倉本聰、碓井広義 『ドラマへの遺言』
出版記念トーク&サイン会
「脚本家・倉本聰のドラマの世界」
トーク: 碓井広義
聞き手: 合木こずえさん
日時: 4月20日(土)14時〜
場所: 中島書店 高原通り店
塩尻市広丘高出1494-6
TEL:0263-54-3968
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ドラマへの遺言 (新潮新書) |
倉本聰、碓井広義 | |
新潮社 |
倉本聰、碓井広義 『ドラマへの遺言』
出版記念トーク&サイン会
「脚本家・倉本聰のドラマの世界」
トーク: 碓井広義
聞き手: 合木こずえさん
日時: 4月20日(土)14時〜
場所: 中島書店 高原通り店
塩尻市広丘高出1494-6
TEL:0263-54-3968
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魯迅と蒋介石の軌跡から掘り下げる日中激動の歴史
タン・ロミ 『戦争前夜~魯迅、蒋介石の愛した日本』
新潮社 2,482円
魯迅と蒋介石の軌跡を軸に、日中の激動の歴史を掘り下げている。二人に共通するのは、どちらも日本留学生だったことだ。魯迅が日本にやってきたのは1902年(明治35年)。すでに608名の清国人留学生がいた。日清戦争に勝利した日本から学ぶべきものは多いという国家的判断と、文化の差が大きい欧米と比べて親和性が高かったからだ。
やがて魯迅は仙台医学専門学校(現・東北大学医学部)に入学。そこで名作「藤野先生」のモデル、解剖学の藤野厳九郎教授に出会う。藤野の熱心な指導を受ける魯迅だったが、周囲の学生たちの差別意識から発した事件が魯迅の心を傷つける。それは「中国人を救うのは医学ではなく、精神面から救うことこそ必要だ、それには文芸だ」という決意を生んだ。
もう一人の主人公、蒋介石が日本にやってきたのは魯迅の4年後。軍人になりたい一心からだったが、目指す陸軍士官学校は入学資格がなかった。小さな日本語学校からのスタートとなるが、「楽天的で深く悩まない」青年は平気だ。その後、短期の帰国を経て、今度は正式な軍事留学生として再び日本の地を踏む。
本書では二人の動きが交互に描かれる。夏目漱石に憧れ、近代化した文芸のかたちとしての「口語体による短編小説」を模索していく魯迅。孫文に心酔して革命軍に身を投じ、軍人として頭角を現していく蒋介石。その革命が新たな国造りや人々の意識変革につながらないことに失望する魯迅。孫文の後継者を自任しながら、「共産党狩り」の粛清に狂奔する蒋介石。魯迅はそんな蒋介石を批判せざるを得なくなる。
魯迅が目を向け続けたのは「国民」であり、蒋介石が見ていたのは「国家」だ。そして背景には二人の留学先だった日本という国の存在がある。魯迅が没してから82年が過ぎた今、日中両国の何が変わり、何が変わっていないのか。その本質に迫るノンフィクションの秀作だ。
(週刊新潮 2019年4月11日号)
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戦争前夜:魯迅、蒋介石の愛した日本 |
譚 ろ美 | |
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テレ東「きのう何食べた?」
こういう生き方もありと思える
昨年の4月クールで話題になった「おっさんずラブ」(テレビ朝日系)。また春が巡ってきて、新たな“男同士”の物語が登場した。西島秀俊&内野聖陽という刑事ドラマも出来ちゃう組み合わせによる「きのう何食べた?」(テレビ東京系)だ。
しかし、このドラマは「おっさんずラブ」のようなコメディーではない。逆に重くて暗い話でもない。描かれるのは心優しき男たちの穏やかな日常。その象徴が食卓だ。
弁護士の筧史朗(西島)と美容師の矢吹賢二(内野)はマンションの2LDKで同居生活を送っている。月の食費は2万5000円。料理はもっぱら史朗の担当だ。
