碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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西日本新聞に、『倉本聰の言葉』の書評コラム

2020年06月07日 | 本・新聞・雑誌・活字

 

九州の西日本新聞に、

『倉本聰の言葉―ドラマの中の名言』

についての書評コラムが

掲載されました。

 

筆者である、

編集委員の上山武雄氏に

感謝いたします。

 

 

 名ぜりふに学びたい 

山上武雄

くらし文化部編集委員)

 

昨今のマスク越しの会話に、この言葉が挟まる。「こんな時期ですからね」。“こんな”。説明しなくてもこんなことが、どんなことか分かってしまう。自粛せざるを得ない、そんな時期に、巣ごもりしてこんな本を読んだ。

「倉本聰(そう)の言葉 ドラマの中の名言」(新潮新書)。「前略おふくろ様」「北の国から」「やすらぎの郷(さと)」など数々の名作を書いてきた脚本家の倉本聰さん(85)。倉本さんに師事してきた元上智大教授の碓井(うすい)広義さんが、ドラマの名ぜりふをまとめた。テレビドラマ界の巨人による言葉は、いずれも普遍性に富む。

「人と人とが信じ合わなくなったらこの世は何と暗くなることか」

NHK時代劇「文五捕物絵図」で岡っ引きの文五(杉良太郎さん)が発した。文五の嘆きを碓井さんは「格差社会、分断社会といわれる、生きづらい現代社会と、そこに生きる私たちに対する警鐘にも聞こえる」と解説する。放送開始は1967年。50年以上たっても痛切に感じる。

やすらぎの郷(2017年)では高井秀次(藤竜也さん)が「人は忘れます、そのうち過ぎたことを。東日本大震災のことだって。原発事故のことだって。-みんな簡単に忘れたじゃないスか。いけませんよね、そういうこと忘れちゃ」。突き刺さる。

「かれらには何でもできるのだ。どんな無法でも、どんな残酷なことでも、幕府の名をもって公然と押しつけることができる」。赤ひげ(197273年)新出去定(にいできょじょう)(小林桂樹さん)のせりふ。権力者はいつの時代でもか。こんな時期、よけいに思う。

同じく新出の「人間を愚弄(ぐろう)し、軽侮するような政治に、黙って頭を下げてしまうほど、老いぼれでもなけりゃあ、お人好しでもない。俺は-」。

あにき(77年)で神山栄次役を演じた高倉健さんは劇中「人には通すべき筋ってもンがある」。そうです。健さんのおっしゃる通り。

倉本さんはせりふに「ん」ではなく「ン」をよく使う。以前取材した時、「ん」より「ン」の方が「はねる感じがあるから」と教えてくれた。演者の口ぶりが生き生きとする。

そして「モノには必ず終(おわ)りってモンがある。うン」。

「北の国から’98 時代」で北村草太(岩城滉一さん)が別れについて語ったものだ。

少々強引かもしれないが、「モノには」を「こんな時期も」と置き換えたい。いつか誰もが“当事者”であるこんな時期から解放されて、あんな時期があった、と。希望を持ちたいなあ。うン。

(西日本新聞 2020.06.05)

 


リモートドラマの可能性示す「2020年 五月の恋」

2020年06月07日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評

 

 

週刊テレビ評

「2020年 五月の恋」 

リモートドラマの可能性示す

 

このところ目につくのが「リモートドラマ」だ。新型コロナウイルス対策で、出演者やスタッフがスタジオやロケ先に集まることなく、遠隔撮影といった手法で作られたドラマを指す。WOWOWの「2020年 五月の恋」(全4話、5月末から配信・放送)もリモート制作だが、純粋にドラマとして見応えがあった。

画面は完全な2分割だ。別々の部屋に男女がいる。スーパーの売り場を任されているユキコ(吉田羊)と、設計会社の営業マンであるモトオ(大泉洋)。2人は4年ほど前に離婚した元夫婦だ。在宅勤務のモトオが間違い電話をしたことで久しぶりの会話が始まった。

第1話。ユキコは、家族へのウイルス感染を心配する同僚から、独身であることを「うらやましい」と言われ、傷ついていた。口先だけで慰めるモトオ。怒るユキコ。驚いたモトオはしゃっくりが止まらず、ユキコも苦笑いだ。

第2話では、離婚の原因が話題に。当時、モトオが言った「ユキちゃんはどうしたいの? それに従うよ」という言葉が決定的だったと告白するユキコ。モトオが家庭でも会社でも、言い争いやけんかを避けるのは、子どもの頃に亡くした妹の思い出が原因と分かってくる。

そして第3話。ずっと気になっていたのに、確かめることを避けていた話になる。現在、付き合っている相手がいるかどうかだが、2人とも不在だった。最終話ではモトオの在宅勤務が終わること、ユキコたちが弁当を届けている病院関係者への共感などが語られる。最後に2人の“これから”についてモトオから提案があり……。

会話だけのドラマを駆動させるのはセリフ以外にない。しかも別々の場所にいて表情も見えず、微妙なニュアンスが伝わりづらい。誤解されないようにと言葉が過剰になったり、その逆だったりする。

しかし相手の顔が見えないから言える本音もある。目の前にいない分、少し優しくなれたりもする。本来、不自由であるはずの「リモートな日常」を梃子(てこ)にして、人の気持ちの微妙なニュアンスまで描いていたのは、脚本の岡田恵和(NHK連続テレビ小説「ひよっこ」など)の功績だ。

またドラマというより舞台劇、それも難しい一人芝居に近い構造だが、吉田も大泉も見事に演じた。自身をキャラクターに溶け込ませ、緩急の利いたセリフ回しと絶妙の間で笑わせたり、しんみりさせたり。「ドラマの時間」を堪能させてくれた。

確かにリモートドラマは緊急対応で、苦肉の策かもしれない。しかし平時以上の創造力が発揮された時、ドラマというジャンルの地平を広げる作品が生まれる。そんな可能性を示した。

(毎日新聞夕刊 2020.06.06)