Reflections

時のかけらたち

ハルニレテラスから中軽まで ・・・ from HARUNIRE Terrace to Nakakaruizawa station

2016-09-10 23:58:52 | wonderland
今日は娘が仕事が9時ころ終わるのにそれから飲み会があるらしく、一人で早めに北海道展のお弁当を買ってきて
夕食を済ませませました。10時過ぎに一緒に夕食を取ることも多く、どんなに遅くてもなんだかはりあいがあります。
今日は私はオフだったので、日本料理の講習会や久しぶりに新宿のデパートに寄ったり・・
なんだか夜のこの待っているでもない一人の時間は空虚な感じもしなくもありません。
ちょっとした日常生活の違いが普段の日常生活のありがたさを感じてしまいます。当たり前の生活ができることが
当たり前ではないのよね。

NHK SONGS で久々の拓郎を聴く。若い頃よりずっとソフトになった感じ。もう70歳とか。
加藤和彦と安井かずみが作った曲も歌っていたけど・・遠い過去といった感じ。主人が入院していた新宿の医大の
エレベーターに二人で乗ってきたとき、あまりに暗い表情でびっくりしたけど、まさかあのとき本人が癌だったなんてね。
一時代を築いた人でした。今卓郎は新しい曲を作って、日々新しいものを発見して生きているようです。
小田和正といい拓郎といい音楽に対する愛情はますます強くなっていくような感じがしました。


写真はこの前の軽井沢2日目。トンボの湯に入った後、ハルニレテラスへ向かいました。







ランチメニューのオーダーが4時までなので、希須林に滑り込んで、早めの夕食にしちゃった。
おなかは自然にすいていたし。
























熊がいるから鈴をつけているんだって。




後ろ姿もかわいいコーギー。







歩いたことはないのだけど中軽井沢の駅まで歩けそうで、坂道を下って行きました。




















コスモスは私の誕生月の花。この辺ではコスモス街道と言って道の両側に追分に向かって植えているところ
とかありました。
















新幹線が通って、中軽井沢の駅は新幹線が止まらないので、
図書館などが作られている。
ローカル線しか止まらない駅に。







中軽井沢の駅からタクシーで帰りました。だいぶタクシー代をセーブしました。








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小雨の中、離山房からトンボの湯へ ・・・ to hot spring through Rizanbo in a gentle rain

2016-09-09 23:58:35 | wonderland
軽井沢2日目も雨で、自転車も乗れないし、取りあえず近くの離山房まで
散歩して、そこからタクシーでトンボの湯まで行くことにしました。
近くのカフェ・ラ・ヴィーンも鳥が来ていいのだけれど雨の日はどうかな?
















離山房の庭はもうレンゲショウマも終わってしまっていました。













お店を引き継いだ親戚の方とお話しして。槇野あさ子さんは足を怪我されてから軽井沢にいらしてないとか。
ご主人の朝日新聞のカメラマンと一緒に花の本を何冊も出しています。祖父がここの珈琲が大好きで良く連れて来てもらい
槇野さんとお話していました。母も同じように話をするのを楽しんでいました。生け花の先生でいつも素敵な野の花が
さりげなく生けてありましたが、今ではそれを引きついている人はいないようです。
今ではジョン・レノンが前面に出てしまっています。隣のエルミタージュ・ドゥ・タムラは水上勉さんの元の別荘だったところで
槇野さんのご主人と水上勉がお友達だったそうです。

新オーナーが今では海外から多くの人が来るということで、それでジョンになっちゃったのねと思いました。
以前ビル・ゲイツが別荘を建てようとしていたけど3.11で中断したという話を聞きました。
今ではサイクリングしても、もれなく中国の人が多いですね。




コーヒーは変わらずおいしかったです。






















若かりし頃、ジョンとヨーコとショーンが鹿島の森の近くで、くつろいでいるところを自転車で通りかかりました。
友人がジョンだと叫んでそれだけ。プライベートの時間だったので。音楽活動から引いていて、ただの人の時でした。


* * * * * *


高原で入る温泉は本当に疲れが取れます。
子どもの頃からずっと温泉は好きでなかったのですが、人生に疲れを感じるように
なってから温泉に入るとリラックスして大好きになりました。特に露天風呂が。









