前回、バルトロメオ・ビンビ作品の画中に描かれた中国磁器と見られる割れた陶磁器について触れたが、ゲストの山科さんから「KRAAK(クラーク)」ではないかと教えて頂いた。(多謝です!!>山科さん)
KRAAKをWikipediaで調べていたら、関連事項に「ヨーロッパ絵画の中国磁器」の項があり、なんと「イタリアでは、最初に知られている中国磁器の碗の描写は、ジョヴァンニ・ベリーニの《神々の饗宴》(1514年)である。」との記述を見つけてしまった
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https://en.wikipedia.org/wiki/Chinese_porcelain_in_European_painting
ジョヴァンニ・ベッリーニ(Giovanni Bellini, 1430年頃 - 1516年)は私の大好きな画家の一人で、ワシントン・ナショナル・ギャラリーの《神々の饗宴》は何度か観ており(WNGは無料だから2回のワシントン滞在時は日参♪)、確かに中国磁器らしい器の記憶はあるのだが、それが「イタリアでは、最初に知られている中国磁器の碗の描写」だったとは
おおお...恥ずかしながら知らなかった
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ジョヴァンニ・ベッリーニ(ドッソ・ドッシ、ティツィアーノ加筆)《神々の饗宴》(1514/29年)ワシントン・ナショナル・ギャラリー
《神々の饗宴》一部拡大。
「イタリアでは、最初に知られている中国磁器の碗の描写は、ジョヴァンニ・ベッリーニの《神々の饗宴》(1514年)である[1]。 碗の様式は明代の青白磁器で、ペルシャ、シリア、エジプトに輸出されていたことが知られている[1]。 ベリーニの絵は、中国磁器に興味を持っていたことで知られるアルフォンソ・デステ公爵の依頼によるものである[1]。ベッリーニが中国磁器のサンプルを見つけたのは貿易ではなく、1498年(ドージェ・バルバリーゴへの贈り物)、1498年と1508年(シニョーリアへの贈り物)にマムルケ・スルタンからヴェネツィアに贈られた外交的な贈り物の中にあったようである[1]。」(英版Wikipedeiaより)
[1]Bazaar to piazza: Islamic trade and Italian art, 1300–1600 by Rosamond E. Mack p.105ff
ベッリーニが描いた中国磁器がヴェネツィア共和国政府への贈り物だとしたら、年代的にも嘉靖以前なので景徳鎮窯の高級品かもしれないと思いたい(希望)。西アジア経由だから永楽年間の鄭和の遠征時の物かもしれないし、年代を近くにすれば、「成化期(1465 - 1487年)には青花の作品もあり、薄手に整形された青花の碗は欧米でパレス・ボウルと呼ばれて珍重されている」(Wikipedelia)との記述もある。
それにしても、ベッリーニが青花磁器を目敏く見つけて作品に使うなんて、歳をとっても(80代!)珍しい貴重な美術工芸品などにも関心を持つ芸術家の好奇心(サガ?)なのかもしれないなぁ。デューラーも「彼はたいそう歳をとっていますが、今でも絵画では最高の方です。」(1506年)って書いているし。
ちなみに、アルフォンソ1世・デステ (Alfonso I d'Este, 1476 - 1534年)の「アラバスターの間(I camerini d'alabastro)」(フェッラーラ)を飾った《神々の饗宴》を含む絵画シリーズは、現在、ワシントンNG、プラド美術館、ロンドンNGに分散所蔵されているが、当時の「アラバスターの間」装飾プログラムの再現画像がネットで見られる。どうせなら、本物を並べて観たいなぁ~。