まぁ、なんと!!
GYAO!で 映画「女王ファナ」もやっていますよ~
https://gyao.yahoo.co.jp/player/00569/v08560/v0828500000000527979/
カール5世(カルロス1世)の母の物語です
まぁ、なんと!!
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カール5世(カルロス1世)の母の物語です
イタリア語勉強をサボりまくり、どんどん忘れる一方なのだが、見逃していた映画「あしたのパスタはアルデンテ」をGYAO!で見てしまった 面白い映画だったのに、この邦題はちょっと酷い
「あしたのパスタはアルデンテ(Mine vaganti)」
https://gyao.yahoo.co.jp/p/00990/v00080/
ということで、挿入歌の「Cinquantamila」が耳から離れないのだわ(笑)
「Cinquantamila」
https://www.youtube.com/watch?v=EkjoCMvc-lI
下記URL↓は歌詞…
本屋の店頭で「芸術新潮」4月号を立ち読みしていたところ、ワシントン・ナショナル・ギャラリーで「ミケル・シトウ展:エストニア出身のルネサンス時代の宮廷画家」を開催していることを知った。
「Michel Sittow: Estonian Painter at the Courts of Renaissance Europe」
・会期:2018年1月28日~5月13日
・会場:ワシントン・ナショナル・ギャラリー
この展覧会はエストニアでも巡回開催されるようだ。こちら↓サイトの方が日本語でわかりやすいかも
https://kunstimuuseum.ekm.ee/ja/syndmus/michel-sittow/
ミケル・シトウ(Michael Sittow, 1468年頃 - 1525年/1526年)はエストニアのタリン(レヴァル)生まれで、1484年にはブルージュに移りハンス・メムリンクの工房で修業したようだ。1492年から1504年まで、カスティーリャ女王イサベルの宮廷画家としてスペインのトレドで活動し、その後、肖像画家としてフェリペ1世(フィリップ美公)、マクシミリアン1世の娘マルグリット・ドートリッシュ、アラゴン王フェルナンド2世、そしてデンマーク王クリスチャン2世の宮廷などで肖像画を描いている。
ミケル・シトウ《ディエゴ・デ・ゲバラの肖像(?)》(1515-18年)ワシントン・ナショナル・ギャラリー
昔のデジカメなのでピンボケです。なので下記↓URLをご参照あれ。
https://www.nga.gov/collection/art-object-page.53.html
ご存知のように、ゲバラはヤン・ファン・エイクやヒエロニムス・ボスのコレクターでもあったのだわ
ちなみに、シトウはカスティーリャのイザベル女王だけでなくファナやフィリップ美公まで描いているようだし、ブルージュ(大聖堂)《カール5世(若い頃)の肖像》もシトウ筆(?)かもしれないという、実に興味深い画家なのだ。でも、観たいけど…行けないっ(涙)
※:表記をシトーからシトウへ訂正しました💦
この展覧会の副題が「ベラスケスと絵画の栄光」なので、まずはベラスケス作品から(^^ゞ
今回の展覧会には宣伝文句にあるようにベラスケス作品が7点出展されており、静物画を除いた各章にベラスケス作品が配されている。ボデゴン(厨房画)などの静物描写力の素晴らしさを知っているだけに、ここはちょっと寂しいものがあるのだけどね。
さて、今回出展のベラスケス作品の制作年は殆ど1630年代に集中しており、マドリード宮廷時代作品であることが了解される。例外はセビーリャ時代1619年制作の《東方三博士(マギ)の礼拝》だけなのだが、実は私的に一番興味深い作品はこのベラスケス初期作品なのである。何故ならば、カラヴァッジョの影響を色濃く見ることができるのだから。
ディエゴ・ベラスケス《東方三博士の礼拝》(1619年)プラド美術館
画面左前方から光は中央の幼子イエスへ向かう。聖母子を周囲から際立たせる明暗表現(テネブリスム)やその自然主義的リアルな人物表現など、カラヴァッジョの影響がビシバシ感じられてしまう。初期のベラスケスは本当にカラヴァッジェスキと言っても良いように思えるのだ。
更に、私的にどうしても気になるのは横顔を見せるヨセフであり、その視線は幼子に向けられているようにも思われるが、何故かカラヴァッジョ《ラザロの蘇生》における(イエスではなく)光源の方を見る横向きの男をも彷彿させるのである。
カラヴァッジョ《ラザロの蘇生》(部分)(1608-09年)メッシーナ州立美術館
ちなみに、この作品の登場人物は画家の身近な人々をモデルにしていると考えられているようで、手前の博士はベラスケス自身、その後ろの博士は岳父のパチェーコ、聖母は妻(パチェーコの娘)、イエスは生まれたばかりの娘らしい。なにやら、マンテーニャ《神殿奉納》を踏まえたジョヴァンニ・ベッリーニ、更にマリアーノ・フォルトゥーニまで通じる、画家の家族への記念碑的作品の系譜に連なるような気がしてしまった。
で、美術ド素人の私にはよくわからなくて困っていることがある。実は、参考としてロベルト・ロンギ「ベラスケスの《聖トマス》と16・17世紀のイタリア-スペイン関係」を読んでいたら...