事務所を定時に出るとスーパーに立ち寄り、品質と値段を吟味して材料を購入する。しかもサケとごぼうの炊き込みご飯も、ツナとトマトのぶっかけそうめんも実においしそう。堂々の食ドラマでもあるのだ。
食卓で向き合う2人だが、賢二はゲイであることをオープンにしたがるし、史朗は隠すつもりはないが積極的に公開したいとは思っていない。
また恬淡とした史朗に対して、賢二は彼の元カノに嫉妬したり、時には尾行までやってしまう。当然2人は衝突するが、そこは大人。史朗の料理も大いに寄与しながら、うまく折り合いをつけていく。
見ている側も微苦笑とともに、「こういう生き方もありだよね」と思えてくるところが、このドラマ最大の値打ちだ。
(日刊ゲンダイ 2019.04.17)
尊敬できる人間を持ってる人間が光るんです。
尊敬される人間は別に光らない。
倉本聰
◇
「高倉健さんの映画は必ず上に人がいることで成立している」と、
脚本家は言う。
権力者も反逆児も「上に立つ人」がいないお山の大将。
そこがだめなんだと。
自分の不完全を知り、自分に優(まさ)る者のほうから自分を量る。
その人が後生大事にしているものは命を張ってでも護(まも)る。
そういう「重し」が人には要ると。
元TVプロデューサー、碓井広義との共著『ドラマへの遺言』から。
折々のことば 鷲田清一
(朝日新聞朝刊 2019.04.16)
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ドラマへの遺言 (新潮新書) |
倉本聰、碓井広義 | |
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ふるさとである長野県塩尻市の「中島書店」さんが、なんと、トーク&サイン会を開いてくださることになりました。ありがとうございます。
聞き手は、映画館館主で映画コラムニストの合木こずえさん。
お近くの皆さんということになりますが、よかったら、立ち寄ってみてください。(参加費無料、予約不要)
どうぞよろしく、お願いいたします。
倉本聰、碓井広義 『ドラマへの遺言』
出版記念トーク&サイン会
「脚本家・倉本聰のドラマの世界」
トーク: 碓井広義
聞き手: 合木こずえさん
日時: 4月20日(土)14時〜
場所: 中島書店 高原通り店
塩尻市広丘高出1494-6
TEL:0263-54-3968
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ドラマへの遺言 (新潮新書) |
倉本聰、碓井広義 | |
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空想とは、
事実の世界に足をつけて
虚構の世界を想像し、
その虚構が本当だったら
どうなるだろうと
考えること。
安野光雅 『安野光雅 自分の眼で見て、考える』
本書は、倉本聰への自称その弟子、メディア研究家・碓井広義によるインタビューで綴られた倉本聰の人生……いや、履歴書である。
代表作が作られた経緯、脚本やセリフへの思い、現場で起きた数々の出来事、役者たちとのあけすけな裏話に多くの紙幅を割き、読み応えがあるが、個人的にはこれまであまり語られてこなかった、麻布中高~東大の学生時代のエピソードや、寺山修司や大江健三郎ら同世代の天才たちとの交友、ニッポン放送に就職~脚本家として独立しながらも業界に認められず忸怩(じくじ)たる思いを抱きながらの下積み生活など、履歴書の前半部分に惹かれた。稀代の脚本家は天賦の才能を与えられていたわけではなく、どちらかといえば落第生であり、落ちこぼれだったのだ。
白眉はやはり『北の国から』が生まれた経緯である。三十代でドラマ脚本家として着実にキャリアを積み、三十九歳でNHK大河ドラマ『勝海舟』を手掛けるが、主演・渡哲也の病気降板による現場スタッフとの軋轢(あつれき)に巻き込まれ、半ば解雇のような形で作品から離れる。傷心の倉本はそのまま逃げるように北海道で暮らし始め、ついには移住してしまう。妻の浮気をキッカケに傷心のまま東京を離れ、北海道で暮らし始める『北の国から』の主役・黒板五郎(田中邦衛)は、倉本聰そのものなのだ。
