

「玳玻盞天目茶碗」は南宋時代吉州窯の名品である。唐物らしく均整の取れた造形と、釉の二重掛けによる凝った模様が美しい。外側の斑模様は鼈甲のようで、茶碗の口縁の唐草模様と見込みの散花模様がなんだか愛らしくも感じられるお洒落な茶碗だった。当時の中国陶器の技術水準の高さと美意識の高さが窺われる。
ちょうどゲストのokiさんから紹介いただいた数江教一著「わび―侘茶の系譜」(塙新書)を読んで、侘び茶登場以前の茶陶は唐物全盛だった様子を知ったところだった。きっとこの「玳玻盞天目茶碗」も唐物名物だったのだろう。貴重なものとして大切に崇められてきた静嘉堂文庫の「曜変天目茶碗」と同じような名物オーラが感じられた(^^;;

唐物茶碗には時代を越えた洗練された優美さがある。もしかしてユニバーサルな正統派の美とも言えるかもしれない。しかし、侘びの美意識というものも伝統として受け継いでいる眼は、手捏ねによる歪みを帯びた茶碗にも時代を超えた美を見る。ふたつの国宝茶碗はそれぞれの美を放っていた。

樂吉左衛門創作展

2006-02-06 01:10:09 | 展覧会
長次郎の樂茶碗について書いたら、いづつやさんのブログで拝見した現代の樂家当主の茶碗を観たくなってしまった。ということで、土曜日、菊池寛実記念智美術館で「樂吉左衛門1999秋-2005春創作展」を観た。
http://www.musee-tomo.or.jp/

初代樂長次郎から数えて15代目の樂吉左衛門の創作茶碗は私の知っている樂茶碗ではなかった。美術ド素人が独断と偏見で言わせてもらえば、それは茶碗の形をした彩色彫刻あるいはオブジェである。だが、決して否定しているのではない。創作された作品は現代的な造形と抽象的な色彩により現代アートとして際立った存在感を示しているのだ。ただ、これは私の好きな「樂茶碗」ではない。長次郎の茶碗はお茶を飲むに相応しい造形と色を追求した究極の用の美だ。15代の茶碗は用の美を越えた陶芸アートとして飾るに相応しい美である。と、美術ド素人は勝手に思ったのであった(^^;;;

15代は東京芸大で彫刻を学び、イタリアへ2年間の留学をしている。多分彫刻的な立体造形と色彩・デザインをここで吸収したのではないかと思う。ここに展示されている黒樂焼貫茶碗による確信犯的な試みは、会場で購入した著書『樂ってなんだろう』で本人が語るように、「歴代が踏みとどまり、覚入が堅持した樂茶碗の伝統様式を、片方の足で踏み越えた」ものである。彼は長次郎の樂の伝統を自ら侵犯し、現代アートの世界へ踏み出したのだ。

ところで、入り口側、オープニングを飾るかのように展示されていたのは黒樂焼貫茶碗《紅雨》だった。樂らしい削りの妙が生きている造形だが、景色は高熱で焼かれた黒と紅が錯綜するかのように縦に走っている。《紅雨》は黒い樹林に紅雨が降ると見立てたようだ。茶碗には李賀の詩「将進酒」の後段が添えてあった。

況是青春日将暮   況や是れ青春 日まさに暮れなんと
桃花乱落如紅雨   桃花は乱れ落ちて紅雨のごとし
勧君終日酩酊酔   君に勧む 終日酩酊して酔え
酒不到劉伶墳上土  劉伶の墳上の土に酒は至らず

実は李賀好きの花耀亭なので、ここで少し暴走させてもらう(^^;;
中唐の詩人李賀(791~817)は鬼才である。いや、「鬼才」と言う言葉は彼の為にできた。中国においては他の文学者を指すことはない。若年にしてその詩才を韓愈に認められるも、名前(いみな)を理由に官吏登用試験受験を拒まれ「二十にして心巳に朽ちたり」(《贈陳商》)状態になる。そして、鬱積した青春真っ只中、病弱な李賀は27歳の若さで鬼籍に入る。

そのためと言えるのか、漢詩には珍しく内面的に暗く幻想的な詩が多い。鬼気迫る神秘的な雰囲気から「鬼才」と称されたようだ(「南部新書」)。また、律詩が少なく感情の趣くまま変拍子の多い(ZEPPみたい?)ロック的な詩を作っている。《苦昼短》の有名な「飛光飛光….」なんてまるっきりロックだと思う(^^;;;。(ああ、暴走し過ぎをお許しあれ)

