昨年11月に観た宮城県美術館「東日本大震災復興祈念 奈良・中宮寺の国宝展」の感想を遅ればせながらサクッと。
https://www.pref.miyagi.jp/site/mmoa/exhibition-20201112-s01-01.html
中宮寺は聖徳太子が母である穴穂部間人皇后のために創建したと伝わっている(山岸涼子「日出処の天子」では穴穂部間人媛は厩戸を恐れ冷たかったよなぁ)。鎌倉時代の尼僧信如(比丘尼)による復興を経て、室町時代には尼門跡寺院となっている。
今回の展覧会では中宮寺の仏様たちだけではなく、様々な所蔵品(美術品)も観ることができ、興味深く眺めてしまった。端正な《花御堂》や雅な《花鳥散図襖》、昭和初期の日本画家たちによる《花御堂天井画》板絵など、現在まで続く尼門跡寺院ならではの格式と華やぎを見ることができたと思う。
《花鳥散図襖》江戸時代(18世紀)中宮寺
また、中宮寺の国宝の一つである《天寿国繍帳》のレプリカ(模造:1982年)も展示されていた。
(写真:中宮寺HPから)
《天寿国繍帳》(実物写真)飛鳥時代(7世紀)中宮寺
今回初めて知ったのだが《天寿国繍帳》は聖徳太子の死去を悼んで妃の橘大郎女が作らせたもので、聖徳太子が往生した天寿国(西方極楽浄土)のありさまを刺繡で表した帳(とばり)の意であるようだ。展示されていた模造作品を観ていても、彩り豊かな刺繍で極楽浄土を物語るように緻密に繍い上げていることが了解される。観ながら、ふと《バイユーのタペストリー(Tapisserie de Bayeux)》を想起した。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Teppich_von_Bayeux.jpg
《バイユーのタペストリー》は1066年のノルマン・コンクエスト(ノルマンディー公兼イングランド王ウィリアム1世によるイングランド征服)の物語の刺繡画である。7世紀日本の刺繍も、11世紀イングランドの刺繍も、刺繍職人たちが精魂込めて繍い物語る世界は尊い。
さて、私的に注目していたのが仏像であり、ゲストのむろさんさんから事前に教えて頂いていた《文殊菩薩立像》は、なるほど!紙製とは思えない完成度であり、文殊菩薩の結った髪先の破れから、確かに紙を重ねた証を観ることができた。紙製ではあるものの衣装には截金を施しており、鎌倉時代の作らしく玉眼であることも興味深かった。
(写真:中宮寺HPから)
《文殊菩薩立像》(重要文化財)鎌倉時代(1269年)
そして、最後の特別室に展示されていたのは、今回のハイライト《菩薩半跏思惟像》だった。が、その前室で眼を惹かれたのは数点の《菩薩半跏思惟像》写真の展示だった。それぞれの写真家の個性が出ていたが、やはり尋常ではない迫力を見せていたのは土門拳作品である。明暗のコントラストの強さは漆黒の《菩薩半跏思惟像》のボリューム感を彫り上げているようだった。
ということで、展示最終室の《菩薩半跏思惟像》に掌を合わせ、しみじみと拝見させていただいた。明るい照明の元で、近くで、離れて、ぐるっと回って...《菩薩半跏思惟像》は角度を変える毎に、観る者の眼に様々な姿を見せてくれる。やや俯き、静かに思索される表情も、頬に触れる洗練された指のポーズも、すんなりとした背中も、華やかな衣紋ドレープの内なる足の存在感...まことに魅了されるお姿をしている。
(写真:中宮寺HPから)
《菩薩半跏思惟像》(国宝)飛鳥時代(7世紀)中宮
特に印象的だったのは、照明のせいだろうか? 正面から近づき見上げると、意外なことに漆黒の厳かな威厳に圧倒されるようだったのだ。この菩薩像は決して優美でお優しいだけではない、男性的な荒ぶる力強さをも秘め、毅然とした厳しさもお見せになるのだと思った。
展示では《菩薩半跏思惟像》の復元CG映像も観ることができたのだが、なんと!現在のお姿は当初の装飾を取り去り、その後黒漆を塗ったものだ(追記:黒漆の上から彩色していた?)ということがわかった。復元CGでは、お顔にも衣装にも美しい色彩が施され、髪を結い上げた上から煌びやかな宝冠を被り、西方浄土を彷彿させる菩薩像であったことが偲ばれたのだ。
多分、飛鳥時代の人々は華やかで美しい《菩薩半跏思惟像》のお姿こそ相応しいと考えたに違いない。が、現代人の私は装飾を削ぎ落とし「素」となったお姿の方を美しいと思う。それは、古代ギリシア彫刻も鮮やかな色彩を纏っていたことを危うく忘れそうになるのと同じかもしれない。美の基準も、美意識も、時代の変化とともに揺れるのは仕方がないのだよね。
ということで、なんだか後半は急いだ感もあるけれど(汗)、遅ればせのサクッと感想を書き、ようやく去年からの宿題を終えた気分だ。