花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

山形美術館「山形で考える西洋美術」展サクッと感想(1)

2021-07-25 23:59:49 | 展覧会

山形美術館「令和3年度国立美術館巡回展 国立西洋美術館コレクションによる 山形で考える西洋美術 ─〈ここ〉と〈遠く〉が触れるとき」を観た感想をサクッと

http://www.yamagata-art-museum.or.jp/exhibition/4157.html

国立西洋美術館で開催される「○○美術館展」は観慣れているが、山形美術館との協同による、ある意味での「国立西洋美術館展(?)」はなかなかに興味深かった。

基調テーマである「〈ここ〉と〈遠く〉」が、作品や作家にとっての時間的・空間的な距離であったり、記憶であったり(観者も含め)、それぞれが互いに重層的に繋がり、更には、上野の「国立西洋美術館」までも組み込むなんて、私的には「そー来たかぁ~?」だった(笑)。確かに意欲的な「国立西洋美術館展」ではあった。

さて、展覧会の章立ては…

【第1章】山形生まれの彫刻家が見た〈遠く〉の夢 ──持ち帰られた記憶たち

【第2章】自分たちのものではない記憶のコレクション ──日本に「西洋美術館」があるということ

【第3章】〈ここ〉と〈遠く〉が触れるとき ──西洋と山形の近代以降の芸術

先ずは、今回初めて知った山形出身の彫刻家新海竹太郎(1868-1927年)。新海は1900年にパリに渡り、その後ベルリンで彫刻を学び、1902年に帰国している。故に、オープニングは新海《ゆあみ》とロダン《青銅時代》が並び立つ。

新海竹太郎《ゆあみ》(1907年原型/1986年鋳造)山形美術館

当時、深海がパリで影響を受けたであろうロダン作品との関わりが興味深い。それに、こんな機会でもないとロダン作品をしみじみ観ないし(西美ではいつも2階に直行)、今回、ロダンの《青銅時代》はミケランジェロの《ダヴィデ》なんだ!!と、改めて了解できたのも収穫だった。

新海はベルリンで彫刻を学んでいるので、やはりマックス・クリンガーやケーテ・コルヴィッツの版画作品が展示されていたのは、なるほど!だった。でもね、私的には彫刻作品の方が好きなので、エルンスト・バルラッハを含め、西美には彼らの彫刻作品もコレクションして欲しいのだわ。(ちなみに、新海はリーメンシュナイダー作品を観ただろうか??)

蛇足だが、ノイエ・ピナコテークで観たクリンガー《エルザ・アセニジェフ》は魅力的だったし、石素材の使い方も面白く、当時写真は撮れなかったので絵ハガキを買ったのを思い出す。

http://www.sammlung.pinakothek.de/en/artwork/02LAlOpxyk/max-klinger/elsa-asenijeff

(続く)


この夏初めてのラタトゥイユ♪

2021-07-15 21:56:40 | 食べもの

スーパーでズッキーニが安くなっていたので、この夏初めてのラタトゥイユを作ることにした。参考にしたレシピは「家庭画報」サイトに掲載されていたタサン・志麻さんによるもの。野菜の切り方から始まる動画も紹介されているので、料理苦手の私にもできそうに思えた

https://www.kateigaho.com/food/110155/2/

自分が作ったラタトゥイユは、ちょっと見た目は悪いけど、去年作ったのより美味しくできて「やった♪」感あり(笑)。志麻さんの解説にある、野菜を入れる都度、塩をひとつかみ振る!のが効いていて、さすが!志麻さんだと思った

で、実は志麻さんのレシピをちょっとアレンジして作っている。志麻さんが使った鍋は広口(Tファール深型フライパン)だが、私が使ったのはいつものビタクラフト鍋で、どうやら水分の飛び具合が違うことがわかったのだ。

レシピにはトマト缶の半分の水を入れるとあったが、実際に入れると量が多過ぎて水っぽくなってしまった。なので、ブイヨン(無添加)を一袋入れて味を調え、蓋をずらして水分を飛ばすことにした。煮過ぎて若干柔らかくなったけれど、でも美味しくできたのだよ。ということで、次回作る時は半分の水の量で良いように思う。(次回用の覚書ね


コンラート・ヴィッツ《受胎告知》。

2021-07-12 02:12:53 | 西洋絵画

ニュールンベルク「ゲルマン民族博物館」のコンラート・ヴィッツ《オルスベルク大祭壇画》の一部である《受胎告知》について興味深く勉強してしまった。

コンラート・ヴィッツ(Konrad Witz, 1400/10-1445/46年)はドイツ生まれだが、主にスイスで活動した画家である。1434年からバーゼルで活動し、バーゼルで死去している。

コンラート・ヴィッツ《受胎告知》(1437~1440年頃)ゲルマン民族博物館

https://objektkatalog.gnm.de/wisski/navigate/20432/view

興味深いのは、マリアの足元(右下から斜め上)にかかる影である。この画像ではわからないかもしれないが、実は額縁の影として描かれているのだ

同じ《オルスベルク大祭壇画》の一部である《金門での出会い》をバーゼル美術館で観ているが、バーゼルで撮った写真の方が、額縁の影が分かりやすいかもしれない。

コンラート・ヴィッツ《金門での出会い》(1437~1440年頃)バーゼル美術館

http://sammlungonline.kunstmuseumbasel.ch/eMuseumPlus?service=direct/1/ResultDetailView/result.inline.list.t1.collection_list.$TspTitleLink.link&sp=13&sp=Sartist&sp=SfilterDefinition&sp=0&sp=1&sp=1&sp=SdetailView&sp=70&sp=Sdetail&sp=0&sp=T&sp=0&sp=SdetailList&sp=0&sp=F&sp=Scollection&sp=l911

