花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

秋の北イタリア旅行(11)(ヴィチェンツァ①)

2024-01-09 22:55:29 | 海外旅行

さて、今回の旅の一番の目的はこのVicenzaにあった。アンドレア・パッラーディオの「ラ・ロトンダ(La Rotonda(Villa Almerico Capra))」をぜひ観たかったのだ。サイトで調べたら開館が金・土・日になっていたので、金曜日に行く予定を立てていた。

アンドレア・パッラーディオ(Andrea Palladio, 1508-1580年)は、パドヴァ生まれの建築家であるが、ヴィチェンツァの「Palazzo della Ragione(市公会堂)」改修案コンペで優勝し、後にヴィチェンツァに居を移して多くの建築物の設計を行っている。ちなみに、「Palazzo della Ragione」はその後パッラーディオ様式(初)の公会堂(Basilica)ということで「バジリカ・パッラディアーナ(Basilica Palladiana)」と呼ばれることになる。

若きパッラーディオはヴェネツィア中央での活躍の場を求めたが、当時、サッコ・ディ・ローマ(1527年)によりローマの芸術家や建築家もヴェネツィアに逃げてきていた。ヤコポ・サンソヴィーノ(Jacopo Sansovino、1486-1570年)もその一人で、人脈の成果(?)でヴェネツィア政府の重要な仕事を引き受けるようになり(サン・マルコ聖堂主任建築家就任、マルチャーナ図書館設計...とか)、パッラーディオの入り込む隙がなかなかなかった。「リアルト橋」コンペにも敗れたしね。サン・ジョルジョ・マッジョーレやイル・レデントーレなども後半年になってからの仕事である。

もちろん、パッラーディオは「建築四書」や、バルバロ編「ウィトルウィウス建築十書」(図版)を著し、建築理論の分野でも有名である

興味深いのは、サンソヴィーノやジュリオ・ロマーノが建築の装飾も自ら手掛けたのに対し、パッラーディオは石工出身だったから、装飾に関しては地元出身の優れた画家との役割分担によって数々の名作を残したようなのだ。

ということで、ヴィチェンツァ移動の翌日である木曜日、朝食の後、さっそく市内見学用に「Vicenza Card」を購入しようと、テアトロ・オリンピコ隣のインフォメーションを目指した。

下↓の城門から入り、ローマ広場を横切り、アンドレア・パッラーディオ通りをまっすぐ進む。

「テアトロ・オリンピコ」は通りのずっと先で、道すがら様々な(含パッラーディオ)建築物を眺めていたら、横道の先にある青緑色の屋根が印象的な「バジリカ・パッラディアーナ(Basilica Palladiana)」が目に飛び込んできた。

バジリカ前のシニョーリ広場ではマーケットが開かれ、客でにぎわっていた。きっと木曜日は市の立つ日なのだね。

バジリカの向かいには同じくパッラーディオが設計したヴェネツィア共和国総督官邸「ロッジア・カピタニアート(ロッジア・ベルナルダ)」が建っていて、ヴィチェンツァがヴェネツィア共和国のテッラ・フェルマであったことを想起させる。

「ロッジア・カピタニアート」はパッラーディオにより1565年に設計され、1571年から1572にかけて建てられた芸術作品である。この元ヴェネツィア総督官邸は現在ヴィチェンツァ市議会の建物になっているようだ。

だからなのだろうか、パラーディオ通り周辺には、思わず「ここはヴェネツィア?」と思わせるパラッツォもいくつかあった。↓は赤茶色の壁に白い窓枠が映える15世紀ヴェネツィアン・ゴシック様式の「パラッツォ・ブラスキ(Plazzo Braschi)」だ。

通りには時代様式の異なる興味深いパラッツォが並び、なんだかジェノヴァの街も想起しながら、ようやくテアトロ・オリンピコ横のインフォメーションにたどり着いた。

「Vicenza Card 」は15€のカードを買ったのだが、これはちょっと失敗だったかも。15€だと11ケ所の見所の内4ケ所しか入場できない。20€のカードだと全部見ることができるのだ。と知ったのは、翌日バジリカのインフォメーション(チケットセンター)でのことだった