「若いベラスケスに関連して、カラヴァッジョやカラッチョーロではなく、リベラの名前を持ち出そうとするする説明はスタンド・プレー以外の何物でもないだろう。それは、リベラが、セビーリャの画家の総合的な精神とは、考えられる限り逆の精神の持ち主であったということを理解していないうえに、年代の点でも調停しがたい難点があるということを考慮していない。リベラの名声がナポリで固まるのは、1610年代も終わりのことにすぎず、したがってその時にはすでにベラスケスは一人前の画家になっていたのである。」(ロベルト・ロンギ『芸術論叢Ⅱ』より)
ベラスケスとリベーラの精神の違いって何なのだろう??接点はなかったのだろうか?? 誰か教えていただけると嬉しいのだけれど...
国立西洋美術館「プラド美術館展-ベラスケスと絵画の栄光」の感想をサクッと(^^ゞ
「プラド美術館」
正直、一昨年のプラド漬けの満腹感と比べると、あっさり茶漬けの食後感のような気もしたが(ごめんなさい💦)、スペイン美術の素養の無い私には勉強になること多々だった。それに図録も濃くって、やはりスペインだわと思った
「フェリペ4世の宮廷を中心に、17世紀スペインの国際的なアートシーンを再現し、幅広いプラド美術館のコレクションの魅力をたっぷりとご覧いただきます。」(公式サイトから)
なので、展覧会を観ながら確かに「ベラスケス展」とは言えないのが了解できたけど、なんだか章立てが苦しそうにも見えた、と言うよりも、私が見ていて疲れたということなんだと思う
展覧会構成は、Ⅰ)芸術 Ⅱ)知識 Ⅲ)神話 Ⅳ)宮廷 Ⅴ)風景 Ⅵ)静物 Ⅶ)宗教 *)芸術理論
でも、当時のスペイン画壇で活躍した画家たち作品も魅力的だったし、その繋がりと広がりも興味深い。でもね、もしベラスケス《アラクネの寓話(織女たち)》が来日していれば、ティツィアーノからルーベンス、そしてベラスケスと繋がる系譜が即了解されるのに、と残念でもあった。
で、次回は目を惹かれた作品などをサクッと触れたいと思うのだが、ちなみに、リベーラが「ジュゼペ・デ・リベーラ」と表記されていて、おやっ?!スペイン語読みじゃなくイタリア語読みじゃありませんか!!と嬉しくなってしまった(笑)。カラヴァッジョのテネブリズムがスペインに伝搬するにはリベーラの存在は欠かせませんもの
六本木で展覧会ハシゴをしてきました(^^ゞ
・国立新美術館「至上の印象派展-ビュールレ・コレクション」
ビュールレさんは武器で儲けて絵画を購入というアンビバレンツな生き方をした方なんですねぇ それでもイレーヌ嬢は愛らしく美しかったです
・サントリー美術館「寛永の雅-江戸の宮廷文化と遠州・仁清・探幽」
未見の仁清作品が多く展示されていて嬉しかったです!!寛永の美意識も勉強できましたし
できたら展覧会の感想をサクッと書きたいと思います(^^ゞ
ドーリア・パンフィーリ美術館のベラスケス《イノケンティウス10世の肖像》は、教皇(Giovanni Battista Pamphili)の実像に迫る見応えのある傑作である。
ディエゴ・ベラスケス《イノケンティウス10世の肖像》(1650年)ドーリア・パンフィーリ美術館
イノケンティウス10世が手にしている紙片にはベラスケスによるサインと献辞が描かれている。
「我らが猊下イノケンティウス10世(InnocencioⅩ)教皇のために、カトリック王陛下の宮廷画家ディエゴ・デ・シルバ・ベラスケスによる」と。
ベラスケスのサンティアゴ騎士団入会希望はこの頃既に水面下で動いていたようだ。1650年12月17日、ローマのポンティローロ枢機卿はマドリード駐在ヴァティカン大使宛て書簡で、ベラスケスの希望を支援する旨を送っている。翌1651年8月2日(ベラスケス帰国後)、マドリード大使は返信でベラスケス支援を確認している。ベラスケスが実際に行動を起こすのは1658年、アレクサンデル7世時ではあるが…。凄いね!ベラスケス!!