娘が小さい頃、家族で良くきて、ここで温泉の後遊んだりしていました。





























ここからハルニレテラスに向かいます。




























Aug.30 2016  Karuizawa


今日の午後NHKでアマルフィをやっていて、景色も家族も素敵だった。
イル・ポスティーノを見てから、南イタリアやシチリアにいつか行ってみたいと思い続けて。
フェリチッシミにレモンのパスタを食べに行きたくなっちゃう。彼女もママンの家庭料理を
教わってきて、作っている。
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祖母の夏着物を着て ・・・ wearing my grandma's summer kimono

2016-09-06 23:48:23 | my favorite
数日前に着付けを習っていた呉服屋さんの女将から電話があり、8周年記念のパーティのお誘いで
久々に和服を着て出かけることに。30名くらいのパーティで銀座のブラッスリー ポール・ボキューズで。ロブションとか
ボキューズとか行ったことがないのでまぁいいかと思いました。

9月の初めなので単衣にしようかと思ったけれど、やっぱり暑そう。祖母の紋紗に急きょ変更。いつか着たいと思って
丸洗いしておいたものです。ドレスコードがそのお店で買った帯か着物だったので、雪輪の夏帯を合わせて。
白のつゆしばの方が似合いそうだったけど。




今年の夏は着物を着ようとの意気込みだったけれど暑くて着る機会もなく、あっという間に過ぎ去った。
7月初めの修了式以来だったのでちょっとわからなくなり、あせった。帯が名古屋かと思ったけど、袋帯だったし・・
慌てて着終わったところを休みだった娘に撮ってもらった。珍しく日曜休み。

長襦袢がローズカラーと言って京都の襟秀が作っているファスナーで半襟をつけるタイプ。とても気楽に着れそうだし、
半襟もしっかりしていていい感じ。着物がうまく着れるかどうかは長襦袢にかかっていることが最近よくわかる。
やっと少し半襟が出るようになった。

日曜日はこの暑い日々の中では少し気温が下がって、和服もそんなに暑くなく、快適でした。
暑いのは焦って着ている時だけ。




この色が一番実物に近い感じ。テッセンかクレマチスか・・秋っぽい色合いだけど。






前結びなのに帯がぐずぐずになってしまいました。





ローズカラーの長襦袢は袖もマジックテープで付けるので、祖母の裄の短い着物にはぴったりだけど調節が
ちゃんとできていなくて、長襦袢が見えてしまった。とにかくファスナーで半襟をすぐ洗えるし、夏にはぴったりの
長襦袢。手で付けるのと併用して使うことにしよう。








いつもこの帯〆ねと先生方にも笑われる。




猫の餌とかWiFiとか散らばっていて。



会場では一番最初の修了式でお会いした大島を上手に着ていた人に久しぶりに会いました。
彼女は着付けを途中で和裁の方に方向転換をしたひと。とにかく古いのをなおしちゃう。
絶対古いものの方が質がいいと。着付けもできるだけ楽に。着付けも習っていると上に行けばいくほど、
紐をぬいて、伊達じめも抜いて行くのよね、補正もおはしょりでたたむ分を入れ込めばいらない。
彼女はこれ300円で買った着物と小さな声で教えてくれた。白で絣が入ってすごくすてきでした。
半襟も普通の布を買ってつけちゃうらしくて、すごくすてきな柄でした。帯は幾何学模様でコーディネイトばっちり。










なんだかマジックもあって、おもしろかったけれど、見ものはキッチンの中のきびきびとした動き。
カジュアルフレンチのお店ですね。パンやパテがすごくおいしかった。




お土産はアンリ・シャルパンティエで作ってもらった塩サブレ。呉服屋さんのマーク入りアニバーサリー版。
同席の人は日本舞踊の先生や最後の前結びで一緒だった方も。海外でも着物を着る方が多く、石畳を草履で歩くと
足が痛くないと言っていました。

                                            Sep.4 2016 Ginza

* * * * * * * *

9月5日の夕陽。洗濯物を取り込もうとしたら、あまりにも空がきれいだったので。
星の王子様は何回も夕日が沈むのを見ていたんだね。






























                                                     Sep.5 2016 

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霧降る朝 ・・・ in the morning at Karuizawa waiting typhoon passing