とにかく、先ずは晩年のパッラーディオ設計「テアトロ・オリンピコ」から。近代最初で最古の常設の屋根付き劇場である。古い中世の建物の中にあり、外からは中に劇場があるなんて想像できないほどだ。

アンドレア・パッラーディオ「テアトロ・オリンピコ」(1580-85年)客席部分

客席はかなり急な造りになっていて、ロープに掴まりながら上の段に昇るようになっていた。客席上階にはローマ風の彫刻が並ぶが、他の建物でも多用されているので、パッラーディオって彫刻飾りが好きなのかもね、と思ってしまった

上↑は「テアトロ・オリンピコ」舞台部分。後継のヴィンチェンツィオ・スカモッツィ(Vincenzo Scamozzi、1548 - 1616年)による舞台(テーバイの町並み)は遠近法の錯視を上手く使い、奥になるほど小さく作られている。要はローマのパラッツォ・スパーダの庭にあるボッロミーニのトンネルと同じだね

上↑は「テアトロ・オリンピコ」見学後の出口。この建物の中にあの劇場があるなんて信じられないよね

「テアトロ・オリンピコ」見学を終えた後は、すぐ近くの「パラッツォ・キエリカーティ(市立美術館)」に向かった。こちらもパッラーディオ設計の傑作建築である。

アンドレア・パッラーディオ「パラッツォ・キエリカーティ」(1550年設計、17世紀末完成)


秋の北イタリア旅行(10)(ヴェネツィア→ヴィチェンツァ)

2023-12-29 23:41:37 | 海外旅行

「ティツィアーノ1508年」展の会場を出た後は、アカデミア美術館の地階(1階)展示室をサクッと眺めたのだが、バロック絵画が並んでいた。ヴァレンタイン・ド・ブーローニュ、カルロ・サラチェーニ、ドメニコ・フェッティ、ルカ・ジョルダーノ等々...まぁ、カラヴァッジェスキ作品と言ってよいのかもしれないけどね

一応観終えた後はすっかり疲れ果て、アカデミア美術館の中庭↓を眺めなら、しばしぼーっとしてしまった。

実は、アカデミアのあまりにも充実し過ぎの常設展で疲れた後、集中力が落ちた状態で展覧会を観ていまい、これは失敗だったなぁと反省してしまった。トーハクだって平成館の後に本館を観るのが普通だしね

アカデミア美術館を出た後はヴァポレットに乗り、荷物をピックアップするためにホテルに戻った。快晴の「セレニッシマ」

ホテル近くのジャルディネッティから2番のヴァポレットでサンタ・ルチア駅へ。そして、ローカル線でヴィチェンツァに向かった。

ヴィチェンツァのホテルは駅からも市内へのポルタからもほど近い便利な立地で、さらに嬉しかったのは、フロントのおじさんが部屋をグレードアップしてくれ、広いお部屋に泊まることができたのだ。

旅先のホテルで良い部屋に当たると本当にほっとするものだ


秋の北イタリア旅行(9)(ヴェネツィア⑦アカデミア美術館-常設展Ⅲ)

2023-12-11 01:55:01 | 海外旅行

今回のヴェネツィア訪問の目的はアカデミア美術館「Tiziano 1508. 」展を観ることだったが、この展覧会は最初期のティツィアーノに焦点を当てたものである。展覧会を観る前に、ティツィアーノの眠るサンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ聖堂、そしてこの老齢となったティツィアーノ最後の作品の一つである《ピエタ》を観てしまうと、順番的に良かったのかなぁ?という疑問も湧いてしまった

で、《ピエタ》は最後の方の展示室にティントレット作品と並んで展示されていた。

ティツィアーノ《ピエタ》(1575-1576年)

https://www.gallerieaccademia.it/pieta

キリストにすがる男(ニコデモ?アリマタヤのヨセフ?)はティツィアーノ自身と思われる。

キリストの手を握るティツィアーノの必死の思いが画面からもうビシバシ伝わってきて、思わず絵の前のソファに座り込んでしまった。だって、右下の奉納絵はティツィアーノと息子オラツィオのペストからの息災祈願であり、しかしながら、この《ピエタ》を完成させる前にティツィアーノは亡くなり、オラツィオも翌年にはペストで亡くなる。絵を加筆完成させたのはパルマ・イル・ヴェッキオジョヴァネである。

