自分で撮ったデジカメ画像をチェックしていたら、ちょっとした発見(?)をしてしまった。東京都美術館「ボッティチェリ展」に出展されているフィリッポ・リッピ《聖母子》から数年後の《聖母子》だ。
フィリッポ・リッピ《聖母子》(1436年頃)ヴィチェンツァ市民銀行
フィリッポ・リッピ《聖母子》(1440年)ワシントン・ナショナル・ギャラリー
画風の変遷が興味深い♪
自分で撮ったデジカメ画像をチェックしていたら、ちょっとした発見(?)をしてしまった。東京都美術館「ボッティチェリ展」に出展されているフィリッポ・リッピ《聖母子》から数年後の《聖母子》だ。
フィリッポ・リッピ《聖母子》(1436年頃)ヴィチェンツァ市民銀行
フィリッポ・リッピ《聖母子》(1440年)ワシントン・ナショナル・ギャラリー
画風の変遷が興味深い♪
イタリア語教室で興味深い話を聞いてしまった。L先生のStoria時代区分認識によると、
・古代(Antica) 476年(西ローマ帝国の滅亡)以前
・中世(Medievale) 476年~1492年(コロンブスの新大陸発見)
・近代(Moderna) 1492年~1789年(フランス革命)
・現代(Contemporanea) 1789年~
※表記は形容詞
リドルフォ・ギルランダイオ《コロンブス(Cristoforo Colombo)の肖像》 (1520年)ガラタ海洋博物館(ジェノヴァ)
この時代区分、ヨーロッパ的な歴史感なのだろうなぁとは思うが、コロンブスの新大陸発見が与えたインパクトの大きさや、フランス革命以後が現代だというのには驚いた。普通、第二次世界大戦後をContemporaneaと言うけどね、と付け加えていたが…。
なにかと色々あり、「カラヴァッジョ展」感想文が途切れがちになってしまった。さぁ、気を取り直して続きをがんばらなくては!
Ⅱ)風俗画:五感 (続き)
【視覚】
・カラヴァッジョ《ナルキッソス》
カラヴァッジョ《ナルキッソス》(1599年)パラッツォ・バルベリーニ
オウィディウス「変身物語」のあまりにも有名な挿話だ。ナルキッソスは水面に映る自らの姿に恋し、今、口づけをしようと身を乗り出している。この後、自ら水中に沈んでしまうことも知らず...。
カラヴァッジョは両腕(水面も)の描く円環と突出した膝株という、実に印象的な構図で描いている。しみじみ観れば、栗色の髪が若者の持つ甘やかさを醸し出しているようにも見え、ナルキッソスの恋い焦がれる様が、抒情的に描かれているようにも思える。しかし、描いたのは一筋縄ではいかないカラヴァッジョだ。深読みしようとすれば色々想像もできそうな、そんな気がする作品だ。ちなみに、以前の拙ブログでも書いたが、この膝株がキモなのだよね(^^;
【味覚】
・バルトロメオ・マンフレーディの追随者《ブドウを食べるファウヌス》(1610年代)パラッツォ・バルベリーニ
展示作品の画像が無いので、ネタ元と思しきマンフレーディ《バッカスと酒飲み》の画像を出しておく。ところで、この「五感」展示にバルベリーニ古典絵画館がらみの作品が集中しているのは何故なのだろう??