2016-09-04 13:44:06 | seasons
軽井沢2日目

とにかく台風と一緒に軽井沢にやってきましたが、
雨の中でも眠れればいいというそんな感じ。

いつもなら鳥の鳴き声で朝目を覚ますのですが、
雨だと鳥さんたちもどこかで羽を休めています。

ゆっくり起きて、持ってきたインスタントのチーズスープとレタス、きゅうりのサラダ。
ベーコンを焼いて、リーフティーを入れて朝のミルク・ティーと着いた時に買ったルバーブのジャム。
雨で買い出しに行けないので東京から持参してきたものだけ。いつもは軽井沢の野菜だからおいしいね
ということになっていたのですが、最近は東京から持ってきた野菜でも充分おいしく
農協に行かない限りは大きなスーパーでは産地はいろいろ・・

雨なので仕方がないねということで、離山房に行ってから、そこから星野のトンボの湯に
タクシーで行くという計画。












































































祖父の帽子とステッキがそのまま・・





祖父のおかげで今、ここにまた来れる。
皆で過ごした軽井沢は20年以上前。
















カメラのレンズはタムロンひとつだけで、やっぱりマクロも持ってくるのだったと後悔。
タムロンは光がたくさんないと難しい。シャッターが下りなくて。


Aug.30 2016  Karuizawa


昨日は祖母の着物を着て出かけたので、何となく嬉しかった。
中学の時のF先生やK先生の連絡先が分かったことも嬉しかったことの一つ。
そのあとに来たメールで多くの先生方が亡くなっていたことがわかりがっかり。
英語のF先生や音楽の先生、・・他知っている先生方。50年もたてば当たり前のことが。
こちらももう年。他病気などで外にはもう出られないという先生方も。

ヨガをやっているときに、亡くなった友人や主人や祖父や祖母、いつでも飛んできて
私たちのことを助けてくれた義理の姉・・・
いろいろな人たちを思った。特に最後、病気に苦しんだ人たちを。主人なんて一生病気と
付き合っていたし。

時間が混とんとして混ざり合い生も死も一つになった。
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動いている世界で ・・・ in this world, now

2016-09-02 23:57:28 | people


恵比寿の写真美術館リニューアルオープンで杉本博司「ロスト・ヒューマン」と世界報道写真展のレセプションのご案内を
いただいていて、今回は出席の場合返事を出すことになっていたがすっかり失念。封筒を持って行けば入れてもらえるとのことで
仕事から帰って夕食を作ってから夕方のレセプションに間に合うよう急いで出かけて行きました。

杉本氏の写真は難しかったが、世界報道写真展はすごかった。報道写真は写真のジャンルの一つであるが、これほど人間を
表しているものはないというか・・真実を写している。
レセプションでの副館長さんの挨拶ではこの1年で起こったことがわかる、行動する何かきっかけになればと話していました。
今回は特にシリア関係の数が多いと。主催者のお名前を覚えていないがたぶんオランダの人の英語でのスピーチも素晴らしく
45か国で展覧会を行って今回は特にミャンマーが加わり、報道の自由を、見る機会を世界の多くの人に贈ることができることを
かみしめているようだった。
子どもの幸せを奪う世界、北朝鮮の狂気の世界。動物を、人間を虐殺する世界、病気との闘い、米軍の中の女子兵士へのレイプの
数の多さに沖縄で起きることは大きな事の一部だったことを知る。目を背ける写真、深い悲しみの目の子供の写真、
やるせないものも多いが、賞を取った難民の写真には何か命のリレーを感じた。赤ちゃんを鉄条網の下から受け渡しをして
いのちの世界へつなごうとしている。ごくわずかの命の躍動や、動物のつぶらな瞳の写真もあったけど。
スピーチにもあったけれど、とにかく今世界で起きていることを考え、まずディスカッションする材料になってくれればという
思い。8万点から選ばれた写真たちである。





今回賞を取った日本人のフォトジャーナリストがいらしていて、ちょうど報道写真展を見ているときに
ギャラリートークが始まったので、お話を聞いた。チェルノブイリで胎内で被爆した女性のポートレイトと
それとつながる一連の写真の連作で彼女の生きてきた30年を映し出す。彼女は甲状腺の病気に悩まされたが
それが被曝とつながるまでかなり時間がかかったようだ。単に鬱と診断されていたとか。