この《ピエタ》は以前にも何度か観ていたが、当時はまだ若くて、老齢のティツィアーノのすがる思い(救いを求める思い)や、その必死さに気づけていなかった。今回、すっかり年寄になった私には、自分の墓碑として描いた画家の気持ちがよ~くわかるし、ティツィアーノの最後の傑作だとも了解できたのだった。

《ピエタ》展示室の奥を曲がるとロレンツォ・ロット《若い紳士の肖像》が展示されていた。

ロレンツォ・ロット《若い紳士の肖像(”Giovane malato”) 》(1530年頃)

https://www.gallerieaccademia.it/ritratto-di-giovane-gentiluomo

アカデミア美術館にはロット作品が少ない。やはり、ヴェネツィア本島では非主流派であったことの現れだろうか?

画面には修復によるものかロットらしい青白い光が満ち...この痩せた若者の青白さを一層際立たせているように見える。通称”Giovane malato”はメランコリックな青年の風貌からきているようだ。

以前にも書いたが、塩野七生『小説 イタリア・ルネサンス4  再び、ヴェネツィア』の表紙がこの作品であり、主人公のマルコ・ダンドロがロレンツォ・ロットに肖像画を描かせている。きっと塩野七生さんはロット好きで、この作品もお好きなのだろうと推察されるのだ

※ご参考:https://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/e9db04ec8cbd9759a0cf153f13dadb59

奥の展示室にはティントレットやヴェロネーゼ、サヴォルドやモローニ、ヴァッサーノ一族、テッラ・フェルマの画家たち作品も並び、全てを観終えることで、ようやく1階(地上階)に降りることになった。

「Tiziano 1508. Agli esordi di una luminosa carriera (ティツィアーノ 1508年-輝かしいキャリアの始まりに)」展は1階(地上階)で開催されていた。


秋の北イタリア旅行(8)(ヴェネツィア⑥アカデミア美術館-常設展Ⅱ)

2023-12-04 12:02:18 | 海外旅行

アカデミア美術館はヴェネツィア派絵画の殿堂であるが、数々のヴェネツィア派絵画とともに、マンテーニャやピエロ・デッラ・フランチェスカやコスメ・トゥーラ作品なども展示されている。そんな画家たち作品に混じってイタリアに縁の深いメムリンク作品も展示されていたりする。

ハンス・メムリンク《若い男の肖像》(1480年頃)

https://www.gallerieaccademia.it/ritratto-di-giovane-uomo

で、今回一番驚いたのは、なんと!ボス部屋(展示室)があったのだ!!

ボス作品は、以前、ドゥカーレ宮殿で観ていたが(近年プラドの「ボス展」で再会もしたが)、まさかアカデミア美術館に移されていたなんて知らなかったのだ!!

でも、展示室は狭く、グループご一行様が入ると混みあってしまう。彼らが去るまで外に一時避難して、また鑑賞するという、他と較べてもちょっと不便なほどこじんまりした展示室だった。それに、作品ガラス面に照明が反射するし、人は映り込むしで、写真も撮り難くかったのだよ

ヒエロニムス・ボス《隠遁聖者の三連祭壇画》(1493年頃)

https://www.gallerieaccademia.it/trittico-degli-eremiti

祭壇画を構成する3点の板絵のうち、中央に聖ヒエロニムス、左側に聖アントニウス、右側に聖アエギディウスを描いている。やはり妖怪たちが面白くも可愛い

ヒエロニムス・ボス《隠遁聖者の三連祭壇画》(左側パネル下部分)(1495-1505年頃)

さて、下↓は《聖ウィルゲフォルティスの三連祭壇画》である。

ヒエロニムス・ボス《聖ウィルゲフォルティスの三連祭壇画》(1497年頃)

https://www.gallerieaccademia.it/trittico-di-santa-liberata

処刑に立ち会う人物たち、特に中央右側のいかにも悪人そうな帽子にピンク・スカートのおじさんの衣装描写に、ボスらしい色調とデザインのお洒落感があって目が楽しんでしまう。初期ネーデルラント・フランドル絵画はデテールを愛でる楽しみに満ちているのだよね。

