花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

ボルゲーゼ美術館展(仮称)にカラヴァッジョ

2009-05-16 04:03:03 | 展覧会
何かとドタバタしていて、大切な情報を載せるが遅くなってしまった。ボローニャのFさんからの逆輸入情報です(Fさんに深謝!)

■ボルゲーゼ美術館展(仮称)
 開催期間:2009年10月31日~2009年12月27日  京都国立近代美術館
        2010年1月16日~2010年4月4日     東京都美術館  

「この展覧会では、高い評価を得ているボルゲーゼ美術館所蔵の最高傑作のなかから、その一部が初めて日本に上陸します。展覧会には、ラッファエッロ、ボッティチェッリ、カラヴァッジョ、ヴェロネーゼの絵画、ベルニーニの彫刻を含む、最高水準の45点が展示されます。
さらに、同展覧会では、肖像画、衣服、日用品の展示を通して、ボルゲーゼ家の歴史を詳しく紹介します。」(イタリア文化会館サイトから

□主な出品予定作品(東京都美術館サイトから
  ・ボッティチェリ 「聖母子、洗礼者ヨハネと天使」
  ・ラファエロ 「一角獣を抱く貴婦人」
  ・カラヴァッジョ 「聖ヒエロニムス」
  ・ヴェロネーゼ 「パドヴァの聖アントニウスの説教」
  ・伝ジョルジョーネ 「フルートを持つ歌手」
  ・ベルニーニ 「枢機卿シピオーネの胸像 」  

日本におけるイタリア年事業の一環のようである。2009年は映画『天使と悪魔』公開で話題のベルニーニ、2010年は没後400年記念上映『カラヴァッジョ』のカラヴァッジョ、なんだか陰に商魂がありそうな気もするが(笑)、いづれにしても嬉しい展覧会だ。2001年の「カラヴァッジョ展」にも出展された《聖ヒエロニムス》が再来日ということで楽しみにしたい。→ ゲストのTakさん情報だと《洗礼者聖ヨハネ》に変更になったようだ。(Takさんに感謝)


《聖ヒエロニムス》カラヴァッジョ

      ↓ 変更


《洗礼者聖ヨハネ》カラヴァッジョ

ボルゲーゼ美術館のコレクションはローマ教皇パウルス5世の甥であるシピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿の収集が元になっている。建物自体もボルゲーゼ家のヴィッラだった。シピオーネは大の美術愛好家であり、カラヴァッジョ作品欲しさに、パウルス5世の名の下、カバリエーレ・ダルピーノが持っていた作品を半強制的に接収するという、実にやんちゃな枢機卿である(笑)
以前、拙ブログ「ペルジーノ展」でも触れたが、ラファエッロ《キリストの埋葬》もペルージャの教会から掠奪し、地元に悪いからと、代わりにダルピーノに描かせた模写を与えて黙らせたというんだから、ったく(^^;;

でもね、ベルニーニのパトロンとしても有名で、ボルゲーゼの「シピオーネ胸像」には親愛の情がうかがえるのだ。今回の展覧会にも「シピオーネ胸像」が展示される予定だが、2作品の内どちらが来日するのか私的に注目している。「シピオーネ胸像」の第一作にヒビが入り、ベルニーニは急遽第二作を彫り上げている。もちろん、ヒビの入った第一作の方が魅力的なのだけどね。

  
ボルゲーゼ美術館(ローマ)                     「シピオーネ・ボルゲーゼ胸像」(第一作)(ベルニーニ)

ちなみに、伊達政宗の派遣した慶長遣欧使節・支倉常長はローマ(1615-16年滞在)でパウルス5世やシピーネと会見している。支倉が仙台に持ち帰った遺品の中にパウルス5世の肖像画があり、現在も仙台市博物館で見ることができる。ボルゲーゼ家も支倉の肖像画をロレーヌ出身の画家クロード・デリュエに描かせており、現在はボルゲーゼ家の子孫が所蔵している。

