リュック・ベンソン監督の映画(DVD)「ジャンヌ・ダルク」を観た。
冒頭から史実には無い英国兵による姉の殺害事件があったり、ジャンヌの心の声としてジャスティン・ホフマンが登場したり、この映画はあくまでもリュック・ベンソンのジャンヌ・ダルク解釈の映画だったと思う。それでも、主演のミラ・ジョヴォヴィッチも健闘していたし、シャルル7世役のジョン・マルコヴィッチも良い味出していたし、義母ヨランダ役でフェイ・ダナウェー登場も驚いたし、ジル・ド・レ役のヴァンサン・カッセルがカッコ良かったし、なかなか楽しめる映画ではあった。
が、私がこの映画(DVD)を見ようと思ったのは、ブルゴーニュ公はどう描かれているのか?であり、予想通りフィリップ・ル・ボンは登場した。しかし!シャトランもコミーヌも対面の様子は書いていないとは言え、薄毛頭の風采の上がらぬ男が薄っぺらキンキラの服の上に金羊毛騎士団首飾りをして登場したした時には、ウッソー! と叫んでしまった。だって、ネーデルラント都市をも支配するブルゴーニュ公国は、当時、宮廷の豪華さとフィリップ・ル・ボンの優美なお洒落で有名だったのだから、あんな「ちゃらい」ブルゴーニュ公が登場するなんて信じられなかったのだ。
ロヒール・ファン・デル・ウェイデン帰属《フィリップ・ル・ボンの肖像》(1450年頃)ディジョン美術館
でもね、それは多分リュック・ベンソンがフランス人であるからこそだったのかもしれない。
マルク・ボーネ『中世ヨーロッパの都市と国家』(山川出版)を読むと興味深い記述があった。
「こうしたやり方(「国民国家」につながるはずだという目的論的観点)で、ブルゴーニュ公たちが実際におこなった中世末期の国家形成を振り返るならば、それはたんに三つの面を持つ歴史事象になってしまうだろう。フランスの場合、ブルゴーニュ公たちは国家の大義への裏切り者と考えられた(そしてある程度はいまだにそう考えられている)。・・・ベルギーの場合、・・・ブルゴーニュ公たちは、伝統的な(そしておおいにロマンチックな)歴史叙述において、フランス系の文化背景を持つ、別種の外来の支配者と考えられていた。・・・オランダの場合、・・・ヨハン・ホイジンガ・・・が主張するのは、オランダ史の流れのなかでブルゴーニュ国家というものを語ることになるなら、1477年(フランスとの結びつきが決定的に断ち切られたとき)に始め、1579年に終わるようにすべきということである。」(p104~p108)
まぁ、視点を変えれば見え方も違うのは仕方がないことでもある。例えば、ジャン・フーケの《シャルル7世の肖像》である。
ジャン・フーケ《シャルル7世の肖像》(1445ー1450年)ルーヴル美術館
だって、堀越孝一『ブルゴーニュ家』(講談社現代新書)を読むと、ずる賢さを感じるし、佐藤賢一『ヴァロワ朝ーフランス王朝史2』(講談社現代新書)を読むと、思慮深いのかなぁと思うし。と言っても、ルーヴルで観た時もブルゴーニュ公贔屓の私には結局「ずる賢いキツネ」のようにしか見えなかったのだけどもね