その少し前、倉本は北島三郎の付き人になる。田舎町の体育館での大熱狂リサイタル。観客の老若男女と一対一で向かい合うサブちゃんのステージに感銘を受けた倉本は“偉い人も貧しい人も学歴もへったくれもないんですよ。人間対人間なんだ”“俺は今まで誰に向かって書いてたんだろうって思った”“地べたに座らなきゃ駄目だと分かった”と、これまでの作風をガラッと変え、およそドラマには不向きのキャラクターたちを生み出してゆく。
倉本はまた、しくじってしまった役者にも手を差し伸べる。個人的に『北の国から』で最も秀逸なキャラクターは草太(岩城滉一)なのだが、岩城は当時、数年前に犯した覚醒剤取締法違反と拳銃所持で業界から完全に干されていた。倉本が『北の国から』をフジテレビから受ける条件として、岩城を出演させることを提示したという。「あの頃は僕の周りがやたらと覚醒剤や大麻で捕まったんですよ。それで某夕刊紙に“北海道在住の某有名脚本家が大麻を栽培して仲間に流してる”なんて書かれたこともありましたね(笑い)」
倉本聰がドラマのキャラクター一人一人の履歴書を作ってから、その人物像を立体化してゆくのは有名な話だが、立派な履歴のみ書ける人間などなんの魅力もない。落ちこぼれ、しくじり、傷だらけの人生を背負った名もなき人物を魅力的に描くことがテレビドラマ本来の力であり、役割りなのだ。文春さん、週刊誌もそうあって欲しいですね、娯楽メディアとして。
くらもとそう/1935年、東京都生まれ。東京大学卒。脚本家、劇作家。『北の国から』『やすらぎの郷』など代表作多数。
うすいひろよし/1955年、長野県生まれ。慶応大学卒。テレビプロデューサーを経て、上智大学文学部新聞学科教授。
おおねひとし/1968年、東京都生まれ。テレビディレクター、映画監督。代表作に『モテキ』。NHK大河『いだてん』の演出を手がける。
孤独であっても人は生きていける
五木寛之 『続・孤独のすすめ』
中公新書ラクレ 842円
五木寛之『続・孤独のすすめ人生後半戦のための新たな哲学』を読了して、なぜこの本を読みたかったのか、ようやく気づいた。まさに人生の後半戦を生きている自分の考え方が、そんなに間違っていないことを確認したかったのだ。
現代は、だれもが孤独から逃れる道を探している時代だと著者は言う。そうかもしれない。電車の中の“乗客全員スマホ中”という一種異様な光景もその反映なのだろう。しかも「安直な絆だけを求めてはだめ」で、孤独であっても「人は生きていけるのだ」と続く。多分そうだ。
その上で孤独を「和して同ぜず」と定義づけている。それぞれが「自己の持つ特異性や個性、才能などを守りつつ、他と集団を生きる。他人とちがう自分を守る」ことが孤独の本質だという指摘。これは納得できる。
ならば具体的に、どう生きたらいいのか。あれかこれかの二者択一をやめること。「共に生きる」と「和して同ぜず」の共存だ。一般的に「二心(ふたごころ)ある」という言葉は悪い意味で使われることが多いが、著者はこれを、孤独者が群れと接触するための戦略と捉える。この辺りで、「ああ、それでいいんだ」とホッとした。
何しろ孤独について、著者の思索には年季が入っている。1968年のエッセイ集『風に吹かれて』にも、「たとえ理想の未来社会が私たちのものになったところで、人間の孤独といったものはやはり存在する」という文章があるくらいだ。汝の孤独を愛せよ。
(週刊新潮 2019年4月4日号)
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続・孤独のすすめ-人生後半戦のための新たな哲学 (中公新書ラクレ) |
五木 寛之 | |
中央公論新社 |
「土屋太鳳」も驚きの「フジ」記念ドラマでミス
字幕が遅れ続け…