     
「パウルス5世」(仙台市博物館)       「支倉常長」(クロード・デリュエ)

この展覧会で、ボルゲーゼ美術館の所蔵作品との再会はもちろん、ボルゲーゼ家の歴史も併せて楽しみたいところだ。

■Street Caravaggio
それから、同じくFさんにご紹介いただいた楽しいサイトを...(Fさんに感謝!)
「Street Caravaggio」、ローマにはこんな素敵な通りがあるのね(^_-)-☆


サンタ・マリア・デル・ポポロ教会

2009-05-13 01:13:35 | 西洋絵画
拙ブログは極小ブログなのに、5月9日のアクセス数が異常に多くて驚いてしまった。ベルニーニ「バルダッキーノ」に集中しているのだが、何故??

どうやらその日、TV番組「世界不思議発見」に、映画『天使と悪魔』絡みでベルニーニとガリレオの話が登場したらしい。

『ダ・ヴィンチ・コード』にマイナーな感想を持っていた私は『天使と悪魔』を読んでおらず、内容も把握していなかった。なので、ベルニーニとガリレオが?!、と、思わず書店に走ってしまった(笑)。ただいま文庫本(中)に進んだばかりだ。

いやはや、ローマのご存知どころが次々と出てくる。ということで、カラヴァッジョ作品もあるサンタ・マリア・デル・ポポロ教会も登場したので、物好きにもデジカメ画像をひっぱりだしてしまった(^^ゞ

 
オベリスクのあるポポロ広場                  広場に面するサンタ・マリア・デル・ポポロ教会

 
小説に登場するラファエッロによるキージ礼拝堂       工事中の被いが臨場感あるでしょう?(笑)

ちなみに、ラファエッロよりもカラヴァッジョの私(^^;;;


チェラージ礼拝堂(3枚の画像を合成した)

チェラージ礼拝堂は私が初めて訪れた時はこんなに綺麗に修復されておらず、アンニバレ・カラッチ《聖母被昇天》は確か祭壇中央にさり気に、両脇のカラヴァッジョは祭壇の下に無造作に展示されていたように記憶している。それゆえ、まじまじと鑑賞することができ、その迫力に参ってしまったのだ。


切り貼り拡大

聖ペテロの磔刑》の後ろ向きの男の足裏の汚れ、《聖パウロの回心》のストップモーションの沈黙。それは、明確に他のどの画家作品とも違い、リアルに、強烈に、美しく感じられた。カラッチの色彩豊かな《聖母被昇天》が色あせて見える程だった。今ならよくわかるのだが、同じリアリズムから出発した二人が、片や新古典主義に向い、片やドラマチックな写実に向かうという、その志向の違いを…。

忌野清志郎さん葬儀式

2009-05-10 03:30:48 | Weblog
5月9日、青山葬儀場で行われた忌野清志郎さんのファン葬儀式に行ってきた。


会場看板

午後1時前に乃木坂駅に着いたのだが、既に延々と参列するファンの長蛇の列が続いており、その列は根津美術館前交差点を折り返し地点とし、また乃木坂に戻るという壮大な迂回路を呈していた。ファンたちは炎天下の下辛抱強く立ち続け、のろのろと進む。

列の中には頭をピンク色に染めた青年やら子連れのご夫婦やら…ファン層の広さが良くわかる。まわりには関西からの駆けつけ組みも多く、北海道から来た方もいた。清志郎だからこそ参列するので、ファン葬はこれが最初で最後だと言う方ばかり。清志郎を慕うファン各々の強い想いが延々と続く列に込められているのだ。

列の中で私は昔観たライヴ・シーンを色々思い出していた。いつのライヴだっただろうか、珍しく初期の「ヒッピーに捧ぐ」を演奏したことがある。せつせつと感情を込めて歌う姿には凄みが漂い、会場は息を呑みながら歌の世界に引き込まれていた。清志郎のヴォーカリストとしての深さを強く印象付けられた曲だった。いつもは元気いっぱいエネルギッシュなロック・ステージを見せてくれるだけに、バラード曲が返って心に残るのかもしれないが…。