バルトロメオ・マンフレーディ《バッカスと酒飲み》(1600-10年頃)パラッツォ・バルベリーニ
【聴覚】
・ヘンドリック・テル・ブリュッヘン《合奏(聴覚の寓意)》
ヘンドリック・テル・ブリュッヘン《合奏(聴覚の寓意)》(1629年)パラッツォ・バルベリーニ
私はカラヴァッジェスキの中でテル・ブリュッヘンが一番好きだ。特に彼が描く女性の生き生きとした表情とその肌艶は、観る者を思わず笑みさせる力を持つ。ユトレヒト派ならではの宗教画も風俗画も、彼の血の中にあるネーデルラント絵画の伝統と、ローマで衝撃を受けたカラヴァッジョ的なものが見事に融和し、より親しみのある暖かさを内包した作品となっている。例え、ゴシック的と見紛う作品においてさえ、なお息づく「生」が感じられるのだ。その筆力はルーベンスさえ認めるほどであり、美術ド素人的な暴言かもしれないが、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールもフェルメールも彼に負うところがあると思う。
さて、今回の《合奏》は「聴覚の寓意」とされているが、ユトレヒト派で多く見られる「音楽主題」の作品との違いがよくわからなかった。図録を見ると、ヘンドリク・ホルツィウス原画の「五感」連作に基づいた作品と見なされているから、ということらしい。しかし、「CARAVAGGIO IN HOLLAND」展を観てしまった先入観が多分にあるのかもしれないが、基本的には「音楽」(感想6)で紹介したホントホルスト作品とテーマ的には同じなのではないだろうか?? 「リュートとバイオリン」の隠喩は触れないでおくけど、危うさがバルコニーに集約されているでしょ??
そんな疑問はともかく、観ればこの作品の素晴らしさがよくわかる。左斜め前方からの光が女性の肌を、纏う衣装のたわわなドレープを、白く優美に輝かせる。彼女はリズムを取りながら歌っているのだろうか?光源の方には誰かいるのだろうか? リュートはバルコニーと思しき欄干に、持ち手を前に向けて置かれている。後ろのバイオリンを弾く男性は影に沈んでいるが、こちらも肩にかかる朱赤ガウンの衣紋襞の、闇のなかから光に浮かぶ明暗の色調が美しい。この表現描写を観ているとラ・トゥールもフェルメールもすぐ傍に感じられるのだ。
女性の白い肌と白い衣装、手すりを覆う金襴朱の布地の美しさ、男性のガウンの朱、まさに光と影に彩られた色彩のハーモニーであり、質感の描写力。なんと見事な作品なのだろう!この作品が来日してくれて本当に嬉しかった!!
【臭覚】
・《羊飼いのお告げ》の画家(ジョヴァンニ・ドー?)《バラの花を持つ少女》(1640年代)ヴァリア、デ・ヴィート財団
画像は無いけど、こちらもホルツィウス「五感」に基づく作品との扱いのようだ。バラの花の香りを楽しむ女性の質素な衣服描写に、リベーラみたい、と思ったのだが、図録を読むとなんとやはりリベーラの影響を受けた画家らしい。陰影の濃さがスペイン領ナポリらしい。
先の記事(モランディの変奏)でちょっと息抜きができたので、「カラヴァッジョ展」感想文に戻ろうと思う(^^;;
図録を読むと、古典的な「五感」の図像を採用していなくとも、カラヴァッジョは知覚というテーマに敏感だった、ということらしい。したがって、カラヴァッジェスキも「五感」に関連した作品を描いた、ということなのだろう。
Ⅱ)風俗画:五感(視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚)。
「五感」と言えば新国立美術館にも来ていたクリューニーの《一角獣のタペストリー》が想起される。図録で興味深かったのは、イタリアでは「五感」のような寓意画があまり見られなく、ドイツやオランダに多く見られるということだった(誤読だったらごめんなさい)。ロンバルディア(ミラノ)はイタリアでも北方に近い感覚を持っているのだと思う。アルチンボルドもカラヴァッジョも静物画的嗜好が似ているし、モレッリがプロテスタントだったというのもわかる気がする。あ、もしかして暴走している?(^^;
【触覚】
・カラヴァッジョ《トカゲに噛まれる少年》
薔薇の花が意味する恋愛には思わぬ痛みが潜んでいる、ということなのだろう。トカゲに噛まれた少年(カラヴァッジョ?)は、痛っ!と身をくねらせ涙目なのだが、やはり眼が行くのは静物画を得意とする画家の拘りだ。特にガラス花瓶の描写は眼を奪われてしまう。水の滴、映る光、室内風景!