下↓のボケ写真は《来世の幻視の多翼祭壇画》である(汗)。ガラス反射もあるが、今回、デジカメの調子も悪くて、時々Iphoneカメラを使ったくらいだった

ヒエロニムス・ボス《来世の幻視の多翼祭壇画》(1505-1515年頃)

https://www.gallerieaccademia.it/quattro-visioni-dellaldila

ヒエロニムス・ボス《祝福された者の天国への上昇》(最右翼)(1505-1515年頃)

これらのボス作品は枢機卿を務めたドメニコ・グリマーニ(Domenico Grimani, 1461-1523年)のコレクションによるもので、グリマーニは当時最も有名なコレクターの一人だった。ジョルジョーネ、ティツィアーノ作品の他にも、メムリンク4作品、パティニール3作品、ボス3作品、ラファエッロ《サウロの回心》カルトーネ、デューラ版画、レオナルド、ミケランジェロ、ラファエッロ素描も含まれていたようで、なんだかグリマーニ枢機卿の趣味の良さが伺える

でもね、このボス部屋に何故かジョルジョーネ《老女》も展示されていたのだ!!元々ヴェンドラミン・コレクションだったし、どうしてボスと一緒なのかがよくわからない(謎)。昔は《テンペスタ(嵐)》と並んで暗~いジョルジョーネ部屋(展示室)に展示されていたんだけどね。ちなみに、今回《テンペスタ(嵐)》は下階(1階)の「Tiziano 1508.」展の会場に展示されていた

ジョルジョーネ《老女》(1506-1508年頃)

https://www.gallerieaccademia.it/la-vecchia

哀しいことに、もうすっかり年寄の私には《老女》がなんだか他人ごとではなく、しみじみと見入ってしまったのだった


秋の北イタリア旅行(7)(ヴェネツィア⑤アカデミア美術館-常設展(Ⅰ))

2023-12-02 23:22:26 | 海外旅行

フラーリ聖堂を観たら普通はサン・ロッコも訪ねるところだが、フラーリ内をじっくり観ていたら、サン・ロッコの方はもう閉館時間となっていた。まぁ、前回も訪れているし、ティントレットは私的に追いかけたくなる画家でもないということで、ヴェネツィアの半日教会巡りを終えた

とうことで、翌朝はいいよアカデミア美術館(Gallerie dell'Accademia)を訪れたのだった。既に展覧会込みの日時指定オンライン・チケットをGetしていたが、勢いで早めに着いてしまい、どうしようと思ったら、全然問題なく入場OKだった。上階(2階)への階段を示されたので、常設展示からの鑑賞となった。(後から失敗だったなぁと思ったのだけどね

ちなみに、日本語イヤホンガイドを借りることにしたが、いやぁ、機種も変わり(小さなタブレットに変わっていた!)、解説内容も前回よりもずいぶん進化していて驚いた。しかし、使っているうちに不具合発生!機械を替えてもらったが、そこのところは、やはり?かも

久々のアカデミアは、なんだか展示空間や展示順が以前と少々異なっているように思われたが、まずは、ヴェネツィアのゴシック絵画から始まり、次は、横の展示室のティツィアーノだった。

アカデミア美術館は旧サンタ・マリア・デッラ・カリタ同心会館の建物を利用しているが、ティツィアーノ《聖母の神殿奉献》はそのカリタ同心会にあったもので、修復を経て当時と同じ場所(展示室)に展示されているのだ。

ティツィアーノ《聖母の神殿奉献》(1534-1538年)

マリアを見つめる父ヨアキムと母アンナ。アンナが麗しく描かれている。

カリタ同心会の会員たち。ティツィアーノの人物描写の上手さが際立つ。

しかし、アカデミアでの私的お目当てはやはりベッリーニ《サン・ジョッベ祭壇画》である。初めて観た時に一目ぼれしたのだった

ジョヴァンニ・ベッリーニ《サン・ジョッベ祭壇画》(1487年頃)

教会の祭壇画設置空間と同化するような遠近法が導入されているように見える。聖母の玉座の頭部を覆うビザンツ風金色モザイクの煌めきも聖なる空間を神々しく構成しているように思われる。何よりも聖母の透明な美しさと、聖人たちの群像構成、楽奏天使たちの自然さと、私には全てが美しい調和に満ちているように思えるのだ。

「1485年のペストの発生に触発されたこの聖会話の絵画は、ベッリーニにとって初めて絵画の周囲の教会建築に合わせ、その場で創案されたという点で独自のものであり、当時最大の聖会話の絵画の1つであった。」(Wikiediaより)

ちなみに、日本語のWikipediaが充実の内容で(英版の翻訳?)、私もとても勉強になったので引用します!

