去年の2月、在日フランス大使館旧庁舎で若手アーティストたちによるアートイベント「No Man’s Land」展を観た。新庁舎オープンに伴う旧庁舎解体を前に、展覧会だけでなく旧庁舎も興味深く眺めてきた。
旧庁舎は戦後に建てられたものだろうか、ちょっとオシャレめシンプルモダンという感じの低層ビルで、その普通っぽさが意外だった(^^;;。旧庁舎の屋上からは新庁舎の洗練されたホテルのようなエントランスが望めたが、多分名のある建築家設計によるものなのだろう。
新庁舎を眺めながら、ローマの在伊フランス大使館の古色を帯びたエレガントなパラッツォの風格を想った。なにしろ、アントニオ・ダ・サンガッロ、ミケランジェロ、ヴィニョーラ、デッラ・ポルタ…昔の超有名どころが手がけた建物だし...。
ということで、今回のローマ駆け足旅行はまず「パラッツォ・ファルネーゼ(Palazzo Farnese)展」から。
パラッツォ・ファルネーゼ正面(ファルネーゼ家紋章・フランス国旗とEU旗・展覧会垂幕)
今回の「パラッツォ・ファルネーゼ展」は単なる建物内部の見学だけではない。アンニバレ・カラッチのフレスコ画はもちろんだが、ファルネーゼ一族の歴史を語るパルマやナポリ(カポディモンテ美術館・国立考古学博物館)からの美術品も多く展示され、このパラッツォの主であったファルネーゼ家コレクションの素晴らしさを偲ばせてくれる。更に、アンニバレ・カラッチによるフレスコ画下絵がルーヴルやウフィッツィなどからも展示され、展覧会を一層興味深く面白いものとしていた。
(現フランス大使館なので執務室は除外=フランチェスコ・サルヴィアーティ、ズッカリ兄弟のフレスコ画は観られない)
そもそもこの展覧会は在伊フランス大使がナポリの考古学博物館でファルネーゼ・コレクションの彫刻群に感動し、かつての展示場所であったパラッツォ・ファルネーゼ(大使館の管理下)に再現展示したいものだと思ったのが発端のようだ。わかるなぁ、その気持ち!
ミケランジェロの手も入っている《ファルネーゼの牛》(ナポリ国立考古学博物館)
ナポリで夕方撮影したので画面が暗い(^^;;
見学コースは中庭を通り、階段を上った突き当たりにある「ヘラクレスの間」から始まった。展示されている像はカラカラ浴場の出土ヘラクレス像(コピー)のようだが、その大きさに圧倒される。もしかしてファルネーゼ家の古典古代への関心の有り様がアンニバレによるフレスコ画主題に通じるのかもしれない。ちなみに「ヘラクレスの間」は天井がとても高い(2階以上もありそう)大きなホールで、木製天井浮彫にはファルネーゼ家の百合の紋章が見て取れた。
(フランス人は英語に抵抗感があるのか、展示作品の解説文はイタリア語とフランス語だけだった(笑))
パラッツォ・ファルネーゼ中庭
さて、「ヘラクレスの間」を出て順路を進むと小部屋のような通路に…わっ、まさか?!なんと、ティツィアーノ《パウルス3世の肖像》(カポディモンテ美術館)が出迎えてくれたのだ♪ しみじみ至近距離で仔細に観察する。なにしろ所蔵元のカポディモンテ美術館では絵の前にロープが設けられ、こんな近くで観られないのだから!さすがフランス大使館、太っ腹だねぇ(笑)。ちなみに、日本での「カポディモンテ美術館展」にティツィアーノのパウルス3世像の1枚でも来日したら、もっと引き締まった展覧会になったと思う。(交渉が大変だったのは知ってるけど、ごめんなさい(^^;;>西美さま)
ティツィアーノ《パウルス3世の肖像》(カポディモンテ美術館)
ローマ教皇パウルス3世(アレッサンドロ・ファルネーゼ,)はやせこけた風貌ながら、策略をめぐらしているかのような眼差しをティツィアーノに投げかける。実際、ティツィアーノは次男への聖職者禄をエサに老獪なパウルス3世に翻弄され続け、何枚もの作品を描いたにもかかわらず、遂に目的を果たすことはできなかったのだから。パウルス3世の紅いポシェットを押さえる指がなにやら出し惜しみする仕草に見えるのは私がティツィアーノに感情移入しているからであろうか?(^^;;;