カラヴァッジョ《トカゲに噛まれる少年》(1596-97年頃)ロベルト・ロンギ財団
同主題でロンドン・ナショナル・ギャラリー作品もある。こちらの方が後に描かれたようだ。ロンギ財団作品の方が色っぽいですな(^^ゞ
カラヴァッジョ《トカゲに噛まれる少年》(1596-97年頃)ロンドン・ナショナル・ギャラリー
ちなみに、《トカゲに噛まれる少年》は「触覚」だけではなく、サクランボなどの「味覚」も、薔薇・ジャスミン(だと思う)の「臭覚」も含まれているんじゃないかと思ったのだが、どうなのだろう??
参考としてだが、2004年のメトロポリタン美術館「リアリティの画家たち」展でソフォニスバ・アングィッソラ《ザリガニに噛まれる少年》を観たが、カラヴァッジョ作品に先行する作品として有名だ。
ソフォニスバ・アングィッソラ《ザリガニに噛まれる少年》(1554年)カポディモンテ美術館
・ピエトロ・パオリーニに帰属《カニに指を挟まれる少年》(1620-25年頃)ランプロンディ画廊
画像が無くて悪いが、カラヴァッジョのトカゲよりも、アングィッソラのザリガニに近いカニに噛まれている。エビが美味しそうだった♪ 「噛まれる少年」はやはりカラヴァッジョの影響だろうなぁと思う。
「モランディ展」感想文(?)を書いた後、「油彩→水彩→素描」変奏をあれこれ考えていた。で、ああ、これはHR/HM系に見られるヴァージョンの変容と同じかもしれないなぁ、と思った(^^;;;
例えば、日本のB’zを想起する。CDでもダウンロードでもいいが、楽曲を聴くと松本のギターがこれでもかと弾きまくっているのがわかる。これを油彩と考える。で、きっとライヴではアルバムと違うアレンジ(ヴァージョン)で弾いていることに気付く場合もあるだろう。タメがあったり、抜け感があったり。これが水彩ね。さらに、松本と稲葉のふたりだけのシークレット・ギグがどこかであり、楽しみながらアコースティック(アンプラグド)でやったりするかもしれない。これが素描だと思う。
多分、楽曲を完成し録音するまでの過程とはまた違う変奏の仕方だと思う。美術ド素人&ロック好きは、なんとなく、モランディの変奏への興味のあり方わかるような気がしたのだった。あ、ド素人のたわごとなので、専門家の方、石投げないでください~(^^;;;
ちなみに、B’zのライヴは観たことがないので、これはあくまでもHR/HM系ライヴを観た経験からの想像である(^^ゞ
追記:もちろん副題の「変奏」はクラシックを想定しているのだろうと思う。けど、ロックだってあてはまるのだし(^^ゞ
さて、感想文に戻ろう。【酒場】の次は【音楽】だった。番外編(2)で「CARAVAGGIO IN HOLLAND」展から引用したのは(酷い訳だけど(^^;;;)、同じように「音楽」主題を扱っていたからだ。
【酒場】の続き
・蝋燭の光の画家(ジャコモ・マッサ?)《酒場の情景》(1620-40年頃)ケーリッカー・コレクション
【音楽】
・クロード・ヴィニョン《リュート弾き》ランブロンティ画廊
・ピエトロ・パオリーニ《合奏》ミラノ・フランチェスコ・ミケーリ・コレクション
音楽主題は、シュテーデルの例を見るように、ホントホルストやテル・ブリュッヘンを想起する。
ヘリット・ファン・ホントホルスト《欄干の愉快な仲間たち》(1623-24年)個人蔵
今回の展示作品がユトレヒト派を外したことが、私的になんとも面妖な気がした。もしかして、ユトレヒト派以外にも音楽主題が広まっていたことを示す意図だったのか?? マンフレディの介在によりイタリアで広まっていたという意味なのか?? それとも、ユトレヒト派における音楽の隠喩はちょいとマズイからなのか??(^^;;;
更に情けないのだけれど、音楽と次に続く「五感」の聴覚との線引きもよくわからず、美術ド素人はこの展開に当惑してしまった。誰かに教えていただきたいほどだ(とほほ…)。まぁ、聴覚にテル・ブリュッヘン作品が並んだので、私的に文句は言えないのだけど、おほほ…(#^.^#)