多分15代樂吉左衛門も鬼才の陶芸アーティストなのだと思う。李賀のように、茶碗という造形の中に奔放で色彩感に満ちた時空を超えた美を創造しようとしているのだろう。長次茶碗好きの私としては、15代が「指針となるべきもの、それは長次郎茶碗」と語る言葉に期待したい。

畠山記念館 冬季展

2006-02-03 04:14:03 | 展覧会
正月を過ぎて間も無い休日、畠山記念館で「季節の茶道具取り合わせ」展を観た。
http://www.ebara.co.jp/socialactivity/hatakeyama/
ゲストのいづつやさんのブログで紹介されていた本阿弥光悦作・赤楽茶碗 銘「雪峯」をどうしても見たいと思ったからだ。

新春の余韻が漂う静かな午後だった。こじんまりとした展示室には客もまばらで、ひとつひとつの茶道具をゆっくりと眺めることができた。富士山の形をした不思議な仁清の香炉、志野の和らぎのある肌が印象的な四方火入…と、目を惹く茶道具が整然と並んでいる。その中に素朴でありながらなんとも形の良い入った灰器があり、立ち止まってしみじみ観ると、何と楽長次郎作だった。素焼きのほっこりとした柔らかさと煤けた色合いが、そのやや丸みを帯びた広口の器を懐かしいものにしていた。多分、私は長次郎の作が好きなのだと思う。出光美術館で観た黒楽茶碗に真摯な…とも言いたくなるような深い精神性を感じてしまったからかもしれない。削ぎ落としたフォルムには緊張感が溢れ、黒釉は全てを吸い込み無に戻してしまうような深淵な黒だった。灰器にも用の美を追求しする真摯さがあった。

楽長次郎は千利休の指導で茶道具を作り始めたと言われている。最近茶碗の面白さに目覚め始めたばかりの私にも利休の美意識というものがなんだか見えてくるような気がする。今回も利休所持の熊川茶碗・銘「若草」が展示されており、さりげないながらも形の良さと地味ながらも渋く味わい深い趣があった。やはり、利休の美意識は極度に洗練されているのだと思う。先日も東京国立博物館で利休所持の花入れを観た。造形の妙と釉薬が彩る色合いが面白く、思わず見惚れる滲むような美しさがあった。利休の究極まで削ぎ落とした「侘び」という美意識が豪華絢爛の桃山文化と対峙し時代を席捲したことはきっと革命的なことであっただろう。なぁんて、茶道知らずが勝手に言ってしまって良いのだろうか?(^^;;;

さて、お目当て光悦作の「雪峯」は「若草」の近くに並んであった。「若草」のさりげない趣きに対し、赤楽「雪峰」は茶碗自体がその存在を強く主張していた。まず、全体に丸みを持った形の良さ、赤楽に白釉の醸し出す雪を想わせる景色の面白さ、火割れを埋めた金漆が絶妙に彩る雅さ、全てがやや厚みのある丸い茶碗に渾然と凝縮している。白釉が窯変した細かな亀裂は本当に峯に積もる白雪のようだ。火割れは雪解けの渓流だそうだ。サンリツ服部美術館の「不ニ山」を観た時も思ったのだが、光悦の茶碗には茶道具を越えた芸術を感じる。ならば、長次郎は?長次郎の茶碗には匠の極めた哲学を感じる。

ところで、今回の展示で一番印象的だったのは「真漆手桶形水指」だった。茶陶器の多い中で、この漆黒の水差は際立ったフォルムの美しさと凛とした端整な佇まいで、新春の清々しさを辺りに放っていた。手桶形の隙の無い洗練されたシンメトリーの造形、黒漆の深く艶やかな光沢。誰の作かはわからないが、江戸時代の匠の高度な技術と研ぎ澄まされた美意識が胸を打つ。この水差がそこに在るだけで対峙する自分の居住まいを正したくなるような…不思議だが「基本」がそこに在ると思った。「もの」に畏敬の念を覚えるというのも初めてで、新春に得がたい経験をもらったと思う。

今回の展示品の数々は新春に相応しく心を新たにしてくれる素晴らしいものだった。茶道具の他に、創設者畠山即翁の茶事をもとに、古筆、墨跡、絵画、工芸品等も展示されており、所蔵品の質の高さにも驚いた。また、購入した所蔵品図録で、楽長次郎作の赤楽茶碗・銘「早船」も所蔵していると知り、ぜひまた訪れて観たいものだと切に思っている。