ファルネーゼ家は元々トスカーナ出身の貴族の家柄だったが、アレッサンドロ・ファルネーゼ(1468-1549)が枢機卿から教皇へと上り詰め、さらには息子ピエル・ルイージのために教皇領から割譲し新しい領国を作ってしまった。それがパルマ・エ・ピアチェンツァ公国である。ちなみに、パウルス3世が枢機卿に抜擢されたのはアルクサンデル6世(チェーザレ・ボルジアの父)に美人の妹を差し出したためと言われる。ボルジア家の野望と挫折を側で見つめていたにちがいない。きっとその学習から公国は創出されたのだと思うのだ。
初代パルマ公のピエル・ルイージ(鎧姿の展示肖像からは喧嘩っ早そうな印象を受けた(^^;)は暗殺されるが、その息子たち、パウルス3世にとっては孫たちがファルネーゼ家の繁栄を引き継ぐ。長男アレッサンドロと三男ラヌッチョは聖職者として、次男オッターヴィオは第2代パルマ公として…。オッターヴィオはカール5世(カルロス1世)の庶子マルゲリータと結婚、その息子である第3代パルマ公アレッサンドロ・ファルネーゼ(1545-1592)はスペイン(フェリペ2世)の宮廷で軍人として教育され、レパントの海戦やネーデルラントで大活躍する。
その後、第6代パルマ公の孫エリザベッタ・ファルネーゼがスペイン(ブルボン家)フェリペ5世の後妻となり、その息子カルロス(1716-1788)がナポリ王・シチリア王となり、後にスペイン王カルロス3世となる。ナポリ王時代、1731年にパルマ公ファルネーゼ家が途絶え、カルロスがパルマ・ファルネーゼ家を継ぎ、ナポリにファルネーゼ・コレクションをごそっと移ってしまった。故に、カポディモンテ美術館や国立古代博物館にはファルネーゼ縁の美術品が溢れているのだよね。
そのファルネーゼ家代々のファミリーツリーや一族の肖像画がパルマから展示されていた。日本での「パルマ展」でも展示された作品が多く、なんだか懐かしくなってしまった。やはり目が行ったのはコエーリョの第3代パルマ公《アレッサンドロ・ファルネーゼ》。スペインで描かれたはずで、イタリア絵画とは違った香がする。ジュリオ・カンピの第2代パルマ公《オッターヴィオ・ファルネーゼ》はあの有名なティツィアーノ《パウルス3世と孫たち》のオッターヴィオにあまり似ていないなぁ、なんて思ってしまったり(^^;
パルマと言えば「コレッジョ展」を観に訪れた時に、ピロッタ宮の内部(あのファルネーゼ劇場も)を観ながら一族の繁栄が偲ばれたものだ。
パルマ「ピロッタ宮」
さて、次回はアンニバレ・カラッチ&工房によるフレスコ画の世界を...。ということで、続く(^^;;;
旧庁舎は戦後に建てられたものだろうか、ちょっとオシャレめシンプルモダンという感じの低層ビルで、その普通っぽさが意外だった(^^;;。旧庁舎の屋上からは新庁舎の洗練されたホテルのようなエントランスが望めたが、多分名のある建築家設計によるものなのだろう。
新庁舎を眺めながら、ローマの在伊フランス大使館の古色を帯びたエレガントなパラッツォの風格を想った。なにしろ、アントニオ・ダ・サンガッロ、ミケランジェロ、ヴィニョーラ、デッラ・ポルタ…昔の超有名どころが手がけた建物だし...。
ということで、今回のローマ駆け足旅行はまず「パラッツォ・ファルネーゼ(Palazzo Farnese)展」から。
パラッツォ・ファルネーゼ正面(ファルネーゼ家紋章・フランス国旗とEU旗・展覧会垂幕)
今回の「パラッツォ・ファルネーゼ展」は単なる建物内部の見学だけではない。アンニバレ・カラッチのフレスコ画はもちろんだが、ファルネーゼ一族の歴史を語るパルマやナポリ(カポディモンテ美術館・国立考古学博物館)からの美術品も多く展示され、このパラッツォの主であったファルネーゼ家コレクションの素晴らしさを偲ばせてくれる。更に、アンニバレ・カラッチによるフレスコ画下絵がルーヴルやウフィッツィなどからも展示され、展覧会を一層興味深く面白いものとしていた。
(現フランス大使館なので執務室は除外=フランチェスコ・サルヴィアーティ、ズッカリ兄弟のフレスコ画は観られない)
そもそもこの展覧会は在伊フランス大使がナポリの考古学博物館でファルネーゼ・コレクションの彫刻群に感動し、かつての展示場所であったパラッツォ・ファルネーゼ(大使館の管理下)に再現展示したいものだと思ったのが発端のようだ。わかるなぁ、その気持ち!
