大原美術館は学生時代に友人と旅行した時に訪ねたことがある。当時、美術に関心が無かったものだから、もったいなくもモローの絵ぐらいしか覚えていない。エル・グレコ《受胎告知》だって、あったような気がする程度の記憶なのだから恐ろしい(^^;;;。ということで、今回の東京国立近代美術館
「モダン・パラダイス」展はその所蔵作品の充実ぶりを改めて知る良い機会となった。
今回の展示は大原美術館と東京国立近代美術館の所蔵作品をあわせ、東西の名画を比較展示し、その共通点や影響などを見せる面白い企画だった。
オープニングは菱田春草《四季山水》(東近美)とモネ《睡蓮》(大原)。四季の移ろいを映す春草の柔らかな色彩と筆使いをモネの光と対比させるなんて意外感がある。ちなみに大原の《睡蓮》は数多い睡蓮作品の中でも傑作のひとつなんじゃないかと思う。水面に写る空の色と睡蓮のハーモニー…たゆたうようなひとときを映した出し、水分を含む池の空気までが感じられる。ブリヂストン美術館の《睡蓮》に似た構図で、できたらこちらの2作品も並べて時と光の移ろいを堪能したいなぁ…(^^;
で、嬉しかったのはゲストの千露さんがおっしゃっていたセガンティーニのもう一枚の「ハイジとユキちゃん」こと大原の《アルプスの真昼》を観られたこと♪「スイス・スピリッツ展」での日差しの眩しさそのままにアルプスの大気を封じ込めた作品だ。ハイジが疲れて木にもたれている(笑)
どこまでも青い空、太陽に近い日差しの強さ、希薄な空気…色彩分割により、生き生きと鮮やかに映し出している。が、気がつけば上空に小さく黒い鳥の群れ。鳥も塒に帰る時間ということなのだろうか?明るく澄み切った空のかすかな影が何故か気になったのだった。
大原だけでなく東近美作品でもようやく観ることができた作品があった。岸田劉生《麗子五歳之像》だ。
デューラー写しとでも言えそうなほどの写実的作品で、画面に父が「寫す」という文字が読めた。「描く」ではなく「寫す」という劉生の気迫を感じる。麗子の光る眼差し、もしゃもしゃ毛、着物の模様の緻密さと写実。麗子の眼差しはデューラーに挑んだ劉生の眼差しを想わせるように感じた。それにしても、似ているよね、構図♪
さて、今回の収穫はたくさんあったが、ゴーギャン《かぐわしき大地》と対比展示されていた土田麦僊《湯女(ゆな)》は屏風の大きさだけでなく、作品自体のおおらかな美しさに魅了されてしまった。藤の花がたわわに咲き誇る山間の温泉郷であろうか?豊満な身体を朱の着物に包んだ湯女がヴィーナスのように寝そべり、座敷からは三味線の音が聴こえる。なんだか麦僊が理想郷を描いたと思うほど、自然の豊かさと湯女の美しくあたたかみにあふれた風情に陶然となった。
ゴーギャン《かぐわしき大地》のイヴはタヒチの自然に生きるたくましい女性の姿だった。トカゲ(蛇の化身?)の誘惑もなんのその、原始の母性を感じる。面白いのはゴーギャンの色彩の妙、特に朱の効果が麦僊の湯女の衣に通じていて、東西の比較展示をしっかりと楽しむことができた。
今回の展示では眼を惹く作品も多かったが、絵画ではないが一際心打たれた作品があった。
セバスチャン・サルガド《サヘルの飢餓》の写真展示は家族愛と人間の尊厳を写した見事な作品だった。歳とともに涙もろくなっているせいか、つい涙をこぼしてしまった。
世界のどこかで飢餓で苦しむ人々がいる。それでも家族が互いをかばいあう美しい姿がそこにある。なのに、飽食の日本では親が子を、子が親を殺めるという事件が起こっている。なんともやるせないことであるよね。
ということで、他にも興味深い作品は多々あったが、大分端折って先を急いでしまったような気がする(汗)。それにしても、またいつか大原美術館に行ってみたい...と思わせる展覧会だった。