松本清張の『砂の器』は、言わずと知れた不朽の名作である。フジテレビは開局60周年記念の特別企画でこの作品を取り上げたが、大きな反響を呼んだのは、字幕。最初から最後まで、字幕が数秒遅れていたのだ。
〈字幕のズレのせいで砂の器の内容がほとんど頭に入ってこない〉
〈母が難聴なので字幕遅れはとても困る。早くなんとかして、フジテレビ。なんか全く楽しめない〉
3月28日の夜、SNSにはこんな怒りが溢れていた。実際に見ていた女性も憤る。
「とても好きな作品だし、原作や映画、これまでのドラマと、セリフがどう変わっているか、人名や地名も確認したいから字幕を出していたんです。そのうち直ると思って最後までそのまま見ちゃいました。正直、“なにが特別企画だ、ふざけるな”と思っています」
ドラマの内容もさることながら、とんだ見どころを作ったものである。スポーツ紙の芸能担当記者の話。
「ふつう、放送の1週間前には編集作業が終わった“絵完パケ”が各社に配られるのですが、今回はありませんでした。撮影が終わったのがオンエアの1週間ほど前だったそうです。それからわずか数日で編集や音入れなどを行わねばならず、字幕まで手が回らなかった、と。それもこれも出演者の調整に手間取り、撮影開始が遅れたのが原因だとか」
60周年記念なのに、“突貫工事”だったわけである。
低迷続きを象徴
ここでいったん、原作に触れておく。『砂の器』は、ある殺人事件をめぐって刑事が東奔西走する姿を描く。ハンセン氏病を患った父親と、その息子である天才作曲家の物語でもある。1974年に丹波哲郎と加藤剛の主演で映画化され、ドラマ化は今回が7作目だ。
「名作を、安直に借りてきた感じが否めないのです」
と、メディア文化論を専門とする上智大学の碓井広義教授。
「今作は、ハンセン氏病患者への差別を犯罪加害者家族へのそれに置き換えています。が、映像では差別がまったく描けておらず、作曲家が背負った苦悩もまるで伝わってきませんでした。字幕の件は不手際以外の何物でもない。そんな未完成のままの作品を流してしまうとは、低迷続きのフジテレビを象徴する『砂の器』だったといえるでしょう」
まさに、貧すれば鈍するといったところだ。ちなみに、字幕の事故にはこんな例も。掲載写真の〈おいしかったです〉は、東山紀之演じる刑事が、土屋太鳳演じる重要人物に自己紹介する場面。東山の顔に字幕が被り、土屋もびっくりである。別の食事シーンでは、〈自分、朝から腹を下しておりまして。すいません〉との字幕も流れた。こんな作品となった経緯をフジテレビの企業広報室に訊ねると、
「制作の都合により、生で字幕を付けることになったため字幕が音声より遅れて表示されました。字幕放送でご覧になっていた視聴者の皆さまには大変ご迷惑をおかけしました」
との回答のみ。視聴者からの電話がつながらないこともあったとか。しかし視聴率は11%超。成功と評される15%には届かなかったが、字幕という見どころで命拾いしたのかもしれない。
(週刊新潮 2019年4月11日号)
発売中の「週刊文春」(4月18日号)に、
大根仁監督による
『ドラマへの遺言』の書評が掲載されました。
一部抜粋すると・・・
「代表作が作られた経緯、脚本やセリフへの思い、現場で起きた数々の出来事、役者たちとのあけすけな裏話に多くの紙幅を割き、読み応えがあるが、個人的にはこれまであまり語られてこなかった、麻布中高~東大の学生時代のエピソードや、寺山修司や大江健三郎ら同世代の天才たちとの交友、ニッポン放送に就職~脚本家として独立しながらも認められず忸怩(じくじ)たる思いを抱きながらの下積み生活など、履歴書の前半に惹かれた」
ありがとうございます。
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ドラマへの遺言 (新潮新書) |
倉本聰、碓井広義 | |
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『なつぞら』第1週を見て、
「期待できる」朝ドラを実感!
