6月に国立西洋美術館「ベルリン国立美術館展」を観た。
でかける前は、なぜ「国立絵画館展」ではないのだろう?と訝しく思っていたのだが、なるほどで、彫刻と素描も併せての展示となっていた。彫刻コレクションは博物館島のボーデ美術館から、素描は国立絵画館隣接の版画素描館から。要するにベルリンにある国立美術館からの出展だったのだ。しかし、私的ご贔屓の国立絵画館の常設内容から思えば、例えフェルメールが来たとしても、やはり寂しさを覚えずにはいられない。もう少し絵画作品を持って来てほしかったというのが正直な感想だ。
さて、展示内容はルネサンス初期15世紀から18世紀にかける絵画・彫刻を織り交ぜたほぼ時系列展示となっていた。○○美術館展というと水で薄めたような内容が多いが(最近も某美術館展がかなり水っぽいボルシチスープのように感じられた/汗)、今回のベルリン美術館展はイタリア絵画と北方絵画のニュアンスの違いや、影響関係が偲ばれる意外に面白い企画だった。
とりあえず、展示順に私的興味深かった作品を紹介して行く。ちなみに図録を購入しなかったし、美術ド素人の勝手気ままな感想文なので、誤解等があってもお許しあれ(^^;;;
<第一章 15世紀:宗教と日常生活>
ここではイタリアルネサンス彫刻とドイツルネサンス彫刻の造形文化の違いがにわかりやすく展示されていた。
ルーカ・デラ・ロッビアはフィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂を飾る《カントリア》の子供たちの愛らしい表情が大好きな彫刻家である。大聖堂付属博物館では思わず顔がほころんでしまったものだ。
ティルマン・リーメンシュナイダーはドイツ木造彫刻の至宝とも言うべきヴュルツブルグの巨匠である。ルーカ・デッラ・ロッビアのテラコッタ彫像《聖母子》は自然でまろやかな写実性を持ち、聖母子の表情は人間的な心温かさを感じさせる。リーメンシュナイダー作品《龍を退治する馬上の聖ゲオルギウス》はゴシック的な堅さを残すものの、豊かな造形表現堅の中に人間の持つ厳粛さを漂わせる。
企画者側の意図通り、両者を並べることにより見えてくるイタリアとドイツの造形気質の違いが面白い。前者がカトリックを遵守し、後者が宗教改革へと向かう、美のマイスター達を呑み込んで行く歴史の流れも宣なるかなと思わせるものがある。
ルーカ・デッラ・ロッビア《聖母子》1450年頃 ティルマン・リーメンシュナイダー《龍を退治する馬上の聖ゲオルギウス》1490-95年頃
ドイツ的と言えば、ハンス・ヴィデッツの小ぶりな《受胎告知》は見た瞬間マルティン・ションガウアーの版画を想起させてくれた。リーメンシュナイダーにも言えるのだが、生真面目で求心的なものが造形の中に感じられる。
絵画で興味深かったのはチーマ・ダ・コネリアーノと工房作《聖ルチア、マグダラのマリア・アレキサンドリアの聖カタリナ》だった。工房作ではあるが、ジョヴァンニ・ベッリーニの影響を色濃く反映し、なおかつ、マグダラのマリアにベッリーニと同じくアントネッロ・ダ・メッシーナの面影も残しているように見えたのだ。以前、チーマ作品の背景にフランドル的な臭いを嗅いだことがある。ベッリーニの影響だと思っていたのだが、直接的にアントネッロ作品を研究した可能性もあるのだなと気がついた。去年、ミラノでチーマの展覧会があったようだが、観ておけば良かったと後悔している。
<第二章 15-16世紀:魅惑の肖像画>
西美正面看板にも展覧会チラシにもルーカス・クラナーハ(父)工房《マルティン・ルターの肖像》が大きく扱われているが、描かれた人物がルターだからこその脚光だと思う。私的には断然アルブレヒト・デューラ《ヤーコプ・ムッフェルの肖像》の方が魅力的だ。
デューラーは繊細緻密な筆触によりムッフェルさんの個性を生き生きと活写している。斜め前方をまっすぐ見つめ、やや大きめの鼻ではあるけど、しっかりと結んだ口元には生真面目さが漂う。目元の皺やたるんだ皮膚の質感まで陰影をもって余すことなく描写し尽くしているが、ムッフェルさんの真摯な眼差しにこそ画家の信頼の眼差しが投影されているような気がする。こめかみの白くなった髪の毛、纏う毛皮の繊細な質感、耳の複雑な描写、デューラーならではの線の緻密さが本当に素晴らしい。
アルブブレヒト・デューラー《ヤーコプ・ムッフェルの肖像》1526年
ベルリン国立絵画館にはムッフェルさんと同じくデューラー描くホルツシューアーさんの肖像も並び展示されている。前髪が薄いけど、ぎょろりと眼光鋭く、どっしりとした存在感を示すホルツシューアーさんの迫力に(デューラーの描写がめちゃくちゃ凄すぎるのだが)、ムッフェルさんはいつも大人しそうに見えた。
アルブブレヒト・デューラー《ヒエロニムス・ホルツシューアーの肖像》1526年
今回、ムッフェルさん一人の来日は寂しいかもと思っていたが、かえって一人の方がムッフェルさんの真摯な佇まいを際立たせてくれ、思わぬ嬉しい展示となった。それにしても1526年のデューラーはまさしく円熟の境地に立っていたのだなぁとつくづく思う。