「この祭壇画は、ベッリーニによってヴェネツィアに最初に導入され、アントネッロ・ダ・メッシーナの影響を強く受けた技法である単一祭壇画(多翼でない祭壇画)の一例である。」(Wikiediaより)

要するに、「Polittico」から「Pala」へ、ということなのよね。移り変わる時代の要請ということなのかなぁ?

「ベッリーニの聖母子画の中で、玉座の隣に聖人の全身像を描いているものは非常に少ない。『サン・ジョッベ祭壇画』は、『フラーリ三連祭壇画』、『プリウリ祭壇画』、そして『サン・ザッカーリア祭壇画』とともにこの特質を共有している。」(Wikipediaより)

ふふ、幸運なことに4点全部実見している(^^)v。ちなみに《プリウリ祭壇画》はデュッセルドルフのクンストパレストに、他の3点の祭壇画はヴェネツィアにある。


秋の北イタリア旅行(6)(ヴェネツィア④サンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ聖堂)

2023-11-30 23:59:37 | 海外旅行

ホテルにチェックインし荷物を部屋に置いたついでに、フレッチャ・ロッサで貰ったおやつ(?)でお腹を少し満たした。ジャルディネッティからヴァポレットに乗り、サン・トーマに向かう。目指すは久々のサンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ聖堂である。ヴェネツィアに来たからにはベッリーニ《フラーリ祭壇画》にも挨拶をしなくてはね。(ティツィアーノ《聖母被昇天》は私的にはオマケかも)。

サンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ聖堂(Basilica di Santa Maria Gloriosa dei Frari)

https://www.basilicadeifrari.it/

このフランチェスコ会の教会はゴシック様式で1396年に完成している。

もちろん、この聖堂を有名にしているのはティツィアーノの傑作《聖母被昇天》である。内部に入ると内陣仕切りから中央祭壇の《聖母被昇天》が目に飛び込んでくる。

ティツィアーノ《聖母被昇天》(1516-1518年)(板に油彩)

しかし、私的にはやはりジョヴァンニ・ベッリーニの《フラーリ祭壇画》なのである。

ジョヴァンニ・ベッリーニ《フラーリ三連祭壇画》(1488年)(板に油彩)

ベッリーニらしい完成された美しさを見せる。聖母子の足元にいる楽奏使たちも可愛らしい。この左右の聖人立像がヴェネツィアを訪れたデューラーに影響を与えたことがなんだか嬉しい。

今回、えっ?と思ったのは、祭壇画の前にロープ仕切りがあり離れて観るしかなくなっている。前回はもっと近い位置で観られたような気がするのだが...。

この聖堂にはティツィアーノによる《ペーザロ祭壇画》もあるし、仰々しいティツィアーノ記念碑彫刻もあるはで、なんだかティツィアーノの聖堂とも思ってしまう。すぐ近くのサン・ロッコがティントレットのスクオーラと言えるのと同じかも?

ティツィアーノ《ペーザロ祭壇画》(1519-1526年)

この《ペーザロ祭壇画》で興味深いのは、ペーザロ家とボルジア(教皇アレクサンデル6世)の紋章のある旗を掲げていることで、対トルコ戦争での両者の結びつきを示しているようだ。

本当に見どころの多い聖堂ではあるが、先を急ぐので(帰国まで先が長すぎる)他は省略ということで...最初の方にフラーリ聖堂のリンク先貼ってあるのでご参照あれ(汗)。


秋の北イタリア旅行(5)(ヴェネツィア③サンタ・マリア・ディ・ミラーコリ教会)

2023-11-27 17:44:40 | 海外旅行

サンタ・マリア・ディ・ミラーコリ教会(Santa Maria dei Miracoli)はスクオーラ・グランデ・ディ・サン・マルコからの帰り道に立ち寄った。

小さな運河にかかる橋の上から淡いピンクの色調に輝くこじんまりした教会が望めた。「珠玉の...」たしかにそう呼べるような美しい外観に引き寄せられるように近づいていった。