まぁ、いずれにしても、カラヴァッジョの音楽主題作品からの派生であることに変わりはない。
カラヴァッジョ《合奏》(1597年頃)メトロポリタン美術館
カラヴァッジョ《リュート奏者》(1597年頃)エルミタージュ美術館(ジュスティニアーニ版)
カラヴァッジョ《リュート奏者》(1597年頃)メトロポリタン美術館(デル・モンテ版)
「カラヴァッジョ展」感想文は続ける予定だが、寒気がするので今日は早く寝ようと思う(^^;;
ということで、カラヴァッジョの風俗画の作風がわかるように、オランダのユトレヒト派作品(特に音楽主題を特集した)2006年春、フランクフルトのシュテーデル美術館「CARAVAGGIO IN HOLLAND」展での解説文を、拙ブログから再掲したい。でも、美術ド素人&横文字苦手の私が勝手に訳したので、違っていたらごめんなさい(^^;;;
■ CARAVAGGIO IN HOLLAND ■
カラヴァッジョはネーデルラント(オランダ)には行ったことはなかったが、反対にオランダのユトレヒトの画家たちがローマに赴き、カラヴァッジョの劇的なキアロスクーロ(明暗法)を自分自身の目で確かめることになった。
ヘンドリック・テル=ブリュッヘン、ヘリット・フォン・ホントホルスト、ディレク・ファン・バビューレンたちは、信奉するカラヴァッジョの新しい絵画表現を熱狂的に取り込み始める。
このオランダ人画家たちはカラヴァッジョの新しい絵画技法だけでなく、《リュート奏者》に見られるような上半身サイズの肖像画スタイルにも魅了された。そして、イタリアの保守的な古典的絵画技法や様式を壊すことにも熱中していくことになる。
カラヴァッジョの攻撃的様式とも言えるスポットライト照明は、周囲の暗闇から確実に主題を浮き立たせる。そして、画面に向かう鑑賞者に対し、画面との間の垣根を取り払い、劇的場面への臨場感を更に強める効果がある。絵画的空間の深さとコントラストによって、画面上の人物像の立体感といったら、まるで「触る」ことができそうではないか。
しかしながら、その両側面、ドラマとパトス、野蛮と宗教的熱情、エロチシズムと皮肉を伴いながら、人物の描写と場面についての論争を引き起こす。
1620~1625年の5年間は、激しい共通の興奮と論争を呼んだ。3人がイタリアから持ち帰った新しいバロックの多様な革新は、すぐにレンブラントの高度な発展へと向かうことになる。それは、シュテーデル美術館にある彼の《目を潰されるサムソン》によっても証明されよう。
「カラヴァッジョ展」と抱き合わせで、東京ステーションギャラリー「ジョルジョ・モランディ-終わりなき変奏」展を観た。今回の展覧会はボローニャのモランディ美術館の全面的協力で開催されたようだ。
展覧会チラシ。裏面の 「すこし、ちがう。すごく、ちがう。」 のキャッチもいいなぁ! 凄く言い得てる。
モランディ美術館(ボローニャ)
展覧会は4月10日(日)までだが、これだけの数のモランディ作品を日本で観られる機会って滅多にないのだから、見逃したら惜しいと思う。「カラヴァッジョ展」の帰りは、東京駅(ステーションギャラリー)へ、ぜひ(^^ゞ
さて、展示はセザンヌ風やシャルダン風の静物画から始まったが、モランディの変奏の面白さは同じような静物モデルを使った変奏だけでなく、更に油彩から水彩や素描へと(反対ではない)変奏することで、これにエッチング変奏まであるのだから、モランディの変奏への挑戦には終わりがない(^^;
例えば、以下は11月にモランディ美術館で撮った写真だが…素描から始まるのではなく、油彩を基に変奏が始まるのだ。
ジョルジョ・モランディ《静物》 油彩
ジョルジョ・モランディ《静物》 水彩
ジョルジョ・モランディ《静物》 素描