《金門での出会い》は後年、背景がに金色に塗りつぶされており、当初は《受胎告知》と同様に背景が描かれていたようだ。

さて、《受胎告知》の影に話を戻すと...すなわちお勉強したことね

①額縁は現実世界に在り、影は絵画世界にあり、「現実世界」と「絵画世界」が交錯している。

②影の方向は必ずしも正確ではなく、窓の桟の影は外から右下へ落ちている。

③それに対し、天井の梁の影は右下からの影のように見える。

額縁の影が柱のように見え、同一画面上で影の方向が異なる先例と言えば...そう!ファン・エイク兄弟によ《ヘント祭壇画》なのだ!!

ファン・エイク《ヘント祭壇画》より《受胎告知》(1432年)シント・バーフ大聖堂

《受胎告知》の聖なる空間は額縁の影に見られるように右上前方からの光と影であるが、後方の窓から見える世俗空間である街並みは左上からの光と影である。家並みの屋根の連なりがギザギザ三角形の影を落としているのが見えるのだ。

ご参考:「Closer to VanEyck」

http://closertovaneyck.kikirpa.be/ghentaltarpiece/#viewer/rep1=0&id1=656e3c9a83c3e382206cf5d8f1260f44

「ヴィッツの様式はドイツにおける後期ゴシックからルネサンスへの移行期のそれであるといえる。ドイツ南西部シュヴァーベン地方の伝統(写実主義と細部へのこだわり)とブルゴーニュ地方のスタイルに影響を受けたモチーフ(量感と身振りによる感情表現)の融合は、この画家がフランスあるいはオランダにおいて修行時代を過ごした可能性を考えさせる。」(Wikipediaより)

どうやらコンラート・ヴィッツは絵画修行遍歴の旅で《ヘント祭壇画》を観た可能性があるようなのだよ


東京五輪、宮城県も無観客にして欲しい!!

2021-07-11 02:21:36 | Weblog

今回の東京オリンピック、宮城県は利府町の宮城スタジアムで21日から男女のサッカー10試合が行われる予定だ。

県民として言いたい。宮城県も無観客にして欲しい!!

北海道も福島県も無観客にしたのに、なぜ宮城県知事は県民の不安の声を無視するのだろう。3月のコロナ感染拡大も自分の蒔いた種なのに反省も無し。

県外の観客(&取材マスコミ!)が試合観戦後に直帰するなんてあり得ない。仙台の夜の街に流れるのは想像に難くない。3月の感染拡大の再来、否、変異株によるそれ以上の拡大が心底心配だ。

政府もオリンピックによる地方の感染は軽視。県民を犠牲にしてまで政府にすり寄る知事を持つ私たちは不幸だと思う。「復興五輪」だなんて誰のため??

 


トマス・ホーヴィング『謎の十字架』再読。

2021-07-05 12:24:08 | 読書

前にメトロポリタン美術館クロイスターズ分館について書いたが、その時にトマス・ホーヴィング著『謎の十字架』について触れた。

https://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/88932aa8a7b77b4558ffd7d4dfeccd6c

なんだか懐かしくなり、図書館で借りて再読してしまった。三十数年ぶり??

当時は美術にあまり関心も無く、ただストーリーを面白く追うだけだったが、今回はその細部を極めて興味深く読むことができ、しみじみ、再読して良かった~!!と思ってしまった。初読から今回の再読までの歳月、その間の自分の美術追っかけ経験が決して無駄ではなかったと思わせてくれたからだ。

昔はよくわからず読んでいた事柄が、今はまざまざと了解できる。なにしろ、のっけからアンニバレ・カラッチのファルネーゼ天井画と素描についてのホーヴィングお手柄話が出て来るんだもの(だから繋がりでマルケのカルトーネ)(笑)。

物語は、ホーヴィングがクロイスターズで働くことになる経緯から始まり、「謎の十字架」の実物を見る機会を得、その素晴らしさに魅せられ、何とかMETに入手得しようと奮闘する物語である。セイウチの象牙に彫られた十字架の出自の謎解きだけではなく、怪しげな収集家や競合する美術館との駆け引きなど、ミステリー冒険小説のような趣もあり。なにしろ、ホーヴィングがフィレンツェのバルジェッロ国立博物館でボンド顔負けの離れ業をしたりするし

クロイスターズにて撮影。

ちなみに、METサイトでは…

https://www.metmuseum.org/art/collection/search/470305

「Provenance」には「Ante Topic-Mimara, Zurich (sold 1963)」とだけ書いてある。そう、このミマラが曲者なのよねぇ(笑)。

ホーヴィングはこの十字架を、12世の名匠ヒューゴによる英国サフォーク「ベリ・セント・エドマンズ修道院」起源としたが、その後、英国起源説に異論が出ており、現在ではどうやらそれが主流になっているようだ。もちろん、METは英国説のままだけどね