鬱は甲状腺の一つの症状とか・・会いたかったもうなくなっていた友人も甲状腺の病気で鬱だったと話を聞いた。
因果関係があったのね。奇形とかそういうわかりやすいものでなくて、目に見えないものの方が深刻と小原氏。

それ以前に福島では今原発の作業員をしている人たちのポートレイトを撮っている。一人一人の命の重さを写して。
被害者が加害者のところで仕事をせざるを得なくて、そして、とても危険なことをやらされているという。
スイスの出版社からだしているが、こういう本が日本で拡散するといいのにね。政府はすごい額を投じて
どういう出版物が出ているか調べているとか。

作品の前のこじんまりしたギャラリー・トークではあまりに近かったので、気軽に何回も質問をしてしまいました。
もともと社会学を勉強していて、それまで勉強していた写真と見事に結びついて、3.11を契機にそれまでしていた仕事を
止めフォトジャーナリストとしての仕事を開始、さらにロンドンに留学してチェルノブイリへ1年滞在して写真を撮る。
チェルノブイリの30年が福島の今後の30年につながるという思いで撮り続けている。まだ本当に若い人なのですが
こういう人がヨーロッパではエンターテイメントになっているチェルノブイリをどうやって次の世代につなげて
行くかを考えている。

27日にこの連作写真のモデルの女性とワタリウムでギャラリートークをすると聞いたような気がしたが、ネットで
探してみてもみつからなかった。


ブログの紹介記事と毎日新聞の記事から

小原一真
1985年、岩手県生まれ。フォトジャーナリスト。KEYSTONE(スイスフォトエージェンシー)パートナーフォトグラファー。
宇都宮大学国際学部で産業社会学を専攻。金融機関の営業職として働く傍ら、DAYS JAPANフォトジャーナリスト学校に通う。
2011年の東日本大震災直後に会社を退職し、東北沿岸部の取材を開始。福島第一原発内部の写真を撮影した写真はヨーロッパを
中心に幅広く紹介された。その後、原発作業員のポートレートを撮影し2012年には写真集「Reset Beyond Fukushima」が
スイスのLars Muller Publisherから出版される。同時期にスイスのフォトエージェンシーKEYSTONEと契約。2014年には
太平洋戦争下で空襲の犠牲者となった子どもたちのその後を追った「silent histories」を手製写真集として自費出版。
同写真集はParis Photo First photobook Award shortlistの他、米TIME紙、英Telegraph紙、Lens Cultureなど
様々な媒体でBEST PHOTO BOOKS 2014に選ばれる。同写真集は2015年11月に普及版としてメキシコの出版社Editorial RM
より1900部出版された。

2015年1月よりLondon College of Communication MA Photojournalism and Documentary Photographyで
学びながら、ウクライナのチェルノブイリで長期プロジェクトに取り組む。ウクライナで行われたプロジェクト「Exposure」は
世界報道写真コンテスト2016の「people」カテゴリーで1位を受賞。


小林恭子+小原一真 新刊発表+トーク「ヨーロッパのメディアから見る日本メディアの異常」@スタンダードブックストア心斎橋







ひと
小原一真さん=世界報道写真コンテスト「人物」部門1位


毎日新聞2016年4月15日 東京朝刊


小原一真(おばら・かずま)さん(30)

 原子炉が爆発し大量の放射線を噴出した旧ソ連・ウクライナのチェルノブイリ原発事故から今月で30年。その直後にキエフに
生まれた女性を撮影した連作写真で、今年2月に世界報道写真コンテストの「人物」部門で1位を受賞した。


 「チェルノブイリの報道写真は膨大にある。その中で、どうすれば彼女が生きてきた年月の重みを伝えられるか」。
表現方法を模索していた昨春、立ち入り禁止区域の廃虚に放置されていたフィルムを偶然手に入れた。

 材質が劣化したそのフィルムで撮影した写真は、灰色に色あせ、甲状腺の難病による震えやめまいに苦しんできた女性の
「失われた時間」を物語る効果を生んだ。関連施設の写真やインタビューを織り交ぜた受賞作は「ストーリーを伝える新たな
手法を示した」と高い評価を受けた。