油彩の変奏では、パルマのマニャーニ・ロッカ財団美術館の油彩作品《静物》も来ていたが、良く似たボローニャ美術館の油彩《静物》(1948年)も隣に並んでいて、なんだか嬉しかった♪
ジョルジョ・モランディ《静物》(1948年)マニャーニ・ロッカ財団美術館
フェデリコ・ゼーリは、美術作品は「ひとつの交感(コミュニケーション)手段」である、と言っているが、美術ド素人で現代美術苦手の私でも、モランディ作品と対峙すると、画面のなかの瓶や壺と会話できるし、「モランディさん、そう動かしましたかねぇ」とか、「あら、明暗だけにしちゃいましたねぇ」とか、面白く観ることができる。もちろん、モランディ自身の意図はわかるはずもないけど、バロックと違い、少し前の時代を生きたモランディは、まだ身近に感じられる。形而上絵画に走ったり、ファシスト政権に捕まったり、ボローニャの街並みを歩く姿さえ想像される。雨を避けてポルティコに急いで避難したり、マッジョーレ広場あたりで知り合いに会ったり、フォンダッツァ通りのアパート下のステンドグラス前で隣人に挨拶されたり、色々…。
あ、もしかしてMAMbo(ボローニャ現代美術館)のロビーに展示されていたモランディ伝記(コミック)の数頁展示に影響されているのかなぁ? コミックの中でも大きな図体の寡黙な画家であった(^^;
アトリエでモデルたちを並べ替えておりますね(^^;
Claudio Bolognini と Fabrizio Fabbriによる「モランディ・コミック伝記」
本当は、時間があったら11月に観たモランディ美術館の作品も紹介したいのだけど...。ヴェネツィアのペギー・グッゲンハイム美術館から、モランディ初期のセザンヌの影響ビシバシ作品や、形而上絵画作品などが展示されていて、とても興味深かったのだ。
今回の「カラヴァッジョ展」の副題には思わずニヤリとしてしまった。「CARAVAGGIO and his Time:Friends,Rivals,and Enemies」、すなわち「カラヴァッジョと彼の時代:友人たち、ライバルたち、そして敵たち」なのだから(^^;
展示作品と史料から炙り出されるのは、カラヴァッジョの突出した才能(性格も!)と同時代の画家たちとの確執であり、当時の画壇に革新的な技法で風穴を開けた天才カラヴァッジョの与えた影響である。でも、バリオーネ裁判史料の解説で、カラヴァッジョも言及評価したアンニバレ・カラッチの名が無視されていたのは何故?? 図録でも「カラッチ一族」で括られていたし???
さて、閑話休題(あだしごとはさておき)、感想文を続けよう。
【酒場】 スペイン人であるジュゼッペ(ホセ)・デ・リベーラ(José de Ribera, 1591 - 1652年)はローマやナポリでカラヴァッジョの影響を大きく受けたカラヴァッジェスキのひとりである。強い明暗のコントラストと、よりリアルな写実を追求することにより、生々しくも深い人間描写を見せてくれる。私的にも好きな画家である。
ジョゼッペ・デ・リベーラ《聖ペテロの否認》(1615-16年頃)コルシーニ美術館
酒場と思しきテーブルで兵士たちが賭け事に興じている。女が兵士に聖ペテロを指さしながら「キリストの弟子だ」と密告するが、ペテロは「知らない」と否認する。有名な「聖ペテロの否認」の場面だ。リベーラはその筆力で生々しい現場の雰囲気を活写している。兵士たちの個性描写も上手い。特に、個性的な禿げ頭の兵士や、手前中央の兵士の甲冑の光沢など、質の高い作品だと思った。
だが、聖ペテロの手のジェスチャーはカラヴァッジョ《聖ペテロの否認》の手だし、テーブルに集う兵士たち、そしてペテロを指差す禿頭の兵士は、カラヴァッジョ《聖マタイの召命》からの引用である。カラヴァッジョの与えたインパクトの大きさがわかるというものだ。
カラヴァッジョ《聖ペテロの否認》(1609年頃)メトロポリタン美術館
(画像が見難くてすみません!)
