3月24日
金沢城から尾山神社へ渡っていきます。
加賀藩祖前田利家と正室芳春院(まつ)を祀った神社。
江戸時代後期から明治時代初期に流行した、藩祖を祀った神社のひとつです。
前身は卯辰八幡宮
慶長4年(1599)閏3月3日、利家公が薨去します。その後、二代利長公は、利家公を仰ぎ神として祀ろうとしました。
しかし、当時、前田家は、なんといっても外様大名の立場です。徳川幕府の許可なくして、勝手なことはできません。
利長公とて、徳川幕府をはばかり、公然と神社創建に踏み切ることができませんでした。
そこで利長公は、守護神としていた物部八幡宮ならびに榊葉神明宮を遷座する名目で、卯辰山麓に社殿を建立し、
利家公の神霊を合祀しました。これが、卯辰八幡宮です。むろん藩あげて、厚く祭儀を執り行い、尊崇しました。
ちなみに、物部八幡宮は、もと東海老坂村の鎮座です。利長公が、越中国の守山城におられたとき、守護神としていました。
榊葉神明宮は、もと越中国阿尾の鎮座です。
明治時代になって旧藩士が集まり、新たに藩祖を祀る神社を建てる申請をして、1873年(明治6年)に金沢城の金谷出丸に
あった金谷御殿の跡地に新たに神社を建立した。元の卯辰八幡社は1878年(明治11年)に宇多須神社となっている。
幕末から明治にかけて神社仏閣、お城は大混乱。神社は復権したけれど、「廃仏毀釈」や「廃城令」により多くの文化財が
破壊された。時代は過去の大切なものを愚かにも破壊して進んでいく。
神苑
見どころの一つである「神苑」は「楽器の庭」とも呼ばれており、古代舞楽の楽器を模した池泉廻遊式庭園です。
1954年に金沢市の指定名勝となりました。「沢渡り」によって「琵琶島」に至り、ここから「八ツ橋」、「琴橋」
「図月橋」等によって「鳳笙島」に回ることができます。
苔むした橋が歴史を感じさせます。
Sの撮った写真のアングルが面白くて借りました。
ステンドグラスのある尾山神社神門は、棟梁・津田吉之助の設計施工により1875年(明治8年)11月に完成。
洋風建築を模した擬洋風建築の中でも中国風の混入した数少ない例の一つで屋根についている避雷針は
日本最古のものと言われている。
スマホ写真の方が細部がわかりやすいかも。
ここから宿泊予定のホテルも歩いてすぐ。その前を通り、近江市場へ昼食を取りに
向かいました。歩いて回れる金沢の街の規模感がいいですね。
March 24 2023 Oyama Shrine (Kanazawa)