ヴェネツィアのアカデミア美術館で「Tiziano 1508. Agli esordi di una luminosa carriera (ティツィアーノ 1508年-輝かしいキャリアの始まりに)」展を観た感想をサクッと書きたい。
◆「Tiziano 1508. Agli esordi di una luminosa carriera」展
・会場:「Gallerie Accademia」(Venezia)
・会期:2023年9月9日(土)~ 12月3日(日)
https://www.gallerieaccademia.it/settembre-2023-tiziano-1508-agli-esordi-di-una-luminosa-carriera
※参考動画:https://www.youtube.com/watch?v=txOWI4uKcEU
カドーレ出身の若きティツィアーノ(Tiziano Vecellio,1490年頃-1576年)の名がヴェネツィアで一躍知られるようになったのは、1508年、ベッリーニ工房から移った当時の師ジョルジョーネ(Giorgione,本名Giorgio Barbarelli da Castelfranco,1477年/1478年頃 - 1510年)とともに描いたフォンダコ・デイ・テデスキの壁画(フレスコ画)に大きく負う。海風に晒され殆ど剥落してしまったが、まだ色彩が残っていた頃の模写作品も展示されていた。
ティツィアーノ《ホロフェルネスの首を持つユディト》(1508年頃)
ティツィアーノの《ホロフェルネスの首を持つユディト》模写作品
この1508年に焦点を当てて、同年制作の《タンバリンを持つ少年》と《トビアスと天使》の紹介を中心に、1508年前後のティツィアーノ作品も含め、作品形成に影響を与えたと思われる師ジョルジョーネ、デューラー、ミケランジェロ、デル・ピオンボなどの作品が並んだ。
1507年頃のティツィアーノ作品も若描きの初々しさが見えて興味深い。
ティツィアーノ《聖母子》(板に油彩)(1507年頃)アカデミア・カッラーラ
聖母子の背景の風景描写が印象的だ。解説では、聖母の傾けた頭の描写がデューラーのリアリズムを想起させる、とあった。
デューラーの第二次ヴェネツィア滞在は1506年~1507年である。当地で《ローゼンクランツ祝祭祭壇画》(フォンダコ・デイ・テデスキの独商人たちの教会用に)を描いているし、版画は流布しているし、ジョヴァンニ・ベッリーニとも懇意にしている。
前川誠郎・訳『自伝と書簡』(岩波文庫)で「(ヴェネツィアの画家たち)は聖堂であれ何処であれ、手に入れることさえできれば私のもの(版画など)を模写するのです」とある。もしかして、若きティツィアーノも模写していたかも?
ちなみに、ティツィアーノの風景描写と言えば、今回の展覧会には出展されていないが、エルミタージュ美術館《エジプトへの逃避》が興味深い。会場の年表には1506年頃とされていたが、若きティツィアーノの風景に対する眼差しが良くわかる作品ではないかと思う。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Titian_-_Flight_into_Egypt,_Circa_1508FXD.jpg
で、1507年頃作品をもう1点。
ティツィアーノ《キリストの復活》(1507年頃)ウフィッツィ美術館
この展覧会での表記は1507年頃になっているが、Wikipedia伊版は1511-12年になっている。私的ド素人眼でも1507年頃に近いように思えるかも。ちなみに、解説ではミケランジェロとラファエロの影響が言及されていた。ちょっと上目遣いはペルジーノ譲りのラファエロっぽいと思った。
ということで、1508年のティツィアーノ作品になるが...特に興味深かったのは《タンバリンを持つ天使》だった。
ティツィアーノ《タンバリンを持つ天使》(1508年)(板に油彩)ドーリア=パンフィーリ美術館
非常に瑞々しい楽奏天使であるが、最近の研究によると、何と!この作品は元々は祭壇画の一部だったようなのだ。
かつてフェッラーラのサンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会にあった祭壇画の一部らしい。残念なことに切断され、現在はバラバラに所蔵されている。再構成写真が展示されていたが、なるほど繋がるなぁと...。
同じく1508年頃作品として...
ティツィアーノ《大天使ラファエロとトビアス》(1508年頃)
解説では、足元の犬がデューラー《聖エウスタキウス》の犬を想起させること...
アルブレヒト・デューラー《聖エウスタキウス》(1501年頃)
また、ミケランジェロの影響も示唆され....
マルカントニオ・ライモンディ《水浴びする3人(ミケランジェロ《カッシーナの戦い》より》(1510年)
確かに、二人の影響は大きかったかもしれないと思う。師ベッリーニとジョルジョーネ、そしてデューラーにミケランジェロ.....若きティツィアーノは貪欲に吸収しただろうと思う。
この展覧会の主人公はティツィアーノなので、ジョルジョーネのフォンダコ・デイ・テデスキ《裸体》や《テンペスト》を始めとするジョルジョーネ作品も展示されていたが、涙ながら端折ってしまった。なにしろサクッと感想なもので...悪しからず(汗)。
ということで、1508年、師ジョルジョーネとともに描いたフォンダコ・デイ・テデスキの壁画(フレスコ画)を描き、その才能が一躍ヴェネツィア人の衆目を集め、ティツィアーノの快進撃が始まったことが了解できたのであった。
で、次回は、1508年以降、私的に興味深かった作品などを中心に...。