12日の土曜日、帰省のため東北新幹線で仙台に向かった。東京駅発ということで、当然のごとく三の丸尚蔵館に寄り「花鳥展」を観る(笑)。
ちなみにブログに感想を書いてはいないが、3期・4期も2度づつ観ている。当分見られないと思うと、どうしても目に焼き付けておきたくなるものだ。
さて、今回の5期もなかなかに面白かった!まずは花弁画で、柳沢淇園「正五九花卉図」3幅対の左9月幅はまるで江戸版「果物籠」♪
朱色の籠に梨・石榴・薔薇などが盛られている。で、更に隣の18世紀江戸時代「花卉図」1幅はその繚乱と盛られた花弁の写実にヤン・ブリューゲルなどの花弁画を彷彿してしまう。
ネーデルランド絵画の花弁画には多分にヴァニタス的な意味が込められているが、この江戸時代の花弁画には美しい花々を色鮮やかに描き尽くしたいという明朗さが溢れているように思えた。その装飾的構図や繊細な色彩は美の象徴として花々を見ているのだと思う。
図録よれば今回も展示してあった中国人画家沈南蘋「餐香宿艶図巻」の写実描写に影響を受けているらしく、確かに沈南蘋(1682~1760?)の緻密で繊細な描写は一瞬デューラーを想起させるようなマニアックさがある。中国からの来日により当時の画家(絵師)たちがかなりの影響を受けたらしいが、そのマニアックさを一際受け継いだのが伊藤若冲なのだと思う。
ちなみに西洋でも18世紀ロココともなるとヴァニタスと言うよりも装飾的な花弁画が多くなるし?と、参考画像をネット検索したら大変勉強になるサイトを発見。ルドゥーテ(Pierre-Joseph Redout驀 1759~1840)のボタニカルアートのような植物を図鑑的に観察する画家も出てくるし。でも、沈南蘋はボタニカルアートというよりは東洋的自然観を持ったデューラー系と思ってしまうのは私だけだろうか?(^^;;
で、若冲に移る前に?写生と言ったら丸山応挙(1733~95)!と言うことか、今回は応挙「牡丹孔雀図」が弟子の森徹山「孔雀図」とともにド~ンと展示されていた。
徹山の「孔雀図」2幅対は構図の面白さと余白にとてもモダーンな雰囲気を感じる。その師匠である応挙の「牡丹孔雀図」はさすがに羽一枚一枚の質感にまで拘った写実的な描写で、孔雀の絢爛たる色彩と羽模様を余すところ無く見せてくれる。特に黄金色の羽の乱れそよぐ様など憎らしいくらい豪華で繊細だ。岩に沿って咲く牡丹のたわわな重厚さとともに雌雄孔雀の鮮やかな存在感からは、花鳥の美はここにあり!というような、これでもかの迫力を感じてしまった(^^;
図録によると白い羽根筋は裏彩色しており(若冲の絵もそう)、これは古典技法に則っているようだ。当時の京絵師の研究心と技術力には本当に唸ってしまうものがある。
ということで、次回、若冲篇に続く(^^ゞ
ちなみにブログに感想を書いてはいないが、3期・4期も2度づつ観ている。当分見られないと思うと、どうしても目に焼き付けておきたくなるものだ。
さて、今回の5期もなかなかに面白かった!まずは花弁画で、柳沢淇園「正五九花卉図」3幅対の左9月幅はまるで江戸版「果物籠」♪
朱色の籠に梨・石榴・薔薇などが盛られている。で、更に隣の18世紀江戸時代「花卉図」1幅はその繚乱と盛られた花弁の写実にヤン・ブリューゲルなどの花弁画を彷彿してしまう。
ネーデルランド絵画の花弁画には多分にヴァニタス的な意味が込められているが、この江戸時代の花弁画には美しい花々を色鮮やかに描き尽くしたいという明朗さが溢れているように思えた。その装飾的構図や繊細な色彩は美の象徴として花々を見ているのだと思う。
図録よれば今回も展示してあった中国人画家沈南蘋「餐香宿艶図巻」の写実描写に影響を受けているらしく、確かに沈南蘋(1682~1760?)の緻密で繊細な描写は一瞬デューラーを想起させるようなマニアックさがある。中国からの来日により当時の画家(絵師)たちがかなりの影響を受けたらしいが、そのマニアックさを一際受け継いだのが伊藤若冲なのだと思う。
ちなみに西洋でも18世紀ロココともなるとヴァニタスと言うよりも装飾的な花弁画が多くなるし?と、参考画像をネット検索したら大変勉強になるサイトを発見。ルドゥーテ(Pierre-Joseph Redout驀 1759~1840)のボタニカルアートのような植物を図鑑的に観察する画家も出てくるし。でも、沈南蘋はボタニカルアートというよりは東洋的自然観を持ったデューラー系と思ってしまうのは私だけだろうか?(^^;;
で、若冲に移る前に?写生と言ったら丸山応挙(1733~95)!と言うことか、今回は応挙「牡丹孔雀図」が弟子の森徹山「孔雀図」とともにド~ンと展示されていた。
徹山の「孔雀図」2幅対は構図の面白さと余白にとてもモダーンな雰囲気を感じる。その師匠である応挙の「牡丹孔雀図」はさすがに羽一枚一枚の質感にまで拘った写実的な描写で、孔雀の絢爛たる色彩と羽模様を余すところ無く見せてくれる。特に黄金色の羽の乱れそよぐ様など憎らしいくらい豪華で繊細だ。岩に沿って咲く牡丹のたわわな重厚さとともに雌雄孔雀の鮮やかな存在感からは、花鳥の美はここにあり!というような、これでもかの迫力を感じてしまった(^^;
図録によると白い羽根筋は裏彩色しており(若冲の絵もそう)、これは古典技法に則っているようだ。当時の京絵師の研究心と技術力には本当に唸ってしまうものがある。
ということで、次回、若冲篇に続く(^^ゞ