サンタ・マリア・ディ・ミラーコリ教会(Santa Maria dei Miracoli)

ぐるりと教会周りを歩いて観察したのだが、異なる色調の大理石の組合わせにより宝石箱のような輝きを宿している。

 

サンタ・マリア・ディ・ミラーコリ教会は初期ヴェネツィア・ルネサンス様式の教会である。

この教会は設計競技が行われ、ピエトロ・ロンバルド(Pietro Lombardo,1435頃-1515年)が「その模型に従って」建てるという契約を結んだ。彼の本業が彫刻家であることから、建築の設計はマウロ・コドゥッシ(Mauro Codussi,1444頃-1504年)が手掛けたという説もあるようだ。(参考:『世界の夢のルネサンス建築』)

で、教会内に入ったら、係りの人に、あと2分で教会を閉める、と言われた。えーっ!とデジカメを取り出したら、撮影は禁止、だと...

教会内部は内陣が身廊の床面よりもかなり高い位置にあり、ヴェローナのサン・ゼーノ教会を想起した。しかし、多色大理石で装飾された内部は本当に美しく、つい見とれてしまう。なのに、シビアなことに、泣く泣く教会から追い出されてしまったのだった

意気消沈し、陽も傾いてきたので、ホテルに戻りチェックインしようとサン・マルコ広場方面へと向かった。が、なんと道に迷い、予想以上に時間がかかってしまい焦る。なにしろ、チェックイン後も、あの教会を再訪しようと思っていたのだから...。


秋の北イタリア旅行(4)(ヴェネツィア②スクオーラ・グランデ・ディ・サン・マルコ)

2023-11-25 20:30:08 | 海外旅行

スクオーラ・グランデ・ディ・サン・マルコ(Scuola Grande di San Marco, 聖マルコ大信徒会館)はサン・マルコ寺院のように異国情緒(ビザンチン風?)を纏っているように見え、ヴェネツィアらしい建築物だなぁと眺めてしまった。

https://www.scuolagrandesanmarco.it/

現在の建物は1485年の火災ののち、1488年頃にピエトロ・ロンバルディとジョヴァンニ・ヴォーラによって着工され、1490年から後を継いだマウロ・コドゥッシによって完成された。(参考:『世界の夢のルネサンス建築』)

 

リオ・デイ・メディカンティに面したファサードはヤコポ・サンソヴィーノによるものと言われている。玄関入口の右にはサン・マルコを象徴するライオンが。

現在は市民病院(オスペッダーレ)として使われている。多分そのためか、1階の柱台に載せられた円柱の並ぶ広間の内部撮影は警備の人から止められた

 

玄関入口の左右の壁にはトゥッリオ・ロンバルドによる透視図法を利用した低浮彫(聖マルコの物語)が施されている。上階の会員大会議室に続く階段にはヴェネツィアの旗が...。

上階の大会議室(現在は展示室)には礼拝所が。現在アカデミア美術館に収蔵されているティントレット《奴隷を開放する聖マルコ》他の聖マルコの奇跡シリーズは元々この礼拝所に飾られていたようだ。

内部は年代物の医療関係の書籍や医療機器が多数展示されている。下↓は昔の解剖学の書籍。

で、驚いたことにフェッラーラのボルソ・デステとウルビーノのフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの所有していた美しい大版聖書(彩色写本)も展示されていたのだ!!

《ボルソ・デステの聖書》(1455-1461年)

《フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの聖書》(1477-1478年)

更に左の入口を入ると図書室になっていて、ジェンティーレ&ジョヴァンニのベッリーニ兄弟による《アレキサンドリアでの聖マルコの説教》のレプリカが目に飛び込んできた。

要するに、ブレラ美術館やアカデミア美術館に所蔵されている絵画群は元々この部屋の壁を飾っていたものだということが了解された。まさに当時のヴェネツィア派一大饗宴とも言える威容である。

ちなみに、下↓が現在のアカデミア美術館における実物展示室である。

アカデミアの展示室では元々の図書館よりも低い位置に展示されていることがわかる。やはり「視点」の観点から見ても、オリジナルの展示位置を知ることは大切だと思うのだ。


秋の北イタリア旅行(3)(ヴェネツィア①サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会)