ミケランジェロの手も入っている《ファルネーゼの牛》(ナポリ国立考古学博物館)
ナポリで夕方撮影したので画面が暗い(^^;;
見学コースは中庭を通り、階段を上った突き当たりにある「ヘラクレスの間」から始まった。展示されている像はカラカラ浴場の出土ヘラクレス像(コピー)のようだが、その大きさに圧倒される。もしかしてファルネーゼ家の古典古代への関心の有り様がアンニバレによるフレスコ画主題に通じるのかもしれない。ちなみに「ヘラクレスの間」は天井がとても高い(2階以上もありそう)大きなホールで、木製天井浮彫にはファルネーゼ家の百合の紋章が見て取れた。
(フランス人は英語に抵抗感があるのか、展示作品の解説文はイタリア語とフランス語だけだった(笑))
パラッツォ・ファルネーゼ中庭
さて、「ヘラクレスの間」を出て順路を進むと小部屋のような通路に…わっ、まさか?!なんと、ティツィアーノ《パウルス3世の肖像》(カポディモンテ美術館)が出迎えてくれたのだ♪ しみじみ至近距離で仔細に観察する。なにしろ所蔵元のカポディモンテ美術館では絵の前にロープが設けられ、こんな近くで観られないのだから!さすがフランス大使館、太っ腹だねぇ(笑)。ちなみに、日本での「カポディモンテ美術館展」にティツィアーノのパウルス3世像の1枚でも来日したら、もっと引き締まった展覧会になったと思う。(交渉が大変だったのは知ってるけど、ごめんなさい(^^;;>西美さま)
ティツィアーノ《パウルス3世の肖像》(カポディモンテ美術館)
ローマ教皇パウルス3世(アレッサンドロ・ファルネーゼ,)はやせこけた風貌ながら、策略をめぐらしているかのような眼差しをティツィアーノに投げかける。実際、ティツィアーノは次男への聖職者禄をエサに老獪なパウルス3世に翻弄され続け、何枚もの作品を描いたにもかかわらず、遂に目的を果たすことはできなかったのだから。パウルス3世の紅いポシェットを押さえる指がなにやら出し惜しみする仕草に見えるのは私がティツィアーノに感情移入しているからであろうか?(^^;;;
ファルネーゼ家は元々トスカーナ出身の貴族の家柄だったが、アレッサンドロ・ファルネーゼ(1468-1549)が枢機卿から教皇へと上り詰め、さらには息子ピエル・ルイージのために教皇領から割譲し新しい領国を作ってしまった。それがパルマ・エ・ピアチェンツァ公国である。ちなみに、パウルス3世が枢機卿に抜擢されたのはアルクサンデル6世(チェーザレ・ボルジアの父)に美人の妹を差し出したためと言われる。ボルジア家の野望と挫折を側で見つめていたにちがいない。きっとその学習から公国は創出されたのだと思うのだ。
初代パルマ公のピエル・ルイージ(鎧姿の展示肖像からは喧嘩っ早そうな印象を受けた(^^;)は暗殺されるが、その息子たち、パウルス3世にとっては孫たちがファルネーゼ家の繁栄を引き継ぐ。長男アレッサンドロと三男ラヌッチョは聖職者として、次男オッターヴィオは第2代パルマ公として…。オッターヴィオはカール5世(カルロス1世)の庶子マルゲリータと結婚、その息子である第3代パルマ公アレッサンドロ・ファルネーゼ(1545-1592)はスペイン(フェリペ2世)の宮廷で軍人として教育され、レパントの海戦やネーデルラントで大活躍する。
その後、第6代パルマ公の孫エリザベッタ・ファルネーゼがスペイン(ブルボン家)フェリペ5世の後妻となり、その息子カルロス(1716-1788)がナポリ王・シチリア王となり、後にスペイン王カルロス3世となる。ナポリ王時代、1731年にパルマ公ファルネーゼ家が途絶え、カルロスがパルマ・ファルネーゼ家を継ぎ、ナポリにファルネーゼ・コレクションをごそっと移ってしまった。故に、カポディモンテ美術館や国立古代博物館にはファルネーゼ縁の美術品が溢れているのだよね。
そのファルネーゼ家代々のファミリーツリーや一族の肖像画がパルマから展示されていた。日本での「パルマ展」でも展示された作品が多く、なんだか懐かしくなってしまった。やはり目が行ったのはコエーリョの第3代パルマ公《アレッサンドロ・ファルネーゼ》。スペインで描かれたはずで、イタリア絵画とは違った香がする。ジュリオ・カンピの第2代パルマ公《オッターヴィオ・ファルネーゼ》はあの有名なティツィアーノ《パウルス3世と孫たち》のオッターヴィオにあまり似ていないなぁ、なんて思ってしまったり(^^;
パルマと言えば「コレッジョ展」を観に訪れた時に、ピロッタ宮の内部(あのファルネーゼ劇場も)を観ながら一族の繁栄が偲ばれたものだ。
パルマ「ピロッタ宮」
さて、次回はアンニバレ・カラッチ&工房によるフレスコ画の世界を...。ということで、続く(^^;;;