宮城県美術館「求道の画家 岸田劉生と椿貞雄」展の感想を超サクッと(^^;
椿貞雄の名前は岸田劉生の展覧会で何度か目にしていたが、今回の展覧会は二人の交流と作品にスポットライトを当てたものとなっていた。それに、椿が米沢出身であることを初めて知ってしまったし💦
椿が劉生に憧れ交流を深める中で、画題や作風も感化されて行く様が展示作品から浮かび上がる。例えば、劉生が麗子像を描けば、椿も姪の朝子像を描く。
椿貞雄《朝子像》(1927年)平塚市美術館
特に、この朝子像は目がクリっと可愛らしくて好きだ♪ よく見るとご存知寄りの某さんにとても似ているのだもの(*^^*)
だが、私の美術ド素眼からも、椿の本当の自立は劉生の死とフランス渡航だと思えた。が、しかし、岸田劉生好きの私にはその作風があまり馴染めず、それ故に残念に思えてしまったのだが…すみません
ドーリア・パンフィーリ美術館で撮ったデジカメ画像をチェックしていたら、興味深い作品があった(忘れていましたわ💦)。
ルドルフ2世はデューラー作品が大好きであり、あのピルクハイマーの孫ヴィリバルト・イムホフからコレクションを一括購入していたりする。プラハ城には油彩や版画、素描を含めかなりのデューラー・コレクションが形成されていたようだ。
さて、興味深いのはルドルフ2世の宮廷ではデューラー版画や素描に基づいた油彩絵画化も行なわれていたようで、何とヤン・ブリューゲル(父)もデューラーの水彩素描《動物の聖母》に基づき制作しているのだ(・・;)
アルブレヒト・デューラー《動物の聖母》(1503年頃)アルベルティーナ美術館
ヤン・ブリューゲル《動物の聖母(デューラーに基づく)》ドーリア・パンフィーリ美術館
時代の違いもあるだろうが、二人の画家の個性の違いが見て取れて面白い。
ちなみに、ドーリア・パンフィーリにはこの他のヤン作品もあるが、ピーテル・ブリューゲル(父=1世)やピーテル2世作品も所蔵している(*^^*)。
まずは、父のピーテル・ブリューゲルから。ブリューゲルらしい俯瞰する視点から描いており、私的に特に好きなのが海の色調と波紋の面白さなのだわ!♪
ピーテル・ブリューゲル(父=1世)《ナポリ湾の戦い》(1560年)ドーリア・パンフィーリ美術館
で、息子のピーテル(子=2世)作品であるが、何枚描いたかわからない《鳥罠のある冬の風景》💦
ピーテル・ブリューゲル(子=2世)《鳥罠のある冬の風景》ドーリア・パンフィーリ美術館
ちなみに、ドーリア・パンフィーリのデジカメ画像チェックしたのは「プラド美術館展ーベラスケス」感想のためだったのだけどね
去年か一昨年だったと思うが、圀府寺司著『ユダヤ人と近代美術』(光文社新書)を読んだ。ユダヤ教は偶像崇拝を禁じている。描くことも見ることも禁じてきた民の「美術をめぐる静かな闘争」の物語、と銘打つだけに、なかなかに面白い内容だった。
実は、私的に一番興味深かったのは、序章「緋の十字」である。それによると、ベラスケスは「コンベルソ」(改宗したユダヤ人)だった可能性があるという。「ベラスケスの(サンティアゴ騎士団への)入会審査記録においては彼が貴族の家系であったことも、純粋なキリスト教徒の家系であったことも証明されておらず、結局、国王フェリペ4世の勅命により超法規的な例外措置として入会を許されていたらしいことがわかってきた」とのこと。
※参考↓:『西洋美術研究4』(大高保二郎:「封印された野望-ベラスケス 平民から貴族へ」)
http://www.sangensha.co.jp/allbooks/index/070J.htm
今回「プラド美術館展-ベラスケスと絵画の栄光」を観て、珍しく図録(ハードカバーが重い!)を買ったのも、その詳細への興味もあったのだが、残念ながら展覧会でも図録でも触れてはいなかった。まぁ、そーゆーものなのでしょうね、きっと