2023-11-22 21:14:15 | 海外旅行

今回の旅行における初期段階の計画ではヴェネツィアに立ち寄る予定は無かった。しかし、Fさんからの展覧会情報により、アカデミア美術館で「Tiziano 1508. Agli esordi di una luminosa carriera (ティツィアーノ 1508年-輝かしいキャリアの始まりに)」展が開催されることを知り、急遽計画に組み入れたのだった。

https://www.gallerieaccademia.it/settembre-2023-tiziano-1508-agli-esordi-di-una-luminosa-carriera

なので、1泊2日のタイトな日程でのヴェネツィア滞在となり、着いた日はヴェネツィアの教会巡り、翌日はアカデミア美術館訪問という計画となった。

ということで、サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会(Santi Giovanni e Paolo) は、今までなかなか訪れる機会がなく、今回、ようやくジョヴァンニ・ベッリーニの《聖ヴィチェンツィオ・フォッレーリ多翼祭壇画》を観るという目的を果たすことができた。

サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会(Santi Giovanni e Paolo)(1296-1430年建造)。正面大理石大扉はバルトロメオ・ボン作(1461年)。

サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会の前には、アンドレア・デル・ヴェロッキオによる《コッレオーニ騎馬像》が立っている(コッレオーニ自身はサン・マルコ広場に設置希望だったようだが...)。

 

アンドレア・デル・ヴェロッキオ(&アレッサンドロ・レオパルディ)《コッレオーニ騎馬像》(1486-1496年)

私的にパドヴァのドナテッロによる《ガッタメラータ騎馬像》(1453年)も観ているが、さすがヴェロッキオだなぁと思わせる躍動感あふれる騎馬像になっている。

さて、教会内部は荘厳なゴシック様式である。右奥翼廊には16世紀初めにムラーノ島職人によって作られたステンドグラスが今も美しい色彩を残している。

 

入口を入ってすぐ右壁にはピエトロ・ロンバルド作《ピエトロ・モチェニーゴ記念碑》があり、その他にもヴェネツィア提督(ドージェ)の記念墓碑が並ぶ威容を誇っている。当時のヴェネツィアにおける重要な教会だったことが了解される。

ピエトロ・ロンバルド《ピエトロ・モチェニーゴ記念碑》(1481年)

しかし私の目指すところはジョヴァンニ・ベッリーニ(Giovanni Bellini, 1430年頃-1516年)の祭壇画である

ジョヴァンニ・ベッリーニ《聖ヴィチェンツィオ・フォッレーリ多翼祭壇画》(1464-1470年)

まだ硬さの見えるベッリーニ初期の祭壇画であり、この時代はテンペラによる板絵である。テンペラ画だというのもあるが、人物造形にもマンテーニャの影響が見て取れ、特に聖セバスティアヌスは義兄作品を想起させる。しかし、背景描写にはやはりベッリーニの自然への眼差しが反映されているように思えた。上段中央の天使に抱えられるピエタは後のパターンの先駆的な作画のようにも感じた。大天使 ガブリエルと対峙する聖母マリアも意外に(?)可愛らしい。

興味深いのは、《ペーザロ祭壇画》の作年が1470-83年ごろで、板に油彩で描かれている。アントネッロ・ダ・メッシーナのヴェネツィア滞在が1475年-76年だから、この間のベッリーニの急速な技術吸収と成長が想像されるのだ。

ちなみに、この教会にはもうひとつのベッリーニによる傑作祭壇画があったようだが、1881年の火災で焼失した後、アカデミア美術館所蔵の15世紀の画家による聖母子祭壇画が代替移設されている。

さて、この教会には意外な(?)画家の祭壇画もあったのだ!!