 高校時代、米軍がイラク戦争で使用した劣化ウラン弾の被害を伝えた写真に衝撃を受け、報道写真家を志した。
一度は金融機関に就職したものの、2011年の東日本大震災後に退職。東京電力福島第1原発で働く作業員を撮影した
写真集を出版した。昨年は、大阪大空襲で障害を負い、心の痛みを抱えたまま生きる女性たちの戦後を追った写真集も出した。

 「見えないものを、見たり想像したりできるものにするのが写真家の役割。そのために『伝わる』表現を常に追求したい」。
次は再び福島に戻り、被災地の子供たちを取材するつもりだ。<文と写真・坂井隆之>


 ■人物略歴

 盛岡市出身。ロンドン芸術大で学ぶ傍らチェルノブイリに通った。受賞作は、年内に国内で展示される予定。


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やっと緑の中で夏休み ・・・ finally, summer vacation in the green

2016-09-01 23:49:42 | wonderland


8月の最後の3日間、やっと夏休みが取れて軽井沢で過ごしました。高原の緑の空気の中で
生き返ります。
大型台風とともに行って来ましたが、最後の日は台風も過ぎて、見事な青空になりました。

軽井沢では自然に包まれてストレスフリーな生活ができるのが一番です。
夜になれば不思議と眠くなり、9時ごろ寝てしまい、食事がおいしく、そして時間になれば
おなかがすいているという、本来当たり前の生活を取り戻すことができます。東京では
寝るのが2時過ぎるのがしばしばで、なんだか自然のサイクルが壊れています。
軽井沢では雨の音を聞きながら寝るのも好きです。都会のマンションの生活は自然と切り離されて
います。

最近、元の職場の同僚とベトナム料理に行った時に、おなかがすいたと感じて、その感覚が
あまりに久しぶりで嬉しかったけれど。とにかく仕事が1時に終わって家に帰って昼食が2時過ぎという
生活をしていると空腹感を感じなくなってしまいます。

今回はたった2泊3日だけだったので、食料品も向こうで買っても残るだけなので、家から残り物や
料理を作って持って行きました。初日の夜はさすが持って行った、豚肉のオクラ巻と雨が降っていなければ
少しだけ野菜を買おうと思っていたのだけれど雨のため自転車で出かけられずに持って行った胡瓜を
スティックサラダにしてそれだけで、さすが家でも品数の少ない食事をしていましたが、
極限のような料理で、なんだかご飯が食べられないので、バターを混ぜて食べました。

朝の7時半に軽井沢について、沢村で朝食を摂る計画で、雨のため駅からタクシーで向かいました。
少し寒くてもテラス席がいいねと外へ出ました。晴れていたら2階のテラスで食べたかったのだけど。




雨が小降りになったので、旧軽の街を歩いて、お店がチラホラ開きはじめているのを見ました。
娘がアウトレットで買い物をするというので、歩いて駅に戻り、プリンスで買い物に付き合いました。
とにかく70,80%オフでさらに2枚買うと10%オフになったり、なかなか買い物上手です。普段ほとんど
買っていないので、まとめ買い。私自身はアウトレットは好きではありませんが、去年買ったル・クルーゼの
お鍋はすごくよかったです。

お昼はアウトレットのお蕎麦屋さんでそばを食べて、タクシーで家に向かいました。
別荘を開けるのは少しだけ大変。家の中にしまったベランダのテーブルやいすを出して、
自転車も外に出して・・雨戸を全部あけて・・






















落ち着いてから、隣のおばさんの家に挨拶に行きました。いとこもちょうど来ていて、
仕事で海外が多いいとこの話しを聞きました。軽井沢にも中国人が多く、上海で長く仕事を
していた彼に中国のバブルやら海外進出について話を聞きましたが、何しろ13倍の人口というのが
どうしようもないとか・・

夕食は作っていったので、ご飯だけたいて、あっという間の夕食。
そして夜に包まれて、眠りが深く、何時間でも眠ることができます。東京では3―4時間のことも多く
なんとか自然のサイクルに戻したいところです。





沢村の豪華なブレックファースト。
主人が軽井沢が大好きだったので、このテーブルにいるような気がして、心が動きました。

























沢村は昔紀伊国屋があったところです。高校生や大学生の頃、自転車で良く来て、庭で売っているチョココーティングの
アイスクリームをよく食べました。外国人の男の子がアルバイトしていたりして。






ちもとも子供のころからある大好きな店。叔母にもちもともちとそば団子を買って帰りました。


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