初回の冒頭は昭和30年の北海道十勝です。18歳のヒロイン・奥原なつ(広瀬)が、アニメーターとして歩んだ自分の半生の物語であることを宣言しました。
一人の「無名の少女」が、まだその仕事が世間で認知されていない頃、「アニメーター」になる話。何より、この明快さがいいじゃないですか。少なくとも、日清食品の「創業者の妻」の人生よりは興味深い。
続いて、なつが昭和20年3月に体験した東京大空襲が、アニメで表現されていたので驚きました。さらにスピッツの曲が流れるタイトルバックも、朝ドラでは珍しいアニメ仕立てです。このドラマ全体の“基調”を数分間で伝えた、見事なオープニングでした。
第1週は、なつ(子役の粟野咲莉、好演)が十勝の酪農家で暮らし始めた昭和21年が舞台。主な登場人物たちの顔見世でもあります。
なつの父親の戦友で、彼女を連れて北海道に戻ってきた柴田剛男(藤木直人)。妻の富士子(松嶋菜々子)、富士子の父である泰樹(草刈正雄)、そして子供たちなどです。
剛男は、戦場で生と死が紙一重の修羅場をくぐってきました。なつを引き取ったのも単なる善意ではなく、生き残ったことの“後ろめたさ”を含んだ行為だったと告白します。
こういう厚みのある人物像がドラマを面白くするんですよね。その意味で、第1週で最も強い印象を残したのが泰樹(草刈)でしょう。
初めは、なつを邪魔者として扱うかのように見えた泰樹ですが、実は、なつのことを親身に思えばこそだったことがわかってくる。その象徴的シーンが第4話にありました。
牛の世話をする大人たちを観察し、自分も一人前の働き手になろうとする、なつ。そんな姿を見た泰樹は、帯広の和菓子屋「雪月」に牛乳と卵を届ける際に、なつを同行させます。
店主の小畑雪之助(安田顕)が、それを材料にしてアイスクリームを作ってくれました。夢中で食べるなつに向かって、泰樹が言うのです。
「それはお前が搾った牛乳から、生まれたものだ。ちゃんと働けば、必ずいつか、報われる日が来る。自分の力を信じて働いていれば、きっと誰かが助けてくれるもんだ。お前は、この数日、本当によく働いた。お前なら大丈夫だ。だから、もう無理に笑うことはない。謝ることもない。堂々と、ここで生きろ」
大森寿美男さん(朝ドラ『てるてる家族』など)の脚本と、草刈正雄さんの説得力のある演技ががっちりと噛み合った、とてもいいシーンでした。見ていて、不覚にも、ちょっと泣けました。
早くも名場面と名セリフが登場した『なつぞら』。大いに「期待できる」朝ドラと言えそうです。
記念すべき100作目の朝ドラ
「なつぞら」が4月1日にスタート
広瀬すずがヒロインの奥原なつを演じる。戦争孤児となり、引き取られた先の北海道で幼少期を過ごしたなつが、上京してアニメ業界へ飛び込み奮闘する物語だ。
広瀬の魅力について、上智大学の碓井広義教授(メディア文化論)は熱っぽく語る。
「作り物ではない、天性の明るさは朝ドラ向き。何も言わなくても笑顔が画面に映るだけで、その日は幸せな気分でスタートできる。理屈抜きの無敵な笑顔は朝ドラヒロインの“真打ち登場”という気がします」
天真爛漫さは撮影現場でも健在、とNHK制作統括の磯智明氏は語る。
「ベテラン俳優陣に囲まれて、持ち前の明るさでかわいがられています。北海道ロケでオフの日に皆さんで食事に出かけるなど、物語とリンクして本当の家族ができあがっていくような、和やかな空気があります」
当初の舞台となる昭和20年代の北海道・十勝は馬が主な移動手段。広瀬は乗馬の腕前で周囲を驚かせたという。
物語が始まる昭和21年、なつは9歳。広瀬が登場するのは第3週からだ。高校卒業後に上京、アニメーターを目指すという時系列を史実と照らし合わせると、興味深い物語が見えてくると碓井教授は言う。
はたして宮崎青年の登場はあるのか。