ロレンツォ・ロット《聖アントニウスの施し》(1540-1542年)

ロレンツォ・ロット(Lorenzo Lotto, 1480年頃 - 1556年/1557年)の時代になると祭壇画もカンヴァスに油彩で描かれている。画面にはロットらしい冷ややかな光を感じる。中段の二人の僧たちは民衆からの請願のとりなしをしているらしい。

ロットはヴェネツィアでは不遇をかこち、地方に仕事を求めている。なので、このヴェネツィアの有力教会にロットの祭壇画があることが私には驚きであり意外だったのだ。ドメニコ会の発注だったようだが、右翼曲折、最後は自費で完成させたという(画家のプライドと執念だろうね)。

「ヴェネツィアでは、この作品は、支配的なティツィアーノ主義に同調していなかったため、公的な"intellighenzia"の画家に対するある種の敵意のために、完全な沈黙の下に追いやられた。」(イタリア版Wikipedia)

なるほど、やはりロットの作風はティツィアーノ全盛のヴェネツィアでは不評であり、この祭壇画も無視されたことが了解された。かわいそうなロット...。

で、嬉しかったのは...チーマ・ダ・コネリアーノ(Cima da conegliano, 1459-1517年)の作品もあったのだ! とは言っても、どうやら工房の手も入っているようだが。私がチーマが好きなのはベッリーニの影響はもちろんだが、アントネッロ・ダ・メッシーナの影響も感じることができるからでもある。

チーマ・ダ・コネリアーノ(&工房?)《聖母の戴冠》(1490年)(板に油彩)(ピンぼけ画像ですみません💦)

https://it.m.wikipedia.org/wiki/File:Right_transept_of_Santi_Giovanni_e_Paolo_%28Venice%29_-_Cima_da_conegliano,_incoronazione_della_vergine.jpg

キリストの顔を見ると、ああ、チーマだなぁと思う。でも、この《聖母の戴冠》はなんだかベッリーニ《ペーザロ祭壇画》の中央部分の影響大なんじゃぁないか?とも思った

ジョヴァンニ・ベッリーニ《ペーザロ祭壇画》の中央一部(1470-83年)ペーザロ市立美術館

チーマ作品は翌日訪れたアカデミア美術館でも多数観ることができて嬉しかった

ということで、このサンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会にはこの他にもヴェロネーゼの天井画や絵画、ヴィヴァリーニ作品など、見どころが多く詰まった重要な教会であることがよくわかるのだった。

で、次に向かったのはお隣のスクオーラ・グランデ・ディ・サン・マルコ(聖マルコ大同信会館)である。

右がサンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会、左奥に見える隣接した建物がスクオーラ・グランデ・ディ・サン・マルコ、現在は市民病院として使われている。

ということで、次回に続く...。


秋の北イタリア旅行(2)(ボローニャ→ヴェネツィア)

2023-11-19 01:59:59 | 海外旅行

ボローニャでは何年かぶりにFさんに会い、スーツケースを預かっていただいた(移動のためソフトキャリーに荷物を入替え)。(多謝!!>Fさん)

その翌日、午前のフレッチャロッサでヴェネツィアに向かった。チケットはTrenitaliaのサイトでSilenzio席を既に購入していた。

Silenzio(静音)車両にしたのは今回の旅行でコロナをできるだけ貰わないためだったが、近くの席のおじさんがスマホで音楽チェックをしていて、それもイヤホン無しで!びっくり。Silenzioなのにね!

ちなみに、日本出発前にコロナワクチン&インフルエンザワクチン接種を済ませていた。イタリアではマスクをしている人は殆ど見かけなかったが、やはり年寄なもので怖い。旅行中は割り切ってマスク着用で通した。おかげで何とか無事に帰国できたのだとほっとしている

シレンツィオ席は一応ビジネス車両なので、朝食(おやつ?)ボックスが配られた。特に水のミニボトルはヴェネツィア観光中に持ち歩き助かった!

ヴェネツィアのサンタ・ルチア駅に着いた後は、さっそくヴァポレットの2日(48時間)チケットを購入、1泊2日の忙しいヴェネツィア滞在が始まった。快速2番線に乗りサン・マルコへ向かう。

11月は雨の多いヴェネトだが晴天にも恵まれ、ヴァポレットの船上からカナル・グランデを望むと、ああ、ヴェネツィアに来たのだなぁと思う。ヴェネツィアは今回で5回目の訪問になるが、その美しさは変わらない。

ホテルはサン・マルコ広場からほど近く、ヴァポレット移動も便利な位置にある。数十年前、初めてヴェネツイアに来た時に宿泊したホテルで、久々だが使い勝手もわかっていたので安心感がある。チェックイン時間には早かったので荷物を預け、さっそくサンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会に向かった。