でかける前は、なぜ「国立絵画館展」ではないのだろう?と訝しく思っていたのだが、なるほどで、彫刻と素描も併せての展示となっていた。彫刻コレクションは博物館島のボーデ美術館から、素描は国立絵画館隣接の版画素描館から。要するにベルリンにある国立美術館からの出展だったのだ。しかし、私的ご贔屓の国立絵画館の常設内容から思えば、例えフェルメールが来たとしても、やはり寂しさを覚えずにはいられない。もう少し絵画作品を持って来てほしかったというのが正直な感想だ。
さて、展示内容はルネサンス初期15世紀から18世紀にかける絵画・彫刻を織り交ぜたほぼ時系列展示となっていた。○○美術館展というと水で薄めたような内容が多いが(最近も某美術館展がかなり水っぽいボルシチスープのように感じられた/汗)、今回のベルリン美術館展はイタリア絵画と北方絵画のニュアンスの違いや、影響関係が偲ばれる意外に面白い企画だった。
とりあえず、展示順に私的興味深かった作品を紹介して行く。ちなみに図録を購入しなかったし、美術ド素人の勝手気ままな感想文なので、誤解等があってもお許しあれ(^^;;;
<第一章 15世紀:宗教と日常生活>
ここではイタリアルネサンス彫刻とドイツルネサンス彫刻の造形文化の違いがにわかりやすく展示されていた。
ルーカ・デラ・ロッビアはフィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂を飾る《カントリア》の子供たちの愛らしい表情が大好きな彫刻家である。大聖堂付属博物館では思わず顔がほころんでしまったものだ。
ティルマン・リーメンシュナイダーはドイツ木造彫刻の至宝とも言うべきヴュルツブルグの巨匠である。ルーカ・デッラ・ロッビアのテラコッタ彫像《聖母子》は自然でまろやかな写実性を持ち、聖母子の表情は人間的な心温かさを感じさせる。リーメンシュナイダー作品《龍を退治する馬上の聖ゲオルギウス》はゴシック的な堅さを残すものの、豊かな造形表現堅の中に人間の持つ厳粛さを漂わせる。
企画者側の意図通り、両者を並べることにより見えてくるイタリアとドイツの造形気質の違いが面白い。前者がカトリックを遵守し、後者が宗教改革へと向かう、美のマイスター達を呑み込んで行く歴史の流れも宣なるかなと思わせるものがある。
ルーカ・デッラ・ロッビア《聖母子》1450年頃 ティルマン・リーメンシュナイダー《龍を退治する馬上の聖ゲオルギウス》1490-95年頃
ドイツ的と言えば、ハンス・ヴィデッツの小ぶりな《受胎告知》は見た瞬間マルティン・ションガウアーの版画を想起させてくれた。リーメンシュナイダーにも言えるのだが、生真面目で求心的なものが造形の中に感じられる。
絵画で興味深かったのはチーマ・ダ・コネリアーノと工房作《聖ルチア、マグダラのマリア・アレキサンドリアの聖カタリナ》だった。工房作ではあるが、ジョヴァンニ・ベッリーニの影響を色濃く反映し、なおかつ、マグダラのマリアにベッリーニと同じくアントネッロ・ダ・メッシーナの面影も残しているように見えたのだ。以前、チーマ作品の背景にフランドル的な臭いを嗅いだことがある。ベッリーニの影響だと思っていたのだが、直接的にアントネッロ作品を研究した可能性もあるのだなと気がついた。去年、ミラノでチーマの展覧会があったようだが、観ておけば良かったと後悔している。
<第二章 15-16世紀:魅惑の肖像画>
西美正面看板にも展覧会チラシにもルーカス・クラナーハ(父)工房《マルティン・ルターの肖像》が大きく扱われているが、描かれた人物がルターだからこその脚光だと思う。私的には断然アルブレヒト・デューラ《ヤーコプ・ムッフェルの肖像》の方が魅力的だ。
デューラーは繊細緻密な筆触によりムッフェルさんの個性を生き生きと活写している。斜め前方をまっすぐ見つめ、やや大きめの鼻ではあるけど、しっかりと結んだ口元には生真面目さが漂う。目元の皺やたるんだ皮膚の質感まで陰影をもって余すことなく描写し尽くしているが、ムッフェルさんの真摯な眼差しにこそ画家の信頼の眼差しが投影されているような気がする。こめかみの白くなった髪の毛、纏う毛皮の繊細な質感、耳の複雑な描写、デューラーならではの線の緻密さが本当に素晴らしい。
アルブブレヒト・デューラー《ヤーコプ・ムッフェルの肖像》1526年
ベルリン国立絵画館にはムッフェルさんと同じくデューラー描くホルツシューアーさんの肖像も並び展示されている。前髪が薄いけど、ぎょろりと眼光鋭く、どっしりとした存在感を示すホルツシューアーさんの迫力に(デューラーの描写がめちゃくちゃ凄すぎるのだが)、ムッフェルさんはいつも大人しそうに見えた。
アルブブレヒト・デューラー《ヒエロニムス・ホルツシューアーの肖像》1526年
今回、ムッフェルさん一人の来日は寂しいかもと思っていたが、かえって一人の方がムッフェルさんの真摯な佇まいを際立たせてくれ、思わぬ嬉しい展示となった。それにしても1526年のデューラーはまさしく円熟の境地に立っていたのだなぁとつくづく思う。