カラヴァッジョ《聖マタイの召命》(1599 - 1600年)サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会
実は、リベーラ作品を観ながら、ロスのカウンティ美術館「Bodies and Shadows:Caravaggio and his Legacy」展で観たトゥルニエ作品を想起した。興味深いことに、フランスのカラヴァッジェスキである(バレンタイン・ブーローニュの弟子でもある)ニコラス・トゥルニエ(Nicolas Tournier , 1590 –1639年)も、リベーラ作品とよく似た構図の《聖ペテロの否認》を描いているのだ。
ニコラス・トゥルニエ《聖ペテロの否認》(1625年)ハイ美術館(アトランタ)
このトゥルニエ作品、もしかしてリベーラからの影響なのだろうか???
今回の「カラヴァッジョ展」図録を読むと、その執筆陣の多様さと内容の濃さに驚く。最新の史料を基にした研究成果を併せて知ることができ、世界水準の図録、と言ったら褒めすぎだろうか?
そんな心強い(手強い)図録を手元に置きながら、というのも気が引けるのだが、美術ド素人の感想文も展覧会の章を追いながら書いて行きたいと思う。勝手気ままな感想文になるので、どうぞご容赦を...(^^;;
ということで、本当は《法悦のマグダラのマリア》と同じく初見であった《メドゥーサ》の感想を書きたいところだが、こちらも後日の楽しみとしたい。
Ⅰ)風俗画:占い、酒場、音楽
【占い】 メインのカラヴァッジョ作品は《女占い師》だった。この騙し騙されるという、いつの時代でも見られる現ごとが、カラヴァッジョの筆を通して、当時いかにも居そうなジプシー女とニヤけた若者の姿で描かれている。手相を見るふりをして指輪を抜き取ろうとするお姉さん。
カラヴァッジョ《女占い師》(1597年)カピトリーノ絵画館
やはり私的にはお姉さんの白ターバンのフサフサやお兄さんの袖口のレースが好みで、特に袖レースはキンベルの《いかさま師》を想起してしまう。初期の風俗画は後の明暗を強調する描き方よりも明るく、画家本人の性格とは異なる(!)おおらかさが感じられる。
今回展示のカピトリーノ作品の他にルーヴル作品も存在するが、私的にはルーヴル作品のお兄さんの方が気に入っている(^^ゞ
カラヴァッジョ《女占い師》(1597年頃)ルーヴル美術館
このカラヴァッジョの革新的な「理想ではなく現実」を描いた風俗画が、当時ローマで持て囃されたことは難くない。いわゆるカラヴァッジェスキたちが競って同主題作品を描いているのだから。
今回はシモン・ヴーエ(Simon Vouet, 1591-1649年)の《女占い師》が同主題代表で展示されていた。
シモン・ヴーエ《女占い師》(1618-20年)パラティーナ絵画館
ヴーエ作品を観ると、カラヴァッジョ中後期の明暗とともに、より下世話な庶民の生活感が込められているように感じられる。なにしろお兄さん(おじさん?)は鼻の穴をふくらませているような(笑)。
ヴーエ作品が描かれた頃にはカラヴァッジョは既に亡くなっているが、騙し騙されの風俗画主題がローマで流行し、更にイタリアを超えて北方にも流行し続けたことが窺われる。メトのジョルジュ・ド・ラ・トゥール(Georges de La Tour, 1593-1652年)《女占い師》などもその例だと思う。
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《女占い師》(1633-36年)メトロポリタン美術館
多分この主題を好んだ(購入する)のは男で、騙す方が一様に女であることに苦笑してしまうが、教訓画というよりも自虐的な笑いが好まれたんじゃないだろうか??と思うのだよね(^^ゞ (続く...)