さて、ようやく会場に入場できたのは午後5時半ごろだった(5時間ぐらい並んだことになる(^^;;;)。ロック葬ということで会場にはRCの曲が流れ、清志郎(イマーノ)のイラストで有名な「ヒトハタウサギ」の巨大な風船人形が出迎えてくれた。


ヒトハタ(一旗)ウサギ

献花式の行われる屋内に入場するまでの間、流れる清志郎の歌声にあわせ、皆それぞれ歌っている。その時、「雨上がりの夜空に」になった。すると歓声があがり、一際大きな合唱になった。私もなんだかウルウルしてくる。

屋内会場に入場すると、最後の遺作になったラジオ局用の曲が流れ、祭壇には清志郎の遺影と御位牌、御骨、そして、全国を廻った自転車、愛用のギター、ドラム…今は形見となってしまった品々が並ぶ…。
でもね、一番ショックだったのは御骨になった清志ちゃんを見たことで、もうステージでジャンプしたり、マイクを振り回す姿が見れらないのだと、まるで最後通告されたようで辛かった。

遺影の清志ちゃんはネクタイを締め、ちょっぴり照れたような微笑を浮かべている。シャイな清志ちゃんらしい素敵な写真だ。


参列者は会葬カードと引き換えに遺影と同じ写真カードを頂戴した

献花し、ご冥福を祈りながら、心から「ありがとう!」と手を合わせた。去年の武道館に行けなかった私は、この一言だけでも最後に告げたかったのだ。

会場を出ると、乃木坂駅からのファンの列はまだ続いていた。凄いなぁ、清志ちゃんは。こんなに沢山の人々を魅了し、心だけでなく、行動として動かすことができるのだもの。忌野清志郎は日本一のロッカーだぜ!

忌野清志郎さんを悼みながら...

2009-05-06 17:08:49 | Weblog
帰省した5月2日の夜、テレビのニュースで忌野清志郎さんの早過ぎる死を知った。再び倒れたと聞いた時も、きっと元気に復活してくれると信じていたのに...。本当に、本当に、悔しく、残念でならない。ご冥福を心から祈りたい。(合掌)


初めてRCサクセションのライヴを観たのは81年夏、菅生(SUGO)での“ロックンロール・オリンピック”だった。「ぼくの好きな先生」を除けば当時ヒット中の「トランジスタ・ラジオ」ぐらいしか知らなかったのだが、友人が見逃せないよ!と誘ってくれた。それではと出かけたてみたら…そのパワー溢れるステージにもう完全に魅了されてしまった。清志朗が聴衆を巻き込みながら歌い踊りジャンプする….RCの楽曲、叩き出すリズムに私の足も地を蹴り跳んでいた。


私のバイブル本

その夜、菅生に宿泊する私たちは敷地内ホテルのレストランで食事をしながらコンサートの余韻に浸っていた。ところが、そこに出演者たちがぞろぞろ…ハウンドドック、ARB、生活向上委員会のメンバー、そしておもむろにRCが…。まさか打ち上げ会場だったとは!

RCは私たちの隣のテーブルに座った。シャワーを浴びすっぴんになった清志郎はエネルギッシュなステージからは想像できないほど静かで、にぎやかなのはチャボの方だったかもしれない。私たちは恐る恐るサインと握手を求めたのだが、いやな顔を見せずに応じてくれた。私は着ていたTシャツの背中にサインをしてもらった。


サインしてもらったTシャツ

握手した清志郎の指は白く細く、黒のマニュキアが印象的で、その感触は天使の羽に触れているような軽さで…静かな微笑みを浮かべた姿には後光が射していて…その時、清志郎は「天使」なのだと思った。

2009年5月2日、天使は空に踊り、そして消えた。お月さま おねがい...