「事実、草創期には何人かの傑出した人物がいました。当時の時代背景を参考にしていますので、この登場人物がもしかしたら……というような視点でも楽しんでもらえるかもしれませんね」(磯氏)
「実在の人物を描く“実録路線”の物語は、モデルの実人生だから大きく逸脱することができない。その意味で、架空の人物である“広瀬なっちゃん”がどんな歩みを見せるのか注目したいです」(碓井教授)
(本誌・秦正理)
(週刊朝日 2019年4月12日号)
「3年A組」から「ボロ宿」まで
1月期のドラマを総括
先月末に幕を閉じた1月期のドラマを総括したい。最も刺激的かつ挑戦的だったのは「3年A組―今から皆さんは、人質です―」(日本テレビ―STV)だ。高校教師(菅田将暉)が自身の担任クラスの生徒たちを人質にして、教室に立てこもる。その背後には自殺した一人の女性生徒の存在があった。
一見突拍子もない物語と思わせておいて、実は人を傷つける危うさに満ちたネット社会への警鐘、いや異議申し立てを正面から行っていた。SNSなどにおける匿名での誹謗中傷に対する、「自分が同じことをされたらどんな気持ちになるか、想像してみろ!」という真っ当な主張に説得力があった。
次に高畑充希主演「メゾン・ド・ポリス」(TBS―HBC)は、新米女性刑事(高畑充希)がシェアハウス<メゾン・ド・ポリス>に暮らす退職刑事たちの力を借りて事件を解決していくという設定が新鮮だった。
5人のベテランは簡単には制御できないほどの個性派ぞろい。それを近藤正臣や角野卓造などが嬉々として演じ、さながらキャラクターショーのようだった。確かにチームではあるが、互いにリスペクトする個人の集まり、ゆるやかな連帯といった雰囲気で、刑事ドラマという定番ジャンルに新風を吹き込んだ。
そして、「ハケン占い師アタル」(テレビ朝日―HTB)のヒロイン(杉咲花)はイベント会社で働く派遣社員。いわゆる雑用を頼まれても、「はい、喜んで!」と明るく対応しているが、その実態は他人の内面を見通す特殊能力の持ち主だ。
彼女は同僚たちが隠している悩みを見抜き、「自分に対する愛が欠けている。もっと自分を大切にしようよ!」とか、「幸せは待っているものじゃなくて、自分で創るものなんだよ!」といったアドバイスをしていく。
「占い師」というより、特殊能力を生かした「カウンセラー」だ。登場人物たちの悩みには何かしら普遍性があり、見る側もアドバイスや励ましの言葉を自分に引き寄せて聞くことができた。
最後に深夜ドラマの秀作にも触れておこう。濱田岳主演「フルーツ宅配便」(テレビ東京―TVh)の舞台は風俗業界。そこで働く女性たちが抱える事情やトラブルの中に、今の社会や人間の姿がさりげなく映し出されていて興味深かった。
また深川麻衣(元乃木坂46)主演「日本ボロ宿紀行」(同)は全国各地に実在する、味わいのあるボロ宿をめぐり歩くロードムービー風ドラマだ。どちらも深夜であることを武器にした意欲作だった。
(北海道新聞「碓井広義の放送時評」2019年04月06日)
ふるさとである長野県塩尻市の「中島書店」さんが、なんと、トーク&サイン会を開いてくださることになりました。ありがとうございます。
聞き手は、映画館館主で映画コラムニストの合木こずえさん。
お近くの皆さんということになりますが、よかったら、立ち寄ってみてください。(参加費無料、予約不要)
どうぞよろしく、お願いいたします。
倉本聰、碓井広義 『ドラマへの遺言』
出版記念トーク&サイン会
「脚本家・倉本聰のドラマの世界」
トーク: 碓井広義
聞き手: 合木こずえさん
日時: 4月20日(土)14時〜
場所: 中島書店 高原通り店
塩尻市広丘高出1494-6
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